続ぼんちゃん
カスミ
カスミは27歳になったばかりだけど、今年10歳になる息子と暮らすシングルマザーだ。
夫と別れて8年が過ぎた。その別れた夫とは嘗て一緒にバンドをやっていた。もう10年も前の話だ。最後のライブはマスコミにも取り上げられハチャメチャだった。
子供が生まれる前に一度だけ夫だったケンジと2人でギターを弾いてたオサムの実家に逢いに行った事がある。まさかドラムのカシラまで同郷だったなんてその時初めて知った。
それからは連絡は取っておらず各々が何をしているのかは分からないし、わたしはケンジと別れてシングルマザーを選んだ。
ボンさん
夢をみていた。
「そういえば何回ライブやったんだっけ?」
つい独り言が口をついて出た。
「オサムとか、ハハハハ」
凡治は28歳になっていた。10年前、高校を卒業すると同時にオカンが弾いていたストラトと一緒に上京した。
夢の中では客が1人しか居ないライブハウスで空回りをしながら全力で演奏する自分達がいた。何をどうやっても何も起こらず、ただただ時間だけが過ぎていきライブ終了も待たずにたった1人の客もハコから出ていくというもの。
「栗山オサムって誰が考えたん?」
そんな事をぼんやりと思っていると、昼寝していた車の窓をコツコツと軽く叩く者がいた。ドアを開けると、去年入ったはがりの保夫が
「昼からは続きやればイイッスか?」
と能天気に聞いてきた。凡治は急に現実に戻されたような気がして少しムカついた。
凡治は東京から帰って暫くは何かを模索していたが、ようやく地元のサイディング屋に入った。
「ゴゴイチ材料入るからそこんとこ片しといて」
「ウッス」
凡治が自分の作業に取り掛かろうとした時に保夫が何となく
「そういや凡さんて東京でバンドやってたんすよね?」
と聞いてきた。凡治は少し不思議だった。なんで若い保夫がバンドの事を知っているのか。続けて保夫が
「昨日Youtube見てたら、なんか昔のニュースだかなんだかのがあって、凡さんギター弾いて暴れて映ってましたよ。苦虫のなんとかってバンド」
東京ではじめにやった仕事は建設現場でのコンクリートガラ搬出だった。
そんなつもりはなかったんだけど新宿駅で手配師みたいないかつい男に声を掛けられ、車で現場へ。1日コンクリートガラにまみれて貰った日当が8000円。金が入っていた封筒には栗山オサムって名前が書いてあり、勝手にその名前で登録されていた。
それから何回かその仕事をしたけど、その度に建設現場で働くのは金輪際御免だと思っていた。結局今の仕事は建設現場でサイディングつまり建物の外壁を貼る仕事をしていて、もう親方として自分の現場を任されていた。
sunhead
もう何期目になるのかわからないくらい県議会議員山頭泰一の議員人生は安定していた。父親の地盤を引継ぎ、更に拡張しながら県政に勤めていた。
息子の一男が突然東京から帰ってきた時には驚きと喜びがあったが、それは直ぐに何処かへ行ってしまった。順風満帆な議員生活であったが一男が帰ってきて2日目にはマスコミがインターフォンを鳴らしていた。
後追いで息子のバンドの事や暴走族の事を知り、一男を問い詰めたが、翌日には家を出ていってしまった。
あらゆる手を使って息子との関わりを揉み消した。
山頭カズオは隣の県で小さなバイクショップを営んでいた。
何処から噂を聞き付けたのか色々なところからヤンチャな客が足を運んでいた。きっかけはネットへの書き込みだった。それがそういう元気の良い連中のネットワークに乗ってドンドン拡散されたのだ。
〖山頭火の総長がバイクショップをやっている〗
〖やべ、本物いるじゃん〗
〖パーツがめちゃくちゃマニアック〗
〖聖地巡礼〗
〖総長って呼ぶなって怒られたよテヘ〗
そんな感じの投稿がSNSに溢れ、写真なんかと一緒にあがっていた。
店の名前はバイクショップsunheadだった。
ケンジ
何かをやろうとすると躓きを繰り返し、もう惰性で毎日を送っていた。
朝は割りと早めに起き、駅前で立食い蕎麦をすすり、その足で向かうのは開店前のパチンコ屋だ。平日はパチスロを打ってそれで食べている。所謂スロプロになっていた。回転の都度出目を確認し役の出現率から台の設定を予想する。
スロットの難しいところは、いくら設定が良い台を打っていても期待値通りにボーナスに当選しない事は度々ある。逆に設定が低い台でも波にハマれば短時間でボーナスを量産出来る事もある。
