不可思議な国1️⃣

不可思議な国 1️⃣
 

副題
私が異民になったわけ

2015年晩秋

 
-福島の怒り-

 2011年3月11日、14時46分。激震(東日本大地震)が発生。わずか、30秒ばかりであったが、まさに、震天動地。ストーブを消してトイレに駆け込んだ。
 大津波が凄まじい勢いで悉くを飲み込む映像が流れる最中、3月12日、15時36分、原発(福島第1原発1号機)が爆発した。混乱し、震撼した。その後も、次々に爆発して、雨混じりの放射能が降り注いだのである。

デレスケヤロー。ウスバカヤロー。カンプラヤロー。

ホイド、ホイド、ホイド。

フザゲダヤロメラダ。デレスケヤロメラダ。ホイドヤロメラダ。

原発ブットンダ。放射能トビデダ。アノヤロメラ、ヒトゲノトジサ死ノ灰バラマイダ。

チギショー。
オララ、シンヂム。
チギショー。
ヨグモヤッテクッチャモンダ。
アノヤロメラ、
ゼッタイカンベンデギネ。

ンジャガラ、
オラ、タダガウ、タダガウ。

タダガウドー。
アダヤロメラニャ、マゲデランニェ。

ンダッペ?
ニシャラモンダッペ?
カンベンデギネベ?

 「東北人は温厚で忍耐強い。強奪も起こらない。整然とした態度は世界の誇りだ」と、とんまな政治家が胸を張った。農水大臣は、いざとなれば有り余る備蓄米を放出する、と、豪語した。しかし、避難所の親子が一つの握り飯を分けあい、民間の業者が大阪から食料を緊急に空輸し、福島の無人化した被爆地では空き巣が横行していたのである。障害者は取り残されて、避難所での差別も訴えられた。
危機管理の欠如を隠蔽するフィクションが、次々と編み出されたのだ。

 あの時、福島県民は本当に怒らなかったのか。
 原発が爆発した。巣を壊された蟻のように、否、蟻は危機回避の本能を持っている。蟻以下の無秩序で、四方八方に逃げ出したのだ。風向の放送すらない。まさに、管内閣は無政府状態だった。そこに、放射能が降り注いだのだ。
 彼らはいわきや茨城か、相馬、仙台方面に逃げるべきだった。しかし、風と共に福島や郡山に向かい、逃げ延びたと思った先が、自宅より放射能濃度の高い者もいた。
 しかも、最も放射能が降り積もった浪江の津島山中に1週間も留まったのだ。そこで、真っ白い防護服を着て、だが、身分を明かさない者達に、一刻も早く立ち去れと警告された、と、いう証言がある。環境省は秘密裏に放射能調査をやっていたのだ。何という不気味な縦割り行政だろう。まるで恐怖映画のシーンではないか。
 この国では、避難の際に、風向きすら思慮されなかったのだ。枝野も気象庁もマスコミも、一切報じない。「スピーディ」は極秘に封印されていた。県知事や避難自治体の長は風向きを考えなかったのか。自治体職員で、誰一人、警鐘を鳴らす者がいなかったのか。
 爆発直前に保安院が、「ベントは風向を考慮する。放射能は海上に流すから陸は安全だ」と、発表していたにも拘わらずである。あげくに、保安院は、「ソフトベントだから放射能はほとんど減少する」と、言っていたではないか。これらの発表を聞いて、私はひと安堵していたのだ。
 原発が爆発した瞬間にすべてが真空になった。何も報じられない。記者すら逃げ出していたのだ。
 公示になると選挙報道が消える類いの不気味な静寂だ。原発が爆発したのに、宮城や岩手の津波被害ばかりが情念たっぷりに報じられていた。絆だ、魂だと騒ぎ立てていたのだ。
 そして、未だに、すべての関係者が口をつぐみ、責任を放棄している。菅は省エネ住宅を建ててご満悦だ。枝野などは幹事長に返り咲き、何事もなかった様に厚顔だ。
 川内原発は避難計画すら確立していないのに再稼働をした。当該住民が経済を重視して容認したのだ。
 何と恥知らずで貧相で、無知で軽薄で、野蛮な国なんだ。

