BLACK COLLAR AMBIVALENCE (『We are』改題)

土井ヒイダ

『We are』12028字 を改題改稿 19863字

 凶事の予感に胸が騒ぐ。得体の知れない焦燥感が高まり心を揺さぶる。早足でねぐらへと向かいながら、俺は何者かに急かされる思いで首を伸ばし、周囲に視線を走らせる。
 群れの仲間たちは気にする素振りも見せない。密集して肩を接し、闇の中で黙々と四肢を運ぶ。石畳を叩く無数の爪音が絶え間無い雨のようにつづく。
 月の光も届かない深い森の奥。増え過ぎた魔獣の討伐を終えた我々は、古代遺跡の長大な石造回廊を辿り帰路についていた。今夜もまた、数名の仲間が命を落とした。
 分岐点に差し掛かった時、俺は常に無い違和感に耐え切れず立ち止まった。
「どした?」
 すぐ後ろにつづいていた剣士が俺の尻に頭をぶつけ、訝しげに小首を傾げた。
 そいつは茶色の毛皮に焦げ茶色の甲冑を着けていた。剣技への影響を心配したくなるほどの長毛と垂れ耳だ。群れの証しの黒い首輪も毛に埋もれて見えない。
「何か感じないか?」
 鼻を突き上げた俺はニオイを読みながら訊き返した。仲間たちが次々と脇をすり抜けていく。
 “茶色”が垂らしていた舌を仕舞い、鼻をひくつかせる。
「別になんも……」
 俺は喉の奥で小さく唸った。空気が澱んでニオイに動きが無い。だが、何かを感じる。
「寄り道する」
 遺跡の壁に設けられた小さな隙間に目をやる。我々犬族のための裏口だ。これは人間の目ではほぼ見分けがつかない。暗色の石灰岩で形成される遺跡群は、夜になると完全に森に溶け込んでしまう。
「なんだ、“虫”か?」
「違う」
 奴らが運ぶ“知らせ”ではなかった。
「んだら、なんだ?」
「わからん」
 “茶色”が呆れたように唸って足踏みした。仲間たちの爪音は先へ行ってしまい、草叢では本物の虫たちの穏やかな合唱が始まっていた。
「やめとけ。勝手なことすっと御頭に焼き入れられっど」
「お前がチクればそうなるな」
 横目で“茶色”の顔を眺めながら、剣よりも素早い抜身の牙を見せてやる。奴は当惑した様子で石畳に尻を落とした。
「今夜は九番のねぐらだな?」
「……んだ」
「夜明けまでには戻る」
 不安げに鼻を鳴らす尨犬を置き去りにし、俺は遺跡の内部へと足を踏み入れた。

 そこは幅の広い通路になっていた。天井の高さは人間ひとり分、幅はその三倍ほどある。辛うじて闇を払う距離を保ち、小さな黄色い明かりが壁に並んでいる。消えることの無い神の火だ。
 仲間を伴わずに行動するのは初めてだった。俺は神経を研ぎ澄まし、いかなる変化も取り逃がさぬよう注意深く歩を進める。
 微かに届いていた虫の声はすでに聞こえない。遺跡の内部は静かだが、森よりも魔獣の気配が濃い。あちこちに風化した骨が散乱し、石に残る生臭い体臭、汚物、そして血のニオイが、この場所も平穏とは無縁だと囁いている。
 絡み合う臭跡を探りながら角を曲がる。嗅ぎ分けた数々のニオイがここでの過去を物語る。その朧な光景が俺の脳裏で生気を帯び始めた時だった。突然、足元の敷石が砕けた。黒い塊が飛び出す。
 一瞬早く振動を感知した俺は、それが触れる寸前に跳び退いていた。瞬時に相手を見定め、生得の武器である牙を仕舞う。石で石を削るような神経に障る鳴き声――タマヌキネズミだ。
 不意打ちを躱されたタマヌキネズミが身をよじりながら床に落ちた。意表を衝く素早さで身を起こし、ひと声喚いて正面から飛び掛かってくる。
 俺は鎧に仕込まれた剣を解放した。留め金が金属を弾く快音を発する。背骨に沿って密着していた蛇腹状の刀身が蠢き、真っ直ぐに連なって鞘が開く。鎧背部に固定された金属の腕が伸展し、如意関節に繋がる細身の剣が振り出された。
 宙にある小魔獣に視線を突き刺し、身をひねる。黒鋼の諸刃が一閃する。
 真っ二つになったタマヌキネズミが壁に叩きつけられた。血泥の撥ねる音が響き、赤黒い染みが飛び散る。
 俺は鼻面に皺を寄せて動きを止めた。気配を窺い、新たなニオイと音を探る。
 異状無し。剣を回転させ、刀身に付着した少量の血と脂を振り飛ばした。鞘に納める。
 タマヌキネズミは地中に掘った穴で待ち伏せし、上を通る獲物の肉を抉り取る小魔獣だ。人間の腕ほどの大きさとはいえ、革甲冑など容易に貫くほど鋭利で強力な円形牙を備えている。毛繕いをしない体に寄生虫や毒虫が山ほど棲みついている穢らわしい生き物だ。
 俺はふたつの口を持つ醜い死骸に一瞥をくれ、鼻から息をひと吹きした。先へと進む。通路は徐々に傾斜し地下へと向かっていた。
 幾つかの角を曲がってしばらく歩き、尽きた通路の端で立ち止まる。先ほどから強まっていた酸っぱい悪臭の発生地点に着いたのだ。ここまでに四匹のタマヌキネズミを斬り五匹のカミソリヤモリを追い払った。
 目の前には矩形の大空間が広がっていた。石室だ。遺跡には数えきれないほど存在するが、ここは特に広い。大型のリュウズキリンが二十頭は横になれるだろう。俺が辿ってきた通路の終着点は、その壁面の中ほどに口を開けた虫食い穴だった。床から人間四人分ほどの高さに位置している。
 石室の床面中央には細い石柱が立っていた。高さは通路より少し低いくらいだ。天辺に揺らがない大きな丸い神の火が掲げられ、周囲をぼんやりと照らしている。神の火は同じ高さで四方の壁にもひとつずつ埋め込まれているが、間隔が広いため壁際の床にはかなり暗い部分が多い。
 通路から首を突き出して石室の底を覗いてみる。真下の壁際には人間だった物の断片や剣と甲冑の残骸、そして数種類の魔獣の死骸が積み重なっていた。その上部の壁には剣で抉ったような窪みが縦に並んでいる。
 ふと気づいて通路の中を見回してみると、血痕と刀痕がやたらと多い。敷石には何かで擦られた痕跡がある。石室に面する角の部分だ。ニオイを読むまでも無い。魔獣に追い詰められた狩人がここから落ちたのだ。足下の壁に残る窪みはよじ登ろうとした結果のものだろう。俺は気の毒な狩人たちの魂に神の慰藉が与えられることを祈り、石室に視線を戻した。
