まだ、ひるまのあかるさがだいすきだった頃、夏になるとひるまのジュミョウがのびて、うれしかった。(おばあちゃんは、ジュミョウで死ねなかった)あかるいよるがきて、夏祭りがはじまって、偶然会ったきみとかき氷をたべた。それだけで満足できた心が、肥大して、いま、肺を圧迫してる。
 ぎゅうぎゅうつぶしたわたあめの食感が、きらい。花火まで、たこ焼きとか、はしまきとか、ポテトとか、りんごあめとか、食べたいものを食べつくして、浴衣のすうすうする感じに慣れたころ、下駄の鼻緒が皮膚を赤らめて、なにも言ってないのに、気づいてくれただけで、ただあの瞬間だけ、絵本のおひめさま、って感じだった。
 くるしい。肺が、悲鳴をあげてる。感情にはかたちも質量もないはずなのに、ぜんぶぜんぶ、吐きだしたいって思うのは、理不尽なこと。この自然な距離をぐちゃぐちゃに台無しにする未来しかみえなくて、どうして、と心臓をつぶしたくなる。きゅう。肺も心臓もすっかり洗ったら、細胞のひとつひとつをていねいにたしかめたら、こびりついた感情をどうにかできるだろうか。確信がほしい。すぐためすのに。
 すぐ、ためすのにな。
 風鈴が夏を強要する。まだ、夏日はこないのに。また、夏祭りがやってくるのに。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-16

CC BY-NC-ND
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