 2015年9月10日。50年にあるかないかという大雨で、茨城県に特別警報が初めて出されて大騒ぎになった。微に入り細に渡って避難指示が出された。
 あの時とは段違いだ。やり易い事はやるのだろう。しかし、常総市では、鬼怒川が決壊しても、非難指示が出されなかった地区があった事が明らかになった。そして十数名の行方不明者が出ている。その決壊箇所は予測されていて、水害のシュミレーションまで行われていたにも拘わらずである。
 相も変わらず、ことごとくに、この国の危機管理意識は弛緩し切っているのである。

 私は、あの時程、怒った事はない。怒髪天を衝く、悲憤糠慨、そんな生半可なものではない。発狂寸前まで怒った。これ以上怒ったら狂うと思い、異人という概念に辿り着いて、精神のバランスを辛うじて保っている。
 だから、長い間、言葉を無くした。と、言うより、言葉さえ無価値だとしか思えなかった。

 12年前に頚椎を手術して、暫く、歌や大きな声すら聞けなかった。神経細胞が生理的に異常をきたしていた。それと同じように、生理が言葉を拒絶したのだ。

 福島県民は本当に怒らなかったのか。
 何人かの怒りを見聞きした。西郷村でいち早く放射能が検出され、村長は、「こんな遠くまで来るわけがない。風評被害だ」と、激怒して見せた。しかし、村は汚染されていた。
 一斉避難を拒否し続けた飯館村長の怒りは何だったのか。郡山市長は国や県の方針に逆らい、初めて学校の除染をやった。彼も怒っていた。しかし、その後の除染は一向に進んでいない。
 殆どは陳腐な怒りだった。だから、その後の選挙で福島の首長達はことごとく再選されなかった。ただ一人、桜井南相馬市長の世界に訴える怒りは論理的に思えた。
 随分と自殺者が出たが、100歳の老人の場合は凄絶な怒りだったろうと、私は思う。

 連合は怒っていたか。連合結成時に我が世を謳歌した電力総連はどうか。未だに、総括の弁は何も聞こえてこない。
 それどころか、1年後の県議選では、福島原発出身の民主党候補は、県の方針となった県内原発全廃をすら否定した。都知事選では都連合は細川ではなく舛添を支持した。
 そして、今や、春闘を安倍にやってもらっている有り様だ。 そもそも、松下政経塾の労使協調路線を思考の背骨にするこの組織は、いよいよ馬脚を現した。連合は存在理由すら問われなければならないのだ。

 立地自治体の被災者は、俺達は被害者だ、国に裏切られたと言い募った。しかし、彼らの大半は原発に積極的に賛成して利益を享受し、半世紀に渡って反対派を罵倒していたのではないか。
 原発推進派で相双のドンといわれた双葉町の町長が、支持者を引き連れて埼玉まで逃げ、最後に町は四分五裂した。この町長は辞任に追い込まれ総選挙で落選し、あげくに、ある漫画で被爆を訴えマスコミに登場した。私には滑稽で不気味な悲喜劇としか思えない。
 福島とはこんなに陳腐で下劣な県民性なのか。だとしたら、それはどの様にして作られたのか。

 私は満身で怒っていた。そしてあの時、私は言葉を失った。取り戻すのに4年かかった。しかし、本当に取り戻せたのかどうかすら、解らないのである。

 あの時、これは戦争だと思った。東日本一帯は国家の放射能に侵略され占領されたのだ。
 必定、日本のあの醜い戦争、明治維新以来の歴史に思いを馳せた。

-立ちすくむ人々-

 震災と原発爆発の直後、コマーシャルと全ての芸能、スポーツ番組がテレビから一斉に消えた。猥雑な笑いの日常が清浄な悲惨に一変した。
 私はある種の新鮮な感覚すら覚えた。この国が知性を取り戻し、災難を克服する叡知を獲得できる様な錯覚をすら感じた。
 しかし、その期待は瞬時に吹き飛んだ。
 通常のCMの代わりに広告宣伝機構のCMが流れる。金子みすずの詩、「絆」のイメージ映像、イナワシロコズというバンドの「フクシマ」の絶叫等がCM時間帯にキチンと入る。宣伝費の保険システムかと思った。

