シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅵ 巽卓馬
「と――や。どうしたの、暇なのか?」
体育館の戸口に現れた今泉藤也に声をかけ、巽卓馬は額の汗を拭いながら倉庫脇の物陰からヒョイと顔を出した。
「介(すけ)ちゃんならいないよ」
「いや、介三郎に用事があるわけじゃないんだ」
挨拶をしてくる顔見知りの生徒に片手で答えながら、藤也は卓馬に近づいた。
文化祭が近いためか、放課後の校内はやけに熱気を帯びている。この体育館も生徒は少ないながらも活気がある。
「何やってんだ、卓馬。文化祭の準備って聞いてたけど」
バスケ部は他の部活と合同で段ボール迷路を作る予定だと聞いていたが、それらしい物は見当たらない。
「そうだよ。準備のための準備だよ」
そう言いながら、倉庫の中から他の生徒が運び出してくる諸々の道具を部活別にまとめて置いているようだ。
文化祭で作る段ボール迷路の材料をまとめて置けるようにスペースを作っているのだという。
「こんな時でもないと、隅まで掃除しないからね」
卓馬は時折、同じ作業をしている生徒に合図を送りながら、自分の周りに放り出されるものを適当に分けていく。
介三郎は、段ボールを譲ってくれるという商店に数人連れて行ってしまった。
「介三郎がさ、俺には重いもの持つなってさ、連れてってくれなかったんだ」
卓馬は先の練習試合の直前、襲撃されて左腕にヒビが入った。
十分安静にもしていたが、何よりカルシウムを親の仇のように摂りまくった。
「もう骨もくっついてるし、第一バスケの練習よりも段ボールを抱える方が楽だと思うんだけどね」
「過保護だからな、介(すけ)は」
軽口をたたきながらも、手は決して休めない卓馬に、物憂げな藤也が呆れた口調で返す。
「ま、いいんじゃないか。体育祭であれだけ走り回ったことを忘れて、文化祭の準備でまた走り回れるんだ、やらせとけ」
その意見には、卓馬も賛成らしい。
「なんだかんだで、介三郎がいないと、何も始まらないんだよね。色々」
肩をすくめて見せて、次々と手渡される物を適当に仕分けする。
手伝っているのは、同じバスケ部の二年生だ。
「梶原も一緒か?」
一通り見回して、藤也が気付いた。
いつも卓馬と一緒にいる梶原(かじわら)常史(つねふみ)がいない。
「いや、カジは軽音部に連行されていったよ。仏頂面のまま」
卓馬が答える。
日下の手前、八束の申し入れを受けた形だが、やはりどこか乗り気ではないようだ。
「基本、カジは人見知りだからね、あぁ見えて」
寄らば斬るの態度も、人見知りの裏返しと思えば可愛いものか。
「ずっと声かけてくれてた八束さんはともかく、その他の軽音部員に慣れるのは、気合いがいるんじゃないかな」
半ば面白そうに笑う卓馬に、藤也がつられて笑う。
「誰にでも噛みついてる感じだけどな。難儀なヤツだ」
「ま、歌い始めれば考えなくなるからいいんじゃない。歌は問題ないし、カジだし。介三郎が勧誘されたんなら、全力で止めるけどな」
「介三郎に歌の依頼はないだろ」
藤也が言い切った。
そう、介三郎はどう贔屓目に見ても、歌が上手とは言い難い・・・というよりも、歌に聞こえない。
たまに歌うと、「引っ込めヘタクソ」と野次が飛ぶ。
介三郎はカラオケ店でも選曲係だ。
ヘタクソな割に巷で流行っている曲はよく知っており、それを選曲しては梶原に歌わせる。また、梶原が歌いきるのが楽しくて、また選曲する・・・の繰り返しだ。
「で、藤也は暇なの? 俺を手伝ってくれるの?」
卓馬が足元の重そうな踏み台を指さしながら笑顔で小首を傾げたが、真っ向から拒絶された。
手伝う気はまったくないようだ。
文化祭で写真を撮る場所の下調べに歩いていると、藤也は説明した。
「写真部員で手分けして担当するんだが、一応全体を下見しておこうと思ってさ」
「完璧主義だね、藤也。そんなに写真が好きなの? それとも他にお目当てがあるのかな」
「ないよ」
「本当に?」
「ない」
「それで、藤也。あの子、誰だったの」
思考を飛ぶに任せて質問する卓馬は、脇から渡されたモップで床を撫でながら、
「昼に会った可愛い子」
と続けて、藤也の答えを待った。
「誰?」
「やけに介三郎に懐いていた、綾がらみの女の子だよ。綾に似てたけど、妹がいるとは聞いたことがないよ」
卓馬の視線に藤也は周囲を見回した。
「介三郎から、そういう女の子がいるとは聞いてたが、詳しいことは知らないんだ」
以前、介三郎が何かの拍子にそんな少女がいると言ったのを覚えているが、それを綾に質したことはない。
「卓馬は何か聞いたことはないのか」
問い返した藤也に、卓馬は呵呵大笑した後、
「藤也が分からない綾のこと、俺が分かるわけないじゃん」
モップを杖替わりにして身体を支え、卓馬は踏ん反り返って言った。
「介三郎は知ってるんじゃないの?」
