しあわせのかたち

六時になっても、おわらないで、夜が、えいえんの夜をともない、朝というものを、しはいした。オムライスが、むしょうにたべたいと思ったとき、きみがくれた、ハンカチの、小鳥の刺繍が、ひどくかわいそうないきものにみえて、ぼくのむねはすこしだけ、くるしくなった。あいと、ぼうりょくと、セックスの、あいだみたいな行為を、ぼくは甘んじて、うけいれていたのではなく、それら一連の、儀式のような流れが、ぼくのからだの、すかすかにあいているところを、ぎゅっ、と埋めてくるので、その感覚を、ぼくは、せかいでいちばん崇拝なものとして、みていたのかもしれない。踏切の音が、ときどき、しんぞうをえぐった。海が鳴くと、あらゆるいきものの生命を、いとおしく思った。セックス、というものをおしえてくれた、きみが、ぼくのわきばらに指をはわせて、ほほえむとき、うまれてきてよかった、だなんて、しみじみしてしまう、ぼくを、けれども、きみは、かわいいのだといった。朝の六時に、朝だけが付随せず、六時だけが、ちゅうぶらりんになってしまったみたいだと、しらないひとがささやいた。花が、そよかぜに揺られるように、さみしげに。

しあわせのかたち

しあわせのかたち

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-09

CC BY-NC-ND
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