 「東北魂」「福島魂」「~魂」、聞いた事もない魂の大合唱だ。「大和魂」もこうして、戦争中の混迷に作られたに違いない。

 官房長官、東電、原子力保安院等の記者会見は中途で打ち切られた。「神は細部に宿る」と、言うが、肝心な所でCMが入るのだ。そして脈絡なく別なシーンに転換する。

 NHKの科学担当の解説委員が怒りを露に原発爆発を批判した。彼は二度と出演しなかった。

 西郷村の稲藁から高い放射能が検出された。村長が激昂して風評被害を訴えた。だが、数値が正確である事はすぐに確定した。

 「発災から1週間だ」と、言って、まるで記念日講演の態で、菅が記者会見に現れた。私は仰天した。
 4月1日、菅は背広に着替えた。フランス大統領が来日していた。私はこの事で、もはや爆発の危険はない、と、判断した。

 その後、芸能人やスポーツ選手の発言をいくつか聞いた。曰く、「お笑いの無力を知った」「こんな時にこんな事をしていて良いのか」等など。だが時を経ずに彼らは言った。「しかし、出来る事はこれしかない」「歌い続けられるのが幸せなのだ」等など。
 たちまち、被災地は連日、芸能や歌謡ショーの様相だ。炊き出しでお祭り騒ぎだ。異様だと感じたのは私だけだったのだろうか。
 勿論、福島には誰一人来ない。浜通りからはマスコミすら逃げ出し、食糧、ガソリンの輸送すら拒否されていたのだ。

 花見が自粛されていた。毎夜銀座で飲んでいると豪語するある情報番組のキャスターが、「いつも通り酒を飲もう。復興になる」と、岩手の酒造家を出演させて、花見をやろうとぶちあげる。
 プロ野球開幕の直前だった。読売新聞社主が予定通り開催しようとして、選手会が反対し延期された。

 県知事は、国の方針に盲従して除染の方針を示さない。伊達や二本松、郡山市長が独自の除染をぶちあげた。
 これらの現象は、一体、何なのだろう。
 日本人が得意な「思考停止」ではないのか。戦中、戦後もそうだったのではないか。経済の復興をだけを優先して、戦争を総括しなかった。真剣に総括するなら、天皇制の本質が問われなければならなかったのではないか。明治維新まで遡る必要がある。しかし、敗戦交渉そのものが、国体護持(天皇制維持)から出発しているのだ。総括ができるわけがない。
 原発事故の調査(総括)は民間と国会、政府の事故調で行われたが、その結論はどれだけ国民に共有されたか。少なくとも、国会は事故調報告を審議していない。
 福島の原発事故を日本人は経済の問題として捉えた。ドイツ政府は倫理として考え、原発廃止を決めて国民がそれを支持した。スイスもイタリアも国民投票を実施した。
 私は、原発の地下に電源を置く如くの愚鈍な日本人は、原発を扱う資格がないと結論した。そして、最も愚かだったのは福島県民ではないのか。
 異民になるというのは、当然、県民でもない。私は原発建設の時から反対してアカと呼ばれてきた。本懐である。

-懐疑-

 日本国憲法は第9条で理想を掲げた。しかし、現実に埋没して、論理的な帰結としての非武装中立を選択できなかった。
 経済の復興を果たした後に、アメリカ軍が駐留する日本に、理想の実現は片鱗もなかった。だから、安倍が集団的自衛権の行使を目指すのは、彼の論理では必然なのだ。自民党はそれを目指してきたのだ。
 今、阻止する方法は唯一つ、野党が議員を辞職し国民に信を問う、これ以外にない。この選挙に勝利して初めて、憲法9条は日本国民のものとなるのだ。しかし、それを望むのは絶望的だろう。この国の国民はそういう体質ではない。

 日本語は美しいのか。私は全く思わない。そもそも日本語って何なのだ。
 和語といわれるものは、弥生時代に朝鮮半島から来た民族が話していた言葉ではないか、という考えが私にはある。
 和語というのは古代のハングルではないのか。ハングルの助詞と助動詞で、漢語(中国語)をつないだのが日本語ではないのか。
 その頃、私の始祖の東北の縄文人は、例えばアイヌ語の様な、全く別の言語を喋っていたに違いない。
 東北にはおびただしいアイヌ語の地名が残っている。宮城県境が南限といわれるが、福島県の阿武隈、安達太良、猪苗代という地名や、岩城(磐城)、岩瀬、岩代などの昔の国名もアイヌ語ではないか、と私は思う。「イワ」は岩手や岩木山にも通じるではないか。

