義兄妹の儚①

義兄妹の儚1️⃣


 事実は小説より怪異なり。この小編は作り事では、一切、ない。すべて、現実で明らかになった物語である。
 近年、発禁本などをはるかに凌ぐ私小説が、ごまんと巷に溢れている。それらの主題を成すのは自己愛と私欲、私憤と私怨だ。即ち、利自が全てなのだ。自己中心の極限にまで到ってしまったこの国には、もはや身を研ぐ様な公憤はないのだろうか。
 だから、私ごときが敢えて記そうとするこの卑小な綺談などは、さしづめ、浅ましくて狂おしい稚戯に違いないのである。


 列島の北のあるところの青春の真っ只中に、一つ違いの義理の兄妹がいた。
 再婚同士の両親が教員で共稼ぎだから、必定、しばしば二人きりになる。
 19××年の盛夏。御門が逝去して改元し、大喪の当日である。
 高校3年の男と、2年の女の二人が夏休みの、酷い暑さのうえに異様に蒸すけだるい昼下がりだ。些かの風もない。

 水風呂から出たばかりの卍子がラジオのスイッチを入れた。
「…今上帝が崩御されて一週間。国民すべからく悲哀のただ中ではありますが、一方では、滞りなく改元も行われて、本日、令和元年8月×日であります。全国津々浦々、悲しみに包まれながら迎えた本日。いよいよ、大喪の時刻が迫っております。まさに、悲喜交交。生生流転。風雨が続いた数日とは、一転、盛夏の首府の空は清清と晴れ上がって、憂いの雲一つなく、皇宮の森は、蝉時雨すらが新しい御代の到来を祝せるが如くに、唱和しているのであります……」……「…先の時代は愚かな戦争の時代と言われましたが、あの痛ましい敗戦から立ち上がって、僅か2年。わが国民は、復興の足音も高らかに歩み続けております。大いなる悲しみの最中ではありますが、新しい、この令和の時代が真に平和であることを、新しく即位あそばされた、まだ13歳の今上帝と…」……「…摂政に任命された七条臣臣オミオ宮内大臣は初代神神帝の末裔であります。大臣は元海軍大将でありますが、かの開戦には強く反対されました。にも拘わらず、南洋の緒戦においては輝かしい武勇を発露されて、かつての敵国からも称賛されて、戦犯リストにも載らなかった、我が国の誇るべき英雄、愛国者であります。…」
舌打ちをしながら草一郎がスイッチを切ったが、唇を黄色に濡らしてキャンディを舐め始めた卍子は異を挟まない。


-蝶-

 その時、咄嗟に、極彩色の蝶が二羽の塊で飛び込んできて、乱調に舞い踊り始めた。その一対は、怪しげに危うげに融合しながら、鱗粉を振り撒くのである。女は、この不意に現れた生き物が、露に交接をしているのだと悟った。そして、こんな気だるいほどの酷暑に、交尾しながらこれ見よがしに乱舞する生き物の生命力の意図が不可解でならない。男は、その女の横顔を盗み見ている。
 真昼の交尾は、二人の頭上をこれ見よがしに迷いひらめいていたが、ひとしきりの果てに、二人の眼前の棚に、訳もなく不時着した。そして、交接の法悦を味わう有り様で身じろぎもしないのである。
 草一郎の視界の端に佇む卍子は、その光景を凝視しながら、キャンディを男根に似せて陽炎のようになぶっている。草一郎は、卍子の性器はその唇に似て、暑苦しい肉付きの形状の筈だ、と思う。女の瞳はねっとりと湿っており、小鼻には細かい汗が浮いていて、野生に放たれた数本のほつれ毛がうなじに張り付いている。その襟元には新しい汗が湧こうとしていた。そして、薄いシャツの下で、もはや完熟し始めた雌の乳房が鬱鬱と脈打っているに違いないのだ。脇の下にもうっすらと汗が滲んでいる。ブラジャーをしていないから、乳首も誇らしげにその在りかを主張しているのである。すると、女の手が自らの乳房の在りかを確認する様に、無造作に触った。ゆったりと弄んでいる。その淫奔な所作が、男には自慰の変位に思えてしょうがない。その二人の眼前で、蝶の雌雄が長い交尾を満喫しているのだ。その奇っ怪な姿態が女を陶酔に誘っているのだろうか。卍子の濡れた唇から、長い吐息が漏れた。「これって何をしているの?」蝉時雨の唱和の様に女が呟いた。男は答える術を知らな
い。女が催促する。「交尾だろ?」
 どれくらいの時間であったのか。おそらくは、ほんの瞬時の出来事だったのだろうが、スローモーションで流れる弛緩した現象を眺める如くに、男は感じていた。女は悦楽に没入していたのだろう。
 それから、蝶の塊は再び飛び上がり、炎天に揺らぐ庭の果てに消えていった。この小さな獣達が振りまいた劣情の情景は、男の視線も女のまばたきも、艶かしい性戯の詐術に幻惑させてしまっているのであった。

