赤魂茸
茸の絵師の物語 縦書きでお読みください。
「おじさん、光る茸のこと聞いたよ」
「夜光る茸は知ってるよ、月夜茸っていってね、夜になると青白く光るんだ。毒なんだよ」
「それなら私も知ってる」
「木野の言っているのはどんな茸なんだい」
木野は茸絵師、茸酔の姉の娘で茸酔の家に奉公にきている。
「赤く光る茸なんだって、丑三つ時に生えてきて四半時で大きくなって、赤くぼーっと光るんだって」
「どこに生えたんだい」
「お寺、最初は増下寺、それから松東寺、宋休寺だって」
「松東寺だったら近くだね、誰が教えてくれたの」
「米さんの長屋の三吉さん、ほら、米さんが家にきたとき、長屋に庭師のおじいさんがいるって言ってたでしょう」
米さんはお城の台所の飯炊きをしていて、木野が仕入れた茸の佃煮を届けたとき知り合ったおばあさんだ。茸酔の家に来て茸のおもしろい話を聞かせてくれた。それは、蛇の嫁入りという草子になってたくさん売れた。
「そうだったね、三吉さんにうちの庭も手入れしてもらおうかね」
「うん、そのとき、赤く光る茸のこと聞いてみたらいいね」
「そうだね」
「それじゃ、明日、長屋に行ってこようか」
「たのむよ」
木野が米さんのいる長屋に行って戻ってきたとき、三吉も一緒についてきた。年は米さんと同じくらいだろうか。まだ六十にはなっていない。小作りなしわくちゃの顔をにこにこさせて、茸酔の庭に入ってきた。
「ほんとじゃ、面倒みてねえな」
茸酔も家の中から縁に出た。
「こりゃあ、絵の先生で、米ばあさんから聞いておりやす」
三吉じいさんは腰を低くした。
「茸酔です、庭は自然のままにしておいてもいいと思ってたので、この通りです」
「刈り込んじゃうのはやだけどね、庭っていったらもう自然じゃねえから、庭の中で気持ちよく木なんぞが生きていけるようにしてやらなきゃなんねえね、人様みたいに髭を剃ることができねえんで、俺たちがそってやるわけで」
よくわかっている庭師である。
「お願いしますよ」
「へえ、無理ないような形にしてやりゃね、この椿なんて混んじまって、中のとこ風通し悪いしお天道さま当らねえよ」
わび助の木がこんもりしている。
「わたしがそういうのにが手で、すみません」
「みんながやっちまったら、わし等の仕事がなくなるわ」
「それじゃお願いしますよ」
「へえ、やらせてもらえるんで」
「頼みますよ、それから、ちょっと上で、光る茸の話を聞かせてくれませんか」
「ええですよ」
「三吉さん、こっちから」
木野が玄関に案内した。
「ここからででいいよ」
「そういわずに、茸酔のおじさんは、誰だって玄関から入ってもらってるよ」
「そんじゃ、入らせてもらうよ、いい家だよな」
「うん、加賀の偉い人の家だったの、絵を画く人、茸酔のおじさんはその人のお弟子さん、この家もらったの」
「米ばあさんがそんなこと言ってたな」
客間に通されると、茸酔が待っていた。
「三吉さんすみませんね」
「とんでもねえです、庭をきれいにできるのは嬉しいこんで」
「私の実家は小さな宿屋でしてね、おやじは自分で庭の木の手入れをしてましたよ、あたしは小さいとき、この家の師匠の弟子になって、奉公のようなものですが、絵を教わりながら、この家の中のことをやってきましたが、庭は本家の庭師がついでにここにきてやってくれてました。師匠が亡くなってからは、自分は庭のことを考えずに、茸を探して歩くばかり、そこでこんなにしちまいましたよ」
「そりゃ、先生は忙しいやね、やらしてもらえるならありがてえ、木と話をしながら木が生きやすいようにやってやります」
茸粋はそれを聞いて、ちょっとドキッとした。自分は茸が好きで茸の絵を描いている。ちょっとうまいと世間の評判に調子にのっているのではないだろうか。この庭師は、庭をきれいにするのではなく、木にとってどのように剪定するのが幸せか考えている。これは当たり前のことだが、自分はそういう気持ちで茸に接しているだろうか。
