党派の儚総集編

党派の儚
 

-貴子-

 息も絶え絶えの機関車が、北国山脈でも名だたる険峻な峠を登りきって、漸う、侘しい停車場に辿り着いた。
 一人だけ乗り込んできた豊潤な女が、類の顔前に座るなり、「あなたしかいないんだもの。離れて座るのも不自然でしょ?」と、名前を告げた。
 その貴子という女が、まじまじと類の顔を見つめて、「反骨の気質なんだけど、何れは大業を為すという、滅多にない相なのよ」「こんな人と会ったことがあるの。極め付きにいい男だったわ」と、続けて、「手相を見てあげようか?」と、言うのだった。
 類の掌を妖しく愛撫しながら、「あなたにもただならぬ女難の相が出ているから、心がけをしないとね?」と、男の顔を覗き込んだ。
 貴子は山腹の温泉に宿をとると言うと、男の全てを知り尽くした様に、「あなたも無謀な旅の疲れを癒せばいいんだわ」と、誘うのであった。
 温泉宿で、交接の合間合間に、二人は互いの来し方を話したが、肝心な過去は虚偽や秘匿で彩られていた。
 貴子は北国一の歓楽街の外れの路地裏に、五席ばかりの居抜きの小料理屋を買った。二階に住まいがついている。即金であった。詳細を明かさないままの類が曖昧に同居した。そして、間もなく、敗戦になった。

 狂ったように蒸し暑いその日、夾雑にまみれたラジオの玉音放送を聞きながら、二人は、怒りと悔恨と希望を汗にまみれさせて、混沌と抱擁するのだった。類は、この時に初めて、その来し方の全容を語った。
 「こんな陳腐な声の男が、あの御門だったの?」汗にまみれた重い乳房を揺らしながら、「正体見たり何とやらなんだもの。余りに馬鹿馬鹿しくて」「酒でも飲まなかったら、聞いてもいられないわ」と、立ち上がった。
 居酒屋の二階の六畳一間である。窓は北側に、辛うじて切られているきりだから、風は入りようもない。
 「こんな男のために、どれ程の人が死んだの?」「無駄死にだったって訳でしょ?」「あなたが徴兵を拒んで旅に出たのは、実に賢かったんだわ」「たった今からは空襲の心配もなくなったんだもの」

 類がザラ紙に何事かを書き付けていた。
 
 
 重たい乳房だ。
この時にも、まごうことなく覚醒している。

桃色の張りつめた肉の躍動だ。
血潮が駆け巡る神経の豊穣だ。
堅固な思惟の源だ。

すぐに男を迎え、やがて嬰児に含ませる命の本源だ。

はち切れんばかりの終戦の歓喜だ。

天皇の玉音など、女には幾何の感傷すら残さない。
大衆の明敏な確証に、愚劣な政治の敗北がようやく辿り着いただけだ。
この国の統一性はとうに破壊され、女は生物の本能とだけ生きる契約を結んだから、永劫の大地に立脚している。

つい今しがた、花火花の一陣の風を受け、女は類の摂理として発情した。
始原の雌がしたように、女陰を膨らせ、膣から沸き立つ狂おしい香気で、この国の貧相な神話を打ち倒す若者を戦地から呼び寄せるのだ。

盛夏の真昼だ。 歴史を孕むには絶対の刻限だ。
革命の懐胎だ。

だから、女の尻は豊かだ。
国家神道を圧倒するリアリズムだ。
男達を産み続けてきた堅牢な砦だ。
蒙昧な権力への決然の対峙だ。

女が宿命に彩られ、淫奔に身体を開く。
受胎を促進する快楽が世界を創る。

新しい女神こそが、新しい言葉で、神話を創れるのだ。

300万人の死霊を弔えるのは、豊潤な肉体に纏われた言霊しかない。


 類は北国大学に入学した。社会主義に傾倒して運動にも参加した。とりわけ、関心を抱いたのは、先住の少数民族の研究と権利回復の運動だった。
 

-貴子と草也-

 貴子の脳裏から離れることのない、ある忌まわしい記憶があった。
 アカギの紡績工場が焼けて、貴子は北国山脈の山懐の実家に戻った。寒村の小作だから文字面を凌ぐ程の貧農である。決まった仕送りもしていたが、失職した女の居場所などはある訳もない。
 思案の日々に、祖母の命日に墓参りに行った墓石の前で、最近になって荒れ寺に居着たという僧の道善ドウゼンに、貴子は犯されてしまったのである。
 道善は、散々に蹂躙した果てに、貴子に占いを教え込んだ。道善は高利貸しもする極悪な男だった。
 貴子は、何故、そんな男に諾諾と従ったのか。居と食と、道善から与えられるそれなりの報酬は、貴子にとっては不可欠なものだったし、何よりも、実家に身を竦スクめるよりは、僅かばかりでも、ましだったのである。そして、男の情欲に女の身体が如何に反応したかは、貴子にも判然とはしないのであった。
  そんなある日に、雲水姿の男が訪ねて来たのである。男は草也と名乗った。道善とはサタケ刑務所で同房だった。
 道善は露悪な性向の男で、貴子を苛む度に、草也に聞こえよがしに、嬌声をあげさせた。会った時から、草也に悪い印象がなかった貴子には苦痛の極みだった。草也にしても、道善の底意などは承知していたから、忌ま忌ましさが募っていた。
 この地では稀な、台風が近づいていたその日の宵紛れ、凌辱の最中に、遂に耐えきれなくなった貴子が、見たこともない性具を挿入されながら、大声で草也に助けを求めたのである。駆けつけた草也が傍らの仏像で一撃を下すと、道善は呆気なく息を引き取ってしまった。
 大型の台風が直撃した暴風雨が荒れ狂う夜半に、濡れ鼠になりながら、二人は苔むした土饅頭を掘り起こして遺体を投げ込んだのである。そして、道善が隠し持っていた一千万を分けあって、草也は払暁に消えたのであった。
 残った貴子が道善の失踪を本山に通報すると、直ぐに、派遣の僧がやって来た。道善の悪行は本山にも告発されていたのであった。
 大型の金庫を開けると、現金はなかったが、大量の借用書と夥オビタダしい性具が出てきたから、僧が顔を歪めた。こんな不祥事が明らかになれば本山の権威も失墜しかねない。貴子は固く口止めをされて実家に帰された。
 すぐに、本山から任命された新しい住職が着任すると、駐在所に道善の失踪届けを出したのである。本山から根回しがあったのか、それ以上の捜査は行われなかった。
 所轄署の定年間際の刑事の伴内は、偶然に、この失踪話を耳にして不審を抱いた。借用書から推察すると多額であろう現金が、跡形もなく消えていたのが最大の疑念だった。彼はこの集落の出で、道善の犯罪紛いの行状を聞き及んでもいた。調べると、最後に関わったのが貴子であることも容易に判明した。
 貴子に不審を抱いた男がもう一人いた。貴子と国民学校の同級生で、恋心を抱いていた男、赤麻である。
 実家の兄嫁から貴子の居場所を探り当てた男は、探しだした貴子を脅迫して抱いた。

 一九五〇年の晩秋。類は大学四年で、就職も県庁に内定していた。
 貴子は、類に出来ることは全てし終えたと、思った。これ以上は、類の迷惑ばかりか、障害にもなりかねないのである。貴子は決断した。


-初江と類の一夜-

 貴子が自裁したいきさつが、類には全く思い至らないのであった。僅かばかりの遺品の中に、幾つかの性具の他に陰毛の一房を忍ばせた紙包みがあって、類は号泣したが、手掛かりとてなかった。
 失意に囚われて、類が初江に長い手紙を書くと、時を経ずに、訪ねて来た。初江は、夫が事故死して半年ばかりばかりだった。

 一九四四年の厳冬の夕間暮れ。
 薪ストーブが燃え盛る、裏列島の港町の停車場には、煙草を燻らす類しかいない。
 やがて、未だ八時前だというのに、最終の下りの汽車が滑り込んできて、ただ一人降りて来て歩み寄った女がストーブに手をかざしていたが、「煙草を頂けないかしら」と、言った。
 女は、「社用でセンダイに行った帰りで、家はここからバスで三〇分も分け入った山脈の深奥なの」と言い、「これから駅前の旅館に宿をとるが、今夜の泊まりはどうするの?」と、聞く。黙したままの男に、「ここで一夜を明かすなんて、いくら若くて頑健でも無茶なのよ」「それに、お腹も空いているんじゃない?」と、顔を覗きこんだ。
 
 雪明かりに照らされて、女の身体は熱かった。「こんなに心が揺り動かされるのは初めてなのよ」「残り火が燻る身体が疎ましいわ」と、言った。
 女の豊穣な尻の片側には、竜胆リンドウを象カタドった痣が、くっきりと浮かび上がっているのだった。
 朝方の別れ際に、紙幣を握らせた初江が、「困ったら、いつでも連絡するのよ」と、涙を浮かべた。


-北国山脈-

 類は県庁を断念して初江の会社に入社した。肩書きは営業課長だった。初江が社長である。主要幹部は初江の父の代から仕えている。
 初江の橘山林木材は杉とヒバの広大な山林を所有して、製材所も営む。県庁所在地に材木卸会社と材木市場を持つ。タクシー会社も経営して多数の貸家も所有していた。ナンブの出の婿の父が辣腕で事業を拡大したのだ。首府に材木卸小売りの支店も出している。総勢ニ〇〇人の従業員がいた。初江は地元紙の取締役にも名を連ねて、橘家はこの地方の名家だった。

