感情論とは

私は論理的ではない

それに気づいたのは数年前
とても綺麗で美しい感情論を唱える友人を私が否定してまもなく

その感情論を否定したのは理論でも不変的な根拠でもない感情だったと気づいたとき

そして先日友人に「感情論だよね」と言われたとき決定打となった

しかしまぁ、他人に指摘されると言うものは論理的に物を言えないと印籠を押された気分になり苦水を飲まされた思いだ

そして自分の矛盾が改めて浮き彫りにされることは、不意に裸を人に見られたようなものだ


ふとした会話は時に恐ろしいと幾度なく感じて来たが、なれないものだ


そんな友人との議題は「結婚相手に求めるもの」だった

私の答えは「人生を楽しんでいる人、笑いが耐えない人、目標を持っている人」であった

私は目標を持っていれば、バイトでも構わないし
笑いがあればギリギリの生活でもいいと考えている
私の幸福がそこにあるから

そこには根拠として「そうして生活して幸せだった」という経験から養ったものがそんざいする

しかし友人はこう述べた
「子どもはでも辛い思いするから子どものことを考えてる?」

私は私の心にある根拠が人によって変わるものであるため、その根拠をそのまま飲み込んでしまった


そのまま私は彼女の自信に溢れた言葉に飲み込まれていった


友人と別れてからようやく私は這い出すことができた
と同時に心の水が沸々と湧き立つのを感じ

さてその湧きたったお湯を名もない湯呑みに少しずつついでいくことにしよう


まずは、一滴ポトリと入れる
幸せとは何を持って定義するのか

人によって変わるものではないのか


もう少し注ぎ入れる
論理的とは何なのだろう
不変的に確立された根拠をもとに構築される考えだと私は認識しいる

さらにお湯を注ぐ
人が営む上で論理的に考えることはどれくらいあるのだろう

さぁ残りのお湯を一気に入れよう
一体感情論と理論の境界線はどこであり、現実的とは何をもとに論じた物なのであろうか



さて、あなたの前の名もない湯呑みに注がれた白湯はどんな味がする?


…追記…
人が何か決めるときに論じる多くは
ここによって変わるので感情論が多くをしめるのかなと私は考えている

人を否定するときももちろん感情論


例え統計的な数値が得られていたとしても
外れ値というのは多くの場合存在する

人は統計のデータを覆すものではないか
だから人は人の研究を止めないし解明されていない

理論を作るそのきっかけを与えたのは「みんなを納得させたい。揺るぎないものが欲しい。自信を得たい。」という感情であるということがなんとも面白いものだ

感情論とは

感情論とは

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-04

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