「いや、これも茸の縁、どうぞよろしくお願いします。ところで、その赤く光る茸とはどういうものでした」
「それが、寺でしてね、最初は増下寺でみました」
「あの、四谷のですか」
「へえ、仲間に頼まれて、庭の手入れに行きましてね、お天道様が上る前に、寺に集まって手入れをはじめたんですよ、五人ほどでしたな、あっしは大きな松の木を頼まれて、早速遠くから眺めて、形を決めた後、どの枝を払ったらその木が気持ちよく暮らせるか考えるために、近くによったんでさ、下から見上げどこをつめたらいいか決め、さて上ろうとはしごを掛けるために木の根本を見ると、赤くどろっとしたものがたまってましてね、根がこぶのように土の上を這っていたんですが、その付け根のところでしたね、触るのは気持ちが悪い。人の血の固まりのように見えないこともないが、血だともっと黒っぽくなる、赤く透けてるような感じで、見ようによっちゃあきれいでしたな、それであっしは、そいつを無視して、木に登り、しばらく仕事をして、下に降りやした。半時は立ってなかったと思うけどね、それではしごを下りたときに、その赤いどろりとした物を思い出して、その場所を見ると、赤い染みしかありませんでしたな」
木野が羊羹とお茶を持ってきた。
「このお茶、おじさんの実家からのよ、駿河からきたお客さんからもらったお茶だって、いい香りよ、この羊羹は、絵のお客さんからいただいた黒糖の羊羹」
三吉が
「こりゃ、いただきます」と口に入れると、
「いやうまい」と目元のしわを寄せた。
「三吉さんは甘いものが好きのようですね」
「ええ、あっしは飲めないわけじゃねえが、仲間と酒づきあいができなくて、まあ不調法で、一人仕事を引き受けていたんですがね、寺など大きなところで人手が足りないときにはかり出され、みなと仕事しております」
「それで、赤い染みはどうなりました」
「へえ、それがどうなったか見ませんでしたが、松の木が終わって、頭領のところにいくと、今度は裏の椿の木をやってくれと言われましてね、そいつをやっているときでした、裏の賄いどころから、朝の用意をはじめた寺男が庭にでてきましてね、話しかけてきたんです。そいつがそこを見ろと言って椿の木の下を指さしたんで、見ると、そこに赤い染みがありやした。
それで「今松の木の下で同じものを見たよ、赤いどろどろした奴があった」と言いますとね、
「この椿の下にも赤いどろどろがあったんだよ」
と言うんで、「なんなんだろうね」と聞くと、
「茸だよ」と答えて台所に入いっちまった」
「染みは茸が溶けたものだったわけですね、一夜茸などは黒く溶けてしまいますよ」
「へえ、そうなんで、それで、朝の仕事が終わって、頭領が明日は松東寺をやるんで手伝ってくれって言うんで、引き受けて家に帰えろうと支度をしていると、先の寺男が庭の掃除に出てきたんで、あの赤いどろどろしたのはどんな茸だったと聞いたんです。
すると、寺男が言うには、夕方に小さな白い頭を持った茸が生えてきて、夜中にしょんべんに起きたときに、庭に赤く光る物があるので、火じゃねえかと思ってあわてて出てみると、小さかった白い茸が大きくなって、赤くぼーっと光っていたってた、と言いましてね、赤く光る茸なんて聞いたことねえな、というと、ほんとにいくつもの赤く光る茸があって、それが朝になると赤いどろどろになって、浸みこんじまう、ここ二日のあいだ毎日出てくる、と言ってました」
「その寺しかでないのですか」
「いいやね、次の日、松東寺にいったらね、やっぱり木の根本に赤いどろどろがあってね、寺の人が赤く光る茸が溶けた跡だと言っておりましたな」
「神社やふつうの家にはでないのですか」
「わしゃ聞いてねえけどね、宋休寺ではでたという話しでよ、やっぱり寺かな」
「墓場にはでないのですか」
「墓の中もみたんだが茸の跡はなかったね」
