日本、老人のせいで若者が疲弊する国
怒鳴られる
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
某ハンバーガーチェーン店にて私はお決まりの台詞を言った。
「魚の揚げ物が入ったハンバーガーとポテトとアイスコーヒー」
客である老婆がだるそうな声で注文した。魚の揚げ物のハンバーガーとはバーガーフィッシュのことだろう。カタカナのメニューが言えないのか独特の表現で注文してくる高齢者は多い。だったら手元のメニュー表を指差してくれた方が何倍も分かりやすい。
「バーガーフィッシュ、ポテト、アイスコーヒーですね。ポテトとアイスコーヒーのサイズはいかがいたしましょう?」
「一番小さいのでいいよ」
「それぞれSサイズですね。お会計820円になります」
老婆は財布を取り出し、指をペロッと舐めた。唾で湿らせた指で札束から一枚の千円札を差し出した。
「1000円お預かり致します」
私は別に潔癖症というほどでもないが、さすがに目の前で唾をつけられると引いてしまう。老婆が触ったところをさわらないように千円札を受け取り、お釣りを手渡した。おつりの硬貨もきっとどこかの老人の唾で汚れているだろうが、諦めて触った。後で手を洗おう。
「お品物の準備ができましたら、番号でお呼び致します。あちらでお待ち下さい。次にお並びのお客様、こちらへどうぞ」
客を一人さばいて、次の客を呼んだそのとき、客をさえぎり一人の老人男性が割り込んできた。
「おい、あんた!俺は10分も前に注文したのにまだできてないのか」
老人男性が大声を出して私をにらみつけている。私の記憶が確かなら、この男性は先程の老婆の前の客、つまり注文からまだ5分と経っていないはずだ。しかし、ここでバカ正直にそのことを指摘しても火に油を注ぐだけなことは経験上知っている。
「申し訳ございません。ただいまお昼時で大変込み合っておりまして…」
「帰りのバスの時間があるんだ!早くしてくれ。それか家に届けてもらうことはできないのか」
「申し訳ございません。当店ではそういったサービスは行っておりません」
「だったら早くしろ!バスに乗り遅れたら、タクシー代を出してもらうからな!俺は急いでいるんだ!」
まだ怒りがおさまっていない様子だが、老人男性はもといた場所に戻っていった。
(助かった…)
去っていく老人男性を怪訝な目でみつつ、次の客が私の前にやって来た。
「チキンエッグバーガーとポテトのLとアイスコーヒーのLをお願いします」
注文を聞きつつ、私は心の中で別のことを考えていた。
(いったいいつからだろう。こんなにクレームが増えたのは…)
今の客ほどではないにしろ、「早くしろ」、「あと何分かかるんだ」といったクレームなんて日常茶飯事だ。しかもその大半が高齢者だった。
もちろん、本当に混んでいて長時間お待たせすることもある。ただ、若い人ならスマホをいじっているので、たいしてクレームにはつながらない。それに比べて老人はやることがないのであろう、5分も待てなくなっている。さらにハンバーガーショップの立地が駅前ということも災いして、バスの時間を気にしつつ、腕時計と店員を交互ににらんでくる年寄りが本当に多い。私は16歳にして、高齢者相手のサービス業に疲れきっていた。
取られる
「神崎さん、ちょっとちょっと。」
その日のバイトを終え更衣室に向かう途中、店長に呼び止められた。
「神崎さん。ほら、今月の給与明細」
手渡された茶色い封筒を受け取り、私は店長の顔を見た。
「あ、店長、前々からお伝えしていましたが、来月の7月から9月までバイトを休ませてください」
「ああ、介護体験だったな。頑張ってこいよ」
しばらく寂しくなるなと言い残して、店長は現場に戻っていった。私は受け取った封筒を開けて、給与明細を確認した。わかってはいるが毎度見て、ため息をついてしまう。
「今月は積み立て税で8000円ももってかれてる…」
数年前、国の偉い人が『高校生に介護体験をさせよう』と言い出した。超高齢化社会を迎えた現代、働き盛りの若者だけでは介護の人手不足を補えなくなったのだ。もちろん当時は賛否両論だった。賛成側の意見として『就職してから若者がお年寄りへの対応に困らないように学習することができる。企業としても研修費を抑えられる。』、『核家族化により今の若者は、お年寄りとの接点がない。そのため、人生経験豊富なお年寄りとふれあう機会を構築することで、充実した人生を送れる。』などなど偉い人たちがそれぞれの立場から精いっぱいメリットを語った。いろんなことを言っていたが、要は若者にボランティアで介護をさせようということだった。
反対側の意見として『脱ゆとり教育、体育祭、受験など高校生のカリキュラムはすでにパンク状態である。これ以上、他のことに時間を割くのは現実的に不可能。』といった建設的な意見も飛び交った。