 東日本と西日本ではDNAが違うという。
 沖縄、京都、東北の人の顔の特徴は明らかに違う。

 歴史年表で、縄文時代から弥生時代に移行するという図式もおかしい。家康が幕府を開いて江戸時代と言うのとは訳が違う。
 縄文当時の人口は東日本が100万、西日本は10万だ。縄文人のほとんどいない西日本に朝鮮半島から大量の朝鮮人が来た。それを弥生人と呼んでいる。進んだ農耕技術を持つ弥生人が、原住民の狩猟民、縄文人に同化する筈がない。言葉も含めて縄文人を同化せしめた。その抗争の物語が古事記だ。そして、桓武が本格的な東北征討を始めた。田村麻呂アテルイの戦いだ。これが私の見解だ。以来、縄文人と弥生人、すなわち、東日本と西日本の闘いは続いてきたのである。

 島根県の海岸の温泉町で、私は別な国に迷い込んだ様な、奇異な感覚を覚えた。ハングルの看板が林立しているというだけではない。北陸のイントネーションはハングルに酷似している。
 これらの根拠で、血統を守り通してきた天皇家、すなわち藤原一族は朝鮮民族の一派だと、私は確信する。現天皇が、「韓国に里帰りする」と、言い、物議をかもした事がある。
 しかし、朝鮮民族を蔑視して、自らを大和民族と規定した者達は、いったい、何者なのか。彼らの自己統一性は何なのか。原初の朝鮮半島を否定して、彼らは存在の根元を確定できるのか。
 だから、朝鮮民族を蔑視するなと、私は言うのだ。秀吉も朝鮮併合も、侵略したのだから、ひたすら謝罪せよと言うのだ。

-日本人の評価-

 世界の日本人に対する評価を思い付くまま列挙する。

 満州事変を批判された日本は、1934年に国際連盟を脱退した。今の北朝鮮どころではない、世界の孤児となったのだが、世論は、「栄光ある孤立」として、これを支持した。
 日本は、1941年、アメリカに宣戦布告をしないで真珠湾を攻撃した。世界は「卑怯者」と批判した。日本海軍の総司令官の山本五十六は、日独伊同盟と日米開戦に反対しながらも、真珠湾の奇襲攻撃を決行した。
 私は労働組合の専従役員として労使闘争の根源を極めたと自負している。負け戦はしない、仁義が私の流儀のひとつだった。だから山本を私は否定する。
 特攻はアメリカ人を震え上がらせただろう。今日の私達がイスラム過激派の自爆を恐怖する以上だったに違いない。その根幹にある天皇教は、イスラム原理主義や北朝鮮の金一族専制支配以上に忌み嫌われただろう。
 日本人は「野蛮人」と烙印され、「イエローモンキー」と揶揄された。「猿の惑星」の、あの猿達のモデルである。
 戦後の日本製品は「猿真似」と批判された。
 「メガネをかけカメラをぶら下げ薄笑いを浮かべる」のが日本人だと言われた。
 「ウサギ小屋の働き中毒」とも、揶揄された。
 「ジャパンアズナンバーワン」が喧伝された直後、バブルは崩壊した。
 「失われた20年」は、敗戦を終戦と言い換える様なもので、主語、すなわち、主体を隠蔽している。なぜ「失った」と言わないのか。
 安全保障法制がかまびすしい。日本は「アメリカのポチ」と言われている。
 こんな日本人と、私は違うと思いたい。だから孤独を厭わないのである。