 山頂が近づく山道で、突然、初江が小さく叫んだ。類が振り返ると、「見て」と、声を潜めて指を投げた。すると、杉の大木の根方に、三メートルもあるだろう、金色の蛇が鎌首をもたげて、二人と対峙しているのである。「この山の守り神なの」「三度見ると願いが叶うのよ」「私はこれで三度目なの」と、喜色で囁く。大蛇は、暫く二人を睥睨していたが、やがて、林海に消えた。
 二人は顔を見合わせる。初江が唇を求めた。類が吸うと舌が応えて、「こんな風に、私の願いが叶ったんだわ」と、囁く。初枝の微笑みに木洩れ日が煌めいて、「あの夜からなのよ。きっと、あなたとはこうなりたいと、ずうっと願っていたんだもの」
 「ここで、しましょう」と、初枝が両の手を杉の大木で支え、腰を折って豊満な尻を突き出した。「二人っ切りなんだもの」類が登山ズボンを引き下ろすと、張りつめて湿った桃色の尻がむき出しになる。類を迎え入れると、初江の妖しい嬌声が森に流れた。
 山頂は西に開けて、眼下に杉林が広がり、遠く北国山脈の山麓にまで繋がっている。
 五月の風が吹き渡って来る。
 「類」と、初江の木霊が返る。「大好きよ」絶叫が果てしもない北の山脈に溶け込んでいく。「誰に聞こえてもいいわ」と、笑い捨てて、「この絶景が、みんな、私達のものなのよ」と、言った。
 木陰に布を敷いて、ウィスキーを飲みながら初江が用意した弁当を食んだ。済むと、並んで寝転がる。
 類は暫く眠ったような気がしたが、気がつくと、初江の手が股関で熱いのである。弄び、やがて、陰茎を吸う。そして、艶かしい悶えを憚らずに、再び、交合した。嬌声が山脈の遥かに流れた。
 帰りは別の山道を辿って下りる。初枝が、林道を外れた少し奥に小さな泉があると言う。「薄暗くて気味が悪いから見たことはないんだけど、何だか、今日は気になってならない」と言い、鬱蒼とした一角の泉に着くと、一陣の湿った風が杉林を吹き抜けてきた。すると、「今、誰かが死んだに違いないわ」と、呟くのであった。
 事務所に戻ると騒然としていた。類を拒否しているあの古参の幹部が脳溢血で倒れたと、言うのだ。医者が駆けつけていたが、間もなく息を引き取ったのであった。喧騒の中で、初江が類の手を強く握った。
 初江は賄いの女だけに、あの金色の大蛇と泉の話を打ち明けたのだったが、この不可思議な予知に満ちた希代な話は、様々な思惑に彩られて、瞬く内に広がったのであった。


 -雪子-
 
  女の口から萎えた陰茎を外して、「実にけしからん」と、吐き捨てて、興味津々の女の尻に手を回した男は、初江の亡夫の勇二郎の兄、代議士の菊田臣太郎である。
 女は女学校で初江の同級だった雪子で、老舗旅館の若女将だ。昼日中の不倫の情事である。
 「あの男の事は、すっかり調べ上げた。イワキの豪農の次男で、ダテ家の重臣の流れだというんだ」「ダテはあなたの宿敵でしょ?」と、混ぜ返す女には答えずに、「親とは折り合いが悪かったようだ。因縁は父親の後添いだ。連れ子もいる」女が陰茎をしごく。「だが、旧制中学を出てからの数年がわからん」女が足を絡める。「だから、徴兵逃れの噂がたったそうだ」「戦後は北国大学で、社会主義に気触カブれたらしい」陰毛を撫でる。「今では何事もなかったように振る舞ってはいるが。あの思想は麻薬みたいなものだからな。そう容易く転向などは出来るものでもあるまい。必ず猫を被っているに違いない」女が陰嚢を探りながら、「でも、初江との姦淫の確証は、未だ、ないんでしょ?」「しかし、火のないところに煙はたたんのだ」「初江とあの若造が出来ているのは間違いない」雪子が萎縮を握りしめて、「勇ニ郎さんが亡くなって、一年ばかりだというのに。初枝ったら-。昔から淫靡な女だったんだもの」

 いつの頃からなのか、菊田家と橘家は、反対党を支持して悉コトゴトくに対立を続けてきたのであったが、初江の両親の事故死を機に、菊田臣太郎が弟を婿に入れて、和解を装って勢力拡大を狙ったのだった。その弟が、突然に事故死してしまったのである。「あの女は、あの噂通りに、呪われているのか」と、菊田は舌打ちした。

 類の経歴は、概ねは菊田臣太郎が調べた通りだったが、しかし、隠された秘密がそれ以上にあったのである。
 


萬子-

 一九四三年八月一五日。気味の悪い程に蒸し暑い昼下がりである。
 類は一八歳で、北国の町の旧制中学5年の夏休みだったから、寮から帰省していた。
 義妹の萬子は一七歳で、同じ町の旧制女学校四年で、実父の親戚に下宿している。萬子も帰省していた。
 類は離れの自室で『罪と罰』を読んでいた。
 遅い昼食を摂りに母屋に行くと誰もいない。両親は急な親戚の葬儀で揃って出かけていた。
 居間で茶漬けを摂っていると萬子が入って来た。二人とも無言だ。
 水風呂にでも入っていたのか、濡れた髪にタオルを巻いて、青い半袖のシャツに乳首の突起がくっきりと浮き出ている。やはり、青色の薄くて長いスカートを穿いている。類に背中を見せて座ると、足を広げてスカートの中に扇風機の風を入れて、「気持ちいい」等と、呟いている。
 暫くすると、類の向かいに座り直して桃を食べ始めた。汁がしたたる。赤い唇を紅い舌で舐めた。
 石鹸や強い体臭、桃の仄かな薫りが漂ってくる。類の陰茎が敏感に反応した。
 萬子は、そんな異変を見透かした風情で、「また、暑くなった」と、類に背を見せると、扇風機を回して横になった。
 スカートを太股までたくしあげて、「酷く暑い」「いっそ、裸になれたら気持ちいいのに-」等と、如何にも意味ありげに呟くその声が、類に届くのである。尻が淫靡に揺れている。若い男根が熱い。
 類が背後からスカートをめくると尻は裸だった。萬子は、「嫌だ」とは言うが、圧し殺した声で、抵抗の気配もない。
 足を閉じてはいるが、指で探ると太股まで濡れている。すっかり隆起した男根を押し当てると、豊かな尻が簡単に割れて、何のこともなく入っていった。
 「中に出しては駄目よ」と、諭す萬子に従って、類は素早く勃起を引き抜いて畳に射精した。膣に挿入したのは初めてだった。萬子は出血をしなかったが、類は何も聞かなかった。
 「秘密よ」「でも、責任はとるのよ」と、萬子が言う。義母が父に、類と萬子を結婚させて分家をさせるのが一番いいと言っているのを、類は聞いた事があった。「避妊具をしたら中でもいいわよ」と、唇を舐めながら萬子が言った。
 類は萬子の隠微な痴態に反応した自分の男根が疎ましかった。
 この女が七歳上の類の兄と交わり、乱れた野望を、既に熟れた身体に秘めている事など、類は知るよしもなかった。


-典子-

 昨日の夜、類は、やはり、帰省していた典子と盆踊りで再会していた。浴衣の女は石鹸の香りがした。
 国民学校卒業以来だった。典子は同窓で一八歳。萬子と同じ女学校に、親戚に下宿して通っている。
 典子は類の初恋の人だ。国民学校の最終学年の時に、類が児童会長で典子は副会長だった。ある日、教室を即席の映画館にして映画が始まった。いつから、どうしてだろうか、暗闇の中で類の裸足の爪先が典子のそれに触れていたのだ。典子はどけなかったのである。その皮膚の感覚の快感の遠い記憶は、未だに、活き続けていた。
 盆踊りを抜け出して、大川の堤防で抱き合った。満月が高く、金色の稲穂が南の風を受けて波立っている。何を話したのか、覚えていない。キスをすると、「類さんにならみんなあげる」と、典子は言った。しかし、類は勃起しなかった。その記憶だけが、恥辱として鮮明に残った。そして、帰った。類は、さしたる意味もなく、初恋の終わりだと思った。
 その翌日の、萬子との惨めな初めての性交だったのである。屈辱だった。それから萬子とは何も話さなかった。何故か、典子と会いたいとも思わなかった。
 類はすぐに寮に戻り、「罪と罰」を読み耽った。
 冬休みは帰省せず、父が支持する与党の党人派代議士の師走選挙を手伝った。選挙事務所に泊まり込んだ。実に面白かった。合間に社会主義やマルクスを読み漁った。代議士は、「戦争は駄目だ」と言い切った。そして、落選した。
 戦争には、絶対に加担しない。かといって、この時勢に大学に進んでも、何の意味があるのだろうか。あの家にはいれない。萬子は嫌だ。類は考え続けた。そして、選択は確信になりつつあった。戦争は現実の姿で類に決断を迫ったのである。
 卒業が決まると式を待たずに、父に短い手紙を書いて、類は出奔したのであった。


