将門の儚 2️⃣

将門の夢 2️⃣


-金聖天皇-

 今上帝が怪死した。混迷のあげくにある皇子が後継となった。近親交配の成れの果ての様に愚鈍なこのオオキミ、後に金聖天皇と呼ばれる帝は三〇になるが、病弱で未だに世継ぎを持たない。そして、政務にも全く関心がないし、能力も皆無だ。だから、宮廷ではこの男の存在に触れることすら禁忌の有り様だった。政務を取り仕切ったのは、関白の七条倫保ミチヤスである。
 なぜ、このような男が帝位に就けたのか。継承者は十指を数えたが、将門の乱の直後に頓死したり狂人に変じる皇太子。地震で圧死する者。雷、火事で焼け死に、女を争って無意味に切り殺されたりして、悉く消滅してしまったのである。ただ一人、形ばかり残ったのが金聖だったのだ。他のキミ家から出す動きもあったが、将門の乱の対応を巡って都の権力構造は四分五裂の状況だったから、当面の糊塗策として金聖を選択するしかなかったのである。この男にとっては、無為の生き方しか出来なかったのが幸いだったのか、或いは、災いしたのか。金聖自身も、降って湧いた如くの帝位などは、死を迎えても判然とはしなかったであろう。
 将門の乱の直後から、風神も雷神も途絶した如きの干ばつが続いた。大地震も、しばしば、起きて、風土病が蔓延していたから、都の民草は、「帝の世も、いよいよ、終わりよ」「これこそが将門、磐城の祟りの仕上げだ」「東国の荒くれ武者が攻め上ってくるそうな」等と、震え上がって、帝の権威は地に落ちて泥と化したのである。
 そればかりか、金聖の血脈は次々と絶えて、今は、異母姉ただ一人しかいない。
 卍子という三四歳の希代の淫乱皇女だ。卍子は幼少時には異父兄や異母弟の皇族達と性交をして遊んだ。若い頃から散々の乱脈を重ねた果てに、その夫となる新興豪族との縁組みは形ばかりで、財貨を目当ての政略婚姻だった。
 卍子は生粋のクダラ人の母の血を引く、豊満にして頑健な女で、三男ニ女の子を持ったが、それぞれが誰の精種か、真相は女すらも知らない有り様であった。
 卍子に付き従う参謀の征原草理ユキハラクサミチは三ニ歳の威丈夫だ。草理は、かつてのオオキミ家の分家で今では衰退した家系だが、朝廷屈指の切れ者といわれる策士である。卍子とは幼なじみで、もちろん卍子の性行も身体の隅々も、性戯も膣の深奥をすら知り尽くしている。

 盛夏のその日の暁闇ギョウアンに、即位して三月にも満たない金聖が急逝した。だが、それを聞いた倫保は微塵も慌てる風がない。倫保は、既に、ある計画を固めており、いよいよ決行の時が来たのだ、と決意した。

 関白、七条倫保)は四八。将門鎮圧では華々しい功績をあげた強者で、近年、頓トミに勢力を増した七条家の頭領だ。野心家で卍子とも肉体関係がある。
 倫保の野望とは、愛人の紫野との間に生まれた自分の子供を天皇にでっち上げる策謀だ。成就するまでは、金聖の死は隠蔽しなければならないが、全てが周到に準備されていた。
 果たして、金聖の死因は何だったのか。仮に、倫保による謀殺だったとしても、何ら不思議ではないのである。

 紫野ムラサキノはニ五歳。金聖の外妾の一人である。と言っても、金聖が倫保の屋敷でしたたかに酔った一夜だけ、倫保に手配されて交合したと言われているだけの女だ。外妾は御所には入れない決まりだ。一歳の男児、田丸の母である。
 倫保は、その田丸の子種は金聖だと主張しているのであった。紫野は一ニ歳の時に渡来した生粋のクダラ人である。そんな女が天皇の妾にして関白倫保の愛人なのだ。
紫野は草理とも性交している。
いったい最高実権者の関白が推す次期天皇の田丸の真の子種は誰なのか。
 田丸は御所警護の一八の若侍、源一乗の子だと紫野は信じている。理由は、紫野との性器の相性が最も良いという、紫野の他愛もない都合だけに過ぎず、何の根拠もないのだ。この男はシラギ人である。