しかし、介護の担い手不足を解消しようとする国の意思のもと、助成金をばらまかれた。高校の経営者にしてみれば、少子化で子供がいなくなったから学生集めは年々激化している。そんななかで、国の政策は都合がよかったのだろう。金がもらえるとわかれば、われ先にと多くの高校がカリキュラムに介護体験実習を組み込んだ。その助成金でさえ元をたどれば私のバイト代でもあるというのに…
これにともない、校則も変化してきた。ブラック校則で有名だった『茶髪を黒染めに強要』も『茶髪はお年寄りが怖がる危険があるから』という大義名分のもと合法となった。これまで時代と共に自己表現とされてきたことが次から次へと禁止になっていった。すべてはお年寄りのためだった。
意識の高い高校生たちが「奨学金とバイト代で授業料を賄っている。介護をしている時間はない」と必死に署名活動を行った。当時はニュースでも取り上げられた。SNSを利用して、五万人分の署名をかき集め、文部科学省に提出した。しかし、文部科学省は『自分達が歳をとったときにありがたみがわかるから』と一蹴した。
このことで高校生たちは戦う威力を失った。そこまでしてもダメだったから何をしても無駄だという風潮が厚い雲のように高校生たちの心を覆った。今では不満を漏らすだけで精一杯だ。あげくに、介護体験を今しかできない貴重な体験とも言い出す輩まで現れた。
新制度が始まれば国の予算が問題になるはずだ。しかし、元からの計画だったのか、国は高校生に介護をさせるだけではあきたらず、新たに『積み立て税』なるものを作った。この税金は若いときに国に対して所得の一部を積み立てておき、年を取って働けなくなった際に支給されるというものだった。名前こそ違えど、国民年金そのものだった。
新しい税金制度ができようものなら、たいていデモ活動が起こるだろう。だが、積み立て税では「 若いときに国に対して所得の一部を積み立てておく 」が前提の税金なので『再雇用の老人たちからは徴収しない』という公約が掲げられた。そのため、老人たちは満足し、若者はもはや反対運動を起こす気力すらわかなかった。
このままでは老人達に潰される。自分がババアになるまで奴隷のように働かされる。きっと私が老人になったころには、年金の支給額は80歳からとなっているだろう。70過ぎまで健康で働けるなんて幸せなことだと宗教染みたことを言われるのだ。なんとしてでも今まで取られてきた分、ジジイとババアからむしりとってやりたいが、そんな方法思いつきもしなかった。
押し倒される
「初めまして。神崎ゆいです。高校生一年生で今日から三ヶ月間お世話になります。」
7月1日、介護体験実習が始まった。私の実習先は駅からバスで30分のところにあった。二階建てで、入り口には『介護実習オールAの優秀な人材が集まっています』とかかれたポスターが貼ってある。
介護体験実習は高校生だけだが、ここでの評価が就職に響く。この会社のように社員が介護実習で高成績を修めたことをアピールするようになったのだ。これにともない他のサービス業たちも就活で履歴書と実習での成績表を提出することを求めてきた。企業としてもお客様である高齢者に対して学生がどのように対応したのかが気になるのだろう。
「この事業所には全員で6人のヘルパーがいます。神崎さんの担当はこちらの大塚さんね」
よろしくと頭を下げた大塚さんは身長が150cm程で年齢は60歳くらいだろうか。茶髪でショートボブ。校則ではたしか「茶髪はお年寄りが怖がるので禁止」ではなかっただろうか。こんなことなら、お気に入りの茶髪を黒に戻すんじゃなかった。美容室代を返せ。
「今日は御手洗しずさんの家に行ってもらいます」
大塚さんは、本棚から御手洗しずと書かれた分厚いファイルを取り出した。
「御手洗さんを病院に連れていき、診察を受けたら、薬局で薬をもらって自宅まで送ります。」
事務的な口調で淡々と話し終えると、大塚さんはスタスタと入り口へ向かった。あわてて、荷物をロッカーにしまい大塚さんの後に続いた。
大塚さんの運転する介護用の車に乗って、さまようこと15分、とくに会話はなく、車内には気まずい空気が漂っていた。仕方なく、私は御手洗さんのファイルを眺めて、重要そうな単語をメモった。
「御手洗しず、94歳、独居、認知症…」
書いてる途中で車が止まり、大塚さんは着いたよといって車から降りた。私も慌ててドアを開け、御手洗さんの家に目をやった。赤い屋根の一軒家、庭に植えられている植物は何日も水をもらっていないのか干からびている。玄関に着くなり、大塚さんがマスクを着けて、靴にビニール製のシューズカバーを被せ始めた。
「あ、あんたの分のマスクとシューズカバーを忘れた…まあいっか」
(なんか嫌な予感がする)
大塚さんがピンポーンと呼び鈴を押したが返事はない。
「御手洗さん、居ますかー」と大塚さんが扉を開けた瞬間、異臭が吹き出した。
(くさい!! なにこのニオイ!?)