 石柱の周囲にはたくさんの岩が据えられている。座った犬よりふた回りほど大きく、三つ又に削られた鋭い先端が天井を向いている。赤黒く染まった岩には鎧の一部と共に赤茶色の皮や骨が絡まっている。
 人間、魔獣を問わず、これほど屍骸の多い場所は初めてだった。至るところに気味の悪い黄色い汁が滲む得体の知れない塊がへばりつき、あちこちに転がる骨付きの腐肉に小さな虫たちが群がっている。どうやらここには骨喰らいのダイオウシデムシが来ないらしい。散らかっているわけだ。
 顔をしかめた俺は天井を見上げてみた。床からの高さは人間十人分以上あるだろうか。たくさんの穴が黒い口を開けている。視線を下ろすと、その真下に尖り岩が位置している。どうやらここは何らかの罠が帰結する場所らしい。岩の周りで腐肉と共に剣や甲冑が朽ちているのは、それが理由だ。
 その時、俺は一本の黒い線に気がついた。糸のように見えるが、もう少し太い。天井の穴のひとつから垂れ、石柱の右側にある尖り岩の上で途切れている。その周辺を探るうちに、右の壁際、やや隅に近い暗がりに気を惹かれた。じっと見つめると陰影に微かな濃淡があるのがわかる。神によって闇を見透かす力を与えられてはいるが、それでも辛うじて見分けられる程度だ。
 危うく見失いそうになってさらに意識を集中した時、影が動いた。淡い輪郭が形を成す。俺は目を丸くした。それは人間だった。
 この地域の遺跡群には魔獣を狩るために多くの人間が訪れる。だが、予期せぬ遭遇は起こらない。必ず事前に神による“虫の知らせ”があるからだ。人間たちの集落を避けて暮らす我々が彼らと顔を合わせるのは、負傷した狩人の保護を命じられた時だけなのだ。
 また胸騒ぎがした。しかしもう、うろたえはしなかった。わかったのだ。俺の心を揺さぶっていたのは、その人間だった。
 俺は真下に見える惨劇の跡を避けて石室の床に飛び降りた。トビネコの類いでも躊躇しそうな高さだが、神に選ばれた俺には何ほどのことも無い。
 四角い大空間の底部には激烈な腐臭が沈殿していた。鼻が曲がってねじ切れそうだが、こればかりは慣れるまで我慢するしかない。あばら骨を齧っている虫たちは腐肉にしか興味が無いらしく、俺がじっとしていても寄って来ない。俺は腐汁を避けてゆっくりと歩きながら観察を始めた。
 人間は両足を投げ出して床に座り、壁に背を預けていた。どうやら具合が悪そうだ。いまははっきりと見えるその姿は見慣れた狩人とは異なる格好だった。全身を艶の無い黒トカゲの革らしき物が覆っており、肌の露出部分が無い。所どころに小さな黒い板が貼りついているが鎧には見えない。首から上は鶏卵のような形の黒い兜がすっぽりと包んでいる。胸と腹に少量の赤黒い血が固まっているが、傷らしきものは見当たらなかった。魔獣の血だろう。
 俺は人間の足元から少し距離を置いて立ち止まった。頭上を見回し、羽音を探して耳を澄ます。狩人に付き物の“守蜂”の姿が無い。助けを求めに犬の群れを導きに行ったのだろうか。それにしては“虫の知らせ”が来なかった。ここから最も近くにいるのは俺の群れなのだから、俺にも知らせは届くはずだ。どうにも奇妙だった。
「あんた、狩人かい?」
 声を低めて問い掛ける。俺の声は口から出るのではない。心に思った言葉を神から授かった首輪が発してくれる。
 俯いていた人間がこちらを向いた。覗き穴の無いのっぺりとした面鎧が前に突き出し、頭頂部に向かって迫り上がった。
「やっと会えた」
 素顔を見せた人間が穏やかな声を発した。男だった。肌の色は白く、瞳は黒い。
「何言ってるんだ?」
 男が返した脈絡の無い言葉に、俺の声が鼻白んだ。軽く首を傾げて男の表情を窺う。
「おいで」
 男が左手を伸ばした。手甲が前腕部に吸い込まれ、手首から先が露わになる。
 俺は踏み出していた右前足を思わず引いた。
「なんで……あんた誰だ? 狩人じゃないのか? ここで何してる? 怪我してるのか?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせる。自分で言うのもなんだが、柄にも無く動揺していた。鼓動が速まるのを意識する。
「ほら」
 男が笑みを浮かべた。声には強要も焦りも無い。静かに俺を見つめている。
 その瞳に俺が映っていた。血の染みが残る黒い甲冑に身を包み、警戒から尖った耳を伏せ、不信から鼻面に深く皺を刻み、金色の双眼に疑念を滲ませる、大きな白い犬――嫌悪感が生まれた。俺の心のどこかが、その姿を否定した。不遜で無礼な態度をとる犬の排除を望んだ。
 俺はこの男の声と匂いに何かを感じていた。男の体臭が強く記憶を刺激する。嗅覚が心に叫ぶ。早く思い出せと激しく迫る。体の内が温まる思い……これは郷愁というものだろうか。大切なものを失くしていることは知っているのに、それが何かわからない、そんな、懐かしくてもどかしい、不可解な感情が猛烈な勢いで胸に湧き上がっていた。
「おいで」
 男が繰り返した。
 俺は男の眼の奥を覗き込んだ。警戒すべき色はひとつも見当たらないが、俺はこの人間のことを何も知らない。もしかしたら、俺の言葉を理解していないのかもしれない。怪我をした人間は正気を失うことがある。危険でないとは言い切れない。だが、もしこの人間が助けを求めているのだとしたら……それがすぐに必要なのだとしたら……。
 甲高い鼻声が漏れた。俺は歯痒さに足摺りし、爪を立てて床を掻いた。頭を振り、牙を剥き、唸り、ついに屈服した。
 尾が垂れ下がる。怖ず怖ずと足を踏み出し、床に顎が触れそうなほど頭を下げる。
 男の手が鎧に触れた。指先が隙間を探り、首に達する。長い指が厚い被毛を優しく掻き分けた。
 俺は目を閉じた。心地好い平穏を覚える。そして深く強い友愛の情。猫なら間違い無く喉を鳴らして身悶えしただろう。
 頭の中に光が生まれた。それは膨らみ、さらに膨らみ、そして、解放された。
「チーフ」
 舌を垂らして呟く。俺は千切れそうなほど尾を振っていた。
 心を縛っていた悪意の枷は断ち切られた。スティグマ級テレパスのチーフに抗し得る精神操作など存在しないのだ。
「長い間ご苦労さん」