「それで三吉さんは赤く光る茸を見たんですか」
「へえ、庭師の仲間も気になってやしてね、三人で夜中に三つの寺に行ってみたんでさ、赤く光ってましたよ、見ようによっちゃあきれいでしたが、気味も悪くてね、仲間の一人は、ありゃ茸を通して黄泉の国の赤い光が漏れてるんだ、なんて言ってましたよ」
おもしろい話だ。
「茸はどのくらいの大きさでした」
「親指と小指を伸ばした間くらいだね」
「六寸くらいですね」
三吉さんは頷いた。今で言う二十センチほどだろう。
「まだ生えていますかね」
「毎日生えてくるってことでしたよ、生えなくなったとは聞いてねえです」
「わたしも見たいが、どうでしょう、案内をしてもらえませんか」
「いいでがすよ」
「今晩いいですか」
「へえ、松東寺に行きますかい、ここからなら遠くない」
「あたしも行っちゃだめ」
聞いていた木野も興味しんしんである。
「いいけど夜中起きれるかい」
「うん、寝ないでいる」
木野は興味を持つと本当にやるから怖い。
「それじゃ三吉さん、丑三つ時、松東寺の門でどうです」
「へえよございます、それじゃこれから庭をちょっくらやって、夜中に行きますで、ごちそうさんでした」
それから三吉は手早く茸酔の家の庭を片付けると長屋に帰った。
その夜中、木野が茸酔を起こしにきた。
「おじさん、そろそろ丑三つ時」
木野は本当に寝ないで起きていたようだ。
「おおそうか」
茸酔は赤い茸が自分に話しかけている夢を見ていたところだった。あわてて起きると支度をした。
「木野ありがとよ、全くよく寝ちまった」
まだ寒い季節ではない。提灯に火をいれると、紙と筆を袋に入れて家をでた。半分の月が、それでも周りを明るく照らしだし、遠くの路地に野良猫がたたずんでいるのがわかった。二人が近づくと、あわてて塀の上に飛び上がり、その家の庭に消えていった。
「こんな夜遅く外を歩くの初めて」
「そうか、眠くないのかい」
「うん、たまに、寝ないことがある」
「なにやってんだい」
「そのときによって違う、自分の着物を縫ったり、かあちゃんや、とうちゃんのちゃんちゃんこ作ったり」
「なんだい、姉やんが作ってくれって言ってるのか」
「違う、勝手にやってみやげにしてるの、だって、このうちに古い布が沢山あるでしょ、それ使って作りはじめると、寝るの忘れちゃう」
加賀出身の師匠の家には、古い着物がたくさん行李に入れられて押入れにあった。なぜか女子の着物もあるが、どれも古くて着ることができない。木野に捨ててくれと言ったものだ。とっておいたようだ。
「きれいな布がたくさんあって、巧く継ぐときれいな着物になるのよ、これもそう」
木野の着ている着物は確かにつぎはぎだが、色の具合がいいのでとてもよく見える。今まで木野の着物に目を留めることがなかった。木野は色の感覚も悪くない。
「絵は描かないのかい」
「好きだよ、だけどおじさんのようには描けないから」
「描きたければ好きなように描くといいよ」
「うん」
そんな話をしながら歩いていくと、松東寺の正門に近づいた。提灯をもった人影がみえる。三吉さんだろう。
「あ、先生、待っておりやした」
向こうから近づいてきた。やはり三吉さんだ。
「待たしたかな、わたしがよく寝ちまってて、木野に起されたんで、すまなかったです」
「いえ、寺の中を見ておきたかったんで早く来ました、寺守には先生のとこから帰る途中によって話しときましたから、中に入ってかまわんです」
「それは、うかつでした、寺に断るべきでしたね、ありがとうございます」
茸酔はそういうことに気が回らないのをいつもはじていた。
松東寺の境内は宋休寺や増下寺より広い。庭には小さいながら、京都の石寺を模した石庭もつくられている。
三吉は石庭と反対側にある、苔むした庭に二人を連れていった。庭への木戸をくぐると、赤くぽつぽつと光っている物が見えた。
「きれい」木野が驚いている。