 倫保が、未だ、自堕落に床の中にいた紫野の馴染んだ裸体を抱きながら、金聖の死を明かして、ある指令をした。紫野は倫保に股がり、豊満な尻を半島風に貪婪に揺すって、狂乱しながら承知した。
 「あの男が本当に死んだの?」「仮にも御門だ。戯れ言で言えることではない」「あの毒?」と、その口を倫保の勃起が塞いだ。「滅多なことを口走るものではない」「悔いが残るのか?」「意地悪ね?」「例え一夜とはいえ。子を宿したんだ」「いい加減にして。こんなに蒸す朝なんだもの、媚薬にもならないわ」「だったら、あの田丸は誰の子なんだ?」陰嚢を握った女が、「これ以外の誰だというの?」「俺ばかりで満足できる身体ではないだろ?」「誰がこんな風にしてしまったの?」「お前はクダラの鬼女族だ。生来が特異な性器なんだ」「あなたこそ、今では倭人の棟梁の素振りだけど、三代前はシラギの渡来、しかも、キトウ族なんだもの…」「これを武器に倭人の女達を籠絡したんだわ」「警護の源一乗は?」「…誰?」「お前の愛人だろ?」「…調べたの?」「この国に俺の知らないことはないんだ」「だったら?」「金聖が生きてる風を装うんだ」「簡単だろ?」「わからないわ?」「お前が同衾するんだよ」 「…死んだんでしょ?」「その金聖と昼も夜も子作りに励むんだ
」「お前は鬼道を使って男達を籠絡してきたんだ。それくらいの鬼道が出来なくて、この国は支配できまい?」「田丸が即位すれば、お前は帝の生母なんだ」「栄耀栄華、思いのままだ」「…わかったわ」

 昼頃に御所の異変を察知した草理は、未だ、自堕落に床にいた卍子に急報した。二人は性交しながら謀議する。二人は、田丸と紫野の殺害を画策し、卍子、もしくは卍子の子の誰かを天皇に擁立して、草理が関白となり天下を簒奪する計画だ。刺客は草理の配下で、東国武蔵の下級豪族の息子、平将喝タイラノマサカツ一派だ。この男は短慮なのに権力欲が強い。色情旺盛で卍子に横恋慕しているのが好都合だった。当然、倫保は抵抗するだろうから、これも伐つ。草理は、将門の配下で極刑を免れた東国の一大勢力と密かに通じていた。将門の野望は潰えたが、その隠然たる継承者達は健在だったのである。

 「帝が死んだのは本当なの?」「間違いない」「誰から聞いたの?」「桔梗式部キキョウノシキブだ」「どうした?」「あれは尻軽の嘘つき女だわ」「情報通だ」「あんな女が?」「遺体は?遺体は、今、どこにあるの?」「ないんだ」「関白と一緒に出掛けたと言う者もいる」「桔梗は何を見たの?」「倫保が何かを企んでいるんだ」「…わかったわ。直接、確かめるわ」「関白によ」「かつて知ったる、と、いう訳か?」「嫉妬するの?こんな一大事に…」

 草理の男根に貫かれ、未だ火照りの収まらない身体で、卍子は、慌ただしく呼び寄せた将喝に謁見した。忽ちの内に、二人は交合する。

 狂喜に輝く目を見つめながら、男根を丹念に淫らにしゃぶる。陰謀の成否はこの男の戦果に掛かっているのだ。
 その時、卍子と将喝の激しい、真夏の昼下がりの性交の、背徳の欲望ににまみれた性器同士の結合の最中に、屋敷が烈しく揺れた。

 紫野はまだ倫保の大量の精液が残る膣に、一乗の若い巨根を嵌めて、世にも稀な構造の特殊な肉壁で締め上げている。
 射精した後の一乗には、卍子の子をことごとく謀殺する任務が与えられる手筈だ。
 我が子を天皇に据えるために殺人鬼になった前前例などは、このヤマトの地には山ほどあるのである。
 この日、幾度目か自分でも不可解なほどの法悦を迎えた、その情交の最中に、昼下がりの淫臭がたちこもる紫野の閨が、結合して重なった二人の裸体が浮くほどに、激烈に突き上げられた。

 その時、大地が突き上がった。未曾有の大地震が都を襲ったのだ。僅かニ〇回ほどの息吸いの間に、人民の収奪でしか、とりわけ東国の最奥の地の黄金の略奪無くしては決して成り立たない、放埒と傲りの街は瞬く間に崩壊した。

 これこそが、あの磐城の満腔の怒りの現れであったのか。しかし、地震は自然現象であり、当然だが陰陽師などは対抗できない。最新の科学ともてはやされ始めた渡来の密教ですら不可能だ。
 ただ、伝え聞いた東国のとりわけ、磐城の人民が、将門と磐城の祟りだと大いに流布させたのである。彼らにとっては、怨念の幾許かを晴らし、将門の決起の再来ともなるべき好機だったからだ。将門の宿願は潰えたとはいえ、東国、とりわけ深奥の纏らわぬクニ、ヤマトのオオキミを奉らぬクニ、反逆するイミシ、すなわち誇りあるカムイはヤマトの異国として現存し続けるのである。

 舞い上がったおびただしい粉塵がヤマトの天空を覆った。盛夏の真昼の闇だ。渡来豪族の合議体であるヤマト政権は、いとも容易く瓦解したのだ。その後のニ年に及ぶ顛末は、未だ、誰も知らないのである。ただ、後代に金聖の御代と、一行、加筆されたばかりなのだ。もちろん、存在する筈もない将門や磐城の怨霊などが知る由もない。
 だが、将門の遺志を継ぐ者がある限り、ヤマト朝廷や天皇誅罰の闘いは続くのである。その視点でだけ、磐城も将門も歴然と現存しているのではないか。

