義母
義母
半年前、その女は草彦の義母になった。
1956年。草彦が中学三年の初夏。野球部の対抗試合で右の手首を捻挫し包帯を巻かれた。家に帰ると後妻の義母の心配が異様だった。手をあげて風呂に入っていると、「不自由でしょう」と言いながら義母が戸を引き入ってきた。薄いスカートをたくしあげ太股を露にしている。草彦は真っ赤になる。ためらう草彦を「親子だもの当たり前だわ」と火杜子が急かし、草彦の背中を丹念に洗った。
盛夏の夏休み。父は本山に一週間の出張で、その三日目の日曜だった。朝早くの出掛けに問う義母に、草彦は夕方遅くなると答えた。しかし、対抗試合は突然のまれに見る雷雨で中止になり、以降の日程も全て取り止めになった。2時頃に草彦は家に帰った。家の辺りは快晴だ。しかし、本堂の雨戸が閉まり静まり返っている。何となく雰囲気が違うと、草彦は怪訝に思った。玄関の鍵を開けて家に入ると、上がり口に見知らぬ靴と鞄があるが、静まり返っている。濡れた服を着替えた。バットを持ち忍び足で本堂に向かうと、廊下の境の板戸が閉まっている。そっと引く。
「助けてぇ」「いやぁ」「死ぬぅ」義母の圧し殺した声が本堂に渦巻いている。目が慣れると、天窓からの薄明かりの中で、義母の上に見た事のない男が股がっている。二人の下半身は剥き出しで両手を握りあっている。「死んじゃう」「助けてぇ」義母が絶叫した。草彦は一気に引き戸を開け、叫びながら駆け寄り、勃起した男根を下げて立ち上がった男の頭にバットを降り下ろした。転倒した下半身が裸の男は動かない。やはり下半身を曝していた義母がワンピースを整え髪を撫でながら、男の死を確かめてから、草彦の手を握り「助けてくれてありがとう」「草彦さんが悪いんじゃない。みんな私のせい」「でも正当防衛よ」「親子だもの当然よ」と言った。
二人は居間に行き、義母は父のウィスキーをあおった。そして男とのいきさつを短く話す。見た事もない男で、道を聞かれ応対しているうちに本堂に引きずり込まれたと。「親子だもの」「正当防衛よ」と言う。誰が雨戸や玄関の鍵を閉めたのか、草彦は聞かない。義母も黙ってウィスキーを飲み続ける。草彦も飲んだ。体が熱くなる。義母の煙草を草彦も吸った。
突然、雷雨が来て一気に薄暗くなった。呆然と座る草彦を残して義母は寺中の雨戸を閉め玄関に鍵をかけた。戻ってきて、義母が泣きながら草彦を抱き締めた。泣きじゃくって「ご免なさい」「あなたは何も悪くない」を繰り返した。薄いワンピースを透して豊か房の激しい鼓動が伝わる。義母の身体が熱い。
義母が草彦にキスをした。誘われ草彦は横になった。「みんな秘密にしましょ」被さった義母が舌を吸った。股間の熱い盛り上がりを草彦に押し付けゆったりと揺らす。「口でしてあげる」と言う。草彦は義母の口に射精した。残り物で腹ごしらえをした。草彦と義母は風呂に入り丹念に洗った。義母は股を泡立てて擦った。何度も繰り返す。
草彦は導かれるままに義母と交合し眠った。起きると11時だ。残り物を口に入れた。
暫くして、二人は本堂に行き、男を裸にし布団袋に入れ、豪雨にうたれて墓地に運んだ。古い小さな墓石の下を堀り布団袋を埋めた。
翌日、草彦は野球部の監督に頼んだ。そして友達の家に身を寄せた。義母の言う通りに隠し通すしかないと草彦は思う。全てを忘れるしかないと思った。しかし義母と二人きりでいるのは耐えられなかった。帰ってきた父に、寺の宗派が運営する京都の甲子園の常連高校に行きたい、監督推薦も取り付けた、もっと技量を高めるために通学時間も練習に当てたい、友人の家に下宿したい、と言った。宗派の大学の卒業生の父は喜んで認めた。義母との新婚生活を二人きりで楽しみたかったのかどうかは解らない。義母は父に同意した。隣町に下宿して草彦は練習に打ち込んだ。それを理由に正月にも家には帰らない。
翌春に草彦はその高校に入学し野球部の寮に入った。
練習のグランドや試合に度々二人の女子高生がいた。
ある日、特別授業の托鉢で街に出た。老舗旅館の勝手口で経をあげていると、少女が出てきて声をあげた。グランドのいつもの少女はこの老舗旅館の一人娘、宮御だった。 草彦と宮御は初めてのデートでキスをした。
草彦は僧侶になる気も寺の後を継ぐ気も更々なかった。帰らないと決めている。三年の夏に地区予選の準決勝で敗退し、草彦の甲子園の夢は果たせずに終わった。
草彦は附属ではない別な大学に進み弁護士を目指す事にした。父は好きにしろとだけ言う。大学に合格し縁があってある家に下宿した。宮御は附属の女子大に入った。
草彦も宮御も安保改定反対闘争に関わった。そして愛し合った。大学を卒業して二年目に草彦は司法試験に合格した。ある法律事務所に席を得た。宮御は旅館を手伝っている。
あの事件から15年目の時効の日。その瞬間を宮御と迎えた。忘れられない忌まわしい記憶だが、少なくとも法の告発を受ける事はなくなるのだ。草彦も宮御も29歳になっていた。時効までの15年、これはこれでひとつの裁きだったのではないかと草彦は思った。草彦は待たせた結婚を申し入れ事務所開設の構想を初めて宮御に話した。
翌日、草彦が勤める法律事務所に父の寺の関係者から電話が入った。父が義母を殺し逮捕されたと言う。義母は何人かの男と浮気をしていた。父がその義母を殺してあの墓の下に埋めたと言うのだ。
-終-
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