ねむるものもの
雨の日、教室に吹き込む風が、すきだ。あまくてやわらかい、やさしい、におい。
地面にぶつかって、はじけるしずく。と、なにかとが、まじりあって、日々が過ぎて、そのいつかに腐ったにおいだって、いってたな。だれがいってたんだか、もう、おぼえてないけれど。
腐るとき、そうやって魅力的なにおいを発することができるなら、ぼくは、きみにみとられたい。
でもにんげんはしょせん炭素だし、肉と骨だし、どうして、地面をえらんだんだろう。
空でくらすと天国なんてないってわかるからかな。地中に地獄がないことがわかったら、こまるひとたちもいる。かみさまもえんまさまもいなくて、輪廻の環とか、そういったものもないってたしかめにいけちゃったらこまるひとたちもいる。海の底にあるのは、名のない沈没船と、捏造された宝。
信仰のために、ここにいる。
翅が、羽が、えらが、信仰や救いをうばうとしても、ぼくはそれらがほしい。
この目でたしかめられない理不尽に、よりかかれなかった。
きみは、半えら呼吸で、水槽でねむる。雨も、晴れも、かんけいないそこで。
でもじつは、天国も地獄もあるかもしれない。海底は、宝庫かも。都合のよい妄想でぼんやりしていたら、吹き込んだ雨で視界が遮られて、目って、この程度なんだなって、きづいた。
とりあえず、ぼくはここで、きみもここで、たぶんあすも、息をしている。
ねむるものもの