-殺害-

 仕送りの貯金や選挙を手伝った報酬、そして、四年前の死の直前に病床の母が、「困った時に役に立つわ。内緒よ」と、握らせた宝石の指輪が旅立ちの軍資金だった。

 数日後、野宿した峠の小さな駅の前で、女の荷物運びを手伝った。荷車を引いて女の家に向かう山道で、にわか雨の雨宿りが、いつの間にか交合になった。三三だと言う女が、戸惑う類の陰茎を、「今日は大丈夫よ」と、優しく導いた。類は初めて膣に射精した。「女に限らず、困った人には優しくするものよ。きっと、いい事があるものよ」と、女が言う。夫は大陸で戦っていて、六つの女の子がいた。老いた義父母は何も言わない。類は破れた家の修復をしながら、納屋に三日いた。毎夜、女が忍んでくる。類の労働と女自身が与える報酬が優しく交換されるのだった。
 それから、豪農の農繁期を半月、働いた。休学中だと嘘を言った。夫が戦死して出戻った三五歳の娘が、間もなく、夜半に忍んできて、「女が望まない妊娠をさせては駄目なのよ」と、避妊具を着けさせた。類は、初めて、その大事さを知った。女は、「戦争が疎ましい」「御門が憎い」と、咽び泣いた。
 二人の女とも、別れ際に幾ばくの金を類に握らせた。北国山脈の山奥には、生活の悲痛と女達の優しさと、愉悦と戦争が、混沌と共存していたのであった。

 当て処のない旅を続けていた類は、ある日の夕間暮れに、北国山脈の谷あいの、とある農家の戸口に辿り着いた。引き戸に手をかけたその時に、嬌声を聞いた気がした。息を殺しながら戸を引くと、土間の奥は闇だ。その闇の奥から、再び、嬌声がして、次第に目が慣れると、荒い息使いまでが響いてくるのである。
 すると、類の視線の先の、土間の奥の囲炉裏端に一塊の肉塊が浮かび上がって、さらに視界が明瞭になると、交合の場面なのであった。
 組み敷かれた女が絶叫しているのだ。類の脳裏を関わりのあった女達の裸体が過って、二十歳半ばだろうと思った。蹂躙しているのは初老の男に見えたから、二人の関係性を疑ったが、咄嗟には思いつかない。
 「止めて」「許して」「殺して」などの声が交錯して、再び、「殺して」と、絶叫が嘆願するではないか。
 眼前の女は不条理に犯されている最中で、予期せぬ訪問者に気づいて助けを求めているのだ、と、我に返った類は、喚声をあげながら走り寄ると、男の頭を抱えて引き剥がした。土間にまで転がった男は半裸で、けたたましく痙攣をすると、やがて、静寂が類と女を包んだ。その時に、雷鳴が轟いたかと思うと雨が降り始めて、忽ち、激しくなった。
 囲炉裏の火だけの明かりに照らされた女は、いつの間にか、身繕いを終えている。
 女は、何も言わずに、茶碗酒を飲むと、類にも勧めた。類も、喉を咽ムせらせながら飲んだ。
 慌ただしく接合した後に、茶漬けをかき込んだ二人は、雷雨の夜半に、増水した川に遺体を投げ入れたのである。

 類は忌まわしい事件に遭遇して、殺人者となった。できる限り遠くへ逃げようと思った。山脈に沿って一気に北上した。

 類が、とある神社で野宿をしていた宵に、乞食僧のなりをした男がやって来た。男は類に食事を与えて、梅島と名乗った。社会主義に共鳴する類に男は素顔を明らかにした。元陸軍中佐でアイズの出である。二二二事件に関与したが、失敗を予期した首謀者の北が梅島と青柳に後日を託したのである。二人は遁走して北国に身を潜めた。梅島は無政府主義者で確信のテロリストである。主導者の青柳の腹心だ。類は梅島に心服して、青柳にも興味を持った。
 そして、山脈の懐の、とある集落にたどり着くと、たおやかな女が二人を迎えた。旅の汚れを落とすと、梅島は一月に及ぶ旅の話をした。女はふくよかに聞き入っている。類は、この二人は夫婦なのかと思った。
 梅島は、「この戦争の元凶は御門だ」「とりわけ、開戦を専横した南条は許さない」と、言った。ある日、猟に出た。青柳は銃の名手だった。


-性獣-

 萬子は母と義父の交合を見ていた。嫁いだ母と共にこの家に来て間もない、その日。萬子は一五歳。八月の暑い午後だった。
 廊下の奥から声が漏れるのを萬子は聞いた。嬌声は納戸からだった。そっと戸を引くと、隙間の暗闇からあえぎ声がする。目がなれると、汗にまみれた裸の母が仰向けになり、両の膝を立て大きく両足を開いていた。下に裸の義父がいるのだ。男根と足しか見えない。
 仰向けの義父に仰向けの淫熟した母が乗っているのだ。黒々と茂る陰毛の森に下から陰茎が差し込まれていた。義父の男根が母の淫汁で光っている。盛り上がった両の外陰唇が男根をくわえこんでいた。母の手がその男根を妖しく撫でている。義父の手が母の汗にまみれた淫奔な両の乳房をわしずかみにしていた。
 萬子は幾度か母の性交を盗み見ていたがこれ程に露なのは初めてだった。臍まで延びた濃い陰毛の中に、大きな黒子がある。男根で下から激しく突き上げられるたびに、母の三段腹の脂肪が揺れた。肉欲ではち切れた裸体が発情した豚の様に無様に痙攣した。
 間もなくして結合が解かれた。母が義父に股がり口を吸った。崩れた淫らな尻が割れ大きく開かれた。母が男根を握り濡れた淫穴に導いて、再び、押し入れた。尻を淫らに回す。前後に猥褻に振る。性器と性器が叩きあう汚い音が響く。母は声を押し殺して卑猥な戯言を言い続けていた。
 この、類の義母でもある女は、あの戦争に何の疑いも持たずに、率先して教え子を説諭する音楽教師だった。実麻子という。実権を持つ教頭や陸軍派遣の将校とも、性交を武器に談合したのであった。
 萬子は凝視しながら、座り込んで股間に手を入れ膨れた乳房を揉んでいた。
 類の兄がそれを見ていた。兄は黙って萬子を土蔵に連れ込んだ。女も黙って従った。手拭いで萬子の口を塞ぐと兄は裸になった。萬子も真裸にされ、いとも容易く挿入された。出血したが、少しの痛みもないばかりか、射精で絶頂に達した。「あの女の血を引いたな」と、兄が言った。萬子は兄にしがみついて口を吸う。そして、幾度も交わった。
 その直後、ニ三歳の兄に縁談があって結婚したが、二人は新妻の目を盗んで情交を続けた。
 兄の側を離れたくない一心で、萬子は類との結婚を画策したのであった。そして、あの日、類をふしだらに誘惑したのだ。だが、萬子は兄が母とも交合しているのをまだ知らない。

 肉欲の地獄から抜け出した類の出奔の判断は正しかった。厳しい漂流ではあったが、戦争を確固として嫌悪して、好奇と冒険のこころと頑健な体、そして、若さがあったのである。

 一〇日後、梅島は南に戻り、類は、さらに北を目指す事にした。梅島は類に紙幣を握らせて、「世上で見聞きする全てを血とし肉とするのだ」「野にある人々が全て、お前の教師なのだ」と、言った。類はその通りだと実感していた。さらに、数名の名と住所を連ねた紙を渡して、「困ったら訪ねて教えた経を唱えろ」と言い、「心底、困ったらここに戻ればいい」「戦争は、いずれ必ず終わる。新しい時代に備えて自分を養うんだ」と、言った。



―秘め事―

 初江は類を会社から少し離れた借家に住まわせた。
「いきなり課長かよ」「なんてったって帝大様だよ」「そんなのがなんでうちなんかに来たんだ」「社長と何かあるんじゃ」「まさかあの年の差だ」「勇二郎さんが死んで間もないのに」様々な噂が、会社はおろか狭い村を駆け巡った。
あからさまに類を拒否する者もいた。急先鋒が急逝したあの幹部だった。菊田家の怒りも伝わってくる。橘家の親族も怪訝な雰囲気だった。
だから二人の関係は絶対の秘め事にせざるを得なかった。
しかし、初江は類を毎晩求めた。亡夫は淡白だった。むしろ、突然の政略結婚に戸惑ったのは亡夫の方だったのかもしれない。初江を求める事は殆どなかった。県庁所在地に女の影も感じたが初江は詮索しなかった。嫉妬もなかった。
始めての恋の成就の喜悦が初江を包んでいた。そして、類の性戯の数々で、未知に埋もれていた初江の熟れた身体が発火した。従業員や村人の噂話も意に介さなかった。類は若くて健康だ。そして何よりもあの女、貴子と培った様々な性戯を会得していた。
仕事が終り賄いの老女が帰ると、広い屋敷に初江はひとりだった。
先ほど事務所で別れたばかりの類が来るのを、初江は乳房と女陰を疼かせて待った。仕事の話は昼間すべて終えている。夜は二人の痴態の為だけに訪れるのだ。類は借家で食事を済ますと、闇に紛れて忍び入るのであった。
 話し合って、初江は女陰に避妊具を忍ばせていた。類はパイプカットをした。二人だけで充分だった。類はこんな世の中に自分達の命を産み出すのは罪だとさえ思った。初江は同意した。安心して愉悦だけを求めた。
毎晩、風呂を共にした。互いの体を洗いあう。泡まみれで交わった。
初江は艶声の高い女だった。繁殖期の鳥の様に艶かしく囀ずる。指を噛み布を含んだ。類の耳に囁く術も知った。
二人は様々な体位を試した。初江は後背を好んだ。とりわけ、犬の姿勢が好きだ。
両手で机を支えに腰を折り、背を湾曲させ尻を突きだして、剥き出した女陰に挿入する。まとわる肉壁で男根の感覚を充分に堪能すると、抜き出した自分の蜜汁で濡れた男根を丹念にしゃぶった。そして男根を這い回った舌を収めると「犬になりたい」と、濡れた唇を舐めてせがんだ。
四つん這いになった初江は、頭を床に付け足を大きく開き、腰をうねらせ尻を突き上げる。割れた尻の中心線が紫の深奥に続いている。そこで秘密の獣が待っていた。
初江は仕事のできる女だった。しかし、荒くれた男達の世界で妖艶な容姿を武器にする事などはない。むしろ、日中は冷厳だった。厳しく叱責もする。決定はすべて初江が速やかに的確に下した。最高責任者なのだ。
 類と一緒の夜だけ変化するのである。年長の厳しい社長が、秘め事では若い部下の奴婢になった。気の張りが解け一人の女になって自虐に愉悦を求めるのか、若い類の蹂躙を受けるのが快楽なのか、生来のマゾヒズムなのかと、類は思った。
ある夜、後門に挿入した。初江は初めてだった。「あああっ」広い屋敷の闇に声が狂った。「入ったわぁ」嬌声が掠れた。
 初江は新しい愉悦を一瞬に会得した。何度目かの後、新しい刺激を求め後門に挿入されながら、自らの自慰の話をした。「ずうっとあなたの事ばかり思っていたの。いっぱい自慰をしたわ。そうしてあなたを待っていたの。手で触っているうちに。熱くなって。おまんこがぬるぬるになるの。指でいじりまわしたの。膨れて。熱くなって。痺れて。それから指を入れて。あなたのを思って。何度も入れたり出したりしたのよ」
後門に射精した男根を外し、類が座り、まだ硬く熱い男根が跨がる初江の陰穴を迎える。「あぁ。奥まで入ったわ」「口を吸って。舌をからめて。ああぁ。ゆっくりするのがいいの」
二人は県庁所在地に出るたび性戯具を買い求めて試した。
幹部の死と蛇の噂以来、雰囲気が一変した。
そうして、類はたちまち手腕を発揮したのである。初江は、関連会社のある県庁所在地の持ち部屋のひとつを秘密の交合の場所とした。二人の出張を工夫し気兼ねなくあからさまに類を求めたのであった。

