生き地獄
憎悪のたまり場ですよ
嗚呼、見るのも嫌になっている。嫌悪しているんだ。その存在を。
かつて追い求めた、姿を今は嫌っている。
やる気が出ない。そんな雨の降る7月9日の昼下がりにやる気の出ない私はこうやって文章を書いている。虚無だ。虚空だ、何もない。書いてきて何もなかった。何かをやっても何もなかった。
そう無力を感じる。日常をすっかり忘れていたみたいだ。なんとか今日まで生きてきたみたいだが、多分、明日もこうやって生きるのだろう。
苦しみを伴いながら、生きるのだろう。意味などない。死ぬことは嫌だから死なない。死にたいと思うことはあっても死ぬことはない。だって死んで報われることなどないのだから、死ねばなんでも救われるわけがない、何かが変わるわけでもない。この地獄をただ生きるしかないのだ。
辛く苦しく、それでも笑える場所なんてないのだ。そんなことないよと気持ち悪い顔をする輩が嫌いだ。とても気持ちが悪いのだ。人が必死こいて、結論づけていくらか楽になろうとしているのに、己の独善に酔いしれて自分の物差しで測った幸せをぶつけてくるのだ。ふざけるんじゃないと、。私は思う。それゆえにそうしてくる輩が嫌いだ。誰であってもそうしてくる人は嫌いなのだ。
私はもう楽になりたいのだ。この、考えがこの行為がもう私にとっての救いであるのだ。もうそれに関しては自殺に変わりないのだ。もう苦しいのは嫌なのだ。もうほっといてくれ。
どう訴えたってバカには分からない。どうわかりやすく説明したってアホは話を聞かない。自分の周りでそれが多いのだから、もう話し合いをしたって無駄なのだ。はい、とうなづくしかないのだ。
しかし反対に、私より上の者からすれば、私もバカでありアホなのだろう。
だとすればもうそれはとてもじゃないが飛んだ恥をまき散らしているのと同じなのだ生きるのが恥ずかしくないのだろうか、勿論恥ずかしい。まるで、歩いている中、足を引掛けられたような感覚なのだ。
もうだめなのだ。生きてるとロクなことがないのだ。
借金は負う、恥は感じる、働けば辛く苦しい、心から安らげる場所なんてない。地獄だ。地獄じゃないか。
天国なんて救いはないのだ。
恥ずかしくないのかと問われれば恥ずかしい。生き恥を晒しているようなものだ。
生きているだけでバカみたいだ。
Twitterは諸悪憎悪の根源だ。
生き地獄