 やがて、湿った沈黙を破って、「交尾って、なに?」と、誰に聞くともなしに、黄色に濡れた舌をキャンディに這わせながら、卍子が呟いた。「人間の交尾って…」


-百科事典- 

 草一郎が百科事典を持って戻ると、剥き出しの堀炬燵に足を入れた卍子の胸元から乳房の上端が覗いている。桃色だ。刺激を放っている。斜向かいに座った草一郎があるページを卍子の眼前に広げた。視線を落とした卍子は身動ぎもしない。
 「男と女の性器は違うだろ?」当たり前だと、卍子は密かに苦笑をする。「面白い話をしてやろうか?」「…」「男性器は元々は女性器だったんだ」「…?」「知らなかったろ?」「…?」「聞きたいか?」大きな目を見開いた女が、思わず、頷いた。「子宮の中で、卵子と精子が受精して妊娠するんだろ?」「…」「やがて、人間の形になって。性器も出来てくる。その最初の性器は、みんな女性器なんだぜ」「本当なの?」「信じられないだろ?」女が、たった今まで苺を含んでいた様な唇を舐めた。「俺だって未だに不思議なんだ」「…」「暫くすると、母体の半分の確率で、あるホルモンが出てくる。すると、女性器が男性器に変わるんだ」「嘘だわ」「本
当だよ」「…」「その証拠が男性器に残っているんだ」「…?」「知りたくないか?」「知りたい」男が百科辞典を指でなぞりながら、「女性器は割れてるだろ」「…」「ほら、ここだよ」「…」「そうだろ?」「…」「この割れ目が男にもあるんだ」「…?」百科辞典の男性器の陰嚢を指差して、「ここだ。描いてはないけど、本当
はこの真ん中に筋があるんだ」「…?」「女性器の陰唇と陰唇が合わさったものだ」「…」「縫い目みたいになってるんだ」「…」「信じられないだろ?」いつの間にか紅潮してしまった卍子が頷く。「確かめたいか?」「…」「見たいんだろ?」女が唇を舐めた。濡れている。「何を?」「縫い目だよ」「…」「確かめたいんだろ?」「だって…」「…?」「恥ずかしくないの?」「何が?」「だって…」「…?」「見せるんでしょ?」「平気だよ」「そうなの?」「お前も見せるんだよ」「…?」「陰核ってあるだろ?」「…」「これだよ」「これがどうかしたの?」「これは男根の名残なんだ」「…?」「嘘じゃない」「…だから?」「見たいんだ」「見せっこ
をするの?」「そう」「厭よ」

 男が煙草に火を点けた。女は何も言わない。「性交っていうのは…」と、卍子を見据えながら、「その女性器に男性器を入れるんだ」「…」「有り体に言えば、男と女がやるんだよ」「…」「おまんことも言う。知ってるだろ?」「…」「ここらでは、べっちょって言うんだ」「…何でそんな事をするのかしら?」と、女の視線が百科事典に落ちている。「わからないのか?」「だって。何にも知らないんだもの」卍子の嘘は、殆どが淫欲で構成されているから、男の劣情を直截に刺激するのである。「聞きたいか?」女が頷く。「妊娠するためだろ?子供を作るために性交するんじゃないか。俺達も親が性交したから生まれてきたんだ
ろ?」「…」「性交の仕方は動物によって色々だろ?」「…」「魚は、雌が生んだ卵に雄が精子をかけるんだ。知ってるだろ?」「…」「でも、それじゃ妊娠する効率が悪い。だから、卵子のいる子宮の中に射精するように進化したんだ」「…」「膣に男根を挿入するようになったんだ」「…」「わかるだろ?」
 「女と男って…」「…?」「男と女がどんな行為をするのか、もっと詳しく教えて」卍子の請求が喉にひっかかって淫らに掠れる。「男と女が出会って互いに引かれ合う。抱き締めたりキスをしたい、性交したいと願うのは本能だ。願いが叶って性交する。女陰に男根を入れると快感が高まって、終いには射精するんだ。その時に子宮に卵子があれば、精子と受精して子供になる。やがて女陰から出産するんじゃないか」「…」「わかっ
たか?」

