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 スマートフォンが携帯電話市場を席巻するまでにかかった時間は驚くほど短かった。スマフォは厳密に言うと携帯電話ではないので最早ケータイなるものは絶滅の一途を辿っているのかもしれない。
 なぜ、スマートフォンが目を見張る間もないスピードで世の中に浸透していったかというと諸々の理由があるが、一番の起因を挙げろと言われたら「桐ヶ峰」が真っ先に挙げられる。
 桐ヶ峰――正式社名は桐ヶ峰R&B。ITやPC関連の事業を筆頭にデジタル的なものにこの会社が関わっていないことがないと言われるほどの大会社である。もちろん携帯電話市場も例外ではなく、機種やOSそしてアプリなどで熾烈な競争を繰り広げていた会社たちをまるまる牛耳ってしまった。桐ヶ峰の影響は海外にまで及び、その技術力は戦争のやり方をも変えてしまうとまで囁かれている。そんな偉業――というか無茶をやってのけるのが桐ヶ峰であり、アナログなものが徐々に減退していっているこの世界は既に桐ヶ峰の星といっても過言ではなくなっていた。言っておくが何世代か前の某エアコンでは決してない。
 
 そんなメカメカしい今は2015年。そしてここは日本の地方都市である。
「ここも電波入らなくなってきてるのかな」
 僕は折りたたみ式携帯を空に掲げひとりごちした。
 こんなご時勢でもケータイを使っている人間はいる。ここにいる。かつて繁栄を極めた会社のケータイも今はまだかろうじて使える状態だ。しかし、最近になって基地局やら何やらがこれまたやはり桐ヶ峰に吸収されるといった流れが起きはじめているらしく、電話とメールが使えればとりあずはまあいいやというのが心情の僕にとってはえらく迷惑な話である。
 特に今のように急ぎのメールを送りたい時には非常に困る。
 僕は一向に成功しない「送信エラー」の文字に業を煮やしたので、昔聞いたことがある嘘のような噂を試してみることにした。
 天に手を思い切り伸ばし、そしてぐるぐる回す。回す。回す。ひたすら回す。
 この勢いで飛べるんじゃないかというくらいに手を回しているとフフッと笑う声が聞こえた。声がした方を振り向くと今度はカシャッという機械音がした。
 声と機械音の出所はどうやらこちらを見て笑う女子高生のようだった。僕と同じ高校の制服であるブレザー姿、肩には学生カバンを引っさげている。そして顔には眼鏡、ではなく眼鏡のようなものをかけている。
 レンズ以外の部分はゴムのような素材でできいておりレンズはシアン一色で目を窺うことはできない。例えるなら昔あった3Dメガネなるものによく似てる。とはいえもっと軽そうでデザインもまあスタイリッシュだ。この眼鏡もどきも今の世を占める桐ヶ峰ブランドのスマートフォンのひとつである。目にかけるそれはフォンなのかと疑問にもなるが。
 僕がぽかんと女子高生を、主に眼鏡っぽいものを見ているともう一度カシャッという音がした。その後女子高生は一瞥もくれず去っていってしまった。どうやら写真を撮られたらしい。
 まったく、これだから女子高生ってやつは……。いや、これは決して偏見ではなく僕の経験に基づく累積データ上の結論である。女子高生に限らず周りの人間はアナログチックな僕にどこか嘲笑的な態度をとるのである。
 一応言っておくが僕は機械オンチなわけではないことを注釈しておく。この折りたたみ式携帯電話を使っているのもスマートフォンに替える必要性を感じないからだ。どうでもいいアプリをダウンロードしたり、音楽を聴いたり、ネットをしたり……他にもいろいろあるわけだがそれをわざわざひとつの媒体に集めなくてもいいと思う。アプリは特に興味ないし、音楽はゆっくりとした環境で聴きたいし、インターネットはパソコンで事足りる。
 ――というのは結局僕のような時代遅れの意見であり、事実世界ではユーザのニーズは留まることを知らず、ビジネスはそこに着眼し拡大してきたわけだが。……しかし、どうにもこれでいいのかという漠然とした危機感が僕にはあるのだ。
「っと、なんてこと考えてる場合じゃないか」 そうだ、僕は取り急ぎ用事があったのだ。
 ケータイのディスプレイを覗き込むとそこには相変わらず「送信エラー」の表示。
「まあいいか。アポなしでも」
 時刻はただいま午後4時30分。 ケータイをたたみポケットにしまう。
 僕は古典のノートを借りるべくクラスメート宅へ足を向けた。
 現段階における僕の最大重要事項は明日の古典のテストを乗り切ることにある。


