妄想写真エッセイ『猫に恩返し』

妄想写真エッセイ『猫に恩返し』

撮影場所:New York Public Library

 
 ニューヨーク公共図書館の入口付近で撮った一枚。
 九月にも関わらず、この日は真夏のような暑さで、気持ちのいい太陽が出ていた。そんな気持ちのいい空の下、図書館の入口の横に寝転んでスマホを見つめるおっさん。日陰で冷えた大理石の上が心地よいのだろう。猫みたいだ。なんだか少しかわいく見えてきた。けれども、そんな呑気なおっさんにも不思議な過去があるのかもしれない。

 おっさんは幼い頃から猫に育てられてきた。実家で猫を飼っていたとかそういうことではなく、文字通り、猫が親のようにおっさんを養ったということだ。
 おっさんが生まれた当時のアメリカではアフリカ系アメリカ人たちを中心とする公民権運動が続いていた。街の図書館やレストランでは平然と人種別の出入り口や座席が設けられ、なかには有色人種の入場が拒否されるようなところもあった。おっさんはそのような激動の時代に生を受けた。
 おっさんは生まれてすぐに両親と生き別れ、引き取り手もなく、まるで子猫のようにマンハッタンのスラム街の裏道に捨てられた。表通りでは公民権運動のデモ隊とそれを暴力的に鎮圧しようとする警官隊が激しく衝突していた。一方で赤ん坊だったおっさんは悪臭が漂う汚れた裏道でその裏道よりも汚れていた野良猫たちによって発見された。
 それから猫たちは何とか赤ん坊を助けようと食べ物を拾い集めてきた。八百屋、肉屋、魚屋、パン屋、とにかくいろんな店から猫たちはいつもよりも多めに食料を盗ってきた。
 ニューヨークの猫コミュニティはかなり緻密で広範囲に組織されていたこともあり、裏道に捨てられていた人間の赤ん坊の噂は瞬く間に猫たちのあいだで広まっていった。ソーホー、トライベッカ、チャイナタウン、ときにはブルックリンやクイーンズからも野良猫たちが猫に育てられている人間の赤ん坊を一目見ようとやって来ることもあった。

 赤ん坊はスラム街で育ち、非行少年になった。野良猫たちと同じように盗みを毎日した。少年には罪の意識などない。ただ生きるために野良猫たちと行動を共にしていただけだ。当然のことではあるが、野良猫たちよりも人間の少年の方が一回の盗みの収穫量が比べ物にならないほど多かった。また、少年は腕っぷしが強かったので野良猫たちのボディーガードのような役割も果たしていた。このようにして今度は逆に少年が野良猫たちを養うようになり、やがて少年は猫社会の存続において必要不可欠な存在となっていった。
 ある日の真夜中、ニューヨーク各地の野良猫たちがセントラルパークの一角に集まり、長老会議が執り行われた。議題は少年の今後についてだった。このまま少年を猫社会に留まらせるべきなのか、あるいは人間社会に返すべきなのか。一部の猫たちからは人間の少年がいつか猫社会を崩壊させてしまうのではないかと危惧する者まで出てきた。長老会議は翌朝まで続いた。最終的に猫たちが出した結論は、マンハッタンのチェルシー地区にある孤児院に少年を預けるというものだった。
 野良猫たちはさっそく少年をチェルシー地区の孤児院の目の前まで連れて行った。少年は何も知らされていなかったので、いつものようにまたどこかに盗みに入るのだろうと呑気に考えていた。
 孤児院に着くとそこには中庭があった。中庭の手入れをしていた修道女が孤児院の前で突っ立っているボロボロの服の少年に気がついた。修道女はすぐに少年のそばへと駆け寄り、少年の周りにいた野良猫たちを追い払おうとした。すると少年が修道女に向かってまるで猫そのもののような目つきでシャーっと威嚇した。修道女は少年のあまりの迫力に驚いてしまった。修道女は怯えながらも少年に話しかけたが、少年は無言のままじっと修道女を睨んでいた。修道女はどうやらこの少年は言葉がわからないのかもしれないと思い、孤児院の中へ戻り、パンを持ってまた少年の元へと帰ってきた。少年は差し出されたパンを恐る恐る手に取り、修道女に害がないことを理解した。
 少年は周りを見渡したが、先ほどまで見守ってくれていた野良猫たちの姿はもうどこにも見当たらなかった。少年は黙って修道女が差し出した手を握り、孤児院の中へと入っていった。
 それから少年は孤児院で読み書きやその他にも人間社会で生きていくうえで必要なことを学んだ。ときには夜にこっそりと孤児院を抜け出して野良猫たちにパンや果物を持っていくこともあったが、そのたびに野良猫たちに追い返された。そのような日々を過ごしながら、少年はやがてひとりの立派な青年へと成長していった。
 青年は不妊に悩んでいた裕福な夫婦に養子として引き取られ、マンハッタンを離れることになった。
 青年は里親の元で健やかに育ち、大学にも進学し、そこで経営学を学んだ。そして青年はニューヨークのマンハッタンでホテルの職を得て、ブルックリンへと単身で引っ越した。
 ニューヨークで見かける猫たちの顔触れは昔とはかなり変化していた。知っている猫がほとんどいなくなっていた。けれども野良猫の数は減っていないようだった。野良猫たちの生活は以前と変わらず、惨めなものだった。
 青年はミッドタウンにある高級ホテルで働きながら、仕事の帰り道で出会った弱っている子猫をたくさん拾ってブルックリンのぼろアパートの自宅で育て始めた。子猫たちが元気になると外にいる仲間たちの元へと返し、また別の子猫を見つけては自宅で養った。これは「猫の恩返し」ならぬ「猫に恩返し」である。
 青年はやがて立派な大人となり、高級ホテルの支配人にまで昇進した。これまで貯めてきた資金で彼は野良猫を保護する“Cat House”というNPO団体を立ち上げた。“Cat House”は徐々に規模を拡大していきアメリカ全土のみならず、今では世界各地に支部を構えるほどにまで成長した。

 僕はそんなふうにおっさんの知られざるサクセスストーリーを勝手に想像しながら、おっさんが寝転がっている大理石の床に手を触れてみた。たしかにひんやりとしていて、いつまでも猫みたいに寝転がっていたいと僕も思った。

妄想写真エッセイ『猫に恩返し』

妄想写真エッセイ『猫に恩返し』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-30

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