 「…これって普段は小さいの?」「そうだ」「どうして大きくなるの?」「どうしてかな?」「…」「やりたくなるからだ」「どうして?」「」「子供が欲しくないと、男のが立ったり女のが濡れたりはしないの?」「いいや」「するの?」「する。ただやりたいだけでも立つ」「どうして?」「動物が交尾するのは盛りの時だけが殆どだけど、人間は知恵があるから、嵌めるのが気持ちいいから、いろんなやり方を発見して、いつでもやるようになったんだ」「…」「そうだ。固くなる」「どうして?」「柔らかいと入らないだろ?」「…」「小さいと奥まで届かないからだ」「入れるとどうなるの?」「気持ち良くなって、射精したくな
る」「…」「どうして気持ちが良くなるのかしら?」「女も子供を作りたくなると、男のが入りやすい様に汁が出てくるんだ。入れると、女の中の肉が男のを締め付けたりまとわりついて気持ちがいいんだ。射精させる為に女のがそういう仕組みになってるんだ」

 「さっきの蝶も交尾していたんでしょ?」「そうだ」「どうだったのかしら」「…?」「繁殖のためだったのか、欲望のせいだったのか?」「繁殖に決まってるだろ。欲望に見えたのか?」「そうじゃないけど。あんな小さな生き物なのに、性交って凄まじいんだもの」
 「熱帯に面白い猿がいるんだ」「…?」「20頭ほどの群れで暮らしてるんだけど。時々、群れ同士が遭遇する」「…」「その時が凄い」「…?」「群れの雌が別の群の雄と交尾するんだ」「……?」「全員とだよ」「まあ」「後尾が挨拶がわりなんだ」「何匹とするの?」「7匹位かな」「みんな射精するの?」「する」「それが挨拶なの?」「そう」「厭だわ」「縄張りを守るために戦うのが普通だが、平和的だと思わないか」「そうかもしれないけど…」「戦うよりは進化しているんじゃないか?」「納得できない」「それに、種の継続のためには、近親相姦は駄目なんだ。雄の血縁は遠い方がいいんだ」「皆なとするんでしょ?」「そう」「誰が父親かわか
らないわ」「だから、子育ても皆なでする」「父親はわからないの?」「わからない」「厭だわ」「動物界なんてそんなもんだよ」「そうなの?」「鮭の受精は?」「何かで見たかも…」「どうするんだ?」「…雌が産卵した卵に、雄が射精するんだわ」「雄は?」「…一匹じゃないわね」「そうだろ?」「魚はそうだけど…」「交尾
をするのが衝撃なんだろ?」女が頷く。「俺もそう思った」「そうでしょ?」「でも、その方が間違いかもしれないんだ」「どうして?」「だって、あの猿達は種の保存のために、そんな風に進化したんじゃないか?」「…」「それは科学だよ」「だから?」「厳然たる真理なんだ」「そうだけど…」「理屈でとやかく言うべき筋合いのものじゃない」「…」「何を言ったところで、猿達の生き方は変わらないだろ?」「納得できないわ」「どうして?」「7人とするんでしょ?」「…」「皆なに射精されるんでしょ?」「…」「不潔だし…」「…」「身体が壊れてしまうわよ」「一番いい精子が父親になるんだ」

 暫く間があって女が、「人間って不思議ね」と、熱い息を吐いて、「何でも知ってるんだ」と、2本目の煙草の煙を吐いた男に、「性交って幾つぐらいからやるのかしら?」と、呟いた。「ねえ?」「昔は元服と言って、10歳ぐらいで大人だった。俺たちの歳には結婚していた」「女は?」「女もそうだ。初潮が来たら子供を産める。月経、あるだろ?」「……」「未だないのか?」「私ぐらいの歳でしてたの?」「とっくにして、出産もしていた」「嵌められると、女も気持ちがいいのかしら?」「男の千倍ぐらい、いい気持ちらしい」「そんな事がどうしてわかるの?」