 チーフは俺の首を抱き締め、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「何も問題ありません。俺はこの通り元気ですから」
 そう答えながらチーフの顔をべろべろと舐め回す。補助電脳を経由した思考は言語変換され、BA――ブーステッド・アニマル――専用の電脳制御式首輪から発声される。食べ物を頬張っていても会話が可能だ。
「キミが何食べてるか心配だったよ」
 俺はチーフの顔から口を離した。牙を剥いて苦笑を浮かべる。
「それは訊かないでください」
 ジビエも悪くはないが、もう沢山だった。
 ひとしきり再会の喜びを味わった俺は補助電脳を偽装モードから復帰させた。首輪に追加されていたプログラムを削除し、生体位置情報信号の発信を停止する。これ以降の撤収行動を記録させないためだ。つづけて諸機能と電脳ログの記録状態をチェックする。タイムコードを確認すると、潜入開始から三週間が過ぎていた。
 俺が作業を終えたことを“察して”チーフが尋ねる。
「どう?」
「データ破損無し、記録は継続中です。ここまでのログを取ってください」
 俺はI/Oアクセスを承認して首元をチーフに向けた。チーフがベルトのケースからメモリーバーを抜き、長さ四センチほどのそれを首輪に接触させる。符号化された電脳ログが首輪を経由して複写転送された。
「はい、完了」
 チーフは笑顔で俺の顎の下をくすぐった。
 生体位置情報信号が途切れたことにより、単独行動の末に俺は死んだ、と『神』ことハンターギルドのフィールド統制プログラムは判断するだろう。脱出不可能を想定していると思われるこの石室は、その手の偽装に打ってつけだ。元より犬が一匹消えたところで奴らは気にもしないが。
 残る撤収行動中の警戒要件は『守蜂』だけだ。フィールド内の各ハンターに一機が追随する飛翔昆虫型ロボットで、当然ながらカメラを搭載している。異常を発見すればただちに通報されるが、その羽音とハンターの騒々しい足音に気を配っていれば問題無い。
 フィールド内には固定カメラも存在するが、それは気にしなくていい。設置されているのはハンティングフィールドに点在する『集落』と称されるエリアのみだからだ。長期滞在するハンターのベースとなっており、マス・ハンティングの斡旋や装備品の売買等、ハンターによる各種の取引が行われている。カメラはそこでの不正取り締まりやキマイラの侵入を警戒するためのものだ。
 身支度を整えた俺はチーフの体を嗅ぎまわって検分し、ベルトのバイタルモニターからデータを読み取った。腰を下ろして問診する。医者ではないが。
「脚のほかに痛いところはありませんか?」
「ああ、脚ももう痛くないよ」
「気分は悪くないですか?」
「大丈夫だよ」
「よかった。ナノマシンによる手当ては済んでますが出血が多かったようです。造血が追いついてませんから、迎えが来るまで休んでいてください。連絡は?」
「済んでるよ」
「了解です」
 迎えというのは、もうひとりのチームメイトのことだ。掩蔽地に隠した軌道連絡用航宙艇で待機し、チーフと俺の接触を確認、負傷者があれば撤収を支援するという手筈になっている。
「キミの群れはすぐ見つけたんだけどさ、みんな同じ精神操作を受けてるせいか、統一意識みたいになっててね、キミだけ誘い出すのが難しいから接近することにしたんだけど、データに無い場所で節足動物型に鉢合わせしてさ。四、五匹くらいいたかな。脚か触手かわからないけど、いきなり鞭みたいなのを振り回してきてやられたよ。殺気らしいものは感じなかったんだけどね。あれ、食欲だったのかな」
 コンダクターのように両手を振って見せ、チーフは肩をすくめた。
「川の近くですか?」
「そう」
「成長が進んで生息域を移した奴ですね。それにしても、怪我で済んでよかった。ハイドスーツにナイフだけなんですから。大体、うちは基本人間相手の商売だし、チーフは狩りなんかしたこと無いんだから……」
 ハイドスーツは隠密行動用の特殊装備だ。各種センサーによる捕捉の回避と擬態性能に特化されているため、倍力機構も内蔵武装も無い。ハンティングフィールド内は熱エネルギーの発生パターンが監視されているため銃器が使用できない。非熱エネルギー系兵器は大型で取り回しが悪く、行動と擬態効果に支障を来す。結果、チーフは発見されないことを最優先してナイフ一本を選択したのだ。
 チーフが腰をずらして座り直した。何気無い動作だ。だが俺には負傷による影響が目についた。人間には見分けられない挙動のブレだ。
「すみません」
 首輪から呟きが漏れた。
「ん?」
 眉を持ち上げるチーフを前に、俺は少し言葉に詰まる。
「あの……俺が我を張ったせいで、怪我させて」
 チーフが小さな笑い声を漏らした。
「違うよ。これはキミのわがままで受けた仕事じゃない。結局はやるくせに、僕が渋っただけだよ。決断力に欠けてるんだね。だから親方にうるさく言われるんだよ」
 一瞬顔をしかめて見せ、俺の頭をぐりぐりと撫でながらつづける。
「怪我なんか気にしなくていいよ。僕が簡単に死なない体だって知ってるだろ? この潜入はいい経験になったよ。キマイラの心模様を知る機会なんか、そうそう無いからね。それに目的はもう達成されてる。もしここで僕たちに何かあったとしても、電脳ログは回収されてクライアントに届けられる。だろ?」
 俺たち万屋は基本的に四名でひとつのチームを構成している。チーフの言う通り、もしもの時には俺の電脳もデータをコピーしたメモリーバーも然るべき処置が施され、チームメイトは仕事を完遂するだろう。もちろん、そんな事態は御免だ。
「はい、ありがとうございます。チーフに“何か”なんて起こさせませんよ」
 俺は大きく牙を剥いて笑ってみせた。チーフがそれを真似て笑う。
「頼もしいねえ。フィールドに詳しいキミがいれば撤収も苦労しないね」
「そういえばフィールドの地勢データって、連合の諜報員が採ったんですよね? 出来はどうなんですか?」
「せっかく作ってくれたけど、残念ながらあまり当てにはできないね。目立った目標はわかるけど。まあ、警戒が厳しくて高高度からの観測も難しかったから仕方無いよ。ハンターになってデータを取ったのは延べで百八十人だって言ってたけど、クライアントのエージェントのほうが多かったらしいよ」