どちらにしても台が定まると1日打ち切るのがケンジのスタイルだ。
スロプロにはそれなりのネットワークがあり、情報を交換したり、プライベートでの交流もある。その日ケンジは+35000円の収支だった。
換金所を出たところに他店で打っていたサクちゃんがいて、そのまま一緒に飲みに行った。
「生ふたつね」
とサクちゃんがカウンターに声をかけた。そして今日の流れなんかを身振り手振り交えながらケンジに話しているとビールが運ばれてきた。
「じゃ、かんぱ~い」
軽くジョッキを合わせてゴクリゴクリと2人共ほぼ一気に飲んだ。
「きぃぃぃ」
ケンジの口からも歓喜が漏れた。サクちゃんは更に生ビールをふたつ頼んで、つまみも4、5品一緒にオーダーした。
サクちゃんは何かを思い出したように
「そういやケンちゃんさ、昔バンドやってた?」
と言ってきた。
「昔な、もう10年くらい前な」
「やっぱりあれケンちゃんか」
「なんかあった?」
今更あのバンドの事をどうこう言われる事は無いと思っていた。サクちゃんは続けた。
「昨日さ、Youtube見てたんだわ、ちょっと出目が偏ってる機種があってそれの解説みたいなやつ、そしたらさ関連動画みたいなの出てくんじゃん?まぁ、俺パンクとか好きだからさ、そしたら昔のワイドショーかなんかの、いやニュースかな?そんな感じのやつでライブシーンでさ、めちゃくちゃ暴れてるケンちゃんそっくりなベーシストがいてさ、ヴォーカルの娘もめちゃくちゃ可愛くてで、ステージでチューしたんだよ。えっと苦虫のなんとかってバンド」
苦虫のハラワタ
苦虫のハラワタというバンドの活動期間は実質1年も無い。
行ったライブは4回程だけど、その1回1回のライブ内容が派手だった。特に、今はもう無くなったライブハウス下北沢ウーバーでの乱闘ライブでは警察や救急車まで巻き込んだし、実質最後となった新宿ノックアウトでのライブはマスコミが騒ぎ立てた。
それが今頃になってインターネット等を介して知られるようになっていた。なかにはライブをウォークマンで録音した音源から海賊版のCDまで作られて売られているらしい。
サクちゃんの話を聞いてケンジは少し思い当たる気がした。ケンジは何年かぶりにオサムの携帯を鳴らした。
「オサム?オレオレ」
「久しぶり元気?スロット調子いい?」
「まあな、ところでよYoutubeの事知ってるか?」
「ああ、アレね最後のライブの時のやつね、昨日うちの若い衆から聞いてちょっと見てみた」
「アレの出所だけどよ、ノックアウトの店長じゃねぇか?」
そう言われて凡治は、そうかもと思った。
「まぁ、別にいいんだけどな。ところでさカスミと連絡とってる?」
「いや、特になにもないよ。ケンジ連絡してないの?」
「いや、もうほら、なんつーか他人じゃんかよ、で、向こうもさホラ相手とかいたら迷惑じゃんよ。だからまぁ、そんなとこ」
「子供にも逢ってないの?」
「ああ」
Youtubeだ、何だと理由つけて本当はカスミの事を聞きたかったんだなぁと凡治は思った。
「ノックアウトの店長さ、カシラと仲良かったからあとでカシラにも電話してみるよ。つか久々にどこかで集まる?」
凡治が言うと、ケンジも満更でもない様子で
「それもいいかもな」
と言って、電話を切った。
歯車が
新宿のあの居酒屋は店名が変わっていた。
凡治はあれからカシラ(山頭カズオ)に連絡して、休みを合わせて久しぶりに東京へ行った。
新幹線の中ではほぼ口をきかなかった2人だけど、新宿へ着くとポツリポツリと話し始めた。居酒屋にはまだ他の2人は来てなくて、とりあえず生ビールを頼んで現況報告みたいな事をやりあった。
居酒屋の入口から小学生が入ってきて、その直ぐあとからカスミが笑顔を見せた。凡治はたまらず
「キャミ子、元気?」
と声をかけると、それを制するように
「こどもの前で、キャミ子はやめて」
と照れた様子だった。
「ほう、もうこんなに大きいんだぁ、凄いなぁお母さんだもんなぁ」
凡治が言うと、カスミが
「ほら、挨拶は?」
子供に声をかけた。店に入ってきた時は勢いがあったその子も、凡治とカシラを目の前にすると尻込みしたようにモジモジした。カシラが
「こんばんは」
似合わない笑顔で言うと、ようやく
「かみやましんじです。こんばんは」
と応えてくれた。
「わたしこの子いるからあんまり遅くまでは居られないからね」