 
―凌辱―

初江は材木商橘家の一人娘である。大学卒業間際に両親を交通事故で亡くした。橘家の全事業を継ぐには若すぎた。菊田家から政略結婚を迫られ、代議士菊田臣太郎の弟で県知事の甥の勇二朗と結婚した。終戦後、社長の勇二朗は焦土東京に利益を求めて進出を決定し、木材小売り会社を設立した。
 四五年の秋、勇二郎が源蔵を通して知った紀世を東京支店長に任命したのである。五〇年に勇二朗は、やはり交通事故で死んだ。

初江には、誰にも絶対知られてはならない、屈辱の秘密があった。
終戦の夏の終わりに、初江は一人で山見に出た。夫は県庁所在地から戻らない。もう1週になる。いつもの女の所だろう。悋気は感じない。青い大気を吸い込みながら、港町での若者との一夜が胸に湧いた。あの男は初江の身体でいつも生々しく息ずいている。
遠くで犬の吠え声が木霊した。誰かが猟に入っているんだわと、初江は思った。
しばらく歩いて谷川に降りた。と、岩に繋がれた二匹の猟犬がひとかたまりになっている。交尾しているのだ。見回しても辺りには誰もいない。長い交尾だ。目眩がする。初江は股関を押さえしゃがみこんだ。
突然、後ろから羽交い締めにされた。「顔を見るな」男が言う。「ナイフもある」男は声色を変えていると初江は思った。村の男なのか、どこから来たのか、初江の思考が嵐になる。両の乳房を鷲づかみにして、「あれを見ろ」と、視線を向けさせる。そこに大きな金の蛇がとぐろを巻いて、鎌首をもたげていた。
「あんたは山の神と交わるんだ」男が言った。初江は呪文の虜になった様に朦朧としてきた。男が手拭いで初江に目隠しをした。
大岩に押し付けられ、下半身だけを脱がされ、後ろから挿入された。無念にも初江の秘所は男の執拗な前戯で潤っていたのである。類に似た巨根だ。
 「山の神なら、これは類の男根だわ」と、初江は思い込もうとした。それならばこの快感は罪ではないとも思った。
 初江の女陰は自身の意に反して、粒々が男根にまとわり肉壁が収縮する。初江の絶頂を確かめ男は射精を外にした。そして、一切顔を見せないまま男は立ち去った。
初江はしばらく目隠しを外さなかった。男の言う通りにこれ限りなら、後ろ姿など確かめる必要はなかった。射精を受けなかったにもかかわらず、膣から自身の密が流れ出た。初江は自分の身体が疎ましかった。清流ですべてを洗い流そうとした。
男と初江の交合は、犬の自然の交尾に誘われて、快楽もあったが、犯罪であった。
初江を凌辱したこの男こそ紀世であった。
初江は紀世と面識はなかった。紀世は源蔵の小屋に秘していたからである。紀世は一度だけ、源蔵と一緒に遠目から初江を見かけていた。こんな山中で随分垢抜けた女だと思った。そして初江の太股のリンドウの痣には紀夫は気付かなかった。
 

―アイヌの隠れ里―

 東条暗殺実行部隊のリーダの梅島は生き延びていた。
東条の暗殺は紀夫の銃弾が逸れ失敗した。警護兵が血眼で探索するなか、紀夫と小百合を逃がした後、梅島はアジトの古書店に火を放ち、混乱に乗じて逃げ延びたのであった。
梅島は奥羽山脈の山懐、秋田の寒村でたおやかな女に匿われ、二人きりで密やかに終戦を迎えた。梅島は敗戦を確信していたから特別な感慨はなかった。ただ、ラジオが発する天皇の声を「俺が狙い続けたのはこんな呑気な声の男だったのか」と、聞いた。やはり泣く事もなく並んで聞いていた女を、梅島は静かに抱き寄せた。女はこの戦争の始めに満州戦線で夫を亡くしていた。
女の名は生多(きた)と言う。四一歳。子供はいない。
生多はアイヌ人である。白老から嫁いだ。
夫のこの生家、七軒のマタギの集落にはアイヌ祖先説が伝承されてきた。縄文アイヌの隠れ里なのである。村人は綿々と続く血の継承を北海道に求めてきた。夫の父もアイヌの嫁を望んだ。義母も白老アイヌである。既に義父母とも逝去していた。日本人として登録され徴兵の義務さえ果たしながらも、日本人になる事を拒否して係累を重ねる集落の人々は、やはり異端の血の流れる旅の男を同族として迎え入れた。その儀式の夜、村人達は酔って古謡を唄った。


聞こえる、聞こえる

なぜ新しい唄が唄えるの

カムイの土地が奪われたというのに
恋人が殺されたというのに
ヤマトに犯されたというのに

そうよ、そうよ
違う、違う

これは復讐の唄
神に誓う神との契りの唄
隷属を拒む唄
ヤマトにまつろわぬ唄
反逆の唄

そうよ、そうよ


反骨で時に絶望し孤独でありながらも、人間への希望を捨てない精悍な梅島を、生多はアイヌの狩人の様だと思った。やはり孤独な自分に与えられた、白老の神の恩恵に違いないと考えた。しかし、生多は梅島に結婚は望まなかった。妊娠は望めない歳だった。何よりも風の様な狩人であるこの男は、この集落には留まらないと確信していた。どんな風とも違う。梅島は異風だと生多は思う。白老の谷に吹き渡る風と同じ匂いがした。いったいこの風は何処に吹き渡ろうというのか。男はいつも彼方の遥かを見ている。しかし、男は生多を一緒に渡ろうとは誘わない。ここに留まれと言う。この地こそ始原なのだと、縄文からの辺境の民の故郷なのだと言う。そして、俺は必ず戻ると断
言した。生多は男の言葉を信じた。生多は梅島の旅の活躍を思いながら帰りを待つのが至福だった。
生多は色白の豊潤な女であったが肉欲の人では全くない。アイヌの血と理知を体現していた。逞しいが慎ましく貞淑な女だった。隠れ里に原初の自然物の様に佇んでいるのだ。
梅島も生多に性愛を求めていなかった。梅島は、そもそも、性の交わりに何らの価値をも信じていなかった。肉体は移ろう心の入れ物に過ぎない。その心こそが大事だった。男根と女陰の摩擦による感覚などが、ひととひとを結ぶ契約になるなどとは露ほども考えない。性交は種の保存の為の、本能がもたらす神聖な儀式であるべきだった。日常の肉欲に進化した性交を梅島は否定した。
 梅島は子供を望まなかった。狂気で造られたこの世に、自らが覆そうとしているこの国に、自分の命を繋ぐのは罪悪だと思った。
 梅島は移ろう事のない確固とした心を求めた。それを基盤に思想として構築したいと願った。
生多は同族だった。そして、同類だった。同士であった。生多は梅島の願いにありのままで応えた唯一の女だった。