「そうですか。にわかハンターじゃキマイラの分布まではとても把握できないでしょうね。生き残ることが最優先になりますよ。ここじゃ重装備のマス・ハンターにだって死人が出ますから」
 ハンティングフィールドは難易度によって区分けされている。今いるエリアは生命に危険が及ぶレベルだ。ここでハンターとして生き残るためには、キマイラに関する知識と剣を扱う高い戦闘スキルを身につける必要がある。それともうひとつ、惜しまず装備にカネを掛ける“上客”でいなければならない。
 チーフが腑に落ちたというように頷いた。
「ああ、そうか、なるほどね。クライアントが不景気な顔してたのはエージェントに欠員が出たからか。ほんとに危ない場所なんだね。どうりで、ここに入る時ゲートのガードが心配顔だったわけだ。『気をつけて』って言ってくれたけど、彼、凄い武装だったよ。侵入者は生かして帰さないつもりだね」
 ゲートとは物資の搬入出や緊急アクセスに使われるもので、広大なハンティングフィールドを囲む壁に大小五十か所ほど設置されている。
 今回のミッションにおけるフィールドへの侵入及び離脱ポイントとして、チーフは人間が警備しているごく小さなゲートを選択していた。どんなに仕事熱心な警備員でも、チーフの“力”によって親しみ深く愛想のいい協力者に変貌するからだ。
「そのガードが一生いい奴ならいいんですけどねえ。ハンターギルドの様子はどうですか?」
「クライアントの話だと、連合内じゃ『ハンターギルドは増長してる』って声が随分大きくなってるらしいよ。だけど、あいつら稼ぎがいいから相変わらず我物顔だってさ」
「俺の電脳ログで折れますかね」
「そうだなあ……」
 チーフが面白そうに笑みを浮かべる。
「引っ込みがつかなくなって暴れ出すかもね」
「その時は我々も呼ばれますかね」
「どうかなあ。連合つながりは太客だから歓迎だけど……ただし単独潜入無しならね。でもまあ、本格的な揉め事になったら直属の専門家が対応すると思うよ。それにしても、ここは酷いニオイだね」
 チーフは肩をすくめてヘルメットのフェイスシールドを閉じた。
「ちょっと向こうを見てきます」
 俺はそう断って立ち上がり、チーフと対面する側の壁へと向かった。
 その壁には大きな穴があった。幅も高さも三メーターほどだ。打ち砕いて掘り拡げたらしく、ぎざぎざの縁に幅十五センチほどの溝が幾つも確認できる。
 冷気を感じる穴の奥を覗くと、あまり広くない洞窟が左右に伸びていた。青み掛かった岩の間に細々とした小川が見える。足音を殺しニオイを読みながらそこまで歩く。さらさらと流れる透明な水は地上のものとは桁違いに清浄だった。
 洞窟は直径四メーター弱のトンネル状で、岩石の多い地質だ。壁面の所どころに青白い結晶群を模した発光パネルが組み込まれているが、ハンターにとっては松明が欲しくなるほどの暗さだ。
 周辺のニオイは古いものと新しいものが入り交じっていた。危険なものはやや古い。新しいのは両棲キマイラのものだが、奴らが石室に近づいた形跡は無い。石室のニオイは洞窟の先まで届くかもしれないが、肉食系キマイラを刺激するほどの魅力は無い。
 俺は洞窟の奥の暗闇を睨んでしばらく耳を澄ましたあと、軽く喉を潤して石室へと戻った。チーフの横に腰を下ろし、胸を張って警戒態勢に入る。

 ハンターギルドは所有する惑星上で数十のハンティング事業を展開している。現在俺たちがいるハンティングフィールドにおいては、地球の古代文明遺跡で魔獣を狩るという趣向だ。猟具は刃物を主体に鈍器や弓等が使われ、高度に機械化された猟具と銃火器の使用は禁じられている。総面積三千五百平方キロを超える地域を壁で囲い、必要に応じて地形や環境を改造して利用している。魔獣は総合生命工学で生み出されたキマイラだ。強靭な身体能力を備え攻撃性の高いものが多く、様々な品種の中には擬似繁殖能力を有するものも存在する。
 我々犬族は各フィールドに応じた精神操作と記憶置換を施され、主に余剰キマイラの駆除と負傷したハンターの救助のために使役されている。無論、これは違法行為だ。
 ハンターギルドはフィールドの保守に充てる労働力を勘案する際、経費の嵩む人間や高価なロボットではなく、『ブースト』と称される生体強化技術によって知能と身体能力を向上させたBA――ブーステッド・アニマル――犬に目をつけた。その最も厭らしい理由は、低コストで調達が容易だということだった。キマイラとの戦闘で犬が死亡しても『コーヒーより早く補充される』と吹聴しているらしい。
 ハンティング事業は認知されたダークビジネスだったが、犬を使い始めたことで完全に反社会性を露呈した。どれほど防諜を徹底しているつもりでも、客の口にロックは掛けられない。秘密というものは必ず漏れてしまうものだ。さらにハンターギルドはBA犬の誘拐にも手を染めた。新規のブースト費用を抑えるためだ。利益追求の体質を恥じず行き着いたのがそこだった。もはやギルドとは名ばかりの犯罪結社に成り下がっていると言ってもいい。
 ギルド連合の倫理関連理事会はこれを看過しなかった。追及し、断罪することを決めた。古代から人類のパートナーとしての地位を確立した犬族、ひいては他の生物の尊厳をも守る義務があると判断したのだ。多くのギルドで犬が活動している事実も、その英断を後押しした。
 とは言え、ハンターギルドは連合内で小さからぬ力を有している。表立って糾弾すれば種々の軋轢が表面化し連合の土台に影響を及ぼす恐れがあった。また、本格的な査察が入る事態にでもなれば証拠隠滅を企てて犬を皆殺しにしかねない。
 元来ギルド間の揉め事を嫌う連合は表向きでは事なかれ主義を演じ、水面下でハンターギルドの悪事に関する証拠収集を開始した。多方面でさまざまな方策が立てられたが、なかでもハンティングフィールドへの潜入は最も危険且つ重要なものだった。しかし、志願者が現れなかった。連合内では軍用犬や警察犬の役割を果たす仕事にはロボットが使われている。生命に危険の及ぶ任務をこなせる犬が存在しなかったのだ。