 目的のクラスメートの家に着くと僕はチャイムを鳴らした。備え付けの自動受付システムから機械音声が流れてくる。
<いらっしゃいませ。アポイントメントはおありでしょうか>
「ない」
 そっけなく応える。
<認証カードはお――>
「持ってない」
<お名前をどうぞ>
「和乃明石(わの あかし)」
<少々お待ち下さい>
 そう言って機械音声はぷつりとやんだ。
 まったく面倒くさい。人と会うのにわざわざ機会を中継しないといけないなんて。
 そうやって玄関先で手持ち無沙汰にしているとやがて玄関の戸が開いて人が出てきた。
「はいはいはい、と」
 出てきたのは僕のクラスメートである藤原リナだった。彼女は高校一年の時からのクラスメートであり二年生になった今でもそれは続いている。女子にしては割とさっぱりした性格で付き合いやすいし、成績もなかなか良い。そういうわけでテスト前なんかは特に懇意にしてもらっている素晴らしい友人なのだが
「その格好はどうにかならないのか」
「え? 普通の部屋着だけど」
「え? そうなのか?」
 僕は女子の部屋着に関して大して詳しくないのだが、目の前の一例であるヘアバンドに白のキャミソールにショートパンツという組み合わせが普通だとするなら世の中の女子高生はずいぶんと解放的な身持ちらしい。先ほど僕の写真を撮っていった娘も家ではこんなんなのだろうか?
「何想像してんの?」
「いや、顔までは想像してない」
 顔はスマフォで隠れていたからな。
「は? ……まあいいけど。とりあえずあがっていく?」
「それじゃ、お邪魔します」
 靴を脱いで藤原の後をついて行く。廊下の突き当たりにあるドアを開けるとその先にはリビングがある。藤原の家に来るのは今回が初めてではないがやはり女の子の家というのは緊張するな。
「誰もいないからゆっくりしていって」
「…………」
 僕はそれになんて反応したらいいんだ。他意はないのだろうが勝手な妄想をしてしまうのが男という生き物なのだ。そんなことを言われてしまったら勘違いしてしまうじゃないか。
「せっかくだけどあんまり悠長にしてられないんだよ。ほら、明日古典のテストだろ? だからノート借りに来たんだけど」
「ああ、そういうことね。はいはい、わかったわかった。あ、麦茶でいい?」
 リビングと隣り合っているキッチンから藤原が訊いてきた。
「いや、せっかくだけど長居は」
「まあ、座ってて」
 ソファに座る僕。まあ少しくらいならいいか。
「しかし、どんなに時代が進んでも古典の授業はなくならないんだな」
「そりゃそうね。古典がなくなったら現国も意味を失くしちゃうもん」
「ん? どうしてだ」
「だって現国もいつかは時代が流れて古典になっちゃうでしょ。まあ、文学に限った話じゃないけど貯金がないってのはいささか大変よね。いちいちゼロからのスタートなんて」
 確かに昔があってこその今があるというのはよく聞く言葉だけれど、でも僕の場合そういう過去を知るという点では自分のルーツをよく知らない。僕もまた過去の産物だとするならその僕が誕生するにあたって必要不可欠だった両親という存在が今はもういないからだ。
 両親のことは何も知らない。名前も死因も何も知らない。僕は親戚に預けられるわけでもなく気づいたときには孤児院で育っていた。だからと言って別に両親のことを知りたいとは思ってこなかった。
「僕には温故知新の精神がないのかな」
「ないんじゃない。ノートだってとってないわけだし」
 麦茶を運んできた藤原がばっさりと言い放った。
「言っておくが僕は過去をないがしろにしているわけではないぞ」
 ポケットからケータイを取り出す。
「こうやって過去のものを大事に大事に使っているし」
「あー思い出した。和乃君、さっさとスマフォに替えなさいよ。私のだとケータイにはもうアクセスできないのよ」
 送信エラーはお前のせいか。いや、僕のせいなのか?
「いやだよ。まだ使えるし」
「なんでよ。ていうかなんで嫌がるのよ。スマフォの方が便利じゃない」
「僕は簡単に流行に乗らない主義なんだよ。温故知新だよ。むしろ故きを温ねて故きに感嘆するタイプなんだ」
 発展の兆しがまったく垣間見えない。
「ふーん」
 ふーん、て。
「というわけだから古典のノート貸してくれよ」
「何がというわけだかわからないけど、それは無理」
 これは予想外の展開だ。いつもならすんなり貸してくれるのに。スマフォに替えるのをしぶったのがまずかったのかな? もし、そうだったら今からでも替えに行くにやぶさかではないが……。ついでに藤原とペア契約をしてもいい。
「なぜだ。わけを聞かせてくれ」
「いや、いつもの定期テストなら問題ないんだけど明日のテストって今日いきなり言われたじゃない? だから私も勉強しないと」
 なるほど。至極全うな理由だ。
「どうやっても貸してはいただけないのか?」
「無理。貸せない」
「リナ様は相変わらず見目麗しい。よっ! 女子高生の中の女子高生。女子高生最高!」
「無理。ていうか女子高生がそんなに好きなの」
 これは困った。このままでは僕の一学期の古典の成績がまずいことになる。それこそ過去の汚点になりかねない。ちなみに僕は年上派だ。
 僕がどうにかノートを借りるための算段を考えていると、
「ここで一緒にやればいいじゃない」
 なんてことを言い出した。
「いや、さすがにそれは……。家の人にも迷惑だろうし」
「だから誰もいないって。帰ってくるのも遅いし」
 そう言って藤原が僕の隣に腰掛けてくる。二人掛けのソファだから問題ないが、これは少しくっつきすぎじゃないかってくらい近づいてくる。さすがに年上派といえど僕も男なので、いろいろかきたてられないわけにはいかない。
「藤原さえよければ僕は別に構わないんだが」
「じゃ決まりね。待ってて、ノートとってくる」
 藤原はリビングを出て行き。二階へ上がっていった。
 緊張から開放されて溜め息をもらす。
「……」
 しかし、温故知新か。過去を知るということは悪いことではないと思う。でも、それは学べるものが過去しかないということではないだろうか。仮に未来を知ることができたらどうなるんだろう。僕はそこから何かを学ぼうとするのだろうか。



