萬 絹枝の母 1️⃣

《 萬…絹枝の母 》 1️⃣


 戦争が色濃く漂い始めたある年。北の国の晩夏のある地主の屋敷である。

 異常な程に蒸し返る昼下がりだ。家の奥には妻の萬だけがいて、突然に訪れた男に応対している。夫は所用で、この後にも三日間も家を空け、二人の子供は夏の休暇を終えて、それぞれが町の学校の寮に戻った。


-訪問者-

 「日本衛生研究所と申します」「…衛生?」「こうした時勢ですから、すべからく、国家奉仕の精神が肝要です。どう思われます?」「お若いのにご立派ね。お説の通りだわ」
 男が推察した通りに、女の声はとりわけ艶かしい響きだ。「弊社は、社会や生活衛生、健康全般の研究によって時局に協力したいと。いかがですか」「高邁だわ」「天皇陛下を崇敬し、翼賛運動にも協力する創業者の志なのです」足を組んだ女は、男の目を逸らさない。
 「申し遅れましたが、私も陸軍で防疫衛生に従事していたところ、創業者の支援を軍から命じられ、専従している現状です」「やはり軍人だったのね。初めからそんな佇まいだったもの。凛とされてて。頑健で。さぞかしご立派な経歴でしょ?」「幼年学校、士官学校、陸軍大学を経て、近衛を拝命して」「ご立派だわ」「最後は半島の総督府で、中尉でした」「まあ。私の縁者にも軍人や軍属は随分とあるのよ。藤白さんだったわね。おいくつ?」「ニ七です」「私にはいないけど、弟みたいな心地がするわ」 「平生は本部につめていますが、戦況に鑑み、市井現況の研究の為に、この地には初めて視察に出てきました。早々に奥様の様な方にお会いできて幸甚でした」「恐れ入ります」
 「ついては、ご婦人方の要望に応える商品を開発し、吟味して、充実取り揃えております。存分に手に取ってご覧ください」
 「これは?」「各種下着です。みな、最新作です。すべて舶来品。ドイツ製。イタリヤ製もあります。奥様は三国妨共協定をどう思われますか?」「大賛成だわ。私達も先祖から預かった地所を守るのが正業だもの。ロシア革命は残忍だったでしょ?天皇家を滅亡させる如きの愚挙だわ。あなた。どう思う?」「ごもっともです」「ソ連には賛成しないわ」「懸命な判断です。流石は名家の奥方。当節はそうでなければ」
 「そういう訳で、みな我が同盟国。ドイツ、イタリヤ政府のお墨付きです。気に入ったのがあったら、どれでも試着して下さい」「着ていいの?」「奥様の様な方には特別です。試供品として差し上げます。但し、感想はお知らせ下さい。今後の研究にしますので」
 「これは?」「強壮剤です。これこそが弊社の画期的な特許商品です。服薬剤と塗布剤があります。塗布剤は強力な速効性が新発明です。ドイツの友好国、南米アルゼンチンのマカという薬草を主成分に、大陸、半島の毒蛇、毒虫。すっぽん、まむし、ハブ、雀蜂など我が国自然由来のものですから、全く安全です。戦争遂行には大和男の頑健こそが、国策の根幹でなければなりません。心の充足こそが勝利の源。もちろん、殿方を支えるご婦人にも効用あらたか」 「これは塗り薬なの?」「局所に塗布します」「局所って?」「陰茎や睾丸。女陰全体、とりわけ陰核。リンパ系。足のつけね、脇、乳房などです。酷い残暑ですが、体調は如何ですか?」「本当に、この二、三日などは特段に暑くて。今日などは異様な程に蒸
すんだもの。何もかもが、うだるんだわ」「試供品を試して下さい。気のだるさ位はたちまちに晴れます」「使っていいの?」「ご存分に。但し、これも感想はお知らせ下さい」
 「最近のご主人様のご様子は如何ですか?」「特段の病気はないけど」「結構です。日常に不都合はありませんか?お疲れではありませんか?」「どうなんでしょ」
 「ご夫婦の和合です」女は答えない。「夫婦生活の…。夜の事です」
 女が足を組み替えた。一瞬、豊かな太股が露になった。赤い唇が、「最近はとみに多忙で。公職も多いから」「ありがたい事です。おいくつで?」「五ニだわ」「盛りですが男の剣ヶ峰でもあります。失礼ですが、奥様は随分とお若くて?いやいや。夫婦和合の観点からだけでお聞きしております」「三四よ」 「それでは、こちらの症例と瓜二つですね」「これは?」「私共の商品の効能を証明する為に、使用事例を順に映像化した、生理科学的な実証写真です。使用前と使用後を、実に科学的に検証しました」女がテーブルにかがみこんだ。ワンピースの胸元から豊潤な乳房が覗いた。
 
