雪解けの頃
つめたい手、である。夏も、冬も、いつも、つめたい、きみの手が、わたしのからだにふれるとき、雪解けを想う。きみの分身は、向日葵のお城で眠っている。わたしの半身は、学校のプールからあがってこない。たいせつなものが欠けて、わたしたちは、それをおぎなうように、いっしょにいる。むずかしい本ばかりを読んでいる、きみが、ときどき、わたしのあたまを、犬のようになでる瞬間が、じつはそんなに、きらいじゃない。夜、月を見上げて祈るだけのクラブに、ともだちのはんぶんくらいははいっていて、きっと、きょうも、かのじょたちは月にむかって、なにかしらを祈っているのだろう。将来の夢、恋の成就、世界平和、はたまた、世界征服、など。にぎやかなテレビ。ひとが死ぬドラマ。かなしいニュース。チャンネルを押す指に、あまり感覚はない。無神経に、ぱちぱちしている感じ。きみの、つめたい手が、わたしの頬をかすめる。わたしたちのなかに存在していたものが、うしなわれているいま、心許ない、不安、寂しさを埋めるために、わたしときみが寄り添いあって、自然と生じたもの、それが、愛、と呼べるかは不確かで、でも、おそらく、それ以上でも、それ以下でもない。
雪解けの頃