 それから僕と藤原は古典のテスト勉強に勤しんだ。もともと藤原のノート目当てできた僕だったが、藤原と一緒に勉強するということになったのでノートは僕と藤原の真ん中に置くという形がとられた。そういうわけで二人の体も自然と近づくことになったわけだが、藤原の密着度具合は不自然なほどに超近距離だった。
 白のキャミソール、ショートパンツ、女子高生。この組み合わせを健全な男子高校生の目の前に提示すれば、どんな煩悩意欲が沸くかは男子諸君なら容易に想像できよう。僕は女子ではないのでこういうシチュエーションで女子がどんな反応を示すのが一般的なのかは残念ながらわからない。というかそれはただの女子と女子との単なる友達同士、ということになるのか? 僕は想像力がそれほど豊かではないので女子と女子で何かを妄想するということはない。

 時刻はただいま午後七時二十七分。十分に夜と言える時間帯になってしまった。
 僕はアパートに一人暮らしなので帰りが遅いと心配されることはないのだが、まだ高校生の身としては不用意に夜遅く出歩くことは避けたい感じだ。
「さてと、そろそろ帰るかな。ありがとう藤原。これで明日のテストはなんとかなりそうだ」
「そう。それはどういたしまして。ところでお腹空いてない?」
「まあ空いてるけど」
 頭脳労働もしたしなかなかの空腹具合ではある。
「じゃあ、夕食を食べていかない?」
「いやいやいや、今度こそさすがに遠慮させてもらうよ」
 彼女でも幼馴染でもないのにその両親と夕食を共にするというほどの勇気はない。それは向こうにしたって同じことだろう。
「大丈夫。お父さんもお母さんも今日は帰ってこないから」
「……………………え」
 なんか聞いた話と違うんだが。帰ってくるのが遅いのではなく、帰ってこないのか。
「どうせ帰ったところで一人でしょう。ならここは一人もの同士仲良くしましょうよ」
「いや、でもなぁ……」
 僕が言いよどんでいると藤原がすっくと立ち上がってキッチンへと歩いていってしまった。
「カレーとシチューどっちがいい?」
「あ、じゃあカレーで」
「そう。じゃあ少し待っていて」
 結局ご馳走になることになってしまった。
 藤原がどのような意図で僕を夕食に招待したのかは定かではないが、まあ女子の手料理をいただけるという機会をみすみす棒に振るというのは神様にも藤原にも悪い気がするのでよしとしよう。
「なんか手伝おうか」
「いえ大丈夫。温め直すだけだから」
「なんだ、もう作ってあったのか」
「ええ、実は作りすぎてしまっていてね。それはもう三日間は三食カレーというくらいの量を。和乃君が来てくれて助かったわ」
「ならなぜカレーかシチューか聞いたんだ」
「いえ一応マナーというかなんというか。『ご飯にする? お風呂にする? それともあ・た・し?』みたいな」
 やたら可愛らしく台詞をいう藤原であった。
「だったら第三の選択肢までつくってくれよ」
「そんなの嫌よ。それとも和乃君は私という存在をカレーやシチューと同レベルの存在だと思ってるの? ちょっと食べてやろうか的な感覚で私を見てるのかしら」
「そんなことはないけど」
 なぜそんなにも挑発的な態度をとるんだ。