躑躅(つつじ)の根本にくると、茸は黄色の混じらない純粋な赤の光を放っている。傘は松茸のような形だが、透き通る赤さは、ひだが影として映り、可憐さが増して見える。
「きれいだが、不思議な茸だ」
茸酔は木野の持つ提灯の明かりで紙を広げ絵を描いた。
「あっしもこのような茸は始めてです、いろいろな寺や神社、屋敷で茸を見てきましたが、茸が赤く光るなんで思いもせんでした」
「わたしもそうですよ、信州、越後、越中、いろいろなところで茸を見たけど、これははじめてだ」
「どうして光るのかなあ」
木野が人差し指で茸の頭に触れた。すると、赤い光が強くなった。
「すてきだわ」
庭に点々と赤い光がついているのはなんとも、違う世にきているようだ。黄泉の国を連想するのも分かる気がする。
絵を描き終わった茸酔は立ち上がり、庭の中を歩き始めた。他の茸を描くためだ。どれも形は同じだが、どれも個性のある光だ。
「茸は採るとすぐしおれるかもしれないが、どうだろう、根より掘って家に持って帰り、子細に調べたいがいいだろうか」
茸酔が三吉にたずねた。
「かまわんでしょう、あっしが採りましょう」
草木のことはまかしてくださいと、三吉はいつも腰に差している竹の根堀で、光る茸を堀りだし、手ぬぐいに包んだ。
そうなっても、赤い茸はぼーっと赤く光り続けている。
「それでは、私は家にもどって、とろけない前に絵を描いておきたい、三吉さんにはお礼申します」
「お役に立てたならなによりで、木野さんもえらいね、こんな夜深くに」
「ううん、とてもきれいなものを見せてもらいました」
二人は三吉とわかれて家に戻った。
「木野はもう寝なさい、寝ていないんだろ、朝の支度はゆっくりでいいからね」
「うん、おじさんはこれから絵を描くの」
「それから寝るよ」
先に木野を寝かせた茸酔は、机の上の赤く光る茸のひだの様子などを細かく絵に描き入れ色をつけた。
半刻ほど絵に没頭し、書き終わると水盤を持ってきて水を張った。その中に茸をたてた。三本の茸が赤く光って、水に映るのはえも言われぬ神秘。しばらく茸酔はいつ茸が赤く溶け出すのか眺めていた。
それから一刻、いっこうに溶ける様子がない。もうすぐ夜が明ける。茸酔もまた眠くなってきた。溶けたら水の中でどのようになっているか。朝になればわかることである。寝ることにしようと、寝所にいき布団の中に入った。
次の朝、茸酔が目を覚ますと、すでに木野は起きて朝飯の用意をしていた。
「早いね、眠れたのかい」
「うん、それより、おじさんの部屋のぞいたら、茸溶けてないよ、なぜかな」
茸酔が画室に入ると、目に入ったのはしゃきっと立っている三本の赤い茸である。部屋に差しこむ朝の光で傘が赤く透けて見える。自分でも光っているのかも知れないが、陽の光でわからない。それにしてもなぜ溶けない。
「おじさんが水に浸けたから元気なんじゃないの」
木野の言う通りかも知れない。
「夜までそのままにしておいて、また光るかどうかみてみよう」
「そうね、陽の光に当てない方がいいんじゃないの」
それもそうである、茸酔は茸を立てたまま水盤を床の間にもっていった。
自分でも光っているようである。床の間がぼーっと赤く染まった。この様子だと夕方までもつかもしれない。
その日、茸酔は自分の家にある茸の図譜を調べた。南蛮の本も何冊かある。古くからの日本の茸図譜にこの茸は描かれていない。南蛮の本を開き、読むことはできないが、似ている茸図を探した。だがみつからない。茸酔は描いた絵を持って、懇意にしている薬師の真山(まやま)寿水のところに行った。城にも出入りしている医師で、薬の知識では江戸で五本指に入る。茸酔の師匠が体を壊した時、診てもらっていたこともあり、茸酔とも気心が知れている。寿水は草木、茸のことにめっぽう詳しく、独自の薬を考案して、江戸城からも信頼されている。
「なにかい、あの赤く光る茸のことかい」
