Fromブルキナファソ

西木眼鏡

 ここは住宅地に佇む静かなバーである。都心から少し離れたベッドタウンであるこの街は一週間を長い勤労を終えた人々が最後に行きつく場所であると私はは思っている。
 僕は席に着くとキープしてあったバーボンのボトルでロックを頼んだ。決して高価な物ではないがバーボンのコストパフォーマンスを侮ってはいけない。ずんぐりとした瓶と赤い蝋で蓋をしたボトルは見ているだけでも面白い。高めのアルコールとトウモロコシ由来の甘さを舌で感じると、一週間の疲れが吹き飛ぶ感覚がした。久しぶりに長く残業をしたせいもあって、僕は自分の携帯端末と店内のモニターに映った海外の映画を交互に見ながらゆっくりと流れる時間を過ごした。 
 その後しばらくゆっくりとした時間が流れる店内を再び現実に引き戻したのは、カランカランという入り口のドアに付けられた小気味いい鐘の音だ。入ってきた女性はカウンター席の一番窓側、僕が座る席からひとつ飛ばした席に腰を下ろした。
「この前のやつをお願いします」
 そうオーダーした女性はバーテンダーがすぐ目の前で作るカクテルに見入っていた。薬草リキュールとオレンジジュースとレモンジュースがそれぞれがジャーカップで測られた後、銀色のシェイカーの中へ消える。最後に大きめの氷を入れて蓋をするとシャカシャカと混ぜ合わせた。シェイカーからロックグラスに注がれる姿を見て、僕は以前にこのカクテルを飲んだことがあるかもしれない、そう思った。記憶が正しければ甘さがメインでありながらもしっかりとアルコールを感じながら、柑橘系のさっぱり感も味わえる至極の一杯であるはずだ。その選択を迷わずできる女性ということは、数々の飲み会を経てもなお男達の屍の上に腰かける歴戦の戦士、まるでアマゾネスの女王のような屈強な見た目であることは想像に難くない。私はチラリと横目で彼女の姿を捕らえるとその姿は黒髪ショートヘアの華奢な乙女であったから僕は自身の貧相な想像力を恥じた。
 気が付けば僕は彼女とそのカクテルに目移りしてしまって、自分の目の前にあるウイスキーの存在を忘れかけていた。僕は平静を装い、一口、バーボンを飲むと店内で流れている映画に視線を戻した。
「ブルキナファソではどうだったんですか」
 店主と女性がすぐ隣で会話をしていた。慣れない言葉に僕は耳が反応した。直前に何について話していたのかはわからなかった。僕はそれとなく二人の方をチラリと見て、それに気が付いた店主は私にも話を振った。
「この人、ブルキナファソからから来たんですよ」
 街の名前、なのかも知れないと思った。
「ガーナの上にある国です」
 そう女性が付け加えて、僕は納得し、アフリカの国であることを知った。たしかに言われてみれば彼女の肌は少し小麦色で、おおよそ僕が想像するアフリカ在住の人とイメージとも一致した。今までアフリカ大陸に友人がいたことなどない。照りつける太陽の光を存分に浴びればどんな色白の美肌もこんがりするに違いない。
「あの、僕らどこかでお会いしていましたっけ」
 僕は店主に尋ねた。このお店にはたくさんの人が来るから僕も一度会っている可能性もあった。決して、座席数も多い店舗ではないので通っているうちに何度か隣で話すこともあれば、カウンターの並びで話している人と一言、二言話すこともあるのだ。
「この人が以前話していた人ですよ。ほら君と同い年の」
 それを聞いたブルキナファソから来た乙女は自分の記憶を辿ってハッとした。
 僕が知る限り、このお店に通う人で同い年は他に二人いた。一人はモミジ君と言いニュートンと聖書を一緒に持ち歩くまさに紀元前の哲学者なのではないかという人物である。もう一人はハヤテ君と言う。多趣味な好青年であるが僕と彼には年齢以外の接点が少なく、謎の多き人物でもある。ふたりはたまたま居合わせたときに軽く話をする間柄だ。そこにもう一人仲間が加わったと思うと少し嬉しかった。特にこういうオーセンティックな雰囲気のバーで若い人、特に同い年と会うことは珍しい。
 初めまして、とついこの前、誕生日を迎えた二十六歳とこれから誕生日を迎える二十五歳はお互いに挨拶をした。僕は大層ぎこちない自己紹介をしたに違いない。丸い眼鏡を掛けているという理由で、ミスター・ジョン・レノンと呼ばれることになった。
 ジョン・レノンは言わずと知れたザビートルズのメンバーであり、晩年の彼は眼鏡のコレクターとしても有名だった。そんな彼のトレードマークとまで言われるに至ったのがお馴染みの丸眼鏡である。そして、それは僕のお気に入りでもある。