「おっと、雑談してる間にカレーがあったまったわ。さすが最新式のIHだわ」
「へー、そんな便利なものまであるんだな。それ桐ヶ峰製か?」
「ええ。うちのデジタル製品も概ね桐ヶ峰製になってきたところよ」
 ちなみに僕はまだガスコンロを使っている。メーカーも桐ヶ峰ではない。
 藤原は二人分のカレーをリビングまで持ってきた。今度は隣に座ることなく僕の向かいに座った。
「いただきます」
「どうぞ」
 スプーンですくって一口。
 …………。
「どう?」
「うん、うまい」
「そう。なら今度はこっちを食べてみて」
 藤原は自分の分のカレーを自分のスプーンですくって差し出してきた。
「あーん」
 これは喜ぶべき状況……なのか。拒否するのもなんだか怖いので素直にあーんをされる僕。
 あれ? なんだか味が違うような。
「どう?」
「うん、普通にうまいかな」
「さっきのとどっちがおいしい?」
「え? 同じじゃないのかよ」
「実は片方がレトルトで、もう片方が私の手作りなの」
 なぜそんな試すような真似を――というかこれはまずいぞ。レトルトのほうをおいしいなんて言ってしまったら藤原は怒るに違いない。
「で、どうなのかしら」
 自分の味覚を信じろ僕! ああ、なんか汗かいてきた。この汗はカレーの熱さと辛さではないのは言うまでもない。
 こちらをじっと見つめてくる藤原。心臓の鼓動とそれに伴う血流が体全体が知覚している。
 はやく決めなくては。こういうのは時間が経つのが一番まずい気がする。
「……こっち、かな」
 僕は意を決して自分側の皿を指差した。
「あら、そう」
 にっこりと微笑む藤原。どうやらあたりを選んだらしい。よくやった僕の味覚!
「どういう風においしかった?」
「え、そうだな。僕が今まで食べてきたカレーの中で一番おいしい。いやホント。やっぱり人に作ってもらったものには愛情が入ってる分さらにおいしさが増すな」
「そう」
「ああ」
 自分の側にある皿をもう一口食べようと手を伸ばしたところで藤原が溜め息をついた。
「私もレトルトに負けるようではまだまだみたいね」
 スプーンを取り落とす僕。甲高い音が静寂に包まれるリビングに響き渡った。
「それにしても和乃君は機械が作ったものに愛情を見出す特殊な性癖の持ち主だったのね。衝撃的な事実だわ」
「えーと、藤原……?」
「あ、そうそう参考までに聞かせてほしいのだけれど和乃君のお母さんが作ったカレーとどっちがおいしい? あっとゴメンナサイ。あなたはそんなもの食べたことないのだったわね」
 タブーにあっさり触れてくるあたり相当怒っているようだ。
「ちなみにそのレトルトはお父さんが自分用にと買ってきた少しお高いものなの。お父さんそれを食べるの楽しみにしていたわ」
 それは僕のせいじゃない。
「なんていうか、うん、僅差だったよ。藤原が作ってくれたのもほんとにおいしかった」
「私のカレーはレトルトと僅差で負けるような味だったと」
 墓穴を掘ってしまった。しかもこれは地球の裏側まで到達する深さだ。
 光彩を欠いた藤原の眼から発せられる視線が僕を突き刺してくる。これは……辛口な言葉よりこたえる!