今までに嗅いだことのない強烈なニオイがした。例えるなら空気に茶色と黄色を混ぜたような…
まさか、ウンコとオシッコ?
慣れているのか大塚さんは無表情で家に入っていった。私が玄関の前で固まっていると早く入ってきなさいと怒鳴られた。
恐る恐る家に入ると部屋の中は薄暗く、カップラーメンのゴミや黒く変色したバナナの皮があった。食べた後、そのまま投げ捨てたかのようだった。床には茶色や黄色のシミがたくさんあった。
でも、これはニオイの原因のほんの一部に過ぎない気がする。部屋の中に人糞があってクサイのとはわけが違う。なんというか、部屋全体の空気が汚物なのだ。まるで便器の中にいるようだ。ゴキブリさえも逃げ出すだろう。ここはもう人が住む家とは言えない。
私はなるべく呼吸をしないように部屋の奥へと進んでいった。
「御手洗さん、今日は高校生の神崎さんがお手伝いに来てくれました」
大塚さんが椅子に座っている白髪の老婆に話しかけた。
「は、初めまして。介護体験実習で参りました神崎ゆいと申します」私は慌てて自己紹介をする。
だが、御手洗さんはピクリとも反応をせずに、じっと壁を見つめている。私が困惑した顔を浮かべていると
「ほら、立たせて。車イスに乗せて」と大塚さんが急かしてきた。
「あ、あのやり方がわからなくて…」
「はぁ? 学校で実習の直前講習があったんでしょ?さっさとやりなさいよ!!」
嘘は通じなかった。本当は高校で基本的な介助方法を習ってた。ただ御手洗さんに指一本触れたくないのだ。部屋がこれだけ汚いのだ。御手洗さん自身が汚くない保証はない。
(やりたくない)
だが、校則には『講師の言うことは必ず聞くこと』と明記されている。校則違反をすれば就職に響く。私たちは未来を人質に取られているのだ。
洋服に汚れがないか確認しつつ、私は御手洗さんの前に立った。
(よし、汚れはなさそうだ。)
車イスを持ってきて、御手洗さんの前に立ったそのときだった。今まで無表情だった御手洗さんが急に目を見開いた。
「あんた誰よ!なんで人の家にあがってるの。出てってちょうだい!」
90歳を越えてるとは思えないほどの剣幕で、怒鳴り散らした。
「は!私の財布がない!どこ?どこ?ないないないない。さてはあんたが盗んだのね!返しなさい!」
急に御手洗さんが私の両肩に掴みかかってきた。あまりの変貌ぶりに戸惑う私にかまわず、御手洗さんは前屈みになった。体重をかけてきたが、足がよろけて、私が押し倒される形となった。
バタンッ 倒れた私は首を強打した。
「痛っ」
(大塚さん、助けて)
「あんた、なにしてんの!? 御手洗さん、大丈夫ですか?」
私より先に大塚さんは御手洗さんの心配をした。
「この小娘が私の財布を盗んだのよー」
御手洗さんは私の二の腕を強く握りしめている。大塚さんがどうにか引き剥がし車イスに座らせた。
はあ、はあ、はあ、はあ…
御手洗さん、いや、ババアの呼吸がだいぶ乱れている。額に右手をやり、上を向いて肩での呼吸を繰り返していた。
はあ…、はあ…、はあ…
ババアの呼吸が整ってきた。私といえば床にへたりこんで、震えていた。大塚さんはババアの頭を撫でつつ、私を睨みつけた。
「ほらあんた、御手洗さんに謝りなさい!」
(ふざけんな!そのババアが突っかかって来たんだろうが!)