 磐城の祖霊だという女が言う。「現身を決して信じてはならない。飽くなき欲望の集合に真理は留まれない。だから現世などは幻なのだ。欲望の幻想が描き出したに過ぎない。決然として俗世の汚濁を離れよ。習俗の淫らな狂気にまみれてはならない。そして狂乱の極みこそが戦争ではないか。その首謀者こそ天皇なのだ。この天皇をこそ誅伐するのが将門の血族の定めだ」「愚者の、この戦争は必ず負ける。理性を覚醒させ自律させるのだ。天皇誅伐の理と兵をこそ整えよ。兵とは人民である。そして天皇なき後の世をこそ生きるのだ。それは将門や磐城が望んだ東国民族の共同体だ。平和と和親と、何よりも平等の治世だ。そうした将門の恩讐の夢を現実のものにするのだ」

 磐城の玉の言葉と説諭の渦に、草彦の生臭い存在は、白浜の砂のごとくにことごとく洗われた。そして、終には、将門と磐城がそうした様に、新月の幽玄の暁闇に包まれて、草彦は磐城の霊魂と渾沌と交わった。こうして草彦の血の一切が系譜の歴程に染まり、草彦は将門の遺恨の継承者そのものに化身したのである。
 全てを捨てた草彦は北関東の山懐に隠棲した。将門の史実や歴程は無論、戦時下の状況全般を検証して、万物の原理を哲学した。だが、隠れ住んだ寒村も、あの戦時下では、その事そのものが極めて危険な業であった。村長はこの地方の顔役で翼賛運動の幹部だったから、間もなく、草彦の身辺がきな臭くなる。その時に、知恵を絞ったのが、あの夏と養母だった。
そして敗戦を迎えた。

 一九四五年八月ニ一日。その日も、北関東の森深くの朝ぼらけ、寂寞と佇む精神病棟を包む深い霧が秘やかに晴れようとしている。
 あの男、草彦がいつもの様に坦坦と目覚めた。そして男を訪ねる者がある。


ー筑波ー

 草彦を訪ねたのは、草彦の養母の委託を受けた初老の弁護士だ。草彦を精神病院に避難させていた養母が死去して、いくばくかの遺産が遺されたのである。草彦はその日に退所した。

 『将門顕彰会』という組織がある。隠し名を『東門会』という。遁走して生き延びた将門の遺族と、最後まで将門に従った家臣団の子孫が、極秘理に行った将門の葬儀の場で結成して、朝廷打倒の再起を血盟したのである。首領は将門の遺児、三歳の吾妻であった。飛流の首の伝説を作り流布したのは彼らである。血の結束を強め千年を継続してきた。
 明治維新以降、その存在を察知した政府は、天皇親政に抗う勢力と見て敵視し、岩倉具視が直轄する秘密治安組織の監視下に置いた。しかし地下に潜伏した組織の実態は、皆目、補足できなかった。
 戦中は非国民扱いされ、特高も血眼で探索したが、一向に、成果はなかったのである。

 一九一八年の盛夏。草彦の母、女子大に通うニ一歳の筑波はある男と恋に落ちた。近衛士官で岩倉臣三郎という中佐だ。
 幻の反乱と言われる青年将校決起の首謀者である。男の実家は岩倉家の親族で三男だ。
 決起は未然に発覚して男は自決した。懐妊していた筑波の身元を知った岩倉家は、女を極秘に幽閉した。難産で筑波は死に、草彦は北の国の出の下女の知恵で救護施設の玄関に慌ただしく捨て子にされたのだ。身の危険を察した下女はそのまま出奔した。
 筑波は平将門の直系の平沢家の長女である。二人兄妹の長兄が病死し、顕彰会が筑波の行方を探索したが、突然に足取りが途絶えて、難航したのである。

 精神病院を退所した草彦は、養母の遺産を頼りに、変わらずに執筆活動を続けていたが、半年後に、訪ねる者があった。漸く、草彦の存在を突き止めた『将門顕彰会』の役員である。会長就任を要請された草彦は承諾する。役員の数人が『カムイ研究会』の幹部だった。その一人があの映画館主である。だから、顕彰会は『地下文学』とも関わりがあった。あの『無頼達の儚』の著作を草彦に進めたのは映画館主である。
 草彦達は天皇制廃止運動を革新政党とも連動して組織したが遅々として広がらずに、鬱鬱と草彦の戦後は過ぎた。四七年の「大喪決起」は草彦が、乾坤一擲、企図したものだが、大衆の蜂起にはならず、不発に終わった。草彦は探索を逃れるために、北の山脈の奥深くに潜伏したのである。

 一九五〇年の盛夏。あの忌まわしい追憶の日。三一歳の草彦は、あるバーで、妙と名乗るママの、豊潤な女と出会い情交に及ぶ。
 妙タエ、ニ六歳。あの紀夫の情婦だ。女はしたたかに酔い、初めての客の草彦に淫らに身体を崩した。いつもがこうした女なのか、女の深い酔いにも草彦はさしたる思慮をせず、ただ同心出来るのは、訳もない憤激や同居する哀切と、闇の酔いに触発された情念だけだった。

将門の儚 2️⃣

将門の儚 2️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-03

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