「儚」後書き
「儚」後書き
「My favorite things」と、いうアメリカの楽曲があり、ジャズ歌手の伊藤君子が津軽弁で歌う。絶品だが、さらに驚くことに、彼女は淡路島に生まれ育ったのである。そういう人が津軽弁の歌詞を津軽弁で歌う。実にいい。傑作だ。それに倣ってみよう。
-儚の歌-
私の好きなもの
私にはいっぱいある
好きなもの
みんなみんな
大好き
叡知、思索、分析、原理、論理、哲学、知的好奇心の充足
私にはいっぱいある
好きなもの
みんなみんな大好き
でも、私は孤独
準備と楽観、展望、希求、集中
人民、権力の横暴と闘う人
大衆闘争、ロシア革命、反骨の人々、労働者の団結
反逆者、革命家、社会活動家、運動家、冒険家、賢い労働者、善き親、類への信頼
私は孤独
でも、いっぱいいっぱいある好きなもの
みんなみんな
大好き
歴史全般とりわけ古代史、縄文、エミシの歴程、卑弥呼の謎
ダーウィン、マルティンルター、釈迦、孫子、孔子、マルクス、レーニン、吉本隆明、周恩来、勝海舟、アテルイ、伊達政宗、平将門、法然と親鸞、
私にはいっぱいある好きなもの
みんなみんな大好き
ルノワール、モネ、ユトリロ、シャガール、マチス
石田えり、京マチ子、大地喜和子、エリザベステイラー、ソフィアローレン、ジャンギャバン。ジャンポールベルモンド
私にはいっぱいある好きなものみんなみんな大好き
「道」「自転車泥棒」「山猫」「ひまわり」「けんかえれじぃ」「外人部隊」「裏窓」「華麗なる一族」「日本のドン」
菅原文太、三国連太郎、赤木圭一郎
私にはいっぱいある好きなもの
みんなみんな大好き
でも私は孤独
風、海、波、船、汽笛、5月、夏
かぐわしい煙草、土、果樹、陶器とりわけ織部
サングラス、旬の食べ物
私にはいっぱいある好きなもの
みんなみんな大好き
孤独が大好き。
ジャズ、メタセコイヤ、笑顔、ニッカウィスキー、日本の花
宮沢賢治のいくつかの作品、松本清張のいくつかの作品
ニ番手、参謀、黒田官兵衛
スコットランドの独立運動の行方、ヒラリーの政治力
体調の良い日の風呂、私の生涯、初恋、素敵な尻
私にはいっぱいある好きなもの
みんなみんな大好き
でも、そして、私は孤独が大好き
◆そして駄目なもの。
無知、無責任、自己中心者は罪人
反道徳、弱いものいじめ、自堕落、守銭奴、詐欺師、嘘、借金とりわけ子供から借金する親
カルト、一神教
核のすべて
強姦、犯罪者
チンピラ右翼、情の主張、依存する女、占いとそれを信じる人、差別
飛行機、閉所、高所
私小説、曖昧、無気力、リバタリアン、緑色の服、教団、念仏のごとき歌
得体が知れないものすべて
ヌルヌルしたもの、蛇、ネズミ、蛙、爬虫類、両生類
汚ない性器、粗雑な言葉
嘘、死骸
無神経、差別
吉本のお笑いのほとんど、いわゆる情報番組のとんまさ加減
儀礼の欺瞞、観光旅行
原発
-終-
世界の巨匠と称される黒沢明監督、好きではない。評価もしない。だから、むしろ、なぜ評価されるのかが気にかかる。北野武監督も同様。石原裕次郎や三船敏郎など大根としか思えない。宇野重吉も鼻につく。
赤木圭一郎、三国連太郎はいい。菅原文太は絶品だが喜劇にはむかない。沖縄で反戦を語ったあの男こそが、私には広島シリーズの文太に重なるのだ。
勝新太郎が「乱」で黒沢と争ったが原因に興味がある。
こうした私の傾向は単に趣味の問題なのか、あるいは、私自身の何らかの課題なのか、期せずして、何かひとつの「論」に踏み込んでいるのかと、思ったりするのだ。
「華麗なる一族」など、中年の京マチ子はいいが、「羅生門」の彼女には、特別に魅力を感じない。その京も山崎豊子原作でなお光ったのであり、山崎の力は好きだ。「華麗」の月丘夢路もその恩恵を受けたのだろう、いい。
黒沢の最晩年、おそらく遺作だと思うが、「夢」がある。自身の夢を繋ぎ合わせた印象があって、私には理解できないどころか、不快ですらあった。
私は夢はあまりみなかった。しかし、病を得て一変した。毎夜、奇妙怪奇な夢をみるようになったのだ。
そうしたある深夜、その夢は現れた。光りのなかに女神がいる。姿はない。微笑んでいる。感覚で存在を実感しているのだ。私は油絵を描いている。すばらしい出来だ。官能すら感じる。その瞬間、女神がひと筆を入れた。絵がさらに官能を放ち、未だ感じたことのない激しい甘美が私の体を貫いた。もはや何もなくていい、この感覚の記憶があれば生きていけると、確信した。すると、天使が現れ、この女に惚れたなと、言った。そこで目覚めた。それ以来、悪夢にうなされることは少なくなった様な気がする。
私はこの話を映画にする意欲はないし、小説に構成するつもりも全くない。私だけの奥深くに沈澱するだけだ。晩年に、あるいは病気特有の生理現象をいいつらねたところで、特段の意味があるとは私は思わない。専門科学に任せたいのだ。
ビカソの最晩年の性交画や谷崎潤一郎もこの類いだろう。
結局、映画や小説をつくる者がテーマをどこから切り取り、どう向き合うかが根本なのだ。