 
ー異民の風貌-

 異民は至るところにいる。ただ、未だ、随所での萌芽だから、統一して連帯はしていない。
 2012年の野田の自爆とも見える解散総選挙では、09年に政権交代を希求して民主党に投票した1000万人が、棄権した。そして、民主党政権は、あっけなく瓦解した。この人々は従来の無党派ではない。政権獲得を成就させたが裏切られて、敢えて、漂流せざるを得ない、新しい異民としての明確な意思表示なのだろう、と、私は考える。
 この時、膨大な異民が誕生したのだ。この現象は、被爆後の福島の首長選でも顕著に現れた。原発政策が曖昧な首長は押し並べて落選したのである。彼らは絶望はしてはいるが、新たな希望を捨ててはいない、と、私は信じたい。きっと、変革の新しい主体を求めているに違いない。
 原発や安保法制に反対するデモには10万人が結集する。彼らは怒っている。そして、その怒りに運動の論理を与えようとしている様に見える。結集の統一を求めていると確信する。異民の萌芽の核だろう。
 安保法制の今国会採決に反対する国民が6割いる。彼らの大部分とは自分を異民と自認してはいないだろう。しかし、安倍政権の国会方針に反対しているのは明らかだ。だから、この世論が廃案に追い込むエネルギーの根源だ。しかし、確実に廃案に追い込む為には、連日、50万人のデモが必須だ。その為には、連合はゼネストを提起しなければならない。議員辞職の方途もある。国会戦術の全てを駆使しなければならない。日本全土を革命前夜の様相に至らせる堅固な論理と覚悟がいる。憲法を守るために全てをかけて闘うというのはそういう事だ。生半可な国会戦術だけで阻止できる代物ではない。革命的エネルギーが必要だ。
 だから、私の夢想ともつかな提言が実践などできるわけもないのだが、もし、廃案にできたら、この国の民主主義は格段に成長するだろう。しかし、成就できないところに革命思想と歴史のないこの国の民意の限界があるのである。

 ソフトバンクの孫正義社長は震災に巨額の寄付をした。そして、原発を否定して太陽光発電事業に乗り出した。彼はモンゴル、インドなど全アジアを視界に入れている。人類に真に寄与する事業にたどり着いた彼は、幸せな異民だろう。
 小沢一郎を評価したい。94年と09年の政権奪還は、専ら、彼の功績だ。今、野党の末席で蔑みの視線に耐えて闘う彼に、惜しみない賛辞と激励を贈ろう。
 細川政権が崩壊した時、私は小沢をキーマンとする再度の反自民政権確立を予言した。小沢批判が吹き荒れていた村山政権下だったから、随分と非難にさらされたが自説は折らなかった。この国の政治情勢では小沢の500万の保守票は欠かせなかったのだ。政権交代の恐怖を和らげる高度な政治的効果だ。
 民主党政権樹立で、必然的に反革命が起きることは予測された。彼らは小沢を標的にした。これも当然だったが、小沢の予見と準備は万全だったのか。次々と小沢の秘密が暴露されて、ワキの甘さと対応にはいささか失望した。終極は、ある時期に、彼は一歩引いて、派閥運営を後任に任せるべきだったろう。

 予算削減の失敗、普天間政策の変転、公約違反の消費税増税、最賃政策の放置など、民主党政権は致命的な失敗を重ねた。その根源は政治センスの欠如だ。すなわち民主主義と組織統治の認識不足だ。
 鳩山のスキャンダルは選挙中に発覚したのだから、勝利しても大激震が予測された筈だ。だから、小沢を総理にすべきだったのだ。菅のむき出しの権力志向を打ち砕くべきだった。あるいは、小沢の願望通りに原口か細野が総理になっていたら、情勢はどう展開したのか。だが、二人とも決断の時期を誤ったのである。
 管は震災と原発対応を根本的に誤った。官僚を統制する強力な政治指導が必要だった。菅は視野狭窄だ。あの時、小沢との和解はできなかったのか。
 野田の解散権を絶対に封じるべきだった。輿石などは、所詮、教師上がりの労働組合主義者だったのだ。
 こうして民主党政権は自滅した。解散を宣告した野田の、安倍との最後の場面などはまさに自爆だったろう。彼らは未だに総括ができていないが、総括しようにも、あの失敗の連続は余りに致命的にすぎたのである。
 果たして、民主党は再生できるか。この問いは、連合は蘇生できるかと同じ位に難問だ。いずれにしても、中小零細労働者、4000万人の過半の共感をつくれない限り、困難だろう。

