通学路の思考

 今日はなんてついていない日なんだ。
 僕は思う。
 頭は痛いし、朝から嫌いなものは食べさせられるし。
 学校では、うざいことばかり言われるし。
 たぶん、いわゆるいじめにあっている僕。
 何もかもが憂鬱で、学校をさぼりたくなってしまう。
 こんな日にきれいな花が咲いているのが、追い討ちをおける。
 馬鹿にされている気分になる。
 人はよく、「自然て素敵」って言うけど素敵と感じられない人がなんだか感情がないような風に僕には聞こえてしまい、自分が否定されている気分になる。
 勝手に心の中で思ってろよ、と思ってしまう。
 わざわざ言葉に出すのがなんだかあざといというか、そんな自分が素敵でしょって言っているようにしか聞こえない。
 心の奥底で、言わなきゃ自分の思っていることがわかってもらえないのじゃないかと思っている気持ちが見え隠れして気持ち悪い。
 それは、自分のためか人のためか。僕には自分のためにしているとしか感じられないんだ。
 腐ってるから僕。
 自分が発信したそのきれいな言葉で人に好意を持たれたいそう思っているんじゃないかなんて僕は考えてしまう。
 いや、発信しているその言葉は本心だと思う。だけどね、わざわざ言葉にする理由がどこにあるのだろうか。不思議でたまらない。
 言われたこっちも同じ気持ちでいたから、「そうだようね」と言うけど、先に言われると二番煎じな気分になってしまうのだ。なんだかそれは息苦しい。真似しているわけではないのに、真似している気分になってしまう。
 
 前提が人のためという箱が嫌い。
 その中には、自分のための物がいっぱい詰まっている。
 人の心配、自分のため。
 僕には関係ない人の名前を出してきて「心配なんだよね」と言われても、どう反応していいのかわからない。どこまで踏み込めばいいのかわからない。どうして欲しいのか、なんて言って欲しいのか。「心配してあげてやさしいね?」「悩み事を言ってもらえる人なんだね、すごいね」とでも言ってほしいのかわからない。ストレートにまじめに言ってほしい。
 あまりにきれいにきれいに生きていると僕は距離を置きたくなるから。
 君は僕に何かした時、他人に言う。それが僕には耐えきれない。安心して頼りきれないんだ。それが本音。
 どんなときに、どんな人に頼るか知られたくない。人を頼っている姿を、信用している人以外にも見せたくない。それが君に理解できる?
 僕はそう感じたから、君が僕を頼ったとき、僕は他人に内緒にする。気づいてほしい。
 そうつまり、僕にとって世界の全ては煩わしさでできているのだ。
 願わくは誰も僕に関わらないで欲しい。
 でも僕も馬鹿じゃない、それが無理なことくらい母親とかかわった時点で漠然と無意識のそのまた下で感じていた。
 僕がこういう風に感じて考えているのも、誰かの心に知らず知らずうちに、触れ触れられているからである。
 そうすると死にたいと考えていること自体、当り前な気がしてくる。
 人間なんて少ししたことに左右され、昨日死にたいと願っていた人が、俗にいうかわいそうな人の話を聞いて生きなきゃと無駄に意気込んだりする。
 お手本にされた人もいい迷惑だ。ただその人はその人の当たり前を生き、幸せを噛み締めているかもしれないのに。勝手に不幸だとか、つらそうだとか決めつける。
 まぁ、人間なんざ結局誰かと対比して生きていく生き物なんだろうな、というのが僕の考えである。
 そんな僕は、今日ついてなかったと思ったが、1日を通して大好きな肉まんが食べられたから幸せな1日だったよ。朝は死にたいだなんて思っていたけど、また食べられるならもう1日だけでも生きてみようかなとか考えてみたりする。

 人間手に入らないものほど欲しくなる。仕方ないんだ。誰かが止めても求めてしまう時がある。それは誰のせいでもない。他人に直接的、間接的に手を下さない限り、だれにも止められない。
 誰のせいでもない。誰の責任にしてもいけない。
考え方一つで未来は変わる。世界は変わる。
 僕の世界は確かに、色々な人と関わって出来上がって来ていて、僕自身色々な人の世界を作る手助けをしてきた。関わった人の世界に僕がいないことはない。爪痕ぐらいは残している。その誰かの爪痕は僕の世界にもあって、爪痕をどう成長させるか、どう構築させていくのかは僕自身の考え方である。そして他に関わってきた人たちの英知を借りるのである。従うのではない。借りる。従ってつくると、僕は作り上げてきた世界からいつでも逃げ出すことができる。
 しかし、借りることは自分の意志であり自分の決めた道、行動であり、責任を持つ重要性が生まれる。他人のせいにしないということは、いくらでも直しがきく。自分の頭を柔和にすればよいのだから。
 過去を振り向かず、自分の未来を想像し、未来の自分に期待することができるのは、自分で決めた道のみだと僕は考えたりもする。
 他人の世界は美しく見える。それはみんな美しく見せようと必死だから。
 だから疲れる。疲れて自らの未来を放棄する。
 未来を放棄した人は、理由をつける。
 他人の理由に納得した人は、自分も未来を放棄する。
 先に放棄した人は、なんとなく同じ土俵に立ちたくなくて、自ら更に放棄する。
 だけど、人とかかわり続ける限り未来は傍らを飛んでいる。気づいていないだけで。
 放棄したい人はいっぱいいるけれど、放棄せずきれいに魅せようとしているのはわかるから、僕は放棄して欲しくない。

 そして僕の世界に君のその放棄しそうな世界を見せて欲しい。
 世界の内側で大切に大切に保管されている、まだ僕が手に入れられない世界の一部を。

 そんなことを考える、僕の通学路。


 

通学路の思考

通学路の思考

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 児童向け
更新日
登録日
2020-08-04

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