デートアライブ 琴里バースデー2020
2020年の琴里のお誕生日記念小説です。
今年の夏も
八月三日――五河琴里は部活からの帰り道を歩いている。彼女の頬には大粒の汗が滲んでいて、今、それがしたたり落ちていった。恨めしそうに空を見上げるが、太陽は情け容赦なく熱を地上に浴びせるだけで、余計気持ちがげんなりしてしまった。
「……全く、この季節は嫌なものね」
黒リボンを身に着けていて、なおかつ暑いせいか、普段の二割増しで悪態をつきやすくなっているのを感じた琴里は、歩を進めた。
そして、帰ったら真っ先にお風呂に入って、その後冷たい麦茶を飲もうと心に決めたのだった。
――というわけで、お風呂あがりの麦茶を飲んで「ぷはぁ……」と女性らしからぬ威勢の良い声を上げた。
士道はまだ大学から帰ってきていないようで、家には琴里がただ一人いるだけだ。夕焼けに彩られた陽ざしがリビングに差し込む。大きな窓から見える道路を、実に多種多様な車輛や人々が行き交う。遠方へ荷物を運んでいるのであろうトラック、社名を施した社用車。スーツ姿で汗をハンカチで拭うサラリーマン、買い物を済ませて足早に帰宅する主婦。それぞれが目的の場所に向かい足を進めていた。そんな光景を眺めながら、リビングに流れるおだやかな時間を満喫していた。
DEMとの直接対決を制し、突然失踪した十香の行方を追い――結果的に彼女がこちらの世界に戻ってきて。琴里率いるラタトスクの仕事はひとまずの決着を見た。やる事がないと言えばウソになるが、せめて今だけは……と、琴里はため息を漏らした。あまりお行儀が良くないと思いつつも、ソファに横になると、琴里の意識は夢の中へと落ちていった。
琴里は夢を見た。それは、今まで何度も見た事があるやつ。それは、彼女の八回目の誕生日……精霊となった日のことだ。当時、誕生日をお祝いしてくれるはずが誰もいない事に不安を覚えた琴里は、士道を探している最中にファントムに精霊の力を分け与えられ、天宮市を火の渦に巻き込んでしまったのだ。突然振るう事ができるようになった、その強大なまでの力に恐怖し泣いていると、士道が命懸けでやってきて誕生日プレゼントとして“黒いリボン”をくれたのだ。そして、“これを付けたらお前は強い子だ”と言ったのだ。
それ以来、琴里は白いリボンを付けている時は無邪気な妹、黒いリボンを付けているときは強い自分(あるいは、司令官としての雄々しい自分)というように、性格を切り替えるようになったのだった。琴里自身、白いリボンを身に着けた自分の事を嫌悪している節はあった。それは、自分の性格も影響しているのだが、もう一つは士道――おにーちゃん――に甘えてしまう事だった。そういう自分の弱さがある“白”の自分を彼女は、あまり好きにはなれなかったのだ。
だが、士道に自分の思いを打ち明けたあの日を境に、白リボンの自分へのコンプレックスはだいぶ緩和されたと考えている彼女であった。
おじいちゃんおばあちゃんの家が見えてきてテンションが上がる子供のようなテンションで、五河遥子・竜雄夫妻は我が家を見て思わず声をあげた。
「おお! 僕たちの家が見えてきたねはるちゃん」
「ええ。それにしても、随分久しぶりに戻ってくるような気がするわ」
「本当だね……士道と琴里、元気にしてるかな」
竜雄が心配そうに家を見やると、遥子はあっけらかんとした様子で言う。
「あの子達なら大丈夫でしょ」
未だに心配する竜雄をよそに、遥子は玄関の鍵を開けて中に入った。
「琴里の靴はあるから帰ってるみたいだね」
「しーくんはまだ大学かしらね」
そんな会話をしながら、夫妻はおもむろにリビングに足を踏み入れた。すると、ソファから人間の足が見えて、ぎょっとして駆け寄る。
「ちょっとことちゃん?!」
遥子が彼女の顔を覗き込むと、寝息を立ててすやすやと眠る琴里の姿があった。ついでにリボンも白であった。
「なんだ、良かったぁ」
遥子がほっと胸を撫でおろして隣にいるであろう竜雄を見た。
「……って、たっくん?!」
竜雄は遥子の物凄い剣幕と琴里が無事であったことに安堵したのか、頬に涙の筋を作っていた。寝ていただけとはいえ、確かに我が子が無事であったのは良いことだが、ややリアクションがオーバーな気がすると思う遥子であった。
琴里が目を覚ますと、足元の空いたスペースに遥子が座っているのが見えた。
「……おかーさん?」
「あら。おはよう、ことちゃん。ぐっすり眠れた?」
遥子の問いに答えるよりも前に、琴里は目をごしごしとこすって、今一度目の前の光景をよく確認する。
「おかーさん、いつ帰ってたの?!」
「数時間前よ。ことちゃん、っすり寝てたから起こさなかったわ。それにしてもたっくんが、ことちゃんに何かあったんじゃないかって心配してたわよ」
「もうおおげさだなー、おとーさん……ただ寝てただけなのに」
