Murder
人であふれた大都会を、さまよう男が心の中で呟き続ける。
殺す──
殺す──
はじめて会う人であれば男は、
「やあ」と手を差しのべて、呟く。
殺す──
久しぶりに会う友だちにも男は、
「元気だったか」と、念のため呟く。
殺す──
そんな物騒な呟きを続ける男の表情からは、矛盾かのように柔らかい笑みがにじみ出ている。
はたして、男は狂気に満ちたサイコパスなのか?
今日もまた人通りの多い駅前をうろつく男。
まるで獲物を物色する獣のように・・・・・・
「よかったらどうぞ」
突然、男の視界に美しく若い女性が現れた。
スラリと白い腕を伸ばしポケットティッシュを持っている。
「ありがとう」とポケットティッシュを受け取った男は、条件反射で呟いた。
殺す──
「ひっ!」
喉に餅を詰まらせたような声で驚く女性。
殺す──
男はもう一度心の中で呟いた。
「ひっー!」
今度は小さく飛び跳ねた、女性の表情はひきつっている。
そんな女性に、かまいもせず目を輝かせる男が言った。
「見つけた」
すぐに冷静になった男が大げさに両手を振る。
「ちがうんです。誤解です」
そう言うと男は言い訳を並べ始めた。無論、心の呟きで。
けっして怪しいものではないです。あっ、たしかに「殺す」なんて言葉は不謹慎ですが──
僕は探していたんです、人の心が読める人物を──
そして、それがあなたなんです──
だから、だから不意打ちに物騒な「殺す」という単語を呟き続けて、驚く人がいないか試していたんです──
分かっていただけましたか──
心の中で言い切った男は、表情晴れやかに、眉を器用に上下させた。
しかし、女性は固まったままだ。
「あれ、信じてもらえませんか?一気に話しすぎたかな?」
首をかしげ、反省するように頭をかく男だった。
女性が心配そうな声で聞いてきた。
「どこか具合でも悪いんですか」
「えっ、聞こえませんでした、俺の心の声が?長文は聞き取れません?」
「いいえ、しばらく黙っていましたよね」
「でも、俺と目が合って、驚きましたよね。二度も」
「それは」
今度は女性が目を輝かせ男に一歩近寄った。
「わたし、霊感があるんです」
右耳に髪をかけながら女性が言った。
「霊感ですか」
聞き返した男の鼓動は速まっている。
「そうなんです。あなたから、なんか良くないオーラが出ていましたから」
「えっー、そうだったんですか!」
肩を落としてうなだれた男に、女性が優しく声をかける。
「もし悩みがあるなら話、聞きますよ、わたし」
男の顔を覗き込みながら見る女性。
「近くに相談所ありますから」
ニヤリと笑う女性が配っていたポケットティッシュを、くるりと返した。
ポケットティッシュには広告が入っている。
『必ずあなたが開運できる壺や宝石があります ◯◯◯相談所』
そう書いてあった。
壮大な実験のつもりが、今さらとんだ勘違いだと気づいた男の顔は、恥ずかしさで耳まで赤くなった。
そして叫ぶ。男は叫ぶ。心の中で。
誰か、誰か、俺を殺してくれ──
Murder