 辺りはすっかり暗くなっており申し訳程度に設置してある街頭が夜道を照らしている。
 あの後、僕は藤原に追い出されるように家を出てきた。

「ああ。無理して食べなくてもいいのよ。所詮レトルトとそれ以下のカレーなんだから」

 何もあそこまで怒らなくてもいいだろうに。
「あー腹減ったな」
 早く帰って何か作って食べようと帰路を急いでいると、いつも学校への道中に通過する神社の前に出た。いつもは素通りする場所だが思わず僕はそこに立ち尽くしてしまった。
 石段の向こう側は放置された挙句大いに生い茂った木々によって見通しがよくないので本殿は見えないのだが、今注目すべきはそこではない。
 目を見張る僕の前では生い茂る木々の高さを悠々と超え、空にも届くようなくらいの稲妻のような光が立ち昇っていた。大気が揺らされているような空気の変動と機械がショートしたようなバチバチという音が小さいながらも聞こえてくる。
 呆気にとられてその様子を見ていたが、そのうち謎の現象は終息していった。周囲にまた暗闇と静寂が戻ってくる。
 ごくり、と生唾を飲み込む。
 何かの実験――なわけない。街中、しかも神社でこんな物騒な実験をするわけがない。そういった常識的な考えが働いたのはもちろんだが、それ以上にこの場合「神社」という場所こそがこれは異常事態だということを僕の脳が喚起していた。今は2015年。今や世界は0と1、マイクロチップ、AI……etcで出来ている。

 神様などという非科学的な存在を祀る場所で起こったこの現象は単なる科学的事象ではないはずだ。

 どうする。行くか?
 結局、迷ったのは一瞬だった。好奇心に身を任せ石段を駆け上る。
 木々の影で歩道よりさらに暗い階段を転びそうになりながら上り終えると閑散とした光景が広がっていた。足元を見る限り長年の間つもりに積もったのであろう枯葉が敷き詰められていた。暗くてよく見えないが参道の少し奥には本殿らしきものの輪郭が見える。
 右に左に視線を走らせるが神社は静まり返っているだけで、特に変わったところは見受けられない。さきほどの稲妻で火災が起きているかとも思ったのだがそんなこともなかった。
 僕の息遣いだけが聞こえる中で不意に風が吹いた。
 空にかかっていた雲がゆっくりと流れていく。そうして今まで姿を隠されていた月が徐々に現われてきた。明かりが何もなかった神社に淡い月の光が降り注ぐ。
 参道の真ん中あたり、月光に照らされ一人の少女が倒れているのを僕は見つけた。


 僕は警戒しながら少女に近づいていった。
 神社+少女と言えば僕の場合「巫女」を連想するのだが、今僕の目の前に倒れている少女はおよそ巫女らしくない服装をしていた。神社や寺があまり重要視されなくなってきている昨今、巫女さんを直に見ることはもうほとんどない。しかし、そんな僕が絶滅危惧種に指定している巫女さんよりも珍しい格好をその少女はしていた。その異質さを一文で表すなら“この時代の日常にはおよそ似つかわしくない格好”だ。ずいぶんとアバウトな表現ではあるが逆の捉え方をするとそれは“日常と呼ばれるものからは当てはめられるものが一切ない”ということである。