言ってやりたいことは山ほどあるが、言葉がでない。体が震えて言うことを聞かないのだ。寒くもないのに歯がガチガチと音を立てている。
大塚さんが部屋に響き渡る声で謝りなさいと叫ぶなか、私の脳裏に校則の一文が浮かんできた。
『介護実習中は何があっても利用者に暴行を加えてはならない』
付き添わされる
「ちょっと、予約の時間は10時よ!もう12時なるじゃない!」
病院の待合室で御手洗が大声でわめいている。あのあと、どうなったのか正直よく覚えていない。気づいたら病院の待合室に座って、御手洗の診察を待っていた。
一瞬、夢だったのではないかと思ったが、手から便臭がしたので夢ではない。私は急いでトイレに行き、手を洗った。
(汚い、汚い、汚い…)
手が真っ赤になるまで洗ったが、まだ洗い足りない気がする。ふと鏡に目をやると私の腕に赤い跡のようなものが半袖の裾部分から見えた。なんだろうと思って袖をまくるとゾッとした。
御手洗の手形だ。押し倒されたときにこんな強い力でつかまれたんだ。
トイレから戻って今日はもう帰りたいと大塚さんに告げたが、最近の若い子は責任感ってものがないと冷たく言い放たれただけだった。どうすることもできず、待合室のイスに座った。疲れた。休みたい。
「ちょっと、あんた。私は2時間も待ってんのよ。あと何分で診察なの?」
御手洗の声を聞くとイライラする。御手洗はたまたまそばを通りかかった看護師さんに牙を向いていた。
「もうちょっとかかりそうですね」
慣れているのだろう。看護師さんはかがんで、御手洗の耳元で大きくはっきりと答えていた。
「もうちょっとって、だからあと何分か聞いてんのよ!日本語わかんないの!? わたしゃねえ、この前11時に血液検査したの。今日もするんでしょ?だったら前と同じ時間にしないとだめじゃない。」
「多少の時間のずれは大丈夫だと思うのですが、、、。」
「絶対に影響はないの!?そう言い切れるの!!なら、病院として一筆書いてちょうだい。何もないなら書けるわよね! 何かあったら責任取ってもらうわよ!」
「絶対とは、、、」
看護師は困り顔だった。人のことを泥棒と決めつけて襲ってきたくせに、なんで検査の時間はボケて忘れないんだろう。
ようやく診察が終わり、その足で薬局に行った。もうクタクタだった。薬剤師に処方せんを渡し、待つこと数十分。ここでも御手洗は『まだできないのか』と怒鳴り散らしていた。やっと御手洗の名前が呼ばれ、投薬の窓口まで誘導した。
「今日はいつもの薬ですね。認知症の進行を遅らせる飲み薬が出ています。気持ち悪さなどはありませんでしたか?」
若い男性薬剤師が丁寧な口調で説明してくる。
「なかったと思います」とぶっきらぼうに大塚さんが答えた。
「あと、白内障の進行を遅らせる目薬も出ています。それと湿布が70枚ですね。説明は以上です。気になる点などはございますか?」
「特にないです。お世話様でした」
そういって大塚さんは会計もせず、薬が入った袋をかっさらった。
「え?お金は?」
驚きと同時に私はつい口に出してしまった。薬剤師はああ、知らなかったんだねという顔で言った。
「御手洗様は超後期高齢者介護保険制度が適用となるため、医療費は無料です。介護実習制度が制定されてから、新たに導入されたんですよ」
(無料?タダで薬がもらえるの?)