―梅島―

梅島は会津の出で曾祖父は白虎隊士である。母方の祖母は土方歳三の落とし子であった。
青森戸波に流された会津藩士の子孫の梅島は、明治維新に独自の歴史観を持っていた。あの事変は所詮、争乱に乗じて朝廷の権力奪取を謀った岩倉具視と、尊皇と討幕の狂気に駆られた吉田松陰のテロリスト達の野合だったのだ。展望なき決起だった。だからクーデター後は既に幕府が進めていた開国と強兵の道を踏襲したのだ。権力簒奪が目的であり、その為に天皇制を利用したのだ。足利尊氏や秀吉の手法である。
 そもそも、徳川政権は公家諸法度で天皇権力を封じ込めた。権力構造を見極めた末に辿り着いた家康の帰結だった。
打ち続いた戦乱を武力統一した信長は、天皇制の廃絶を企図し天皇権力に暗殺された。その暗部に秀吉が、と言うより黒田官兵衛がいた。秀吉が関白として権力を掌握した由縁である。
 家康はこれを全否定した。平将門や源頼朝がそうであった様に、実力主義の武家にとっては系統の支配は夢想に過ぎないのは自明だった。歴史の帰結であり新しい発展の始まりの筈だった。
 明治維新は歴史の歯車を逆回転させた天皇テロリズムであった。その状況は必然的に山縣有朋を怪物にした。こうして日本の軍国主義が醜悪に肥大化したのである。無様なこの戦争の元凶は天皇制であると梅島は考えた。そして、このアイヌの隠れ里の思索で「カムイ共和国」構想を梅島は確立したのである。
梅島は元陸軍少佐である。北一輝と深く親交し昭和維新、二二六事変に関与した。 不成就を予期した北は梅島と青柳に後日を託した。青柳は天皇暗殺を計画して頓挫し、梅島に命じ東条暗殺を実行したものの失敗した。紀夫と小百合を指揮した実行部隊のリーダーである。反天皇制の無政府主義者で確信のテロリスト。社会主義者の侠客青柳の腹心である。

戦後の梅島は生多と共に鍬を振るい、著作を続け、思い立つと雲水姿で旅に出た。戦中の結社の同志を訪ねる事もあったが、戦争反対が唯一の結束点であった緩やかな秘密組織は、終戦でその目的を失い、秘密であったがゆえに、既に自然に分解し崩壊していた。淘汰されそれぞれが新しい闘いの目標を得ていた。大方は革新政党に流れた。梅島は旅のなかで大衆の声を心耳で聞こうとした。

―村長選挙―

1948年、梅島は知己に請われ、反知事派の県界有志が出資する経済誌の社長になった。この月刊誌を反知事闘争の事実上の舞台にする思惑だった。梅島は、留まって待つと言う生多を残し秋田市に移った。

1951年。
経済人の会合で梅島と類は再会した。初江の代理で類が初めて出た会合だった。
戦中、類とめぐりあい一月を共に旅し、類に自ら信ずる事を教えた。そうした出会いや類の様な青年は他にもあったから、梅島は類のその後を気に留める事はなかった。
会合が終わると類が酒席をもうけた。

1953年。
初江と類の村が政争で揺れていた。村長に収賄疑惑が持ち上がり検察が動き始めていた。村長は菊田派で知事派だ。反知事派は勇んだ。村長辞職を要求し続け候補者の擁立に入った。橘企業グループの青年専務として辣腕を奮い、とりわけ若者に人望がある類に衆目が一致した。類と初江の関係は変わらない。秘密だった。
出馬には初江が積極的だった。家の血が騒いだのか、政略結婚させられた怨念が埋もれていたのか、日頃の敵対の継続だったのか、あるいは類に橘家の夢を託したのか、類そのものの飛翔を願ったのか、その総てであったろう。初江は類に言った。「村長どころじゃないわ。貴方はもっともっと高くに昇るひとなのよ。選挙資金は任せて。貴方の当選の為なら何でもするわ」類は梅島に相談し梅島は類の立候補を決断した。梅島は類の参謀となった。
村長選挙は村長派と反村長派、すなわち菊田家とと橘家の闘いである。そして知事派と反知事派の闘いである。知事派は田山派である。この構造は長年対立し抗争を続けてきた。
類は完全無所属で、「村民党」を名乗った。従来の対立構造を打ち破る梅島の戦略である。政党や団体の形ばかりの支援は一切受けない。類の個人後援会に全てを集中した。若者の血気に期待した。

―之子―

この時、梅島四四歳。之子三四歳。
他県の温泉宿で二人が性交しようとしている。絶対知られてはならない秘密の行為だった。
婿とり女将の之子は、県庁所在地駅前の一等地で経営する老舗旅館の拡張を図っていた。その為には隣地の買収が必要だった。拡張は先代からの夢でもあったが、之子は密かに都市型ホテルへの脱皮を考えていたのである。夫の県会議員も手を尽くしたが駄目だった。菊田などは、むしろ、状況を険悪にさせた。
之子は、もはや、菊田や夫に愛想をつかしていた。しかし、諦め切れなかった。反知事派の参謀ではないかと囁かれる梅島に近づいたのは、そんな頃だった。
 月刊誌で之子は主筆でもある梅島のインタビューを受けた。それをきっかけに之子が誘い梅島が受けた。それぞれの思惑が性交を手段にその成果を求めたのである。
之子が買収を目論む隣地で洋品店を営む男は反知事派の幹部であった。どんな買収話にも応じない。とりわけ、知事派からの働きかけにはひときわ頑なだった。之子は反知事派参謀の梅島からなら話が通るのではないかと考えたのである。梅島は代議士の菊田の女なら使いでがあるだろうと考えた。
「あの旅館は私の命なのよ」之子が濡れた唇から梅島の男根を外して言う。「守るためなら知事派も反知事派も関係ないわ」椅子に座った浴衣の梅島の股間に、浴衣の之子が膝まずいている
「菊田臣太郎と私の事はご存じでしょう?」男根を撫でながら梅島を淫媚に見上げた。「菊田の力もすっかりよ」亀頭に指を這わす。「本当に貴方に乗り換えてもいいのよ」梅島の男根がそそりたっている。「菊田の情報はみんな流すわ」陰嚢を握って、それにしてもと、之子は驚く。「菊田は寝物語が好きなのよ。私には何でも話すわ」きつく握り、こんな男根は初めてだと驚く。「菊田は知事の同志だもの」「貴方にとっても悪い話じゃないでしょ?」夫や菊田のものなどは比べようもない。「村長選挙になるんでしょ?初江の男が候補者になるって聞いたわ。貴方が参謀なんでしょ?」これがどんな具合に侵入するのか。「きっと貴方の役にたてるわ」之子の、既に、事業欲と肉欲で混然と濡れた獣の様な女陰の奥が疼いた。「おまけに私の身体が思いのままよ」之子が再び梅島の男根を艶かしく含んだ。
之子の淫熟した身体は、性の交わりによる契約を否定しながらも、凄絶な性技を持つ梅島の二面性をまだ知らない。
そして、梅島は之子が宮子派教団の秋田の幹部である事をまだ知らなかった。

類は当選した。参謀の梅島が勝利したのだ。そして、当初劣勢だった緊迫した情勢から、肉薄し小差での逆転勝利を決定付けたのは、之子の情報だった。之子の身体は数度の交合で梅島の捕虜になっていた。
村長選挙に勝利した梅島は、選挙中の類を見て、この男を擁立しての知事選挙の勝利を夢想したのである。

 
―左直子と高―

梅島は月刊誌「東北経済」で論陣を張りながら、「秋田民主連合」を作った。無党派の反知事派統一組織である。その中心は「類後援会」であり、中核を成すのは秘密組織の「カムイ共和党」であった。
さらに、梅島は初江などの有志から出資させ、青年を教育する「カムイ農場」を作った。養鶏を営み自給自足する施設である。その中に「政治塾」を設けた。ここで一年間、有望な青年に政治教育をするのだ。カムイ共和党の将来を担う人材を育成する事業だ。定員は当面一〇名とした。農場の責任者は高林という男である。

高林は平壌の出で高句麗人である。朝鮮名は高章林という。終戦時は二三歳。一八歳で徴用され山形の銅鉱山に連れて来られた。重労働に反発し度々反抗を組織した。
 四五年の初夏に、何度目かの反抗で会社に監禁されたが、逃亡し日本海を目指した。日本の敗戦を確信し故国に渡ろうとしたのである。歩き続けて峠を越え、夜半に山脈の腹の寂れた庵から洩れる明かりに辿り着いた。奥から返答を聞いた高は、傷の痛みと空腹でその場にへたりこんだ。
高を助けたのは、北一揮の女でやはり朝鮮人の李珀、日本名を左直子といった。珀は高の傷を手当し荒んだ心を同胞の愛で癒した。そして交合した。高が二二歳、「左直子」は三四歳である。
左直子は李王朝の血縁で百済の人である。東京の女子大に在学している二二歳の時に北一揮と出会い、一瞬で虜になった。事変失敗後、青柳の故郷、庄内の鳥海山の麓に庵を結び北の遺産で慎ましく暮らし北の霊を弔っていた。
高はそこで梅島と出会った。話を聞き共感し従った。間もなく待ち望んだ日本敗戦の日が訪れた。戦後は梅島の配下で動きながら、在日朝鮮人を組織化し東北のリーダーになっていた。

梅島は青柳や小百合、紀夫のその後も既に承知し交流していた。
 

―桜夷とワラビ―

一九五五年、米ソ冷戦を反映して政界が再編され、保守党が合同し革新党も左右の勢力が統一した。
労働界も再編され全国組織の日本労働組合協議会(日労)が結成された。同時に全国の中小零細労働組合が集結した産別の全日本民間労働組合(全民労)が産声をあげた。東北地方本部の専従争議部長に桜夷が就任した。三七歳である。
桜夷は元海軍中尉で戦艦大和の生き残りである。青森の出で終戦時は二七歳。戦後、渋谷の闇市で青柳と交流し心服して食客となった。青柳の指示で労働争議に関与し、ある大争議で指導者として名を馳せた。下町の地域共闘の専従役員としても実績を積んだ。
全民労結成と共に、請われて争議の専任役員になり仙台に赴任した。東北地方の全県が活動範囲で争議の最高指導者である。