 そして、肝心の彼女の名はマリアさんという。聖母マリア様のような慈悲深さと懐の深さを持ち合わせているのか僕にはわからなかったが、そうであってほしいと思った。いや、この黒髪の乙女がそうでなかったとしたら世界の全ては嘘になる。
「ブルキナファソから日本に来たんですね、初めて聞く国名です」
 私が尋ねるとマリアさんが言った。
「そうなんですか、ブルキナファソでは日本は有名ですよ。それで私は日本に来ようと思ったんです。向こうの大使館には柴犬がいましたよ」
 アフリカ大陸から日本に来ていることに僕は改めて感心してしまった。一方の僕自身は一人旅の経験というものが全くと言っていいほどなかったからだ、日帰りできる距離の小旅行くらいである。東京から新幹線で京都まで行くのとはわけが違う。当時の恋人が京都に住んでいたから、大義名分の欠片もあったものではないが、そのくらいの動機がなければ僕の重い腰は決して動かなかった。
 ブルキナファソから日本までの直行便が出ているかはわからないけれども、僕の想像を超える移動時間を要しているのかもしれない。
 僕はブルキナファソからきた黒髪の乙女と話をしていて、彼女の日本語がとても流暢であることに気が付いた。
「なにか日本に縁が合って日本に来られたのかと思ってました。例えばご両親のどちらかが日本人とか」
そうなんです、ミスター・ジョン・レノンは鋭いですね、と彼女は笑顔で言った。
 気が付けば店主はオーダーの入ったカクテルを黙々と作っていた。カクテルという飲み物は不思議で、単体では苦みやアルコール特有の辛さが際立つお酒も他の種類のお酒や果汁と合わせることで和らげてくれる。ウイスキーもそうだ。氷ひとつや水数的で飲みやすくなったりする。つまり異文化の混ざり合いである。
 僕も今日初めて知ったアフリカ大陸の国から来た女性と話すことで少しでも何か得るものがあれば、と話すきっかけを探した。やましい気持ちや期待などは一切無いことは此処に明記しておきたい。
「ブルキナファソ、ってどんなとこですか」
 もう少し知らない国について知りたくなって僕は尋ねた。アフリカ大陸の国について僕は漠然としたイメージしかない。東側にエジプトがあって、スフィンクスとギザのピラミットが存在している。知識が乏しすぎてほとんどがサバンナ気候でライオンやシマウマそこら中にいる。そんなお粗末なイメージを払拭したい気持ちも確かにあった。
 僕が尋ねたのを聞いて、カクテルを作っていた店主は天地がひっくり返るほどの衝撃的なことを言った。
「彼女、生まれも育ちも日本人ですよ」
 思わず僕は笑ってしまった。とても彼女が嘘を言っているように聞こえず、たしかに日本がとても上手であったけれども、僕は少しも疑ってはいなかった。
 すぐに携帯端末でブルキナファソについて検索エンジンで調べた。在った。しっかりとブルキナファソはアフリカ大陸に、ガーナの上に存在していて僕はなぜか安心してしまった。
 詳しい話は聞けなかったが、彼女が何かしらの理由で二年前までブルキナファソに住んでいて、帰国した後この街に住み始めたというのは本当らしかった。
 ブルキナファソでの日々は充実し、その中には甘い恋の物語も少なからずあっただろう。マリアさんがアフリカの地でどのような生活を送っていたのか、訊ねたかったがそれを聞くには今夜は少し短かかった。店の閉店時間も迫っっている。
 僕は何とかマリア様との接点を作りたくて思案した。そうして、目の前にどんと構えるバーボンのボトルと目が合った。俺に頼ると良い、そうラベルが笑った気がした。
「良ければ一杯どうですか」
「ありがとう、ミスター・ジョン・レノン」
 完全に一本取られた僕は、ボトルキープしていたバーボンウイスキーを一杯差し出すことにした。
 改めてよろしく、と僕とマリアさんはグラスを軽く掲げた。



 その後、私と聖母マリア様と言うべき人がいかなる展開を見せたのか、それはこの稿の主旨から大きく逸脱する。私の自己満足なものを読んで、読者も貴重な時間を無駄にしたくはないだろう。もっと他にするべきことがあるはずだ。
 大好きな小説家、森見登美彦氏の言葉を借りるなら〝成就した恋ほど語るに値しないものはない。〟いつかこう締めくくりたいものである。

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