私小説が嫌いだ。だから近年の私映画ともいうべき邦画の傾向が、自己中心主義を反映しているように思えてならない。小説もしかり。主張を念仏のように絶叫する歌、「思い」を連発した民主党政権、震災時の「絆」や「魂」、今日のへートスピーチ、安倍の精神風土、松下村塾の原点、靖国などすべてが同根に思えてならないのだ。
年寄りよろしく、安直な若者批判や状況を嘆くものではないが、戦後を生きてきた者として、自己中心の傾向がますます増していると実感している。リバタリズムまで行き着いた資本主義が破綻、あるいは修正に至るのか、もはや見届けることもできまいが。
鈴木清順監督、高橋英樹主演の「けんかえれじぃ」のような青春だった。だから好きだし傑作だと思う。北一輝の影が感じられるのもいい。
成田三樹夫という俳優が演じるヤクザ。インテリ風でいい。建さんなども全く及ばない。往年の文太にも知性が漂ったが。成田はいかにも実在しそうなインテリヤクザなのである。
若い頃、遠戚だという当時評判の親分にスカウトされたことがある。レッドパージで国鉄を追われた男。奥さんの狭い焼鳥屋で一度だけ飲み、口説かれた。「ヤクザも労働組合も上納金で食うんだから同じだ」「経理ができる幹部が欲しい」という。断った。親分が奥さんに飲み代を払っていたのを妙に覚えている。
父の火葬の瞬間、煙突から煙が立ち上ぼり、遺体が自然に化したと実感した。この科学に涙が落ちた。異母弟が笑顔で歩みより意味のないことを言った。成人になって初めて話すこの男の印象が刻字された。義母や叔父など他の者は、みな待合室で談笑していた。
勧められて通夜の夜、ただひとり添い寝した。親戚のおもだった者達と遅くまで話したが、父は話題にならなかった。不思議な葬送であった。
小学四年の時、教師の父が再婚した。妹と父が賛成、多数決だった。以来、妹は馬鹿だと思い、結果してその通りだった。 義母が来て間もなく、ひとつ下の連れ子の女の子、妹三人で風呂に入らされた。教師の馬鹿さ加減で画策したのだろう。私はガキ大将で充分な男だった。夏休みだったのだろう、屈辱で眠れず、翌日、昼の麦畑で泣いた。号泣した。夏の麦畑からヒバリが飛び立った。私の習性はこうしたいくつかの経験からも構成されている。
私が児童会長、彼女は副会長。教室で映画鑑賞の時、暗闇の中で、座った足の指先が触れ合ったが、彼女は避けなかった。その感覚が鮮明に残っているのだ。それ以外の記憶はない。一ニ歳であった。
中学一年の初夏、少女への思いを二人の友達に洩らすと、告白しろと言う。ある日の放課後、少女は友達と二人で自宅に続く田んぼ道を歩いて行く。私達三人は随分と間をあけて、追った。最後までその距離はつまらなかった。満開の蓮華草の中を歩く私のためらいは何だったのだろう。
運動会の合同練習だったのか、クラスの違う少女とフォークダンスで、あわや手をつなぐ状況になった。私は踊りの列から離脱した。中学二年だったろう。
中学三年に少女と同じクラスになった。私の義母が担任。夏休み直前の朝、机に手紙が入っていた。「競って勉強しよう」「先生とも話した」義母のことだ。
彼女が二位、私が三位の成績で、父母が勧める学区外の進学校合格には、私は少し足りなかった。受験勉強はせず本をよみあさっていた。学区内でいいとも考え、それよりこの狭い世界をいかに抜け出すかを考えていた。
恥ずかしさの反動だったのかもしれない。義母に話したことへの動揺だったのか、怒りだったのか。私は即座に手紙を突き返した。少女の悲しい表情。若いということはこんなつまらないことだったのか、そう思う。少女と話したのは、その時、ただひとことだけなのである。恥ずかしいくらいの言葉だったろう。
「草也と翔子」の恋愛小説をいく通りも構想したが、純白な記憶には及ばない。
この頃、「罪と罰」を何度か読んだ。主人公の女性と少女を重ねていたのかもしれない。
恋というものをいくつかしたのかもしれないが。もてたとか惚れられたとかの実感は全くない。むしろ敬遠されていたのではないか。
二人の子供がありながら離婚した。
ある瞬間に嫌悪されていると感じた。親のこともあり壊したくなかったが、長いいさかいと迷いの末、決意に同意した。
あれほどの修羅を作るほど、なぜ嫌われたのか、不明だし、もはや、探索する意味もない。
素敵な尻がいい。そんな女が一人だけいた。でも、それが別れを阻む要因とはならなかった。
なぜ、尻が好きなのかもわからない。
所詮、ここに至れば、肉体などは精神、もっと言えば思想の入れ物にすぎない。つくずく、そう思う。
では、優しい思想とはと、考える。法然、親鸞はそうだろうと思う。釈迦は、「そう思いたい」
一神教は愛を標榜しながらも矛盾を縫合できない。ニ千年に及ぶユダヤ、キリスト、イスラムの確執が証左だ。ヒンズーもしかり。オウム真理教の破綻は当然の帰結なのだ。
マルクスは優しくあるべき類を仮想した。吉本は大衆の錯誤を許した。
私は、といえば、宇宙、地球、生物、ヒトの科学を踏まえ、私の類を仮想しているのだろうか。しかし、こうにも科学が発展の最終段階にたち至った今、うかうかと類の唄を歌う愚かさも認識している。
-終-
「儚」後書き