七月
プリントの角を揃えるために動く、几帳面な指先を見ている。クラスの男子が格好つけるためにどんどんと机にプリントを打ちつけて、結局ははじっこが折れ曲がってしまうようながさつで野蛮なそれと違う、崇高な儀式のようなものを見ている。ほんとうは独立していた一枚一枚の紙が、音が鳴るたびひとりまたひとりと列に吸い込まれていく。最後にとん、軍隊みたいに整った前ならえをさせて、彼が教師である理由が、なんとなくわかる気がした。彼はこうして、わたしたちのことも、ぴったり揃ったいい子ちゃん軍団にしていく、そんな想像をする。ホームルームでちょっとはしゃいだやつが、叱られてあるべき席に戻っていく、みたいに。
そうして画一的に無個性なふうに揃えられた紙束は、パンチに吸い込まれていって、ぱちんと揃って音を鳴らして、寸分の狂いもない、彼の完璧な授業プリントが出来上がる。それがあまりにも美しい光景のように思えてしまって、この言いようのない気持ちを、彼のプリントをいっつも机の中でぐしゃぐしゃにしてしまっているクラスメイトにぶつけたくなる、あなたの机でまるくなっているそれは、こうして作られているんだよ、もっと大切にして。
彼は息を吐いて、またプリントの角を揃える作業に戻っていく。とんとん、ぱちん、はあ、わたしのことなどまるで気に留めていない教員としての彼だけの世界に、わたしは嫉妬して、忘れかけていた口を開く。
「先生」
思っていたよりも甘ったるい声が出てしまって、自分でも驚いて、慌てて俯く。
「はい」
抑揚のない先生の声は、わたしと先生の距離を確実に遠ざけながら響いて、でも、わたしはどこかでそれに安心していた。ほんとうはわたしだけを見てほしくて、でもそれをしない先生だから好きだ、他人のままでじっと居てくれる、それが好きだ、大人で、教師で、生徒の手本になるようにいなくてはいけなくて、煙草を吹かすにもひっそりしなければならないところが、好きだ。いろいろなことに気づいていながら、わたしなんか相手にしない、でも拒絶もしないところが好きだ。彼に愛していると言われるようなことが一生なければいい、とさえ思う。「先生」努めて低い声を出すようにしながら、彼を見上げる。
「はい」
「明日も、来ます」
はい、と先生が答える。先生は基本的には、相槌しか、打ってくれない。帰るときになって、ふたりの場所だった、社会科準備室の扉を開けてからようやく、また明日、と小さく言うだけだ。でもわたしは、それがいつも、どうしようもなく、嬉しい。このときわたしにかけるまた明日、は、ホームルーム終わりに生徒全員に投げかけるような事務的なものとはきっと違くて、わたしにだけ特別ななにかをはらんでいる、魔法みたいなものだ。彼はこうしてわたしを彼のなかにかろうじてとどめさせて、彼のなかに自分の価値をすこしだけ認めさせてくれて、なんの意味があってかはわからないけれどとにかくわたしがいなくならないようにしている。けど、なにか、ほかにはないものを持っている。と、わたしは信じてしまっている。
「また、明日」
先生が言って、わたしは黙って扉を閉めた。
七月