信じられず、大塚さんと薬剤師を交互に見てしまった。知らなかった。高齢者は1割負担だとばかり思っていたが、いつの間にか無料になっていたのか。
…そうか、私のバイト代から引かれてる積み立て税はこの人の医療費にも使われてたんだ。
「あんた、そこの焼酎とコップをこっちに持ってきて」
家に着くなり、御手洗は焼酎を一杯あおった。そしてタバコも吸い始めた。私のバイト代でこんなクズを生かしてたんだ。高齢化社会という言葉の意味を突きつけられた気がした。積み立て税はジジイとババアの医療費にも当てられてるんだ。むなしさと疲れが同時に私を襲った。
「薬はそこに置いといて」
タバコの煙を吐きながら、御手洗が言った。床にはいくつもビニール袋が置いてあった。そばに置くと、『違う違う、その袋の中にいれといて』と御手洗が指図してきた。ビニール袋を開こうとすると中に何か入ってることに気づいた。
(生ゴミじゃないよね)
中を見ると今日もらったものと同じ薬が入っていた。あっちの袋にもこっちの袋にも入っている。なんでこんなに同じ薬が散乱しているのか混乱したが、答えはすぐにわかった。
こいつ飲んでなかったんだ。
タダで薬をもらっておきながら、湿布も目薬も使っていなかったんだ。
(ふざけるな!誰の金だと思ってるんだ!)
振り返りって御手洗を睨み付けた瞬間、首に激痛が走った。
(痛い!!)
とっさに右手で首を押さえる。そうだ、午前中に御手洗に床に押し倒されたんだった。
「どうした?首が痛いのか?」
ボケ老人は自分が原因の事を忘れているようだ。
「そこの湿布をもってっていいよ。ほら、私どうせタダだから。」
介護者による老人虐待が後を経たない理由がわかった気がした。
集めさせられる
「お年寄りの年金額引き上げの署名活動を行っています。ご協力下さーい」
最高気温38度を記録したこの日、私たちは駅前で介護実習の一環として署名活動をやらされていた。
(暑い…とにかく暑い。暑い以外の考えが頭に浮かんでこない。)
なんでわざわざこのくそ暑い季節にやるのだ。きっと老害特有の「辛い体験が人を成長させるという考えのせいだろう。
この日は集合研修ということで他の実習先の高校生も来ていた。集められた高校生は36人。6グループに分けられ、署名を集めている。きっと皆もバイトの接客でジジイとババアにひどい目に会わされてきたのだろう。私はこの中から、愚痴を言い合える仲間を探した。ところが、他の高校生たちは暑い、ダルいと口では言っているものの、どこか楽しげに署名活動をしていた。
「やったー! 50人目突破」
「えー、桜井くんすごーい」
などとはしゃぐ者もいた。
確かに非日常的な活動ではあるが、よく考えてほしい。この署名が通ったら、年金の支給額が引き上げられてしまう。つまり私たち世代の負担がもっと増えるんだぞ。
「皆の力を合わせて午前中までに1000人の署名を集めるぞー」
「「おー!!!」」
恐ろしいことを口にするリア充たちから隠れるように、私は日陰でコソコソすることにした。大丈夫、ここなら誰も来ない。あとちょっと涼しい。
(早く終わらないかな)
風に揺れる雑草を眺めていた。すると、一人の女児が私のもとへ、キラキラした目を輝かせて駆け寄ってきた。
「おねーちゃん、ここに名前を書けばいいの?」
まだ、自分の名前をやっとひらがなで書けるようになったくらいの女の子だ。
「ううん、違うよ」
こんないたいけな子供に名前を書かせたくない。さあ、早くあっちで待ってるお母さんのもとへお帰り。バイバイしようとした瞬間、大塚さんが私から署名ボードを乱暴に奪い取った。
「お嬢ちゃん、お名前書けるかな?」
せっかく家に帰らせようと思ったのに。お願い、書けないで…と願いを込めたが、女児はすらすらと名前を書いた。この子のお小遣いで買った品物の消費税が、ジジイとババアの医療費に消えるのだと思うと吐き気がした。
(どうか、この子の曾祖父がたんまりとお小遣いをあげますよに )
「現代は働かずに引きこもっている若者が大勢います。それで良いのでしょうか?」
ひとしきり署名活動が終わると、おそまつな舞台の上でジジイが演説をおっぱじめた。腹が出ていて、剥げている。原色緑のTシャツとジーパン姿だった。人前に立つのに、どういう服のセンスだろう。
私を含めた36人の高校生がジジイを要に扇形に並んでいる。しかも日向だ。太陽がじりじりと私たちを焼いていく。腹立たしいのはジジイの前方と左右の三方向から扇風機の風が当たっていることだ。一つよこせ。
「私たちが若い頃、物はなく貧しかったが、心は豊かでした。ところが現代は物にあふれていても若者の心は貧しいのです」
心の豊かな人間のすることが『もっと金をよこせという署名活動』か。ジジイの話なんて聞いてられない。ジジイから目をそらすと、テントが張ってあった。その下では30人を越えるジジイとババアが座ってペットボトルお茶を飲んでいた。足元に大きなクーラーバッグがあることから、あのお茶はキンキンに冷えているのだろう。
つい喉がなってしまう。ついでに汗が吹き出す。暑い。体がベトベトだ。シャワーを浴びたい。
「私たちは人生の先輩として、若者たちに教育を施す責任があるのではないでしょうか」
ジジイの演説はまだ終わらない。歌で言うならサビに入ったところだろうか。テントで涼んでいるジジババを睨み付けると、なにやらざわざわしている。一人二人と立ち上がり、続々と移動し始めた。
「今の若者はかわいそうです。私たちの歌の力で若者を救ってあげましょう。」舞台のジジイが声を張り上げた。
待っていましたと言わんばかりに、ジジババ30人が舞台の下にやって来た。演説ジジイを指揮者に合唱コンクールでもするかのような並び方だ。
「それでは皆さんで一緒に歌を歌いましょう」
(なにごとだ!?)