「ええ、先生もご存じですか」
「ああ、増下寺の住職が聞きにきたのだが、わしも見に行ったがわからんな、一夜茸の仲間のようじゃからすごい毒ではなかろう、しかし、食う気にはならなかった。何かの薬にはなるかもしれんが、それほど多く生えておらんで、採らなかった」
「なぜ光るのでしょう」
「月夜茸は昼間見ると茶色じゃろ、だけど夜になると青っぽく光る、それはひだのところに光るものをもっているからだ、自分で光っているわけだ、赤く光るものをあの赤い茸は持っているにちがいないな」
「庭師が言うには、生えてきたときは白いそうです」
「赤く光をはねかえすのかもしれんしな」
「だけど、真夜中に光っています」
「真夜中と言ってもの、月の光もあれば星の光もある。少しの光でもあればはね返り赤く光るかもしれん、あの茸を真っ暗なところにおいても光れば自分で光るということになるだろうな」
「実は今日、丑三つ時、あの茸を松東寺か採ってきて、水盤の水に入れておきましたら、とろけずにしゃきっと立って光っております、光の少ない床の間でも赤く光りました」
「それはおもしろい、自分から光っておるな、よくみつけたな、それならいろいろ調べられるな、わしも採ってきてやってみよう」
赤く光る茸は謎のままである。
家に戻り画室の床の間を見ると、ぼーっと赤く茸が立っている。真っ暗にするのは難しい、夜になってから押入にでも入れてみてみよう。
いつもの仕事にもどり、茸草子の文を考えたり、それにみあった茸の絵をえらんだりしていて一日が過ぎた。日が暮れ、床の間の茸の赤い光が強くなってきた。
木野が部屋をのぞいて「今日も夜中に光る茸採りに行っちゃあだめ」と聞いた。
「なににするんだい」
「だって部屋中に飾ったら、家中が茸のお屋敷になったみたいできれいよ」
木野は想像力もたくましいようだ。
「そうだな、外で生えてもただ溶けてしまうのだから、採ってきて水盤に入れると、茸も喜ぶかもしれんな、私も一緒に行こう」
「無理しなくてもいいよ、三吉さんが手伝ってくれるって」
いつの間にか三吉と話をつけている。
「三吉さん、やることがあるの嬉しいみたいよ」
「それじゃ、松東寺にいって、茸を採っておいで、そのうちお寺の人も呼んで、赤い茸の光で、酒でも飲むとしようや」
茸酔は酒が強くない。だが全く飲めないわけではなく嫌いでもない。三吉も同じようなことを言っていた。美味い酒をすこしばかり口にいれると、ますます膳の上のものの味がよくなる。
「そのとき、あたし、腕を振るうよ」
木野は料理の腕も上がり、酒の席の気のきいた物を作ることができる。
それから三吉は毎日のように木野を夜中に迎えにきて、赤く光る茸を採ってきた。茸酔は一度一緒に行ったが、後は水盤を用意して待っていた。
座敷の中には水盤に入った茸がならび、赤くぼーっと光る様はこの世の物とは思えない不思議な雰囲気をかもしだした。玄関にも廊下にも、木野の部屋にも水盤に入った茸が赤い光を壁になげかけていた。
奇妙なことは、最初にとってきた茸も枯れていない。水盤に立って赤く光っている。木野が毎朝、水盤の水を井戸水に取り替え養生をしているが、そのためなのだろうか。
赤い茸が輝く部屋の中を茸酔は絵にした。
五日目、屋敷にある水盤はすべて使ってしまい、どんぶりまで使った。
「明日の夕方、みんなに集まってもらおうか、三吉さんにたのんで松東寺の寺男夫婦に声をかけてもらえるかな」。そう木野にたのんだ。
「うん、わかった」
「三吉さんはあまり飲まないようだから、食べるものたくさん用意してくれよ」
「明日は茸の煮染め、焼き松茸、松茸茶碗蒸し、茸茶飯をつくるわ、つまみに信州の茸の佃煮」
木野が即座に答えた。前から考えていたようだ。
「松茸は手にはいるのかい」
「今日、三吉さんの長屋によった後、おばさんの家に行ってもらってくる」