卓馬の問いに、藤也は神妙な顔つきで呟いた。
「多分、介三郎も詳しいことは知らない感じだな。ただ――、大事な子ってのは分かってるようだ」
「大事な子――ね・・・」
気のないやり取りに、卓馬はぼんやりモップで自分の足元を拭いてみた。
藤也は突っ立ったまま、卓馬の動きをぼんやりと眺めるだけだ。
「文化祭には天光寺の香取を始め、他校の生徒も大勢来るらしい」
藤也の呟きに、ちゃんと見回る理由があるじゃんと、卓馬は笑った。
「天光寺ってのは、いつもマドンナの所に来る、大柄な番長さんと手下数人だよね」
「意図があるのかどうか――。大勢で来るらしいと、椎名から聞いた」
天光寺に対して敵意がある訳ではないようだが、藤也の口調はいささか冷ややかだ。
卓馬もつられて冷めた流し目をくれる。
「相変わらず椎名ちゃんとはツーカーなんだね、藤也」
淡々と動きながら答える卓馬には特に意味はなさそうだが、藤也は少なからず引っかかったようだ。
「・・・卓馬。どうして、椎名が『ちゃん』なんだ」
思わぬ切り返しに、卓馬の動作が止まって目が丸くなった。
「なんなの、藤也。藤也もヤキモチ?」
からかうように笑顔を向けた卓馬を、藤也が美しい人形のように凍り付き、冷ややかに無言で見つめる。
こういう顔をする藤也は、決して次の句を出さない。
卓馬が呆れて、敢えて下手な言い訳をするようにもろ手を挙げた。
「申し訳ありません。意味はありません」
「そうだろうとも」
「でもさ、椎名ちゃんはいつも俺をカッコ良く撮ってくれるだろ。おかげで、冴子さんが携帯の待ち受けにする俺の写真が選り取り見取りで楽しんでるよ」
と続けた。
藤也が逸れた話に乗っかる。
「冴子さん、ね。うまくやっているのか」
「ま、ね。あんなことやこんなこととか—―は、ないけどね」
「へぇ、そうなのか。親代わりか?」
「冴子さんは冴子さん。親ではないな」
「――」
「親は、あの二人で沢山だ」
卓馬が吐いたその言葉には、あからさまな嫌悪感が見える。
どちらかと言えば飄々とした言動で何事もやり過ごす卓馬らしからぬ、感情一辺倒の台詞だ。
運ばれてくる道具が卓馬の足元に溜まり始めた。
卓馬の感情が、一瞬の間現実を離れる。
父はただ、「出ていけ」と言うばかりだった。卓馬の知らない女を連れ込むためだ。
母は、「あんたのような子がいなければ、こんな苦労はしなかったのに」と言った。
よく思ったものだ。
こんな親の子どもに生まれた苦労よりはマシだろう――と。
「今のは、俺が悪い」
藤也は片手を挙げて素直に詫びた。
一連の顛末を見ていた藤也としても、この話題で卓馬の気分を害する気はなかった。
触れてはいけない部分なのだと知っているのに、つい無防備に口をついてしまった。
卓馬はすぐに我に返り、いつもの軽い話であるかのように表情を戻した。
「でも、天光寺のあの人達は、特に害になりそうにないし、いざとなれば警備員やってくれそうじゃん。強そうだし」
「ま、な」
「他に、気になるヤツでもいるのか?」
やけに引っかかると思いながら聞いていた藤也に、卓馬が手を止めて藤也を見た。
「いつか綾と一緒に他校生が歩いてただろう。ひょろっとしてるわりに身のこなしが筋肉質の曲者っぽいヤツ。あれ、いつかの『玄幽会縁(ゆかり)ちゃん』だろ」
玄武帝・善知鳥景甫のことだ。
以前、女装していた時に藤也は景甫と会っているが、その時、卓馬と梶原も一瞬、姿は見ているはずだ。
「あいつの目当てって、綾だったのか」
さして気にもならないが、見過ごすこともできないというところか。
藤也が、いつもの勢いで言い切った。
「さぁ、知らないな。あまりあいつに関わるなよ。梶原にも近寄らせるなよ」
「それを藤也が言うの」
呆れてものが言えないと言わんばかりに、卓馬は踏ん反り返った。
「だいたい、なんだって藤也は綾の情報屋なんてやってんの」
藤也は真っ向から反論する。
「そんなもん、してないよ。介三郎が危なっかしいくせに、あんな曲者の相手をしてるから仕方なく知ってることを言ってるだけだ。あんまり関わりたくないんでね」
聞いている卓馬の眉間にシワが寄る。
「しっかり関わってるように見えるよ、藤也」
「・・・気のせいだろ」
やれやれと言わんばかりに卓馬は両肩を落として息をついた。
どいつもこいつも手がかかる。
「お前もつくづく因果なヤツだよな」
呪いの様に呟いた卓馬に、踏ん反り返る藤也がいて、遠くから段ボールを抱えた介三郎が明るい声で呼びかける。
「タク、片付いた?」
呑気な問いかけに卓馬が大きく息を吐いた。
「介三郎、頼むから察してくれ」
収拾がつかない状態となった足元のガラクタに片足を乗せ、逃げる寸前の藤也の襟首をむんずと掴み、卓馬は喚いた。
やはり、介三郎がいないと片付かないらしい。
シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅵ 巽卓馬