静深

 友人に恵まれて彼氏も出来た。
 それでも、満たされなかったっけ。幸福は砂時計の如くさらさらと低落しては埃のように降り積もっていった。
 私は頼る術を持っていない。頼る事が敗北であるのならば、自分を傷付けて終わり。それで良かった。
 ぷるぷると震える隻手で握り締めたカミソリ。左腕に傷をすぱっと勢いも良く増やした。だらだらと流れ落ちてゆく紅色の涙が心地良かった。
 排水口に吸い込まれて血痕はこびり付いた。流れた血液は哀しみを発散した回数で、叫び声は誰にも届かないし、届くはずがなかった。
 長袖ばかり着用していた。弱味を握られる事や弱さに付け込まれる事を恐れていた。
 周囲が、世界が弱い私を嗤っているから。
 ある日、ふらっと立ち寄った薬局で見付けた風邪薬。これには多幸感を齎す効果がある事を私は知っていた。
 即時的な幸福でもよいから、私に幸せをどうか下さい。そんな祈りを込めて風邪薬の空箱をレジスターに持って行った。
 弱さは加速する。初めてのオーバードースは闇に光がまるで差し込むかのような体験だった。この日を境に私は臓器への傷を重ねに重ねた。
 私は演技者。
 友人や彼氏の前では常に普通を装い続けていた。同時に素性がばれる事を恐れていた。演技者は継ぎ接ぎの笑顔でその場をやり過ごした。
 風邪薬の空き瓶は増加して、傷は深度を増してゆく。
 限界はもうとっくに超越している。私はこれからも危うい命の綱渡りを続けてゆくのだろう。
 友人が尋ねた。「今は夏だよ。なのに、どうして長袖ばかり着用しているの?」
 私は笑っていた。「日焼け対策なの」。
 彼女が訝しがるという事は特になかったし、誤魔化せば良かった。ばれたら終わり。私はピエロであり、ピエロ以下なのだから。
 気付けば左腕はぼこぼこで、臓器は悲鳴をついに上げ始めた。奇麗な人生なんて有る訳がない。眼前には何時だって凹凸しかなかった。
 醜い左腕は醜悪な人生のメタファー。何時だって汚くて、汚臭を放っているかのような存在。とっとと消えてしまえ、こんな私なんて。
 オーバードースもリストカットも生きるためには欠かせないのだとの弁解を続けた。誰も彼もが私を嗤う。
 生粋のピエロはこの辛苦に対する沈黙を貫いた。誰にも不満を零さずに1人で処理を続けた。
 私の事を助けて欲しいと願ったものは何時だって人だった。ピエロはそれに今更気が付いてわあわあと啼泣をした。
 「頼ってもよいのですか? 貴方方に」私はそう漏らして多方面に素性を明かした。誰も私を嘲笑う事はなく私に同情し、私に寄り添った。
 溜まりに溜まった風邪薬の空き瓶達も消えない傷痕達も、それらは危うい私を支えてくれた全要素である。
 「ごめんなさい」何に詫びているのかは判明しなかった。
 ただ、許して欲しかったんだ。私はそのように思いながら、何者かに対する懺悔を今でも続けている。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-28

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