おばさんとは、木野の母の姉で、茸酔の姉でもある。茸酔の実家である宿屋を手伝っている。今の時期、宿では必ず松茸を用意している。
「お米さんもよんだら」
「そうだったな、たのむよ」
その日、木野が帰る前に三吉がたずねてきた。
「あの赤い茸まだ光っているよということですが」
「あがってみてくださいよ」
茸酔が座敷に案内すると、部屋の中の水盤から赤く光る茸がにょきにょき立っているのを見て、三吉が目を見張った。
「なんでやんしょうね、ふつうの茸だって、いくら水に入れたって、二日もすればしわが寄ってくる」
「わからんな」
「あ、そうだ、先生、明日お呼ばれでありがとうございます、木野ちゃんに言われて松東寺にいきまして、そのことを寺男に言いますと喜んで来ると言っておりやした、それだけじゃないんで、あっしが寺に行ったとき、和尚さんがいましてね、見てみたいとおっしゃってました、聞いてきやすといったんですが、どうしやしょう」
「それは迂闊でした、あたしがこれから行って、お誘いしましょう」
茸酔は頭をかいた。全く気が回らない男だ。はずかしい。
「それじゃ、あっしもお供します」
「仕事はないのですか」
「もう、この年で、手が足りないときだけ声がかかるくらいで」
「それじゃあ、庭だけじゃなくて、手が足りないときには声をかけさせてもらいます」
「そりゃ、喜んでまいります、障子の張り替え、ちょっとした家の養生くらいならできますんで」
松東寺に行くと、和尚さんが自ら境内の石段を掃いていた。茸酔は初対面である。三吉が声をかけた。
「和尚さん、茸酔先生が直々に来ましたんで」
丸顔の色の黒い和尚さんが笑顔になった。
「これはこれは、茸酔先生、はじめておめにかかります、東鐘でございます、勝手なお願いですみません」
「いや、とんでもございません、このお寺から頂いた赤く光る茸を見ながら一献と、早くお誘いのお声をかけなければいけないところ、今になり失礼しました。
狭苦しいところですし、たいしたものを作るというわけでもなく、うちの奉公人の作るいつもの夕飯を茸の明かりで皆で食べるという、他愛ないものです。よろしければ、明夕お越し願えれば」
「ありがとうございます、いや、それを聞いて、ますます行きたくなりました、茸酔殿の茸の絵のことはよく存じております、あまりにも著名な茸絵の先生のお宅に行けるとは望外の喜びにございます」
「あ、それに私どもあまり酒をたしなみません、少ししか用意がございませんが、和尚様はお飲みになられますか」
東鐘和尚はえびす顔をしわくちゃにして、
「はは、自分の酒を抱えてまいりますわ」
と大声で笑った。茸酔も肩の力が抜けて笑った。この人となら楽しめそうだ。
「それではお待ちしております」
三吉ともそこで分かれて家に戻った。
明くる日、朝の明かりの中で、家の茸は変わらず赤い光をぼんやりと放っている。木野はもてなしの準備に余念がない。茸の入った水盤やどんぶりは、全て座敷に集めた。
夕暮れになると赤い茸たちの光が輝いてきた。
月が次第に頭の上にあがってくる。中秋の名月は数日後であるが、それでもいい月である。
三吉と米さんがまずやってきた。
「なんか手伝うことないかと思ってね、ちょいと早くきましたよ」
「米さん久ぶり」
茸酔は米さんの経験談から一冊の本を仕上げた。本屋からもらった金半分を米さんにあげると、生まれ故郷である上州に帰って墓参りに行ってきたという。
「先生には世話になっちまって、お陰で親の墓参りもできました」
「こちらの方が世話になったんですよ」
「木野ちゃん、なにか手伝おう」
「あ、米さんそれなら、作ったの運ぶの手伝って」
「俺も手伝うよ」
三吉も米さんの後をついて台所に行った。
二人で木野の作った料理を膳にのせて運んできた。
「ありゃ、あたしゃ、初めですよ」
座敷にはいった米さんは赤く光る茸を見た。
「不思議だなあ」
木野も膳を運んできた。
「後で、松茸ご飯」
「嬉しいねえ」
