路地一本

路地一本。奥へと入って、朧な記憶を漫ろに辿る。
面影のあるようでいて違和感ばかりの見知らぬ景色が、真新しい姿を誇っていた。
ここはあの店があった場所、 こっちは広い庭の家。
何となく、きっと、多分。 あちこちで幾度もそう思いながら、足を進める。
空は澄んでいた。
変わらないのは空だけだ。
それでも、あれならば。
この先の、あの樹、樹齢数百年を越える大樹。
あれならば、変わらぬままでいるだろう。
そして、道が開ける。
遮られるつもりでいた視界は、 大きく空へと抜けた。
間違えたのだと思った。違う建物ばかりだったから、道が変わっているのに気付かなかったのかも知れない。
ぼんやりと左右を見渡してみる。
ない。何も。
傷みが酷いという噂は聞いていた。
年老いた所為なのか折れ易くなった枝を、大風の度剪定していたらしい。
だとしても、寿命はまだまだと思っていた。
ふらふらとあった筈の場所へ歩み寄り。
見出したのは、地面と同じ低さまで平らに削り取られた痕跡だった。
切り株ですらない、根の残骸。
目の端に映った何かへ視線を向けると、小さな掲示があった。
「老朽化が進み危険な為、伐採しました」
残骸へ目を戻す。
ゆっくりと屈み込み、そっと、指先でなぞる。
まだ、生きているような気がした。
色合いも鮮やかに瑞々しく思える。
季節が廻れば、若葉が芽吹き茂り葉擦れの音と共に木陰を涼やかな風が抜けるような。
けれど。
それはもう、起こらないのだ。
立ち上がり、 顔を空へと向ける。
あの高さまで。在りし日の、 あの姿まで。
記憶を空いっぱいに描く。
大きく息を吸い。 少しだけ止めてから、吐く。
そうして。 踵を返し、 歩き出す。
もう大樹はいない。
ここへ来る事もないだろう。
いつでもまた、描けばいい。
何処に居たって、空は同じだから。

路地一本

(初出・2020/07/09)

路地一本

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-09

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