 
 -性具-
 
 「この写真は?」「二人はご夫婦です。華族の高貴の方ですが、弊社の趣旨に賛同されて協力頂きました。
夫は五〇で現役の近衛の陸軍中尉です。ご主人と同じく特段の病気はありません。加齢のせいで自慢のものが正常に動作しにくくなって。人知れず苦しんでおられて四三の奥さま。公家の方です。心情が発散できなくて悩んでおられました」
 「実にホルモンの問題は、女性の美容には最大の敵なのです。こういう不健康は、ひいては国家の損害でもあります。そう思われませんか?」「ほんとにそうだわ」
 「これは?」「お二人とも、医学の解明のために裸体になっていただいた次第で。研究に協力して、互いの生殖器を口で愛撫しあってます。使用前の状態ですね」 「これは?」「奥さまが含んで療治していますが。夫のは、どうですか?」女が身体を起こして足を組み替えた。白い太股の奥に暗黒の空間が、再び覗いた。彫りの深い面立ちのこの女は、南方系と北方系の混種に違いないと、西の国の男は思った。半島渡来の家系の瓜実顔の女達の間で育ってきた男には、眼前の女は異国の血の様に新鮮なのだ。生暖かい風が一陣渡った。
 「萎えてるわ。この写真は?」「奥様が、こちらの下着をつけて」「穴が開いてるの?こんなの見たことないわ」「なにせ、あちらの民族は、ニ千年も戦争を続けている程に豪胆ですから。下着な穴を開ける程度は驚くに当たりません。貞操帯を発明する輩ですから」「貞操帯って?」「ご夫人の貞操を守る為に皮や鉄で作った鍵付きの下穿きです」
 「これは?」「その穴から奥さまのにバイブを入れて。こちらの商品がそれです。ドイツ製の最新機種です」「イボイボがついてるわ」「女性ホルモンの多大な分泌に寄与しますから。快感の促進は重要です」「写真のもやっぱりイボイボが?」「挿入してますので女性器に没入してますが」
 「この写真は?」「口でコンドームを装着してますね」「こんなことするの?」「衛生上、一番安全ですから。こうでなければなりません。あちらでは常識です。ご存じなかったですか?ご希望ならご教授致しますが」
 「これは?」「どうなってますか?」「入れてるわね?」「そう。女陰の腟に陰茎が、正常に挿入されています。すっかり回復したんです。そればかりではありません。どんな状態ですか?」「凄い。おっきい」「それでも半分しか入ってないでしょ?」「そうね。凄く長くて、太いわ」「科学的な比較証明の為に、検証しました」「これは?」「大尉と、この国男児の平均の者、ドイツ大使館の軍属の、三人の最大に勃起した陰茎です。強壮剤使用前です。いかがですか?」「大尉のはドイツの三分のニ。平均のは半分だわ」「そうです。それが我が国の偽らざる国力です。だが、これを見て下さい。使用してて僅か一ヶ月の後です」「大尉のがドイツと同じか、少し大きいわ。平均のも三分のニ位になってるわ」「そうです。そして、これが…」「金髪の白人の女がドイツ人と?」「そう。交合してます。これは?」「大尉と?」
 「これは?平均の男と?」「そうです。ドイツ大使館のある関係者夫人が身体で実証したんです」
 「これは?」「その夫人の証明宣誓書の写真です。原文です。最も優れていたのは大尉だと書かれています。これが正に、この精力剤の効果です」
 「大尉の奥様のはどうなっていますか?」「濡れて。汁が垂れて」「表情は?」「気持ち良さそうだわ」「そうです。二人とも完璧に回復したんです」「いかがですか?」「夫の…症状と似てるわ」
 「これも?」「バイブレーターです。数機種あります」
 「これは?」「膣と後門を同時に。イタリヤ製です。こちらはコンドーム各種です」「この色?」「色も、この様に様々。反響が良くて」「この、形?」「デザインも凝らしております」「こっちのはイボイボもついて?」「各方面から喜ばれて」「詳細な衛生学的症例をご覧下さい」「症例?」「はい。これです」
 「まあ。これは?」「交接の症例と体位を科学的に分析した、学会初の画期的な写真百科です。これは懐妊を望む体位。次は避妊に適した体位と器具。悦楽の姿態。趣味としての性愛などです」「何枚あるの?」「一〇〇枚です。ゆっくり見て下さい」
 「下着の試着と塗り薬を試してみたいわ」「どれでもご随意に」「お茶を換えるわね」と、掠れた声と甘い肉の香りを発して、女が立ち上がった。「それより、ウィスキーがいいかしら?」
 
 イギリス製のウィスキーを喉に通しながら、何気なく目を落とした男が、テーブルに動く蟻に気付いた。視線が止まる。一本の毛が張り付いている。陰毛だ。
 北の国の山脈の奥深くで、半袖のワンピースに豊満な肉を包んだ女を、車で通りかかった男が偶然に見かけて、やり過ごした。白い肌と漆黒の髪の対照が印象強い。今しがた性交を終えて出てきたばかりに、振る腰が妖艶だ。厚い唇が性器を彷彿とさせた。三〇半ばだろう。十全に熟している。戦争の陰惨も、さすがにここまでは及んでいないのだろう。それどころか、暗鬱な憂さを払拭する桃源に迷い込んだのではないか。来て良かったと、男は痛切に思った。女は格好の獲物だ。男は車を急転回させた。
 由緒ある風情を漂わす屋敷の、庭先の菜園で、キュウリや茄子を摘んでいた女の振る舞いの節々で、幻影の様に乳房が揺れた。屈むと、尻の割れ目すらも浮かび上がる程だ。やがて、縁台に座った女は、しばらく汗を拭い、スカートを手繰り上げて、全くの無風の大気に向かって、風を招く仕草をした。スカートの下には何も着けていないと、男は確信した。白い太股のその奥に、時おり、繁茂した陰毛としか思えない真っ黒な空間が丸裸になったのだ。
 蟻が格闘しているのはその陰毛に違いないと、男は直感した。長くて太くて、縮れている。
それにしても、垣根の隙間から、仕草の終いまでを男が覗いていたのを、女は本当に気付いていなかったのか。知らない振りをして、これ見よがしに陰部を晒していたのではないか。女は、シャッターの切れるのを待つ風情で、暫く股を開いていたのである。そもそも、女は、何故に下穿きを穿いていないのか。暑さのせいだけなのか。男には、なにもかにもが、いかにも不自然だった。
 

萬 絹枝の母 1️⃣

萬 絹枝の母 1️⃣

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更新日
登録日
2020-08-05

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