 ここまで言ってしまうと「じゃあ一体どんなとんでもない格好をしているんだ」ということになるが、服の形状としてはいたって普通である。どんな格好かと言うと、ロングコートを羽織っておりその下から白のライダースーツのようなものが覗いている、という少々マニアックなものだ。この組み合わせが日常において普通であるかどうかは首を傾げるところだが、ここで特筆すべき「似つかわしくない」点というのは少女の体を覆うそのロングコートがまるで消えかけの立体映像のようなノイズを起こし、一瞬見えなくなっていることだった。
 そして少女の傍らにはさらに非日常的かつ危険性大と言えるものが落ちていた。
 それはどこからどう見ても「剣」だった。細身の刀身はなんとなく日本刀に近いものがある。よく切れそうな両刃だが赤銅色の刀身はどことなく鈍器のようなイメージに近い。月の光で鈍く光っている剣はある種神聖な雰囲気があった。
 なぜこんなものとセットになって倒れているのか非常に気になるが、今優先すべきは倒れている彼女の生死だ。少女の側に屈むと口元に手を当てる。
「息はあるな」
 どうやら気絶しているだけらしい。次にどこか怪我をしていないか調べる。ロングコートが邪魔でよくわからないので、うつ伏せになっている彼女の体を仰向けにした――したところで僕は目を見開いた。
(お、大きい!)
 何が大きいかは説明する必要がないだろう。何が大きいかわからない人は仏陀にも負けない煩悩キラーくらいだ。
「じゃなくて!」
 僕はここでぐっと力を入れて体の震えを抑える。この震えは決して大きいそれを見た歓喜の震えではない。僕はそのおぞましい光景により恐怖に震えたのだ。
 彼女の着ている白のライダースーツが腹部を中心に真っ赤な血で染まっていた。血はまだ生乾きで彼女の体からそれを支えている僕の手にも伝ってきた。
 人間が失血死する血液の量がどれほどなのかは知識を持ち合わせていないが、白のライダースーツが70%ほど血に染まってしまっているところを見るとこれはまずいと素人目にもわかる。こういう場合は患部を圧迫して止血をしたほうがいいのだろうかと生半可な知識を少ない引き出しから引っ張り出す。
「いや、その前に」
 そこまで考えて僕は真っ先にやるべきことへとやっとこさ思い至った。ケータイをポケットから取り出し開く。生まれて初めて押すその番号を焦りながらプッシュする。こういうときの定番である「110番って何番だっけ!?」みたいな愚行を侵さないのは僕の誕生日と数字が一緒だからだ。十一月九日。
 番号をプッシュし終えると耳にあてる。そして僕は絶句する。ケータイから聞こえてきたのはオペレーターの声ではなく、虚しく響く不通の電子音だった。
「なんでだよ!」
 イライラしながらケータイのディスプレイを見るとそこには「圏外」の表示。
「くそっ!」
 こんなことなら藤原の忠告を素直に聞いておくんだった。最新型スマートフォンならこんな間抜けな事態にならなかったかもしれない。
 最善の手段が断たれた今、僕はさきほどの手段に経ち帰る。僕は意を決して首まできっちりと上げられている少女のファスナーを掴み一気に下ろす。
 そこでまた僕は僕の予想に反した光景に目を丸くした。てっきりそこにはグロテスクな光景が広がっていると思っていたのだが、そこには二通りの意味で嬉しい光景が広がっていた。なんと少女の腹部は擦り傷一つなく健全なもっちり美肌だった。
 ほっと胸を撫で下ろした僕だったが、そこでまた一つの疑問が頭に浮かぶ。
 