 そこで白羽の矢を立てられたのが、連合専属調停機関が抱える諜報組織の孫請け――つまり俺たち万屋だった。万が一今回の潜入が露見したとしても、連合との関連を追跡される恐れがまず無い、ということも選ばれた理由のひとつだ。万屋で働く者たちは、商売熱心な荒事師として叩いて出るホコリが非常に多い。叩かれればの話だが。
 クライアント――諜報組織の下請人――からこの話を持ち掛けられた当初、やはりチーフはいい顔をしなかった。なんの支援も無く、しかも精神操作を避けられない場所に俺を単独潜入させるのは危険すぎると考えたからだ。しかし俺は必ずやると決めた。親方にも上申し、根気強く話し合ってチーフを説き伏せ、渋々ながら了承させた。
 万屋で働く犬ほど身体強化レベルの高いBAはなかなかいない。強化パラメーターを公開していない地球の軍や警察の犬に匹敵するだろうと言われるほどだ。そんな力を得ながら何もしないなぞ、犬族としての道義にもとるではないか。結果、俺を含めて八チームが数か所のフィールドに潜入することとなった。
 意思を奪われた上に消耗品扱いされている犬たちの実情を探るため、俺は一般的なBA犬に成り済まし、誘拐された犬たちに紛れ込んだ。悪事の証拠収集には、首筋にインプラントされている豆粒大のカスタム補助電脳が活用される。これが誘拐から始まる一連の出来事を現在も記録している。俺の眼と耳がカメラとマイクというわけだ。バイタル情報も酷使の証拠になるだろう。
 誘拐された犬たちはまず最初に簡易スキャンに掛けられるが、使われているのはごく普通のマルチスキャナーだ。偽装モードに入ったカスタム補助電脳を一般BA用の補助電脳と見分けることはできない。ハンターギルドはその強欲さゆえに設備投資を極力削る傾向があるようだ。
 ギルド連合はこの電脳ログを決定打として突きつけ、ハンターギルドに去就を迫る。だが、犯罪者同然である奴らは素直に連合の要件を呑みはしないだろう。

 逆上したハンターギルドとのドンパチを想像していた俺の聴覚が不吉な物音に反応した。尖った耳がアンテナのように素早く動き、左右それぞれが別方向に固定された。
 ひとつは左上方、俺が使った通路だ。敷石を硬い物で突く連続音が密集している。節足動物系キマイラの歩行音だ。時折立ち止まりながらこちらに接近している。生息域を考慮すると、恐らくタカアシサソリオグモだ。オレンジ色に黒い縞の平らな頭胸部は長径八十センチほどで、毒針を備える棘だらけの腹尾部と八本脚はその倍くらいの長さがある。強力なハサミを大小二対も備えている上に動きが速い。群れると厄介な存在だ。
 重なる足音を歩行パターンに照らして推測し、数は六匹と判断した。単独で動いた俺の体臭を追ってきたのだろう。タマヌキネズミの新鮮な血も食欲を刺激したようだ。
 もうひとつの音は俺の前方、さっき偵察した壁の穴だ。暗い洞窟の奥深くから、熱い蒸気を噴くような呼吸音が近づいて来ていた。空気を嗅ぐせわしない響きと野太い唸りが渾然となって俺の鼓膜を撫で、首筋の毛をぞくぞくと逆立たせる。
 クロコグマという、ワニとクマのキマイラだ。二本の前肢は猛烈な膂力と瞬発力を秘め、四本の後肢で立ち上がると高さは五メーターに達し、先端が鋭く尖った尾の長さは八メーターを超える。顔は殺人狂のクマと殺し屋のワニを重ねた感じで、後頭部にも眼が一対ある。知能が低く凶暴この上ない。まばらな剛毛に縁取られた硬い鱗は、生半可な剣では突き通せない。カネに糸目をつけない上客なら話は別だが、一般的装備のソロ・ハンターでは到底太刀打ちできない怪物だ。
 俺がこの場所を知らなかったのも頷ける。クロコグマは逃げ場の無い負傷者が漏らす苦痛の呻きと血のニオイを嗅ぎつけ、あっと言う間に平らげる。救助に向かうだけ時間の無駄なのだ。こんな仕掛けがある“娯楽”を楽しむ奴らの気が知れない。
 それにしても、いまここで発散されている新しい血のニオイはチーフのスーツに付着している乾いた血のものだけだ。そんな微かな臭気を捉え反応したのなら、俺はこのキマイラを侮りすぎていたことになる。暖かい水辺を好むクロコグマは、遺跡から数百メーター離れた地上の沼地に棲んでいるからだ。もしかしたら、この場所には獲物が落ちたことを知らせるカラクリがあるのかもしれない。
 岩が爆ぜる音が聞こえ、微かに地面が振動する。長さ五十センチに迫る鋼鉄のような鉤爪が、とんでもない巨体の重量を圧しつけて砕いているのだ。
〈騒がしくなってきたね〉
 フェイスシールドをクリアにしたチーフが俺を見た。声は出さず、補助電脳によるチーム専用通信を使っている。BA同様に鋭い感覚器官を備えているキマイラに対する用心だ。ちなみに、すべてのキマイラはハンターの監視と救助要請伝達に使われる『守蜂』の羽音にだけは反応しない。狩りと救助活動への影響を防ぐために、感覚器官が遺伝子レベルで調整されているのだ。
 ゆっくりとチーフが立ち上がった。広い背中にはポリコード・ディスペンサーを備えた小型のサバイバル・バックパックがセットされている。スーツの両大腿にナノマシンによる補修痕が見えた。黒ずんだ血と泥もこびりついている。痛々しくて自分の身を切られる思いがした。
〈種類は?〉
〈左上方の通路からタカアシサソリオグモが六匹、前方の穴からクロコグマ一匹です〉
〈あのデカい奴かい? 参ったね〉
 ゆっくりと屈伸運動をするチーフが軽く頭を振った。
〈動けますか?〉
〈大丈夫だよ〉
 チーフは事も無げに答えたが、俺はそれを鵜呑みにすることはできなかった。ハイドスーツに記録されていた推定出血量からすると、チーフの傷は決して浅くない。怪物相手に満足な立ち回りができるコンディションではないが、チーフの頭には壁際の暗がりに隠れるなどという考えは微塵も無いようだ。もちろん、俺と接触する前ならチーフはそうしたに違い無い。だが、今は俺と一緒だ。俺が隠れろなどと言えばこの人はきっと傷つくだろう。
〈セイブルが早く来てくれると助かるんですが〉
 俺は少しだけやきもきしながら、もうひとりのチームメイトの名を口にした。
 チーフが伸びをして呟く。
〈いま、どの辺かなあ〉
〈お急ぎですか?〉