桜夷は青柳の紹介で秋田の梅島と会い、カムイ思想に共鳴しカムイ協和党員になった。類を知り選挙を強力に支援した。
六二年に路線対立から全民労が分裂した。桜夷は自らが率いて全東北民間労働組合(全東労)を結成し本部書記長になった。

 
―ワラビ―

六二年。桜夷は全東労秋田県支部委員長のワラビと交合した。この時、桜夷四四歳。ワラビ四五歳。
ワラビは夫と弟二人が戦死し末弟は大和乗組員であった。係累はない。戦後、秋田の寡婦の互助組織、秋田婦人労働組合を結成し、書記長として力を発揮し後に委員長になった。
全東労結成を知り加盟した。その時、秋田のある町の工場でワラビの組合の争議が長引いていた。加盟と同時にワラビは本部に支援を要請した。
ストライキに突入するよう指示した上で、桜夷がやって来た。二人で団体交渉に向かった。現地に二日間泊まり込み、桜夷は見事に争議を解決した。ワラビは桜夷の緻密で大胆な争議手法と説得力のある鮮やかな弁舌、豪胆な指導力に感嘆した。桜夷は労働組合の指導者というより親分だった。組合員はもとより、経営側をも瞬時にして飲み込んだ。それでいて、時おり、シャイな一面を覗かせる。ワラビは桜夷の魅力に、忘れていてそれを良しとしていた筈の胸が疼くのを感じた。

事務所に戻る午後、盆前の暑さが最高調に達していた。エアコンのない組合の軽自動車は両の窓を全開にして走っている。桜夷は羽音を聞いた様な気がした。
運転しているワワラビのズボンの股間に大きな蜂がいる。男が気付いた。車を止めさせた。凝固した目で見つめる女にじっとしている様に言い、後部座席にあったタオルを手にまいて、深呼吸のあと蜂を掴み瞬時に窓から放り捨てた。
女の視線が正面の一点に貼り付いている。無言だ。
男の手が女陰の盛り上がった生暖かい感触を鮮やかに記憶した。男は瞬間、女の女陰の形状を妄想した。気丈な女を犯した様な感覚に襲われた。
暫くの沈黙の後に大丈夫かと聞くと、女が「なんだか熱い」とかすれた声で言い「刺されたのかしら」と続けた。
女が車をスタートさせた。
あの占いの通りだ、と女は驚愕していた。
ワラビは組合役員の女の評判の占いを受けたばかりだった。その女は解決の糸口は身近の男が持ってくる、そのきっかけは蜂だ、と宣託したのだった。
だから咄嗟に嘘が口をついたのだった。
暫く走った。男が聞くと「さっきより熱くなった」と答える。女陰の深奥が反応しているのだ。
暫く走ると桜夷が脇道に行く様に指示した。女が黙ってハンドルを切り脇道を進んだ。そしてさらに脇道に入り大きな欅の木の下に車を止めた。そこは二人の束の間の秘め事に用意された格好の空間だった。人の来る気配は全くない。蝉時雨が降り注ぐ。
二人は車を降り欅の大木の下に佇んだ。大木を背に「念のために調べてほしい」と、いつもの事務的な口調で女が言い、「こんな事お願いしていいのかしら」と一瞬、妖艶に続けた。男が「緊急事態だから」と、すこぶる事務的に同意した。
女が上着とズボンを脱いだ。薄い青のブラウス、青紫のパンティに女陰の丘が盛り上がっている。太股がむっちりと張っている。
下着を脱ぐようにと男が言うと女が従う。
しゃがんだ桜夷の前に陰毛が激しく繁茂している。
「刺された跡はない?」女が言った。

その後、全東労は大組織に成長し、67年には東北で4人の代議士と参議院議員1人を組織内議員として擁した。

―奥都子(むつこ)―

 一九五九年。春。類は激戦の秋田県知事選挙に辛勝した。類三五歳。
就任して五カ月後、仙台で開催された東北知事会に、類は秘書の奥都子を伴い出張した。
 会場の温泉ホテルで夕食会の後、大浴場の前で、奥都子が泥酔したある知事に絡まれた。拒んだ奥都子が気丈な平手打ちをした。泥酔知事がさらに絡む。
 そこに類が来あわせた。泥酔知事は田山派である。類には日頃の鬱憤もあった。類は柔道の心得がある。泥酔知事に従いうろたえている初老の秘書の目を掠めて、泥酔知事が自らよろけたように見せて投げ倒した。初老の秘書は平身低頭して泥酔知事を肩に去った。
入浴後、類は部屋でウィスキーを飲んでいた。ノックがした。開けると浴衣の奥都子がいた。類に身体を崩した。受け止めると奥都子が泣きじゃくった。シャンプーと硫黄と奥都子自身の香りが類を包んだ。奥都子の乳房の柔らかい感触が薄い浴衣から直に染み透った。
類はウィスキーをすすめた。奥都子は知事の類を先生と呼んでいる。泣いた事を謝り助けてもらった礼を言った。奥都子は二杯目からヴォーボワールとサルトルの話をした。女の自立を強調した。類の女性政策を賛辞した。類は普段は隠しているのであろう奥都子の思索を新鮮な思いで聞いた。
三杯目のオンザロックのグラスを置くと奥都子が言った。「先生。私を抱いて下さい」好きだった、迷惑はかけない、結婚は望まないと一気に言う。大きく息を吸い処女だと加えた。
利発で気丈なフランス個人主義の女を類が凝視すると、奥都子は眼鏡を取った。決して美人ではないがふくよかな魅力がある。知性が表情を作っているのだ。
類は何も答えずに奥都子をベッドに休ませ、ウィスキーを飲み続けた。考え続けた。
奥都子は類の事務秘書で三〇歳である。秋田市の卸し会社の三女だ。戦時中は勤労奉仕に明け暮れ終戦時は一六歳であった。戦後の女学校で民主教育を受け、東京の大学の文学部に進み、フランス文学を学び実存哲学に傾倒した。親の希望に沿い県庁に就職し知事秘書室が長い。知事選挙を契機に知事事務秘書に配属された。奥都子の父は類派の幹部である。
目の前に性交を望む女がいる。改めて思うとそれなりに魅力的だ。秋田に来て以来、初江以外と女性関係はなかったし、村長になってからは政治以外は考えた事もなかった。もし、初江に知れたらどうなるだろう。お互い独身とはいえ、知事と秘書の関係など格好のスキャンダルだ。
一方で悪夢が囁く。知事になり初江と会う機会は殆ど無くなった。二人の関係は秘密だから、もとより、住まいは別だった。村長になって以来、今まで通り夜に忍び、事実上の同禽をするのは不可能となった。会う事すら理由がいった。まして密会するなどは苦労だった。類は公人となったのだ。
初江は類との結婚も考えたが、当初は菊田家への遠慮や社内の雰囲気に配慮した。そして、類との生活に支障はなかった。昼も夜も二人は一緒だった。居心地の良いまま村長選挙を迎えた。類の若さや独身への批判が出た。初江との関係を指摘する怪文書も流された。類は「村政に命を捧げる」「村と結婚する」と言い切った。梅島の知恵だった。それが公約になった。そして、類の容貌と相まって女性の支持を得た。
知事選挙では「秋田県と結婚する」と宣言した。再び少壮批判を逆手に取ったのだ。そして、再び成功した。公約になった。
 初江も類との当面の結婚を諦めていた。類が政界から引退したら結婚すればいいと、初江は思った。初江の事業にとって類が政治家でいるメリットは多々あった。それまでは事業を守ろうと、初江は決意した。
村長に就任して以来、初江と類の交合の機会は脆弱になった。そして、次第にその頻度に二人は慣れていった。知事に当選後は、初江が知事公舎を訪ねるか密会だが、頻繁にはできる筈もなかった。
類は反芻し続けた。そしてやはり奥都子を帰すべきだと結論した。
その時、奥都子のすすり泣きが聞こえた。類がベッドに座ると、奥都子が向き直り、身体を起こして類の背中に抱きついた。再び奥都子の熱い乳房と激しい動悸が類を襲った。奥都子は静かに泣き続ける。「好きなだけなの」「自立した女なの」「絶対迷惑はかけません」奥都子が言う。類は奥都子の涙を拭いた。そして、思わずキスをした。奥都子の柔らかい唇が滑らかに応えた。

いつもは紺かグレーのスーツの奥都子の裸は、類には新鮮だった。
乳房は類の手に収まる程だったが、交合する時には膨張した。尻は丸く張って湿っている。子供は産まないと言う奥都子の女陰は、豊かに盛り上がっていた。その上を縮れた陰毛の森が激しく繁茂している。それは奥都子の性格の様だ。
奥都子は類と初江の関係を知っていた。知事室での二人の抱擁を見た。そして、二人は、少なくとも類が知事でいる以上は結婚できないと奥都子は考えた。

一九六〇年。類は夏の記事を知った。あの女だった。あの事件が仮に殺人だったとしても、既に時効だった。そして、殺人ではなかった。まさに事故だった。類は村長選挙出馬の時にあの現地を調べ、事故として処理された事も知っていた。貴子の予言めいた艶話の様に、夏と義父の交わりが合意で為されていたとしても、それは肉欲ではなくあの状況が為さしめたのだと、類は思った。
 夏はマスコミの集中砲火に曝されている。新興宗教の内実が問われている。しかし、それもこれも、あの状況で夏がどんな夢を描こうと、それは夏の罪ではない、取りえた唯一の選択だったのだろうと、類は思った。今さら会ってもどうなるものでもない、とも思った。夏の裸体は長い時を経て短い文節に昇華していた。一年後、夏の焼死のニュースを知った。