琴里が可愛く頬を膨らませると、遥子がおかしいと言うように吹き出した。
「なんで笑うのだ―、おかーさん!」
「いや。たっくんが心配になった理由がね……ソファからことちゃんの足が見えたから、なんですもの……」
その時の事を思い出してか、遥子は再び笑いのツボを刺激されて大爆笑し始めた。そんな母親の様子を眺めつつ、琴里は呟いた。
「全く、やれやれだぞー」
その時、玄関の鍵がガチャリと回されて、誰かが入ってきた。その音の主はリビングに近づくと扉を開けて中に入ってきた。
「ただいまーって……母さん?!」
「おかえりしーくん」
まさか海外出張中の両親が帰っているとは思わず、まるで、帰省したら親戚の子が遊びに来ていて驚く人のような声を上げる士道。彼は今年から大学生になり、今日はサークルの用事で帰宅が遅くなったようだ。ちなみに琴里にはその旨を伝えてある。
「どうしたんだよ急に帰ってきて。こないだは仕事が忙しくて帰って来れなさそうとか言ってたじゃないか」
「ああ、あれね。確かにあの時は切羽詰まっていて余裕が無かったのだけど……ところでしーくんは、今日が何の日か分かる?」
唐突に話題を振られて、普通だったら戸惑うのがセオリーのはずである。しかし、士道はよどみなく、琴里の方を向いて答えた。
「決まってるだろ――今日は琴里の誕生日だ」
士道の答えに満足げに頷くと、遥子が告げた。
「と、いうわけで……私とたっくんはことちゃんのお誕生日をお祝いするために帰ってきましたー! いえーい!」
どんどんぱふぱふー!と効果音を口で追加する遥子。相変わらずテンションの高い母親に苦笑いしつつ、士道は琴里を見て、
「琴里、十六歳の誕生日おめでとう」
「えへへ……ありがとうだぞー、おにーちゃん」
頬を染めて、恥ずかし気に、上目遣いに、琴里は答えた。
――――夜も更けて就寝の時間に入った。竜雄と遥子たちが寝室に戻った頃、士道はベッドに横になりながら携帯を見ていた。特に何をするでも無かったが、妙に眠気が来なかったので、暇つぶしをしているのであった。
すると部屋の扉がこんこんとノックされて、琴里が入ってきた。枕を抱えて立っている。その様子で何かを察した士道だがあえて触れずに、至って落ち着いて問いかける。
「どうしたんだ、琴里」
「……おにーちゃん、今日は一緒に寝てくれない、かな?」
リボンはしていないが、口調から無邪気な――そして甘えん坊な琴里である事が分かる。
「ああ、いいぞ」
士道に促されて琴里は士道の横に体を横たえて、向かい合う形に落ち着いた。
「こうして寝るのって、本当に小さい頃ぶりだな」
「うん……そうだね」
琴里は緊張から上手く返事ができずに、ずっと士道の胸元ばかりを見つめていた。そんな彼女の様子を気にする素振りを見せずに、士道は更に続ける。
「俺が父さんと母さんに引き取られて、この家に来た時、琴里となかなか話出来ない事があったよな」
「あの時はごめんだぞー、おにーちゃん……」
「いいんだよ――それが、今はこうしてお互い家族でいられているし、琴里が妹で本当に良かったと思ってるよ」
士道の言葉に、琴里は思わず顔を上げた。彼からは、彼女の目元に涙が浮かんでいる様が、月明かりを通して見えた。
琴里が士道のパジャマの胸元あたりをきゅっとつまんで、言った。
「……私も、おにーちゃんがおにーちゃんで良かった」
「はは。なんだよそれ」
「ダジャレとかじゃないぞー!」
再び琴里が顔を上げる。今度は不満そうに頬膨らませている。そんな琴里を見て、士道は彼女の髪を撫でた。その手つきが心地よく感じたのか、琴里はさきほどより落ち着いた声音で続けた。
「おにーちゃんの事は、おとーさんとおかーさんを除いたら世界で一番好きだぞー」
「あはは、手厳しいな」
士道が落ち込んだような様子を見せると、手を小さくぱたぱたと振って、
「……つまりはね。その、異性としてというか…‥」
段々と尻すぼみになっていく彼女を見て、士道は再び頭を撫でてあげて、言った。
「分かってるよ。琴里がどれだけ俺の事を慕ってくれているかは、さ……」
そして、しばらくの沈黙が訪れた。
――一言も発さない彼女を心配して士道が顔を覗き込むと、すやすやと寝息を立てていた。そこには司令官の時のような凛々しい表情ではなく、年相応に大人びているけど、士道から見たら十分すぎるくらいに可愛い妹の顔があった。士道はそんな自慢の妹の事が愛おしく思えて、額に掛かった髪をよけて、そっとキスをした。
「おやすみ、琴里。ハッピーバースデー……」
士道が完全に夢の世界に旅立ったころ、琴里が寝言を発した。
「愛してるぞー、おにーちゃん……」
そう言って、琴里は、士道に抱き着くのであった――――。
[終]
デートアライブ 琴里バースデー2020
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