 真面目そうな男の声。セイブルだ。
〈あとどれくらいで来れるんだ?〉
 急かすように言う俺に勿体ぶった口調で答える。
〈アクティブ系のスキャナーを使うと彼らにバレますし、提供された地勢データがお粗末な上に回避すべきキマイラも多く、ハンターとの遭遇リスクも考慮する必要があります。何よりそちらの座標が特定されていませんから、所要時間を予測するのは少々難しいです〉
 フィールド内はハンターによる不正を防止するため、全域で電子機器の使用監視と通信妨害が行われている。
〈真下かどうかわからないけど、ここは遺跡の地下だ。大体の距離くらい出せるだろ〉
〈恐縮です。電脳通信波は隠匿性は高いのですが、妨害波を回避させるとフォローが不安定になるので……高低差と遮蔽物によって数パーセント増減しますが、通信強度から推測すると直線距離で千五百メーターほどです〉
〈そこからゲートまでの距離は?〉
〈二千二十メーターです〉
〈一番近くてその距離かよ〉
〈はい〉
 俺は思わず鼻を鳴らした。
〈わかった。急げよ?〉
〈もちろんです。では、のちほど〉
 セイブルは足が速い。それが現時点でこの距離ということは、ゲートから軌道連絡用航宙艇まではかなり遠いはずだ。
 チーフの怪我のことが気に掛かる。セイブルに運ばせるのも有りだろうが、当然この人は嫌がるだろう。俺は両手の指を組んで手首を回しているチーフの顔を見上げた。
〈連絡艇まではどのくらいあるんですか?〉
〈ここは宇宙港から一番遠いから、随分近くまで来れたよ。でも施設周辺はほぼ平野だから、五キロ先の峡谷に隠してあるよ〉
〈五キロ……〉
 また鼻が鳴った。やはりセイブルに運ばせよう。
〈大丈夫だよ〉
 チーフはさっきと同じ調子で言い、笑顔を見せた。腰の後ろに右手をまわして高周波ナイフの黒いグリップを握り、シース・ジョイントから刃渡り二十五センチのブレードを引き抜く。まだ起動はさせない。
〈クモは手強いかい?〉
 目の前に掲げた暗灰色のブレードを眺めながら俺に尋ねた。
 俺はチーフが発した気配を感じ取り瞬時に気を引き締める。
〈かわいいもんです〉
〈じゃあ、先制〉
 指令が下ると同時に俺は身を翻した。腐肉を避けてジグザグに走り、床を蹴る。強化された筋肉が鎧を着けた体を高々と跳ね上げた。一般BAよりブーストレベルが高い俺には、七メーターの高さなど障害にならない。
 キマイラが迫る通路に飛び込み、剣のロックを解除する。脊椎部分に沿っていたフレックスソードが連結し、カバーが割れて黒いインパクトブレードが露出する。刀身の基部に接続された電脳制御式ロボティックアームが伸展し、振り出された諸刃が宙を薙ぐ。
 角を曲がると同時に戦闘が開始された。
 虎斑のキマイラの群れが一斉にハサミを振り上げる。鋭い鋏角から毒をしたたらせ、体を揺すって威嚇音を発する。黒ガラスのようなクモの眼が壁のライトを反射し、死のニオイのする通路を場違いな美しさで彩った。
 俺は間合いを読んで俊敏に移動し、キマイラを攪乱する。高速で駆動する剣が唸りを上げ、通路の空気を縦横に裂く。アイスピックのような毛が植わったサソリの尾を分断し、突き出されるハサミを躱して砕く。長い脚を斬り払い、床を打ったクモの頭を蹴り潰す。間近で振り回される毒針の動きを見切り、俺は冷静に、しかし素早く奴らを始末する。
 毒を含んだ粘つく体液を振り撒き、最後のキマイラの残骸が床に転がった。通路に満ちた苦い悪臭が鼻腔を刺激する。
 足元に這い寄る青黒い体液を避けながら、俺はざっと体をチェックした。薄汚れた白い被毛に体液の付着は無い。上出来だ。普段荒事に臨む際はファングスーツを着用して牙を使うのだが、いつの間にかこの剣の扱いにも慣れてしまっていた。
 チーフの所へ戻ろうと踵を返したその時、石室で爆発的な咆哮が生じた。音が衝撃波となって通路に雪崩れ込んで来る。
 俺は喉の奥で唸り床を蹴った。瞬く間に通路の端に達して急停止し、踏ん張った爪が敷石に食い込む。
 壁の穴からクロコグマが上半身を突き出していた。太い前肢で床の骨と腐肉を踏み潰し、ごつごつとした鱗で鎧われた筋肉質の上体を持ち上げている。真ん丸に見開かれた爬虫類の眼が、前方に立つ人間を無表情に凝視していた。
 対峙するチーフは足を肩幅に広げて立ち、完全にリラックスしているようだった。だが、俺はその姿をひと目見て違和感を覚えた。高周波振動機構のハミングが聞こえない。右手のナイフを起動していないということだ。これでは普通のナイフより切れ味が劣る。
 俺はやや困惑してしまい、キマイラとチーフを交互に見やった。チーフはこの怪物にテレパシーを試すつもりなのだろうか。一定容量を超える中枢神経系を有する生物には暗示が効くそうだが、相手の知能が低い場合には接近する必要があると聞いている。クロコグマの爪が届く前に手なずけることなど可能なのだろうか……俺はどうにも手を出し兼ね、成り行きを見守るしか無かった。
 黙然と立つ人間から目を離さず、クロコグマが慎重に穴から這い出した。長い尾のほとんどが穴の中に残っている。
 両者が見つめ合い、その場に束の間のストップモーションが掛かった。
 次の瞬間。
 クロコグマが四本の後肢で仁王立ちになり、身の毛のよだつ咆哮を破裂させた。
 すかさず俺は顎を宙に突き上げ、凄まじい恫喝の遠吠えを噴出させる。とてもじゃないが黙っていられなかったのだ。
 突進しかけたクロコグマが二の足を踏み、こちらに顔を向けた。幾重にも植わった無数の牙を剥き出しにする。ガス漏れのような威嚇音をわずかに発したが、すぐに最初の獲物へと視線を戻してしまった。
「くそっ!」
 首輪から罵声が漏れると同時に、俺は全身の筋肉をバネと化して跳んだ。剣を振り上げ、巨大なキマイラ目掛けて放物線を描く。
 その時だった。石室に鈍い爆音が響き、チーフの左前方五メーター、俺から見て右方向の尖り岩が粉々に砕け散った。黒い糸――チーフが懸垂下降する際に使ったポリコードが垂れていた場所だ。
 立ち籠める土埃の中に黒褐色の影が蹲っている、そう認識した刹那、影が消え石室に旋風が生じた。砂塵が渦巻き、ヒトの可聴域を超えた風切り音が俺の耳を鋭く貫く。聞き覚えがある。超伝導加速機構による亜音速行動だ。