 
―アテルイの地―

一九六〇年。春。三人は協議して、岩手南部行きを決定した。小百合の生地、始祖アテルイの地である。

改めて三人の女達の血と履歴を確認しよう。

翔子三七歳。父は貧しい仙台駄菓子の雇われ職人だった。奥州藤原から伊達に繋がるという伝承の家系図だけが誇りの寡黙な男だった。母は小百合と同郷だ。二人は仙台空襲で焼死した。兄は戦死した。やはり出征した弟の生死は未だに不明だ。すなわち、翔子はひとりだ。清原の血、藤原の血、伊達の血を引いている。
国民学校をでて群馬の紡績工場に勤めた。寮で夏、貴子、妙と一緒だった。夏と求めあった。男は知らなかった。
 空襲で工場が消失し、東京に出て小料理屋などの酌婦を転々とした。数人の男と行きずりの交合した。
 敗戦の日、青柳と一夜を過ごした。初めて愛し結婚した夫が二日で事故死し、遺体との自慰を僧に見られた。後に睡眠薬を盛られて紀夫と交合した。紀夫により教団に送り込まれて夏と再会しレズが復活した。教団が分裂し、紀夫との関係は続けながら、夏と新潟に移った。

小百合三八歳。初江と異父姉妹である。初江同様、太股にスズランの痣がある。
アテルイの血を引く。秋田の森林王の初江の父と芸者の母の子だ。懐妊し母は生地岩手南部に帰り、妊娠を隠して貧農と結婚し、小百合を出産した。幼時に母が病死し、我が子でないと確信した義父に犯されて女郎に売られた。
 勃起不全の革命家青柳に身請けされ、東条暗殺に加担した。その際、青柳に命じられ紀夫と交合する。暗殺が失敗し逃亡中に、見初められ養子先から嫁ぎ夫が町長になった。倫宗に入信。紀夫と再会し交合。教団が分裂し夫が逮捕され離離離婚し、夏と共に新潟へ行った。

破田典子。三五歳。坂上田村麻呂に最後まで抗った祖先の血を引く。「破田(はた)」は戦いで田村麻呂の軍を破った伝承に由来する。
福島県の某地、自由民権運動の聖地の自作中農の娘である。類の初恋の女だ。抱き合ったが類が勃起不全だった。戦後、師範学校をでて教師になる。同僚の誘いで倫宗に入信し、夏に寵愛され秘書になった。処女で二日しか同禽せず、後に自殺した全学連委員長の唐津の子を産む。娘の継子は二歳。

翔子は平泉の西方に一〇万坪の田畑と山林を購入した。二〇人の信徒が入植した。「共和農場」と名付けた。
翔子は宗教活動を凍結した。それぞれが研究するのは自由だが、教団として活動はしないと、決意した。意見はあったが、最後はみな翔子に従った。
様々な人々が翔子と農場を拠り所にした。朝鮮人。アイヌ人。シベリア抑留者。広島の被爆者。日本軍と進駐軍に体を売った女。小百合。典子と継子。みな権力の辺境で生きる人々だ。
秩父での教団活動で経験していたから、自給自足の生活は少しも苦にならない。大工がいた。住まいを自力で建築した。煉瓦を焼いた。米、麦、そば、大豆、粟、ヒエ、芋、野菜などを作る。森には季節毎に山菜やキノコが豊富にあり、山鳥、猪、鹿、熊がいた。新しく農園を開いた。乳牛、羊、山羊を飼う。様々な果樹を植えた。それで酒を作る。養鶏を始める。椎茸を栽培する。清流でイワナを養殖した。味噌や醤油を作った。竹林を利用した工芸が得意な者、陶芸をする者、英会話や柔道を教えに花巻に通う者。それぞれが生き生きと新天地の生活に根付いていった。こうして自律と協助の共同体の建設が進んだ。
 


-夢の終焉-

 一九六六年、類は一年後に二期目の満了を迎えようとしていた。そして、密かに引退を決意していた。
 類は、変わらず、社会主義革命に固執していたのである。スターリンの秘密の暴露や東欧への圧政、毛沢東の失政も明らかになってはいたが、社会主義の優位性は変わらないと、類は考えた。社会主義諸国で露になった矛盾は、そもそもが冷戦構造に起因するのではないのか。資本主義陣営の失政や圧政の方が、もっと深刻で根源なのではないか。だから、些かの混乱が惹起しても、マルクスの原理やレーニンの偉業は否定されないと考えた。階級をなくすというロマンや、搾取から脱する科学は類を確固と構成していた。安易な転向を類は認めないのである。
 失政の根元は官僚主義ではないか。それならば、日本の、秋田の、小さな村に至るまで蔓延すれ官僚主義などは、ソ連や中共を凌駕する程のものではないか。それは明治維新で天皇制を支える根幹として造られ、先の戦争を指導し、戦後もその責任を免れて何事もなかった如くに跋跨しているのだ。この官僚主義と馴れ合うのか、闘い続けるのか、それは首長の思想と政策が決める。類は闘い続け、その闘いに疲れ切っていたのだった。
もちろん、行政のトップの仕事は革命ではない。改良の積み重ねだ。だから、類は首長の仮面の下に理念を隠してきたのである。保守が圧倒する態勢で、いかに理念を政策に具体化して認めさせていくか、九年間の首長の経験で充分承知していた。しかし、慣れる事はなかった。
革新勢力の一部は類を支持したが、自らの組織や勢力維持が目的であり、原則主張や日和見、不用意な妥協の間を揺れ動いた。到底、類が依って立つ基盤にはなり得なかった。彼らは何よりも大衆の広い支持を得ていなかったのである。
高度成長は功罪を取り混ぜて秋田にまで及んだ。そしてその矛盾は深刻だった。改良で解決できる様な生易しい事態では決してないと、類は考えた。
 一九六〇年。秋。台風の翌日、類の村の大川の堤防で村人は目を疑った。昨日までの穏やかな清流が濃茶に変色し濁流が渦巻いていた。流れが元に戻っても濁色が戻る事はなかった。上流の町が誘致した製紙工場の廃水が原因だったのである。工場の上の流れは元通りの清流なのだ。人々は驚いたが大きな反対運動は起こらなかった。工場には地元から多数が雇用されていたし納税もある。誘致に尽力したのは菊田臣太郎と知事だった。類は革新党の反対運動に関わったが支持は広がらなかった。
農家に瞬く間に耕運機が普及した。小学校のイナゴ捕りの授業が中止になった。農薬にまみれたイナゴは村人の食料では無くなった。機械化で村を支えてきた結いの風習が一瞬に消えた。最新の農機具購入で借財を負った者達が、現金収入を求めてさらに出稼ぎに群がる。中卒の若者が金の卵ともてはやされ都市に就職する。習俗や祭りがいとも容易く消えていった。正月や盆の風習すらいつの間にか失われた。全国の各地で公害が明かになり反対運動が起こった。しかし、保守政権は黙殺し大部分の国民はそれを支持したのである。類は、自分が戦争に反対したあの状況と何も変わっていないと思った。
この国の保守は歴史や伝統、自然よりも経済を優先させた。それは明治維新で培われたこの国民の新しい特性だったのか。これが戦後一五年の復興の一側面だった。
初江の事業にも激変が襲っていた。安い輸入材が主流を占めようとしていたのである。山を守るため初江と類は事業の多角化で難局を乗り切ろうとした。復興を成し遂げさらに経済が発展する状況で様々な矛盾が顕在化しつつあった。貧富の格差が拡大していた。

類は富の再配分を原則に、弱者の救済を政策の根源に据えた。しかし、改良には限界があった。何よりも、県政は長期に渡る与党国政の下請け機関に過ぎなかった。知事の決裁権など事務屋の範疇だったのである。中央官僚に頭を下げ続けた。類は知事という事務屋には満足できなかった。そして疲弊していた。

梅島との関係が微妙に変化していた。梅島は政治塾で同士を養成し各種選挙で当選させた。それらは類の後援会に組み込まれていたが、実質は梅島の私兵だった。類自身が梅島の繰り人形だったのではないか。類に疑念がよぎった。そして、梅島は田山派との対立の構図を各所で解消しつつあった。それも類の後援会に変容したが梅島の支配下にある。梅島と田山本人の極秘会談も囁かれていた。
 類は梅島に問いはしなかった。既に梅島の基盤は類の反論が及ばないほど磐石に造り上げられていた。凋落したが菊田家だけは類と梅島の反対者だった。

類と奥都子の関係は七年間続いた。類は常に初江に対して背信の負い目を感じていた。奥都子は違った。彼女は合理的で理知に満ち自律した自由な女だった。しかし、奔放というのではない。彼女は類を敬愛する淑女だった。だから、類と初江の不条理な関係に比べれば、自分と類の関係は極めて単純で純粋だと奥都子は思った。しかし、二人の関係は何らかの希望を生み出すものでは決してなかった。そして、奥都子は知事退任について類から何も知らされていなかった。

