将門の儚 1️⃣
将門の儚 1️⃣
『天皇家、断絶』、この秘文は敗戦直後の一九四五年九月の『地下文学』復活号に、作者不詳として発表された。戦時下であれば、まさに、甚だしい天皇侮酷の国家反逆罪に当たったであろう。著者は草彦である。
『天皇家、断絶』から。
ー天皇家断絶ー
この小編は将門の乱の直後の、いわゆる金聖天皇の御世といわれるニ年間の綺談である。このニ年の治世は闇に包まれている。史書の何れにも、具体的な記述は発見されていないのだ。つまり、歴史学的には、この帝位の存在は証明されていない。そればかりか、将門と磐城の怨念が引き起こした世情の混迷と、帝位の断絶を物語る伝承が随処に存在するのである。
さて、読者の諸氏は、この国の真の実相をご存じか。考えたことはあるか。或いは、『地下文学』復活号の読者の諸兄には、些か、愚問であったろうか。 愚劣極まる戦争に反対をして、専横の弾圧を受けながらもその志を貫いて、今日を迎えた諸兄には、深甚より敬意を表する。だが、人民の大方は、つい一月前まで、現人神だとする天皇の命に諾諾と伏して、無謀な戦の渦中に、前線と言わず銃後を問わず、狂人の如くに立ち振る舞っていたのではないか。
だから、ここに至り、この国の、取り分け、天皇制の虚構を暴露することは、極めて緊要な命題であろう。
天皇制復古以降、取り分けて、この戦時下にあって、平将門はまさに禁忌であった。
ー磐城ー
一九四三年の盛夏。未だに涼気を渇望する丑三つの頃の、草彦の夢現である。
光の彼方から妖しい声が響き渡って来るのである。「驚くには当たらない。浮き世の絵師達が筆にした如く、そもそも、妖怪に足がないのは、お前達の世でも承知の筈ではないか。永劫に存在するこの霊魂の世界に生殖はないのだ。そもそも、聖魂には淫欲など有り様もないのだから、勿論、女陰も必要がないのだ。だから、合理的に、下半身そのものがないのだ。私は、この光と同じように純一な精神と理念だけの存在なのだ。光そのものなのだ」と、自分をその女の始祖だと言う、至極に妖艶な女が話し始めた。確かに葡萄色の浴衣に包まれた下半身は、一年ぶりの風と戯れる桔梗の一輪の様で、光と同調して朧に揺らいでいる。
それにしては、芳醇に満ちて、匂いたつほどの乳房の豊かさではないか。この様な、いかにも俗世の果報を、真正な理念というものがなぜ具備しているのか。現世をあらかた容認して生きている、ニ〇歳半ばのこの男、草彦には不可思議としか思えないのである。
過ぐる宵にも海軍省の下級官吏を、淫靡な営みから産まれた様な色めく芸妓を侍らせてふしだらに接待し、帝国海軍の相次ぐ戦果を口を募らせて礼賛して、新しい商いの確かな目算を立てたばかりだ。
そして、因縁で係わるという物の怪なら、なに気に思い当たる心根の一つもあろうものなのに、男はこの女には些かの覚えもないのだ。女は、なぜこの男の眼前に鬱然とたち現れたのか。
すると女は、男の禍禍しい自問を透徹した風に、冷厳に見据えて諄諄と語り続ける。
男が将門の紛うかたなき直系の子孫だと、女は宣下するのである。男は、にわかには理解できない。そもそも男は、へその緒が付いたまま捨て子にされたのだ。家譜などというものはもとより、両親にも無縁なのである。名前さえなかったのだ。七歳の時に養子縁組みの幸甚を得て、漸く、理不尽な施設を抜けることが出来た。それからは、独り身で初老の養母の期待に応え、持ち前の克己心で勉学に励んで、帝国大学を出て財閥本社に就職も出来たのである。今や、嘱望の渦中にもいるのだから、幼児の越し方を追憶するにつけ、男は充分に満足していた。
だが、男の困惑などは意に介せずに、粛然と、女が壮絶で暗鬱な叙事詩を、この男だけに語り継ごうとしているのだ。
それは、平将門が大和朝廷の支配に憤激して反旗を翻して、関東で革命の決起をした頃に始まる物語なのである。
霊魂が言うその女は、磐城石川一帯の豪族の妻で、磐城と呼ばれた。朝廷軍に加担した夫が将門にいとも容易く討伐されると、見初めた将門に望まれ、女も将門の東気風の英傑ぶりに、忽ち、懸想してしまって愛妾となった。ニ八歳の時だ。子はいない。近郷一帯では二山を越えるほどの、傾城と名高い美麗であるが、巧みに馬を操り、疾駆する馬上から弓を引いた。ニ六歳の将門は、流麗でありながらも女傑の磐城を甚く寵愛し、戦場にも、きらびやかな武者鎧を着けさせて侍らせた。二人は関東から南東北一円を睦みあいながら転戦して、遂にはこの地の隅々までを制圧して、朝廷権力の圧政から解放した。不条理な収奪に貧窮していた人民は東国独立を支持して、将門を新皇と称えた。何よりも、分離して長く相争っていた東国が初めて統一され、平和が招来したのだ。
しかし、二人の睦言も将門の治世も長くは続かなかった。配下の裏切りや増派された朝廷軍の急襲によって、将門は呆気なく敗退してしまったのである。 将門の捕縛と同じく磐城も捕らえられて京に移送された。捕縛直後から過酷な尋問の果てに、男達が飽きるまで磐城を凌辱した。終には磐城の女陰は破れた。息つぐだけの廃人となった女は、八頭の牛に荒縄で四肢を結ばれ、文字に違わず八つ裂きにされた。女が肉片に粉砕されたその瞬間に、磐城の憤怒の怨念は無惨に飛び散った肉体を離れ、激甚の大竜巻に変化して轟轟と渦を巻き荒荒しく一気に吹き上がった。未聞の巨大な風柱は一里四方のことごとくを瞬間に飲み込み、非業の処刑役人や残忍な見物はもとより、万物が瞬く間に天空高く飛び散り、粉砕され尽くして塵芥に帰した。
一方、斬首された将門は、首そのものが怨念の妖怪となり、再びの決起を期して関東に飛び帰ったが、肉片で飛び散った女は祟りの執念の大霊玉となって、御所の天空高きに留まり、千年に渡り大和朝廷に災いを為してきたのである。
将門の儚 1️⃣