ぼくを壊すのも創るのもきみ

 せかいのおわりというものを想像するのは、あんがいと容易く、たとえば、建物が倒壊したり、地面がばりばりと割れたり、その割れたところから、溶岩が噴き出して、海は荒れ狂い、暗雲たちこめる空には、稲光が。いきているもの、みな、阿鼻叫喚、という感じではないだろうかと。けれど、それらの混沌が遥か遠くの出来事のように思えるのは、あくまで想像上のことであって、映画や小説で描写されているものも、やっぱり、結局はフィクションで、リアリティがあるよねという感想を述べているひとがいたけれど、じゃあ実際に、リアルに、せかいのおわりというものをみたのかと、すこし意地の悪い考えに至るのは、おそらく、今夜はなんだかそういう気分であるからで、噛みつきたいというか。助手席に乗り込んだきみが、夏の、この蒸し暑い夜に、コンビニでホットコーヒーなんかを買ってくるのも、その一因である。フロントガラス越しにみるせかいは、日本の夏の、湿気に取り憑かれたような不快な暑さを除けば、今夜も退屈なくらいに平和で、月がうつくしくて、きみが未だに、せんせい、という職に就いていることの違和感だけが、くっきりと浮かんでいる気がする。ギターケースを背負って、二十一時のコンビニの前にたたずんでいた女の子が、きみの生徒ならば、きみのあの対応は、せんせい、としては不適切であると思うのだが、ぼくは、きみの仕事には極力、くちをはさまないようにしているし、それは、おたがいさまであり、きみも、ぼくの仕事には文句のひとつもいわない。恋人ならば、おおげさにとりみだしてもいいようなものだが。とっくにはきなれた、みじかい、タイトスカートのなかには、まだ、かおもなまえもろくにおぼえていない男の指の感触が、のこっていて、でも、もう染みついて、どうしようもない。はだがすりきれるまで洗っても、ぬぐえないのだ。きみが、車のラジオをつける。コーヒーのにおいにみたされる、エアコンのために窓を閉め切った車内に。そういえば、学校といえば、ぼくらのときは七不思議というものが流行ったけれど、いまはどうなの。とうとつにたずねてみると、きみは、しばし沈黙のあと、がきくさい、と吐き捨てて、たばこを吸いはじめた。ほんとうに、きみがせんせいをやっているなんて、世も末って感じ。でも、このあと、ぼくの部屋で、きみが、ぼくのからだを、きみの色にぬりかえてくれると想うと、その冷たい吐息も、ひたすらに愛おしいよ。

ぼくを壊すのも創るのもきみ

ぼくを壊すのも創るのもきみ

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2020-07-25

CC BY-NC-ND
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