三吉は酒より飯だ。
「木野ちゃん、酒の用意はあたしがしてあげるからさ」
「ありがとう、燗は私の仕事、奉公人だもん、だけど、この家のしきたりがあってね、みんな一緒に食べるのよ、わたしもよ」
「そりゃありがたいね、でもやるから言っておくれよ」
そんなところへ、玄関に客がきた。松東寺の人たちだろう。茸酔がでると、東鐘和尚の後ろに寺男夫婦が控えていた。和尚は一升徳利をつるしている。恵比寿様は鯛のほうがにあうな、茸酔は笑うまいとこらえた。
「どうぞお上がりを」
和尚が上にあがっても寺男夫婦はあがろうとしない。
「あがってくださいな」
「勝さんと玉さん、先生がそうおっしゃてるよ」
和尚が笑いながら手招きをした。
「へえ、こういうところからあがったことがねえもんで」
二人は隅っこから草履を脱いであがった。
茸酔が三人を座敷に案内すると、赤い茸の光がより強くなった。陽が完全に落ちたせいだろう。
茸酔が障子を開けると、月の明かりが部屋にも入ってくる。だが、茸の赤い光は負けずに部屋の中を赤く染め、灯をともす必要がない。
「こりゃ、みごとですな」
和尚が赤い茸に囲まれて上座に座った。
「東鐘さん、膳のものはうちの木野が作ったもの、舌にあうかどうか、そこの茸の佃煮は、信州の草衛門という方の作ったもので美味いですよ」
「知っていますぞ、一昨年でしたかな、茸く喰らいて候とさけんでおったひとじゃな」
「はい、その茸の佃煮はうちから城に卸しております」
「おお、そうですか、いや、旨そうですな、そうだ、持ってきた酒は冷やでいただくわ、燗にするのは手間がかかるしな、皆一緒に食いましょうや、この酒は越後のものじゃ、湯飲みをいただけますかな、猪口など小まっこいものでは飲んだ気がしなくてな」
「それでは私たちも、冷やでいただくことにしましょう」
木野が湯飲み茶碗をもってきた。
「それじゃはじめましょうか、よくきてくださいました、この茸は松東寺に生えていたもの、赤い光の中で月見酒でございます」
膳の上の物に箸をつけた。
「うまい煮染めだ」
「木野ちゃん、料理上手だね」
米さんがほめる。みんなうなずいている。
勝さんと玉さんは黙ったまま黙々と食べている。
「勝さんは飲まないのですか」
茸酔がきくと、大きな顔をあげて、「いえ、飲みますが」と和尚の顔を見た。
「わはは、いいぞ、勝、今日はいただけ」
「どうしたのです」
「いや、こいつは大酒のみで、奥さんの玉さんはさんざん苦労したんでね、酒は月に一度だとわしが強く言っております、仕事は良くやるが酒癖が悪くて、お行儀よく飲みなさい」
「へえ」
縮こまってっているが、口元をほころばして大きな体を揺らし、茶碗に酒をそそいだ。三吉もちびりちびり飲んでいる。米さんがごくりごくりと旨そうに飲むものだから、和尚さんも驚いている。
「木野、なかなか旨いよ」
茸酔も料理をほめた。
「ところで、茸酔さん、この茸の名前はなんというのですかな」
和尚が尋ねるが、茸酔も困った。
「それが、真山先生にも聞いたのですが、わからないとおっしゃいました」
「赤く光る茸など珍しいの、天地異変がおこらねばいいが」
「どうでしょう、生えるところが寺ばかりで、神社や個人の屋敷には生えません、なぜか気になっております」
「そうですな、確かにな」
「それに、寺の中でも墓には生えません」
和尚は湯飲みの酒をぐいとあけた。
「墓には出たくないということはどういうことでしょうな」と首を傾げた。
「墓が嫌いなのでしょう」
「おじさん、墓からでたくて、庭の木の根元に出たのじゃないの」
木野が言うと、茸酔が「なにが墓からでたいのだい」と聞いた。
「魂」
「いいことを言う女子さんだ、ときに墓から魂がでてきますぞ、夜青白く光る玉がころがりでることがある、火の玉じゃ」
和尚さんがいうと、「あたしたちもよくみます」と勝さんの奥さん、玉さんが言った。