 じゃあこの血は誰のだ?

 これが目の前にいる彼女の血ではないとすると、なぜ血を浴びているのかという理由を考えると……。
「……ぅうん」
 少女がうめき声をあげた。閉じられていた瞼がゆっくりと開かれる。
 彼女はまず僕を見てそれから周囲を見回し、その後自分を見た。彼女はそこまで見て驚愕に目を見開く。それはなぜかというと彼女のライダースーツは僕の善意によってけしからん状態になっているわけで。
「きぃやぁあああああああああああああああああ!!」
 少女はさっきまで沈黙していた人間とは思えないような大絶叫をあげながら右ストレートを繰り出してきた。まともにそれを喰らった僕はそのまま後ろに吹き飛ぶ。女の子とは思えないパワーで繰り出された拳は体だけではなく僕の意識まで吹っ飛ばし、僕の視界は一瞬のうちにブラックアウトした。


 鉄の味がする……・。
 口元に違和感を感じ、手の甲でそこを拭ってみてみると血がついていた。なぜかわからないが右頬がズキズキする。
 とりあえず横たわっていた体を起こし辺りを見回す。
 どうやらここは神社らしい。空に浮かぶ月が静かに僕を見下ろしていた。
「あれは夢だったのかな……」
 もう一度瞼を閉じ、少し前に見えていた幸せな映像を思い出す――あれは大きかった。
「しかし、現実に血が出るなんてリアルな夢だったな」
 とりあえず家に帰ろうと立ち上がったところで後ろから声を掛けられた。
「待ちなさい」
 どうやらあれは夢ではなかったらしい。わかってたけどね。
「質問に答えて下さい。今は一体いつです?」
「とりあえず、僕に突きつけているそれをおろしてもらませんかね」
 僕が相手の方を振り向かないまま会話しているのには理由がある。背中に尖ったものを突きつけられているのだ。それはきっと赤銅色の剣だろうと容易に想像できた。刃物を突きつけられた場合には「冷たい感触が」という表現を使うのが定石だと思うのだが、僕の背中は今ストーブにあたっているようにじりじりと肌が焼けるような感覚を味わっている。
「あなたに危険がないと判断できたらそうします」
「言っておくけど僕は何もやましいことしてないですよ」
 返事はなし。どうやら完全に疑われているようだ。
「いいから質問に答えて下さい。今はいつです?」
 質問の意味がよくわからない。ここはどこ? とか今は何時? とかならまだわかるのだが。
「今は七月六日だね」
「何年の七月六日ですか?」
「2015年」
 そう言うと背後に感じていた殺気のようなものが少しゆるんだ。
「それを証明するようなものはありますか?」
 再び背後の空気が張り詰める。
 ずいぶん用心深い性格だな。まあ、当たり前か。
「ズボンのポケットに電車の定期が入ってる。確か発行年月が打ち込んであったと思うけど」
 電車の定期もある程度システム化され、プラスチックカード型に完全シフトしている。
「見せようか?」
「いえ、私がとります。あなたはそのままで。どのポケットですか?」
「右側」
 背中に突きつけられていた剣が首にあてがわれ、少女の手が右ポケットに侵入してくる。
 心臓が一回大きく脈打ち、体がぶるっと震える。
「……? ありませんよ」
 少女がごそごそとポケット内をまさぐる。
「ごめん。左だった」
「ふざけてるんですか」
 怒気がこもった声で叱られた。
 しかし、僕は決してふざけたわけではない。断じてポケット内をまさぐられたかったわけではない。僕は機転をきかせたのだ。
 その証拠に少女の手が左ポケットをまさぐる事態にはならなかった。
 彼女は今左手で剣を持っている。そうすると必然的に左ポケットをまさぐるには右手を使うしかない。しかし! 剣を首にあてがった姿勢では右手を使い左ポケットをまさぐることは腕の長さや関節的に無理がある。定期を手に入れたくば僕を解放するしかないのだ。さあ、まさぐれるものならまさぐってみろ!
「とれないんですか?」
 軽く挑発してみる。
「はい。しょうがないのであなたを殺してとることにします」 
「ごめんなさい。何もしないので許して下さい」
 生殺与奪とはこのことか。
「まあいいです。どうやらあなたに危険性はないようなので」
 少女はそう言うと僕の首から剣をどけてくれた。
 あれ? もしかして今、暗に「お前アホだからまあいっか」って言われた?
「早くそのテイキとやらを出して下さい」
「はいはい」
 僕は左ポケットから定期を取り出し、それを渡すべく振り向いた。
 そこには先ほど倒れていた少女が剣を片手に立っていた。僕はその姿を見て思わず固まってしまう。僕とたいして変わらない年齢に見えるが、その凛々しい立ち振る舞いからはある種の荘厳さが感じられた。それは育ちの良さを感じるといったことではなく比喩を用いて表すなら、この時代の人間が持つ空気の色が黒だとしたら彼女が醸し出す空気は白だ。
「拝見しましょう」
「え、あ、ああ。はい」
 彼女の声で我に返って定期を渡す。彼女はさっと目を通し納得したようにうなずく。
「どうやらここは本当に2015年のようですね」
「信じてもらえましたか? 僕は生まれてこのかた嘘なぞついたことはないんですよ」
 彼女が目を細めじろりとこちらを見てきた。どうやら冗談が通じない相手らしい。
「ワノアカシ」
 不意に彼女が僕の名を口にした。ああ、定期に打ち込んであったけ……。
 僕が次の言葉を待っている間、彼女は値踏みするような目でじろじろと僕を観察した。一通り観察し終えたのか彼女は目線を僕の目に戻した。
 そして次の瞬間、先ほどまで感じていた荘厳さからは想像できない表情――背筋が凍るような冷笑を浮かべながらこう言った。
「ワノアカシ。探す手間が省けました」
 僕の体がぶるっと震えた。


