救いや祈りと対極にある私の音楽について。
当サークルから発行されている《syncシリーズ》の番外編となりますが、単独でも読める内容です。
「この歌が少しでも力になれたら、と思います」
災害で傷ついた人間に捧げられたその歌は美しくて、甘くて、傷口を瘡蓋のように覆ってくれるものだった。
そのバンドは、大地震のあとに出したシングルの収益を全て寄付したことでニュースになっていた。そこそこ売れているからできる芸当だ。売れていなければ、そんなことをしてもそもそも金が集まらない。
それに、彼らは災害のあとにいち早く応援のための動画を上げていたが、その動画の発言で叩かれてもいた。音楽よりもまずは金だ、というのが世の中の意見だった。けれどそのあと金だけ寄付することなく、収益を寄付する形にしたのは、もしかしたら彼らの意地だったのかもしれない。
この人たちは音楽に救われたことがあるのだろう。だからその力を心から信じている。物資やお金にはならないけれど、傷ついた心に響くものとして。でもそれは、音楽に救われたものにしかわからない言葉だ。
そもそも音楽に人を救う力などあるのだろうか。私はまだ音楽に救われたことはない。しっとりと歌い上げられるロックバラードに周囲の観客は涙を流して聞き入っている。けれど私は泣けない。素晴らしい演奏だと思う。心臓の鼓動のように響くバスドラの音や、音数は少ないながらもバンドを支えるベース。ギターの|歪んだ音は泣いているかのように切なくボーカルの声に寄り添って、ボーカルはその音に支えられて、優しく、しかし力強く音を紡ぎ続ける。音は少ない。本当にシンプルな曲だ。けれど音と音がバラバラになって散らばることはなく、一枚の絹布のように流れ込んでくる。これは人を助けたいと思う、祈りの歌。それはわかる。でも、私が今必要としているのはこれではない。
悔しい、と思った。この曲は多くの人のもとに届き、その心を揺らすだろう。でも私は大抵それから取りこぼされてしまう人間だ。流行歌のような恋愛なんて縁がなかった。家族に感謝はしているけど、別にそういう歌で感動できたりはしない。流行りの音楽はクラスでちゃんと居場所を見つけている子たちのもので、教室に浮かぶ島のどこにも属さない私に、相応しい音楽は存在しなかった。
でも、忘れられない音はある。それはこのバンドのボーカルの声と少し似ていて、全く違う声。あれは悲しみを包み込む優しさと、傷を抉る冷たさの両方が含まれていた。心臓に突き刺さった棘は今もまだ消えずにある。小学校の夏、家族で出かけた高原での思い出だ。
どんな音楽も手を差し伸べてくれなかった私を、あの声は一瞬で貫いた。あの声がなんだったのかはわからない。もしかしたら私が見た白昼夢だったのかもしれない。
でも、ひとつだけ確実なのは、あれは私を救おうとした音ではなかったということだ。どちらかといえば、あの音は私を焼き殺そうとしていた。
音楽で人が殺せるものか、と言う人もいるだろう。それは音楽で人が救えるのか、という疑問と表裏一体だ。音楽が人を救うほどの力を持つものなら、そこまで心に響くものなら、殺すことも不可能ではないはずだ。
私が求めるのは救いの音楽ではなく、呪いの音楽だ。音だけで心を殺す、それができるほどに強烈な音だ。けれどそんなものは、少なくとも私が知る限り存在しない。
ないのなら作ればいい――|情熱という意味を持つ花の名を私につけた男がかつて言っていた。
そう。ないなら作ればいい。呪いの音楽を。世界にあまねく広がっていく、人を殺せるような音楽を。
そのために、私が今できるのはただ一つだ。あの声の持ち主が現れるまで漫然と待つわけにもいかない。そもそもどこにいるのか、存在しているのかもわからないのだ。もし出会えたのなら逃すわけにはいかない。だからそれまでに私はその声に持たせる武器を――曲を作らなければならない。あの声は、最初はするりと耳に入ってくる甘さがあるから、その武器は後から効いてくる毒がいいだろう。
私はステージで祈りの歌を歌い続けるボーカルに目をやった。決別の時だ。もしかしたらいつか同じ土俵に立つかもしれないけれど、今はずっとずっと遠くにいる存在。私の求める音はくれなかったけれど、多くの人に愛されるバンド。別に打ち負かしたいわけではない。ただ向かう場所が違うことに気付いたのだ。
この音楽は多くの人を救うのだろう。でも私が今から作るものは多くの人には毒になるものだ。私を受け容れなかった世界が、少しずつ毒に蝕まれていく。私が見たいのはそんな光景だ。
ありがとう、と歌い終わったボーカルの男が言う。私は一人、その安堵の表情を見つめた。ありがとうはこちらの台詞だ。ここに来てよかった。おかげで私は私の道を見つけることができた。
さあ行こう。あの夏の草原へ。私を貫いたあの音を、この世界に響かせるために。
そして、私は私の音楽の要となる声を手に入れた。
何という皮肉だろうか。その声の持ち主は、私が馴染むことの出来なかった世界の中に生きる人だった。けれどその声はやはり私の音楽に相応しかった。鍵と鍵穴のように、ひとつのものとして、ようやく私の音楽が動き出したのだ。
「音作りに関しては君がこの出来たての国の女王だ。それでも不満?」
マネージャーの美鳥が言った。。私はこの音の世界の女王になる。それは決して悪い響きではなかった。
私の手元に武器が揃い始めている。世界を呪う音楽を、人を殺せるほどの音楽を奏でる準備は整った。出来たての王国に、|城は先輩からのお下がり。それでもようやく、私に道を示したあの人たちと同じ土俵に立てるのだ。私は昂ぶる感情を隠すために、飲み終わったパッションフルーツジュースのストローを咥えた。
とにかく、もう少しだ。私は全ての鍵となる声の持ち主――蒼に目をやった。
救いや祈りと対極にある私の音楽について。