戸惑う私をあざ笑うかのように舞台上のジジイが『ミュージック・スタート』などと言い放った。
そのとたんパチンコ店より豪快で、不愉快な音楽が大音量で流れた。
「「緑の木漏れ日~風邪に揺れ~♪、国を築いたお年寄り~彼らに寄り添い手を握る~♪」」
ジジイは肺活量が追い付かないのか、後半はかすれ声、咳をしているやつもいる。ババアは濁った黄色い声でハーモニーを奏でている。もはや地獄絵図だ。
校則にはたしか、『毎日、日報を手書きで書いて提出すること』とあった。
この悲惨さを伝える文章力は私にはない
言われる
「今日の午後、御手洗さんの家に行くわよ」
実習の最終日となったこの日、事務所の休憩室で昼食を食べていたら、大塚さんに言われた。御手洗さんとは私が実習の初日に行ったウンコで汚れた家の人だ。鼻の奥からあのババアの家のニオイがした。できれば食事中に聞きたくなかった。
「心配しなくて大丈夫よ。他のヘルパーさんが掃除してくれたみたいだから」
私の気持ちを読み取ったのか、大塚さんがそう言って擁護する。
「そうそう、部屋がきれいになったからか、御手洗さんがおしゃべりをよくするようになったんですって」
大塚さんの運転する車に揺られ、ババアの家に着いた。今回はマスクとシューズカバーをもらえた。車に乗り込む前に確認したのが良かった。
御手洗さんの家にはいると、確かにキレイにはなっていた。ただ、相変わらず床には茶色や黄色のシミがうっすらと残っていた。室内も消臭剤のニオイが充満している。
「なんだい、あんたたち。」
「今日は御手洗さんと夕食を一緒にしようと思いまして」
大塚さんが耳元で大きくはっきりとした声で説明する。
今日は16時から17時まで御手洗の夕食の介助をする。ご飯の準備をして、スプーンを使って食べさせてやるのだ。この日の実習は17時までだったので、現地解散ということになっていた。
「よかった。また病院に連れていかれるのかと思っちゃったよ」
傲慢だ。無料で診察してもらえるくせに。
「弁当はさっき配達の人が届けにきたよ。その辺にあるだろ?」
大塚さんがこれですねと言って、白いプラスチックのお弁当を取り出した。
「御手洗さん。今日のお弁当は美味しそうですね。煮込みハンバーグときんぴらごぼうとポテトサラダですよ」
「その弁当は不味いからやなんだよ」
とても戦争を経験した人とは思えない発言だ。電子レンジでお弁当を暖めている間に、大塚さんはお茶を入れていた。
「あ、神崎さん。私のバックからとろみパウダー取り出して」
言われた通り、とろみパウダーが入ったスティックを手渡した。大塚さんはスプーンでかき混ぜながらお茶にパウダーを加えていった。カチャカチャと湯飲みとスプーンが当たる音が部屋に響き渡る。サラサラしたお茶の粘度がみるみる高まり、次第にドロッとしてきた。
「お年寄りは飲み込む能力が低下するから、サラサラのお茶はダメなの。トロっとさせないとね。お茶が肺に入ってむせちゃうのよ。むせてる途中に食べたものを吐いちゃうと大変。喉につまらせて死んじゃった人もいるのよ。」
大塚さんはそう説明しながら、手際よくかき混ぜていた。温まったお弁当をババアののところに持っていくと、ちょいちょいと手招きをされた。
「そうそう、お嬢ちゃん。この前病院でもらった薬があったでしょう。見当たらないのよ。どこにも。お嬢ちゃんが帰る途中になくしちゃったのね。薬が飲めなくて困ったわ。責任もって仕事しなさい。若い子はほんとにダメね。私らの頃なら恥ずかしくて外を歩けなかったわ」