 二階建ての木造建築。部屋の数は全部で6部屋。部屋の間取りは六畳一間でトイレと風呂付き。
 これが僕――和乃明石の住むアパートである。木造の建物も最近ではめっきり少なくなりつつある中で、いまだにしぶとく生き残っている安物件。とは言ってもお金がない高校生の僕にとってはありがたい。とりあえず高校卒業までは取り壊されずにもってほしい。僕はこのレトロでクラシックなところがけっこう気に入っているのだが、
「とんだオンボロ住宅ですね」
 このやろう。僕の城になんてこと言うんだ。
「で? あなた一体何者ですか」
 神社で出会った謎の少女。彼女の次なる要求は「あなたの家に連れて行きなさい」だった。
 これが恋人という意味での彼女に言われるのだったら心躍るイベントなのだが、剣をちらつかせながら言われたのでは脅し以外のなにものでもない。
「これは失礼しました。私はヒガミ・シオギといいます」
 正座の状態から丁寧にぺこりと頭を下げた。艶のある黒髪が顔にかかる。
 しかし、こう改めて見ると整った顔立ちをしているな。分類するなら美人のカテゴリーだけど頭のカチューシャが可愛いらしさを演出している。血まみれのライダースーツを着ているのが玉に傷だが。ライダースーツに血の組み合わせって事故起こした人にしか見えないよ。加えて彼女の隣には畳まれたロングコート、そして剣が置かれている。これでは他の誤解も招きかねない。
「『ひがみしおぎ』さんですか。どういう漢字書くんですか?」
「漢字は使いません。カタカナで『ヒガミ』『中黒』『シオギ』でヒガミ・シオギです」
「日系外国人とか?」
「いえ、生粋の日本人です。ちなみに『中黒』はミドルネームではありませんよ」
 それくらいわかってる。……にしても日本人なのにカタカナか。
「えっと、もう少し詳しく聞きたいんですけど。あなたが何者か。名前じゃなくて、こう職業……とか?」
「そうですね。むしろそれは私からお話したいと思っていたところです」
「そういえばさっき言ってましたね。僕を探す手間がなんとか」
「はい。少し長い話になります」
 ヒガミさんが居住まいを正す。
「かまいませんよ。僕としても事情を把握しておきたいですから」
「いえ。長い話になるのでお茶かなにか出してもらえませんか」
「……」
 この人口調は丁寧だけど人間として何か欠けてないか? というか似た人物を僕は知っているような。まあ、それはこの際どうでもいい。
「コーヒーでいいですか?」
「本当のところは紅茶をいただきたいのですが、まあこの部屋を見る限りそんなものがあるように見えないのでコーヒーでかまいません。あっ、砂糖は二つでミルクもつけてください」
 やっぱり何かが欠けている。
「すみません。砂糖はあるんですけどミルクはないです」
「ちっ」
 舌打ちしたよ、この人。
「では砂糖だけでいいです」
「……わかりました」


 コーヒーも用意できたところで彼女が話を始める。
「まず始めに申し上げておきますが、私はこの時代の人間ではありません。もっと未来から来ました」
 どこかで聞いたようなことを言うヒガミさん。
 しかし、これはある程度予測していた台詞だ。「今がいつか」なんて訊いてくる人間はあきらかに“今”の人間じゃない。それだったら残る選択肢は二つ。すなわち過去の人間か未来の人間だ。
 ある程度予測はしていた。してはいたが、これには驚かざるをえない。いくら桐ヶ峰が便利な道具を造っていると言ってもタイムマシーンまで造ったという話は聞いていない。だが、未来ではあるのだ――時を駆ける装置が。その驚愕と喜びの事実に僕はこう叫ばざるをえない。
「っんマジでぇえええ!?」
「んまじでぇ……? 何語ですか?」
 あれあれ? おかしいな僕の「マジで」はそんなにもエキセントリックな発音なのだろうか。
「あの、『マジ』知らないんですか? 本気と書いてマジのマジなんですけど」
 なんだかこれでは「本気と書いてマジっていうんだぜ」「マジで!」みたいな感じだな。
「知りません」
 おかしいな。年はそれほど僕と離れちゃいないように見えるけど。もしかして未来ではマジは死語になっているのだろうか? それこそ「マジで!?」と言いたい。
「えっと、じゃあ例えばですけど友達が『聞いてくれよ。俺さっき女の子に告白されちゃったよ』って言ってきたらどう返事するんですか?」
「『自慢なら他所でして下さい』」
 容赦ないカウンターだ。
「それじゃ『一億円拾っちゃったぜ』には?」
「嘘をつきなさい」
「『実は僕、本当は女の子なんだ』」
「それはそれで需要があるのではないでしょうか」
「『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ……』」
「やめておきなさい。あなたには死相が見えるわ」
 いや、確かに会話にはなっている。それどころかある意味的を得た切り返しとも言える。
 だけど僕が聞きたいのはそんな言葉じゃない。僕が聞きたいのは、とりあえずこれだけ言っとけばいいという魔法の言葉なんだ。ここまで続けても出てこないなんて「マジ」はどうやら本当に消滅しているらしいな。
 くそ、同じ日本語で会話しているのにまったく会話できていないように感じる。
 わけがわからないよ。
「茶番はこれくらいにして」
 僕はわりとマジだったんだが。
「本題に入ります」
 ヒガミさんが背筋をピンと伸ばし、顔を引き締める。
「では、ここからは私の一人称でお話することにしましょう」
「……」
 シリアスな雰囲気を出したいならそのメタ発言はやめろ。

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  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-04-03

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