小百合が異母姉の初江を訪ねた。小百合が本当の過去を語る筈もなかった。二人の生涯は余りにも隔たっていたから、ついに真に交わる事はなかった。そして、類は小百合を通じて典子の存在を知ったのだ。典子は縄文からの自然の中に確信を持って継子と佇んでいたのである。
類は翔子と典子と小百合から夏の顛末を聞いた。類は時の流れの残酷を思った。あの時の夏は変貌しつくして死んだのだった。夏は自らの欲望で変容したのか、状況に翻弄されたのか、類には思い至る幡豆もない。
翔子の農場を見た。彼らは何者からも解き放たれて自立しながら助け合っていた。類は共産の原初を見る思いがした。初恋の二人は、やがて互いの歴程を確かめる様に静かに交合した。そして二人は二人の原初を知った。類は退任して初江や奥都子と別れ、典子と継子と共に暮らそうと心を定めた。

初江は類との結婚を諦めていた。長すぎた二人の特殊な関係がその結論を導いた。当初、初江は類との正式な結婚を望んだ。類との間に後継者を産まねばならなかった。
しかし、初江は橘家の歴史や習俗に縛られ、衆人に監視されていた。当初はそれが二人の結婚を許さなかった。類も消極的だった。初江は類に従った。
類が政治家になると、二人の関係は折に触れ怪文書の餌食になった。そして、類の政治活動資金の出所が初江なのは公知の事実だった。しかし、二人は否定し続けた。
 村長選挙に出馬する時に類は会社を辞め、初江との結婚を否定した。それが公約になってしまった。そして、二度の知事選挙を経て今日まで来てしまったのだ。今更の二人の結婚は、今までの二人の言動を全て否定する事になるのだ。
初江は類が望むなら、いつまでも政治活動を続けてもらっていいと考えていた。むしろ、初江の関心は事業の承継、とりわけ山林経営の継続に執着していた。山は初江の命に等しい。そして、初江はとうに子供を産めない年齢になっていた。
全ての条件から、初江は類との養子縁組という結論に達した。合理的な唯一の方法だと初江は思った。
初江は高血圧で服薬していたが死を予感などはしていなかった。奥都子との関係を疑った時もあったが詮索はしなかった。典子の存在は知らない。初江は初江だけの立場で類と話し合ったのである。

そして、類の退任直前に初江が急逝した。脳溢血だった。初江は誰にも看取られる事はなかった。遺書もなかった。奥都子や典子の事を何も知らずに急逝した。
しかし、類が引退を決めた時に、初江は類と養子縁組みをしていた。初江が言った。「これで私達は親子よ。もう貴方を解放してあげるわ。いい人がいたら結婚していいのよ。でも私も抱いてね」類は何も言えなかった。二人はしばらくぶりに、そして、親子として初めて交合したのである。初江の類への愛は状況に歪められたが、真実の一つの形だったのだろうか。

初江が死んだ今、筆者しか知らない秘密を明かさなければならないだろう。
初江と小百合の父の火無(かむ)と小百合の母、朱朱(すず)の物語である。
初江と小百合の父は清次郎、アイヌ名を火無といい橘家の婿である。秋田市で先代の難儀を助け、その縁で製材所で働き、認められて三〇歳で橘家の婿に迎えられた。妻は二四歳。顔にやけどの痕があった。清次郎は手腕を発揮し橘家の事業を飛躍的に拡大した。五二歳で妻と共に交通事故で死去した。

小百合の母もアイヌの女で朱朱といった。

白老アイヌの谷で一八の火無と一七の朱朱は恋人であった。二人は村人の目を逃れて森に入り交合した。ある日の交合のさなかに二人は狩猟の日本人三人に襲われた。火無は殴られて木に縛られ、目の前で朱朱が輪姦された。
火無は出奔し流浪した。様々な差別を受け続けた。青森の漁師町で知り合った係累のない男、清次郎を些細な喧嘩で殴り殺した。死体を埋め戸籍を手に入れ清次郎になりすましたのである。

朱朱は岩手南部、アテルイの地の遠縁の貧農に嫁いだ。一〇年で夫が病死して、子供のいない朱朱は盛岡に出て酌婦になった。そして、仕事で出張し客として来た火無と再会したのである。火無は三一、朱朱は三〇になっていた。その時、ただ一度の交わりだった。火無は秋田に帰った。そして、朱朱は懐妊したのである。
 それは火無に初江が産まれた直後だった。初江の「リンドウの痣」を火無から聞いた。火無はもはや名家の跡取りである。再び迷惑は掛けられないと、朱朱は思った。火無に何も言わずに岩手南部に戻り、妊娠を隠して亡夫の親友の気のいい貧農の男と再婚した。小百合を出産した朱朱は小百合が七歳の時に病死した。父はすぐに再婚し男子二人をもうけた。二年凶作が続き、小百合は一五で女郎屋に売られたのである。

この他に秘密はないのか。リンドウの痣は、果たして、姉妹の証明なのか。初江の父は本当に火無なのか。初江の母はどの様な女だったのか。
また、他の登場人物にどの様な秘密が隠されているのか、筆者もまだ知らないのである。

類は初江の全資産を相続した。そして、間もなく知事を退任したが事業は役員に任せた。

梅島は類の煩悶を察していた。だが、梅島と類の歩む道は既に明確に隔たっていた。梅島は理論家であるが夢想家ではない。冷厳なリアリストだ。それは彼の経験が導きだした。彼は類よりも遠くに標準を合わせていた。そして、革命は保守派の多数を握る事によっても、実質的に実現できると確信している。だから思想が隔たってしまった類を慰留はしない。梅島は政治塾出身の腹心を類の後継候補として知事に当選させた。
既に梅島は青柳を通じ田山と和解し、田山派に鞍替えしていた。国政を動かす幻想を実現しようとしていた。生多は隠れ里で梅島の帰りを静かに待っている。

紀夫と全身刺青の怪女、宮子は同床異夢で教団を支配していた。まだ利用価値のある宮子から求められる性交は紀夫の悪夢だった。紀夫は田山の力を背景に浄土真宗主流派と談合し、教団を「浄土真宗東日本本願寺派」に衣替えしていた。信徒は二〇〇万に達していた。
 一方、紀夫は別法人を作り茨城県に「将門大社」を建立した。門前町を整備した。近くに温泉を掘削し一代観光地を造り上げた。妙はその別法人の代表である。

田山は全国の梅島の様な人物を駆使して勢力を拡大していた。教団は紀夫を通じて支配し、田山派の選挙マシーンとしてフルに活用している。長期政権を続けてきた現総理の任期満了退任が日程に入ってきた。田山の総理の野望が目前に近付いていた。

母と義兄が性交している事を知った萬子は、烈風の夜に家に火を放った。三人は焼死した。三人の長い淫乱な夢は一瞬に灰塵に帰した。ただひとつの救いは、萬子が火をつける前に兄嫁と子供達を逃がしていた事である。類の父はとうに病死していた。

翔子の農園から果たしてどの様な宗派が立ち上がるのか、まだ彼ら自身も知らない。

初江の死から一年後、類は自社生産の木材を活用する為に建築会社を設立した。社長は奥都子である。類が確信した奥都子の隠された能力がどう開花するかはまだ未知だ。

類と典子と継子はアテルイの地の一角に同居した。二人はまだ若い。そして農場に隠遁するには、二人の道程は余りに歴程の悲惨に染まっていた。継子は希望に満ちている。しかし、三人がどの様な新しい幻想を描くのか、著者の私も知らない。
初江の死から二年後に、類は継子と養子縁組を交わした。典子との婚姻届けは出さない。やがて全ての希望が継子に結実されるのかは、誰にもわからない。

そして、七〇安保改定に向けて、この国に再び激震が忍び寄っていた。


―完―



―後書き―

おおよそ書き終えた。淡々と書いた。これ以上は修飾する意欲はない。群像のモチーフが書ければいい。推敲は続けよう。発表するつもりは毛頭ない。
二〇一一年三月一一日の数日後、私は日本人である事を拒否した。あの狂気の状況で精神の平衡を保つ為である。同時に日本語も否定した。いかにも曖昧な、極東の果ての究極の混合言語。乱交が産み落とした猥雑な言葉。生存の危局に伝える術を持たないこの国の卑小な感性の言語文化。
もし、私が、私の原初の北方の縄文の、起源の言葉を持ち得ていたら、私の思索をもっと多彩に自在に唄ったであろうか。あるいは単一に、ただ悲痛と復讐の唄を呟いただけだろうか。何れにしても、恥辱にまみれながら、与えられた日本語でこの叙事詩を書き連ねるしか私には方途がなかった。
私は日本人として刻印されながら、日本人である事を拒否した人間である。いわば異人である。
私は、精神の孤児、囚われびと、対立者、異端、反逆者、アカ、辺境のひと、犯罪者であった。私は常にそうだったに違いない。
そして、異人を宣言した私は真の自由人になったのだ。
私ひとりだけの共和国の独立を祝って、生多にアイヌの古謡を詠わせよう。

 
「異風の時」

青春と呼ばれた柔らかな犯罪があった
ある日、涙を曳いてヤマトを北に縦走して行った
ひとびとの優しいこころだけを撃ち抜きたいと願っていた

私たちは誰が彼の視線に有機的だったろう
私たちの生活のすべてで公判と懲役の匂いがしていたから
、ただ目を落として彼が行きすぎるのを待ったのだった
 
今日、北の海に、再び異風のざわめきが立ち上がる

彼が、彼がまた渡って行くのだ

 
 
私は確信の異人である。そして異風の吹き渡るのを待っている。その時はきっと近いと、夢想している。

この物語は、二〇〇三年の手術から構想し続けてきた。本来は私と共に焼却されるべきものだった。一二年を経て体調の若干の回復を得てこの様な形になった。
この余は語らない。もはや私の手を離れたのだ。
 

-終-

党派の儚総集編

党派の儚総集編

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-08

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