 総裁選に唯一挑戦した野田聖子はどうか。彼女の来し方は異民の資質を獲得したに違いないと、思わせる。安倍の退陣の仕様によっては、リベラルに触れる振り子を野田が握る可能性はある。初めての女性宰相を待望する空気が創れるかも知れない。ただし、野田がいかほどの政策を示せるのか、ブレーンが古賀という観点からしても、極めて曖昧だ。そもそも、この国のリベラルは、大勢の情念を体現しようと、必定、曖昧にならざるを得ない。民主党政権で、「思い」という言葉が溢れたのがその証左である。

-広島と福島-

 二十代半ばに、労働組合を結成して間もなく、転勤拒否を理由に理不尽に解雇されて、法廷闘争を闘っていいた。その夏、
広島と長崎の原水禁世界大会に派遣された。
広島のある分科会で、運動の風化を嘆く意見が相次ぎ淀んだ雰囲気が覆う。思い余って発言した。「嘆きからは何も生まれない。ノーモアヒロシマで象徴し、祈りと反核だけを主張する情緒的な運動が正しいとは思わない。リメンバーパールハーバーには意思がある。あの戦争は苛烈な現実だったではないか。投下したアメリカ帝国主義も、無為に降伏を遅らせた日本軍国主義も打倒の対象だ。理不尽な解雇と闘っている、福島には原発があり反対して闘っている。いずれも、あの戦争の総括をしない日本資本主義の為せる業だ。地域や形は違っても共通の敵と闘えば連帯できる。風化などしない」そうした趣旨だ。
 原爆記念館に行き息を飲んだ。展示された手記から、内容と近くの住所を選んで訊ねた。初老の婦人が怪訝に迎えたが、理由を話すと、暫く迷った末に、招き入れた。陰惨な体験を詳細に聞いた。帰って機関紙を送ると、丁重な返礼が届いた。
 そして、40年後、福島の原発が爆発して放射能が降り注いだ。病床の私は死を決意した。
残留放射能の検知体制も儘ならない状況で、直ちに被爆の極少化と風評被害が声だかに叫ばれた。一方、避難地域でない所からも多数の県民が県外に逃れた。県が顧問として招請した長崎大の教授は、雨水も飲めるほど安全だと放言した。未開の原住民を叱責するが如くに、「正しく怯えよ」などと、戯言を繰り返す。避難者は補償金で遊び暮らしているなどの非難がさっそく出始める。ラドン温泉もそうなのだから放射能は体に良いのだなどと、言い出す者まで現れる始末だ。
 しかし、ある市長は国と県の方針を無視して学校の除染を始める。自殺者が相次いで、福島県は粉々に分裂した。避難地域になった原発立地自治体などは、原発建設当初から深く亀裂していたのだから、当然の帰結だ。

 広島はどうだったのか。
四年経った今も、私の家は除染されていないが、福島の比ではない。私は自らが放射能に直撃されて初めて、あの若い日の発言の傲慢や婦人の悲哀に気付き、深く恥じた。
広島では、放射能の放出は暫くの間と言うより、手遅れになるまで秘匿されて、未だに闇の中なのであるだ。
黒い雨と手つかずの放射能にまみれ、何も知らされない人々は再建に立ち上がったのだ。被爆し続けたのだ。被爆者はブラブラ病などと差別され続けた。アメリカだけが密かに研究者を送り込み被爆の経過を観察したが、治療はしなかった。
 被爆者運動の顕在化は、1953年のビキニ環礁における第5福竜丸の被爆まで待たざるを得なかった。だが、福竜丸の乗員もマグロが売れなくなるという理由で金銭で闇に葬られた。
これが、日本という国の真裸の姿なのである。
 広島には欺瞞に築かれた平和都市の疑いもある。それは、原子力関連の研究施設を誘致して再建しようという福島の為政とも低通するものだ。
 当時の広島市長が復興予算を獲得するために、あの平和宣言で採択したという、ドキュメンタリーがNHKで放映された。残留放射能の除染政策がどうだったかは全く触れられていない。
 福島の被爆は詳細まで記録が集約され、総括されなければならない。しかし、それすら、広島でなされなかった様に不可能だろう。情緒の国民は激震の記憶が薄れれば、後は非論理の世界を漂うばかりなのだ。

不可思議な国1️⃣

不可思議な国1️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-06

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