おじいちゃんの声
「いらっしゃい。いらっしゃい」
太一が小学校から帰るといつも自分の家から魚を売る威勢のいい声が聞こえてくる。
太一のじいちゃんだ。太一のおじいちゃんは、商店街一元気で活気に溢れ、かっこいいと太一は、思っている。
毎日聞こえてくるその声は、何だか太一を励ましてくれているように感じる。
じいちゃんはただ、いらっしゃいって言っているだけでなく、お客さんに、今日のおすすめのお魚を丁寧に教えたり、常連さんの話を「うんうん」と聞いたりして
「そりゃ、良いことがあったな」とか
「残念だったな。でも嫌な後には、希望が待っているさ。」
何て明るく世間話をすることもある。
じいちゃんの明るく親切な対応に常連客は増える一方だ。
太一は、そんなじいちゃんのことを誇りに思っていた。
だからたまに、太一は店先に出てじいちゃんの真似をして
「いらっしゃい。いらっしゃい」
と声を張りあげてお手伝いをした。
太一が店先に出るとじいちゃんは、とても優しい笑顔を向けて、
「この魚の名前はな、あじってんだ」
「それからこの魚の旬の季節は秋」
「この魚がいる所は太平洋側でな」
と、魚に関する知識をいっぱい教えてくれた。
太一の家の魚屋さんは、じいちゃんが呼び込みをして、父さんが魚を詰めたり、お会計おしたりしている。
親子二代で切盛りしている。
太一の夢は、親子三代でこの魚屋さんを切盛りすることだった。
太一が店先に出始めたころじいちゃんは、快く迎えてくれた。そして、「いらっしゃい」の掛け声の方法を教えてくれた。
「いいか太一。いらっしゃいはな、腹から声を出すんだ。そしてとても大事なこと。それは感謝の気持ちをそこに込めるんだ。今日もこの店の前を通ってくれてありがとう。元気な顔を見せてくれてありがとうってな具合にな」
そして頭をぐしゃぐしゃに撫でてくれた。
太一の店先デビューは、じいちゃんの足元にも及ばない、小さな声だった。それでもじいちゃんは、おこらなかった。それどころか、「初めてにしてはじょうてきだ。感謝の気持ちがちゃんと見えていたぞ」
といって、くしゃっと笑った。
太一は嬉しくて、その晩は中々寝付けなかった。
ある日のこと、小学校から家に帰るといつも聞こえてくるじいちゃんの声がしなかった。
太一は走って家の中へ入った。
家の中に入ると母さんが
「急いでランドセルを置いて出かけるわよ」
と震える声で言った。
太一は、いつもと様子が違う家に戸惑いながら、母さんの言うことを聞いた。
家の外ではタクシーが待っていた。
母さんは、タクシーに乗り込むと早口で
「高野総合病院までお願いします」
と言った。
「病院って、母さん誰かに何かあったの? 」
太一は、何となくわかっていた。店先から聞こえてこなかった「いらっしゃい」の声が全てを物語っていたからだ。
でも太一は、自分の考えていることが、間違いであって欲しいと願うあまり、母さんに聞いた。
母さんは少し間を開けてから答えた。
「じいちゃんが倒れたの」
勘は当たってしまった。嘘だと言いて欲しい。太一はそう願った。
病院に着いて、じいちゃんに会いに行くと、じいちゃんは、酸素マスクをし、いっぱいの管でつながれていた。
太一は、じいちゃんのそんな姿を見て気がついたら泣いていた。そして叫んだ。
「じいちゃん、そんなの付けていたら、いらっしゃいって言えないよ。目を開けないと僕に魚のこと教えられないよ。じいちゃん。じいちゃん。ねぇ、じいちゃん」
じいちゃんはそれから二日後に息を引き取った。
太一の家の魚屋さんは続いたが、活気がなくなっていた。
父さんが「いらっしゃい」の声をかけるがじいちゃんには、敵わなかった。
太一は、じいちゃんが亡くなってからずっとじいちゃんとの思い出に浸っていた。
店先に立つこともなくなった。
ある日、学校から帰って来て、独りで店を切盛りする父さんの姿をまじまじと見た。
太一は思った、じいちゃんがいなくても店は残るんだ。
父さんがいるから、当たり前なのかも知れないがそれが悲しくもあり、嬉しくもあった。
ただやっぱりじいっちゃんの「いらっしゃい」が聞けない店は太一の家の魚屋さんではない気がした。
太一は父さんの働く姿を見ながら、じいちゃんの言葉を思い出した。
「いらっしゃいは、感謝の気持ちを込めるんだよ。」
そしてその瞬間太一は、走って家の中に入りランドセルを放り投げると、店先に立って今までで一番大きな声で
「いらっしゃい。いらっしゃい」
と叫んだ。
天国にいるじいちゃんに聞こえるように。ありったけの感謝の気持ちをじいちゃんに届けるように。
そしてじいちゃんが亡くなっても魚を買いに来てくれるお客さんや一生懸命働く父さん、それを支える母さんに感謝の気持ちが届くように、じいちゃんに負けないくらい大きな声で「いらっしゃい」を泣きながら言い続けた。
おじいちゃんの声