-神社-

 異様に蒸す昼下がりだ。蝉時雨は一向に止まない。「まだ、見たこと、ないんだろ?」と、おもむろに、草一郎が切り出した。すると、意に反して、卍子は微かに頭を振った。「どこで見たんだ?」と、男は動揺を隠せないが、「…見せられたの」と、女は平然と呟いた。「誰に?」「知らない男…」「何があったんだ?」「6月にスサ神社の境内で…」と、さほどの躊躇いも見せずに、「友達と三人でいたのよ。そしたら、黒いレインコートを着た男が近ずいて来て…。前を開けたの…」「…」「何も着ていないんだもの…」「…」「もう、立ってて…」「どんなだった?」「…」「見たんだろ?」「…」「神社のどこら辺だ?」「交合石のところ…」「あそこは訳ありの二人連れがやって来るんだ。それを目当てののぞきもいるし。痴漢や変態が出没するって、知らなかったのか?」
 果たして、女達は、このスサ神社の交合石ににまつわるおぞましい由来を知っていたのか、どうか。
 古代、西の国で急速に勢力を拡張した渡来民のヤマトと、スサノミコトが率いる先住民のイズモは長い争いを繰り広げていたが、和議の誘いに騙されたスサノミコトは捕らえられて、無惨に斬首されてしまった。あくまでも徹底抗戦を主張したスサノミコトの末弟のスエノミコトは、兄と袂タモトを分かち、異民族が支配するこの北の地に逃れ着いたと伝えられている。その際、兄嫁、即ち、スサノミコトの妻のノリノヒメが連れ立っていた。二人は不義の関係だった。二人はスサノミコトの霊に贖罪して鎮魂するためにこの神社を建立した。だが、やがて、この地も御門に侵略されて度々の災難にも襲われたから、表向きは子孫繁栄の社が謳い文句だったが
、人々の口の端には、祟り社、不義神社として伝えられてきた。本殿は何度も立て替えられたが、スエノミコトとノリノヒメのただならぬ性愛を表した性交の石造は、その頃の物と伝えられている。
 「それを知ってて行ったんだな?」「…だって…」「…?」「暎子が…」「…?」「友達が無理に誘うんだもの…」「…?」「あそこに国語の先生がいるかもしれないって…」「…?」「そういう落書きがあったの」「…?」「あの交合石のところで、男子校の生徒と会ってるって…」「…?」「トイレの落書きに描いいてあったのよ」「…?」「してるのを見たって…」「どんな?」「酷い落書きなんだもの…」「…何ていう先生なんだ?」「佐東典子って言うのよ」「…」「去年まで男子校にいたのよ。知ってるでしょ?」「…教えられたことがないから…」「…話したこともないの?」立て続けの詰問に、漸く、「…ない」と、男が絞り出した。「そうなの…」「その人がどうかしたのか?」「あの映画の原作者じゃないかって言うのよ」「…?」「『団地の白日夢』よ。見たでしょ?」「見た」「それに、ある詩が噂になってるの」と、立ち上がった卍子がすぐに戻ってきて、「これよ」と、ある文芸誌を差し出した。


ー転移ー

重たい乳房だ。
この時にも、まごうことなく覚醒している。

桃色の張りつめた肉の躍動だ。
血潮が駆け巡る神経の豊穣だ。
堅固な思惟の源だ。

すぐに男を迎え、やがて嬰児に含ませる命の本源だ。

はち切れんばかりの終戦の歓喜だ。

天皇の玉音など、女には幾何の感傷すら残さない。
大衆の明敏な確証に、愚劣な政治の敗北がようやく辿り着いただけだ。
この国の統一性はとうに破壊され、女は生物の本能とだけ生きる契約を結んだから、永劫の大地に立脚している。

つい今しがた、花火花の一陣の風を受け、女は類の摂理として発情した。
始原の雌がしたように、女陰を膨らせ、膣から沸き立つ狂おしい香気で、この国の貧相な神話を打ち倒す若者を戦地から呼び寄せるのだ。

盛夏の真昼だ。 歴史を孕むには絶対の刻限だ。
革命の懐胎だ。

だから、女の尻は豊かだ。
国家神道を圧倒するリアリズムだ。
男達を産み続けてきた堅牢な砦だ。
蒙昧な権力への決然の対峙だ。

女が宿命に彩られ、淫奔に身体を開く。
受胎を促進する快楽が世界を創る。

新しい女神こそが、新しい言葉で、神話を創れるのだ。

300万人の死霊を弔えるのは、豊潤な肉体に纏われた言霊しかない。


-花祭り-

山麓を彩る無尽蔵の花が散ったから、
幾つかの異論を退け、
やがて銀色の光から生まれた飾り子の一声で決裁された花祭りの夜、
この唐突な秘匿を決して知らない、月明かりの幾千里の潮の砂辺の君は、
異星の季節に迷い込んだひ弱な風の様に、
夢に必ず違いないと確信して、
豊潤な裸子植物の女達が連なるその踊りの輪に、蜂のように近づいた。

いったい、放射能がずんむり降り積もった朝に、
季節と季節の契りの幻を見る君の神経は、
既にあの年号の化け損ないの狐より、
いささか狂っているのだろう。
それとも、世界の真裸の狂気の総量と釣り合うためには、
私の狂気よもっと夢見よと、
君もあからさまに言うのか。
そうしてその孤独な同盟は、アフリカの青白い月の下のアルナイナ菌よりも獰猛なのか。

月が道化のように佇むから、宇宙は摂理というより、むしろ情念の狂おしさで、茫茫の欲望に微笑んでいた。
日本人と言われる混血の果ての種は、当たり前のように全てを受け入れている。

涙の粒に摂理の全てを積み込んで、その民族は自らを名乗ろうとした。

義兄妹の儚①

義兄妹の儚①

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-01

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