 セイブルだった。機体表面を抗力制御用ナノマシンでコーティングされた高機動アンドロイド。チーフの侵入経路をトレースして天井の穴から飛び込んできたのだ。思いのほか早い到着だった。
 と、出し抜けにクロコグマの頭部が消失した。間近で起きた破裂音と急激な気圧変化で耳鳴りがする。ソニックブラスターと呼ばれる流体応用兵器だ。セイブルの両前腕に仕込まれている。さっきの尖り岩も、これが生成する猛烈な多重衝撃波で粉砕されたのだった。
 頭部を失ったクロコグマの巨体はまだ立っていた。頭のあった場所に粒子の粗い赤い霧が漂い、首の破断面からはまだ止まらない拍動と共に血が吹き出している――。
 わずか二秒弱。俺が跳んでからここまでに掛かった時間だ。
 剣を構え、標的に定めたクロコグマの頭を狙い、俺の体は急速に落下していく。だが、いまそこにあるのは気味の悪い赤い霧と血の噴水だった。
 俺は耳を伏せ、目と口をしっかりと閉じた。

 ヒウチ級航宙船は狩猟惑星を周回する小さな不毛の衛星をかすめ、クライアントとの会合宙域へと移動を始めている。俺は割り当てられた待機室で不貞寝を決め込んでいた。
 パウダークリーナーとサウンドシャワーでは満足できなかった。清潔になったことはわかっている。ニオイも残っていない。しかし、これは気分の問題だ。温水プールなんて贅沢は言わない。池でも川でもいい、いますぐ水浴びをしたかった。
 セイブルに文句を言う筋合いではないし、言っても無意味だ。あいつはやるべきことをやった。新参者だが、正しい判断だった。俺との連携もまだ二回目なんだし……あれが連携と言えるかは疑問だが。ともあれ、つき合いが深まればチームワークも向上するだろう。今回はたまたまタイミングが悪かっただけだ、俺の。
「なんてことない。水浴びさえすれば気は収まる。ホテルまでの我慢だ」
 あくびをしながら自分に言い聞かせた。
 船は狩猟惑星の重力作用圏から離脱進路をとり、発動可能重力値を確認し次第、ディセプション・ジャンプ――航路短縮推進――に入る。ジャンプ中、船の外は闇に満たされる。そうなる前に、俺は狩猟惑星を映すディスプレイモニターに目をやった。
 仲間と共に過ごしたフィールドはまだ暗い夜だ。
『夜明けまでには戻る』“茶色”に告げた言葉が思い出され、心の声が首輪から漏れる。
「俺たちが戻るまで無事でいろ。お前たちを必ず家族の元に――」
 唐突にモニターがブラックアウトし、誓いの言葉が断ち切られた。ジャンプに入ったのだ。
 不意にフィールドでの魔獣狩りの記憶が蘇った。
 凶暴で強力なキマイラ。不潔で粗末な生活環境。支えは仲間たちを結ぶ同族の絆と、人間を救い貢献するという誇りだけだった。ブーストレベルが高く戦闘訓練経験のある俺でさえ、過酷という言葉の意味を噛み締めた。あそこは、野性を忘れかけた都会の犬が長生きできる場所ではなかった……。
 モニター画面の暗闇を少しの間見つめ、俺はまぶたを閉じた。
 ジャンプに入った数分後、待機室にセイブルが現れた。灰色の作業用ツナギ姿だ。出入口に立って落ち着いた声で尋ねる。
「いいですか?」
「入りな」
 セイブルは床で腹這いになった俺の正面に座り込み、立てた右膝を抱えた。背を丸めて俺の顔を覗き込む。
「怒っていますか?」
 俺は組んだ前脚に置いていた顎を持ち上げ、頭を起こした。軽く首を傾げ、アンドロイドの凹凸の無い顔を見つめる。
「そんなわけないだろ」
「よかった」
 セイブルが安堵の声を漏らした。体表を覆うナノマシンが顔面部で笑顔を作る。
「でも謝ります。あなたの行動に対する配慮が欠けていました。今後は気をつけます」
「別にいいさ。お前はチーフのことを第一に考えてりゃいい」
 俺は顎を前脚に戻した。思わず鼻から溜息が漏れる。
「どうかしたのですか?」
「何が」
「元気が無いように見えます」
「そうか?」
「はい」
 俺は黙った。胸の中のもやもやしたものを吐き出したかったが、そうすることに意味があるのかどうかわからなかった。そうしていいのかどうかも、わからなかった。
 一分も過ぎただろうか。セイブルが沈黙を破った。
「話してください。ストレスが溜まると体調を崩します。誰かに話せば気が楽になる、と人間は言います。わたしもそう思います」
 俺は片方の眉を持ち上げてアンドロイドの顔を見た。
「電気アタマにわかるのかよ」
「ハッハー!」
 セイブルが陽気な声を上げた。俺に対して上体を斜に向け、からかうように両手で指をさした。
「さあさあ、遠慮しなくていいです。わたしは人間ではありませんから。気を遣わずに、なんでも話してください。不適切な発言をしてもチーフに告げ口などしません。わたしが嘘をつかないことは知っていますね?」
 俺はセイブルから目を逸らした。真っ暗なモニター画面に視線を据えて考える。
 確かにアンドロイドは自己判断で嘘をつかない。秘密だと言えば、会話の内容を他者に洩らしたりしないはずだ。誰かの噂話をしているところを見たことも無い。それに、相手は機械だ。気兼ねする必要なんか無い――俺は生まれて初めて、犬としての疑問を口にする決意をした。
「俺たち犬は、人間のために働くことに誇りを持ってる。チーフが喜べば、俺も嬉しい。だけど、犬をモノとして扱う人間は絶えない。ブーストのお陰で意思疎通が可能になって何世紀も経ってるのにだ。俺たちが人間じゃないからか? 毛だらけの四つ足だからか? そりゃあ、世界が人間用に作られてるのはわかるけど、それにしても、だ。今回の件なんか、まるで大昔の地球であったような話だろ。調教どころじゃなく精神操作された上に記憶置換だぞ。ロクな食い物も与えられない、寝床は臭い、寝てても叩き起こされる。死んだ犬はどうなると思う? その場に放置だ。ダイオウシデムシっていう馬鹿デカい奴が集まってきてあっと言う間に食っちまう。ロボットだってもっと大事に扱われるだろうに。俺が正気だったら耐えられなかったかもしれない。まったく、どうなってんだよ」
 俺はひと息に喋った。もっとも、首輪の発声機は息継ぎをしないが。