床に落ちてるビニール袋、全てお前の薬だ!そう言ってやりたい。なんで薬があることはボケて忘れるのに、薬を飲まなきゃいけないことは忘れないんだ。
「今の若い子はクーラのついた教室で勉強してんでしょ。贅沢なもんだね~」
責任感のない若い子という言葉が何かのスイッチだったのか、ババアは若い子の批判を始めた。
「そんなところに金を使うなら、もっと福祉を充実させないとね。私の友達が言ってたよ。頑張って社会を作ってきたのに、金がもらえない。国に死ねと言われてるみたいだって。かわいそうなもんだよ。」
社会を作ったのはあなたたちかもしれない。でも、今の社会を一生懸命作っているのは誰?これからの社会を作ろうとしてる人のことを考えたことはあるの?
「まったく今の世の中はおかしいね。昔は介護なんて家族や近所の人たちで助け合ってやったんだ。それなのに今じゃ金を払わないとなにもしてくれやしない」
(お前は払ってないだろう)
「お嬢ちゃんはいくらもらってんだい」
一円ももらっていない。形だけでいえば、私は学ばせてもらってる立場なんだ。こんなババアの食事を私はさせてやらなきゃならないのか。スプーンで小さく切ったハンバーグを口元に運んだ。ババアは一口食べては不味いといい顔をしかめている。
「お茶はまだかい。たくっ、ほんっと使えないね」
お茶を持っていくと私の手から奪い取った。ババアはズズズーと汚ならしい音をたてて、鼻水みたいにネバついてるお茶を飲み干す。コップを置くと、スプーンを掴み意地汚く食べ始めた。なんだ自分で食べれるじゃないか。台所では大塚さんが薬を飲む用の白湯をコップに入れていた。
時刻は16時50分。あと10分で帰れる。こんなババアとは一秒たりとも一緒に居たくない。
ブー…ブー…
突如、スマホのバイブ音が聞こえた。大塚さんはスマホを取り出し、耳に当てた。
「はい、もしもし。ええ!? わかりました。すぐ行きます」
電話を切り、大塚さんは慌てて帰り支度を始めた。エプロンを乱暴に丸めている。
「他の利用者さんのところでちょっとトラブルがあったみたいだからすぐに行かなきゃ。お弁当のゴミを捨てといて。薬と白湯は準備したから持っていってあげて。簡単だからあとはできるわよね!」
そういって、勢いよく扉を開けて出ていってしまった。
私はババアのほうに目をやり、ほとんど手をつけずに残した弁当をビニール袋に捨てた。不味いといいつつポテトサラダはしっかり完食していた。
薬と白湯をトレーごと運び、テーブルに置いた。腕時計に目をやると17時だった。時間だ。帰ろうと玄関に立ったその時、後ろからカタンッと音がした。振り替えるとコップが倒れている。そして、ババアが溺れているかのように両手を挙げ、苦しそうにもがいていた。
ゴポッ
ババアが口の中から薬と白湯を吐き出した。
ウェッー、ゲエ、ゴホッゴホッ
声にならない奇声をだし、喉元に手をやっている。
ヒュー…ヒュー…
必死に肺へ空気を入れようとしている音が聞こえる。だが、気道になにかがつまっているようだ。
ガ、あ…
うめき声が聞こえる。
『お年寄りはむせると、食べたものを吐いて窒息する』
さっき大塚さんに聞いたことが頭をよぎった。
ババアは未だにしぶとくうごめいている。
救急車を呼んでやらなくもないが、校則には『実習時間が過ぎたら、速やかに帰ること』と記載されている。
ましてや私にはその手段がない。だって校則には『携帯・スマホなど通信機器の持ち込みを一切禁止する』と記載されているのだから。
そうこうしているうちにババアは動かなくなった。
日本、老人のせいで若者が疲弊する国