「ねえ、おじさん、墓からでられない魂ってあるの」
木野が茸酔にきいた。
「どうだろう、和尚さんどうですか」
「うーん、魂は黄泉の国にいく前に、墓からでて火の玉になり、のぼっていくのだろうな、なかなか黄泉の国に行けない人もいるかもしれん」
「そんな墓があるの」
「ああ、無縁仏の墓は寺には必ずある、行き倒れで名もわからぬ者、餓死した独り者、船から落ちて打ち上げられ、身元の分からない者、あわれよのう」
「その魂はどうなるの」
「みな黄泉の国に行くことになるのじゃがな」
「ねえ、おじさん、茸の根は土の中に広がっているのよね」
「ああ、細い細かい糸のような根があるよ」
「魂が墓に延びていたその根っこの中にはいって、頭を出した茸を光らせているんじゃない」
外はもう真っ暗、月がきれいに輝いている。部屋の中では赤い茸がますます強く光っている。木野の想像力はすごいものだ。
「なるほどな、だけど、茸は朝になると赤くどろどろに溶けて、土に染みこんでしまうよ」
茸酔のいったことに木野は、
「また魂が土にもどって、新しく生えてくる茸に入って光るのよ、水盤の中では戻るところがないから、茸をずーっと生かしてるのよ」と言った。
「なるほどな、そうかもしれんな」
東鐘和尚がうなずいた。
「だとすると、茸から魂を放ってやらにゃならぬな、食事がすんだら、お経を読んでしんぜよう」
最後は松茸ご飯を食べてみな満足である。
「旨かった、木野さんありがとさん」
和尚さんが言った。みんなもうなずいた。
「茸酔さん、木野さんがいったこと、まさか魂が茸の中に入ることはなかろうが、これから、経を上げてみようかと思う、よろしいでしょうかな」
「なにを用意したらよろしいでしょうか」
「いや、なにもいりませんぞ、経は頭の中にありますのでな、酒を飲んでいても覚えております、魂を安らかに黄泉の国に導く経がありますからな」
皆手伝って膳を台所に運び、座敷を清めた。
「線香はいりますか」
「いや、みなさんの気持ちを一つにしていただくだけでよろしい」
茸酔が障子を閉めた。月の明かりがさえぎられ、暗い部屋に茸の赤い傘が浮くように見える。
和尚は座敷の真ん中に座り、みなが取り囲んだ。
和尚は床の間側に向いて、うなり始めた。ひとしき読経すると、反対側の水盤のおいてある襖にからだを向けた。同じ経をとなえると、今度は外の方向、障子に向かって、経をあげた。
経が終わった。
そのとたん、ばちんという大きな音がした。
みなが驚いて茸を見ると、何十本もある茸の傘に穴があき、小さな赤い火の玉が闇の中に飛び出した。
「火の玉」
木野が大きな声をあげた。みんな唖然としていると、赤い玉は部屋の中を跳び始めた。皆の周りをふわりふありと舞って、和尚さんの頭上に来ると、火の玉が一緒になり、頭の三倍もあろうかという大きな火の玉になって浮かんだ。
木野が立ち上がって障子を大きく開いた。
赤い玉は縁の上でふあふあと舞い、庭に出た。月の光の下でも強く赤く光っている。
和尚が赤い顔をして大声を上げた。
「行け、行け、迷わずに行け」
その声で、大きな火の玉は月に向かって上っていく。みんな縁にでた。夜空に浮いた赤い玉はすーっと早まり、上の上のほうに飛んでいく。だんだん小さくなって、やがて輝く月の真ん中で消えてしまった。
和尚がため息をついた。
「木野さんの言ったことは本当だった、無縁仏の墓からでた魂に違いない、あの墓をもっと供養しなければならないのう、増下寺や宋休寺の和尚にも言っておこう」
茸酔は魂の抜けたあとの茸を見た。水盤の中には黒く溶け始めた一夜茸があった。
一夜茸は魂の通り道だった。茸酔は一夜茸に限らず、そこいらに生えている茸がその中になにをいれているのか、何を思っているのか、もっと深く考えなければならないことを自覚した。
その後、茸酔は魂の入った光る一夜茸を赤魂茸と名付け、その物語を茸草子として出版したのである。
赤魂茸