 セイブルは何も言わず、静かに相槌を打ちながら俺の話を聞いていた。ゆっくりと首を振って口を開く。
「人間に隷属するのはうんざりですか? 何もかも人間の言い成りの、奴隷のような境遇にはもう我慢できませんか?」
 俺は驚愕の唸りを漏らして顔を上げた。
「なんて言い方するんだよ。俺はハンターギルドのやり口の話をしただけで、自分が奴隷扱いされてるなんて言ってないぞ」
「でも、あなたに人権はありませんよ?」
 アンドロイドから突きつけられた言葉に、俺は激しく面食らった。
「抵抗することを許されず、拘束され、洗脳され、酷使される。利用する側の人間は、その死さえ意に介さない。生体強化技術によってヒトと同等の知能と長寿命を獲得してもなお、あなたは“動物”なのです」
 俺の鼻面を指さし、つつくように動かした。そんな痛烈とも言える言動とは裏腹に、セイブルの声は穏やかだった。
 頭の中に様々な思いが渦巻く。人間に向ける愛情、人間から受ける愛情。忠誠を誓った人、虐げられる仲間。現実は一向に変わらない。犬である自分が変えられるのか。そんなことが可能なのか。できることなどあるのか。この“人間の世界”で、“動物”として生まれた自分に、一体何ができるというのか……。
 沈黙がどれくらいつづいたのか、よくわからない。セイブルの声で俺は現実に引き戻された。
「人間になりたいですか?」
 咄嗟に言葉を返せなかった。なんの話をしているのか、すぐには理解できなかった。
「少なくとも、毛だらけの四つ足からは抜け出せます」
 正気を疑いたくなる言葉だった。唸りながらアンドロイドを睨む。
「電脳がショートしたのか?」
「ハッハー!」
 セイブルはまた両手で俺を指さした。
「あなたの脳をヒューマノイド型の新しい体に移植するのです。あなたはブースト処置を受けて二十年を過ぎていますから、充分に論理的及び合理的思考が可能です。人間の行動を熟知していますから、身体構造の差異に順応するのにも長くは掛からないでしょう。そうそう、本能の抑制対策も用意されていますから、マーキングを我慢してストレスが溜まることもありません。ボディーは有機体、無機体、ハイブリッド、好みのタイプを選べます。どれにしますか? すべて試しても構いませんよ? もちろん、あなたの野性に合わせて筋出力や神経系の反応感度等をカスタマイズ可能です」
 俺は目を見開いて生唾を呑み込んだ。何も言えなかった。目の前のアンドロイドが本当にイカレたと思った。
 身じろぎもしない俺を見てセイブルが肩をすくめる。
「すみません。驚かせてしまいました。でも本当なのです。いま言った処置は可能なのです。ユニバーサルボディーと呼ばれる人造人体システムにヒト以外の生物の脳を移植し、順応させる技術です」
 両腕を広げてつづける。
「わたしの体がそうです。わたしはアンドロイドではありません。この機体は本来、サイボーグにカテゴライズされるものです。ここには生体脳が収められているのです」
 指先で頭をつついてみせた。
「何言ってんだ。お前は連合運用規格の適合品だろ。そんなすり替わりができたらライフモラルなんてあったもんじゃないし、部外者が連合のどこにでも出入りできるだろうが」
「仰る通りです。でも、強力なテレパスが絡んでいたら? 可能です」
 俺の口が大きく開いた。だらりと舌が垂れる。
「チーフが? そんなこと、あるわけない」
「わたしがサイボーグだということは、今回のミッションを振り返ればある程度証明可能です。たとえば、あなたとチーフが接触した際、どうやって掩蔽地で待機するわたしに位置を知らせたと思いますか? 強力な妨害波を抜くほどの出力で交信したら、ハンターギルドに気づかれてしまいます。でもテレパシーなら安心です。そして、テレパシーは生物にしか感応できません」
 セイブルはまた頭をつついた。
「そういうことです」
 言われてみればそうだった。電脳通信波を追うだけでは難地形や遺跡の壁に進路を阻まれる。だが、チーフが辿ったルートを心像として送れば、特に目印の存在しないフィールドでも迷うことは無い。パッシブ・スキャナーでルートを探るより格段に早い。事実、セイブルはチーフが通ったのと同じ穴から出現した。そこが致命的な罠であるにも関わらずだ。石室でクロコグマを前にしたチーフの態度も、セイブルの到着を“感じて”いたからこそなのかもしれない……。
 俺は混乱した。言葉を失った。微笑しつづけるアンドロイド――いや、自称サイボーグの顔を凝視する。
「心を静めて、ゆっくり考えてみてください。あなたがその気になればチーフも喜んでくれるでしょう」
 待機室を去ろうとするセイブルを追って俺は思わず立ち上がった。
「ちょっと待て。なんでこんな話をした。おい!」
 出入口の前でセイブルが立ち止まった。こちらに向き直る。
「我々には強大なバックがついています。ギルド連合よりも巨大な組織が掲げる理念に賛同し、我々は動いています。人権に並ぶ、知的生命体の社会的地位確立……実現させたいとは思いませんか?」
「お前、冗談だろ。本気で言ってんのか? 冗談だよな?」
 無言で肩をすくめるセイブルを前に、ゆっくりと首筋の毛が逆立った。無意識に鼻面に皺が寄り、牙が剥き出される。抑えきれない唸りが漏れる。
「お前……なんなんだよ」
 セイブルが右手を俺に差し伸べた。
「以前は、わたしもその首輪をしていました」
 両手を広げ、満面の笑みを浮かべる。
「信じられないかもしれませんが、わたしはチンパンジーです」

<了>

BLACK COLLAR AMBIVALENCE (『We are』改題)

BLACK COLLAR AMBIVALENCE (『We are』改題)

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-11

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著作権法内での利用のみを許可します。

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