そういうとカスミは速攻で生ビールとオレンジジュースを注文した。暫く昔話や今の生活の事なんかを話していると、やや消極的にバツが悪そうな感じでケンジがやってきた。
「お母さんアレ、そうだよね?」
反射的に新二はカスミに聞いた。
「新二、大きくなったな」
ケンジは、久々に我が子の頭を撫でた。カスミは伏せ目がちだったが、開き直ったのか
「ようお父さん、生きていたのか」
そんな感じで毒づいてみると、ちょっと場が変な空気になったから、凡治が慌てて
「ほらほら、もっかい乾杯な、はいはいグラス持って、ほら新二も、じゃカシラ乾杯の音頭とって」
カシラは何か言おうとしたけど結局
「乾杯」
とだけ言った。
「あんた仕事してんの?」
するとケンジは小さく
「ああ」
と言ってビールを飲んだ。
「ま、ほらせっかくこうして集まったんだから仕事の事はいいじゃんか」
そう言う凡治の携帯が鳴った。
「わりぃ、ちょっと電話だからやっといてやっといて」
電話の相手は保夫だった。
「凡さん、東京っしょスンマセン。あの現場なんすけど足場が風で煽られて倒れたんすよ」
「お前、ケガしなかった?大丈夫か?」
「俺、ちょうど昼だったんで、で暫く現場入れないみたいなんで、凡さん帰ってくるまで休みます」
「わかったわかった、明後日には帰るから、お疲れ」
携帯を切って席に戻るとカスミが聞いてきた。
「仕事の電話でしょ?オサムちゃんとやってんだね」
「そんな事ないって、さ、飲むぞ」
新二はオレンジジュース越しにケンジを見ていた。それにケンジが気付いた時に、
「お父さん」
新二がケンジを呼んだ。ケンジは笑顔で、
「どした?新二、ジュースおかわりか」
新二はカスミの方を向くと、カスミは凡治と何か話していた。
「お父さん、お母さんの事嫌い?」
それを聞いてケンジはビールを吹き出しそうになった。
「アレだ、お父さんなお母さんもお前の事も凄く大事で、それでな、えっと…」
ケンジは着地点がわからなくなった。その時カシラがゆっくり話し始めた。
「Youtubeの件、やっぱりノックアウトの店長だった」
するとカスミだけ
「Youtubeの件って何?」
と、わからない様子だった。そこでケンジが素早くスマホを操作して例の動画をカスミに見せた。
「あららら、懐かしいわね。わたし可愛い」
ちょうどケンジとのキスの場面の時、新二が覗き込んで、
「あっ」
と言った。ケンジとカスミの目は泳いでいた。カシラが続けた。
「店長、アレをあげたら俺らから何かしらの連絡が来ると思ってたらしくて」
「じゃ、まんまと店長の思うつぼか。でもそれだけ?」
凡治が聞くとカシラが溜め息をついて
「苦虫のライブやらないか?だと」
「え?」
3人は面食らったけど何らかの事はあるんだろうとも思っていた。するとケンジが、
「実はさ、最近ちょっとベースを弾いてたんだわ」
と思いがけない事を口走った。更に続けて、
「個人練習でスタジオ入ってさ、ははは、曲も作ったんだわ」
「それってバンドでもやろうとしてたって事?」
凡治が言うと、カシラが、
「うちの店、去年ガレージを建て増ししたら、ちょっとしたスペースが出来て、しょうがないからそこにドラムセット置いて、まぁ軽く叩いてた」
凡治はあれからギターには触ってなかった。
「キャミ子…じゃなかったカスミは何かやってる?」
凡治が少し焦って聞くと、
「そんな暇無いよ、仕事と子育てで生活は手一杯なんだから、あらあらお父さん余裕だね」
皮肉まじりにカスミが答えた。カシラは、
「明日少しだけ時間あるか?一回スタジオ入らないか?子供も連れて来ていいし」
カシラの言葉にみんな少しづつ心が動いているようで、バラバラだったパーツが合わさり、歯車が少しづつ回り始めようとしている気がした。
彼処
日曜日の午前9時、スタジオはあの時使っていた何時もの彼処だった。
前の日に予約して入れる時間は午前の早い時間だけだったし、凡治もカシラも夕方には新幹線に乗らなきゃいけなかった。
マイクをセッティングしているカスミの側で新二が興味深くミキサーを見ていた。すると新二の後ろから低い音がデゥンデゥンと聞こえた。
ケンジのベースだ。ケンジは手馴れた感じでセッティングを終わらせた。凡治はギターを持ってきてないので急遽スタジオからのレンタルギターでやることにした。もう、10年も触っていなかったギターの感覚。アンプにプラグを入れ、ヴォリュームを上げる。Eのコードを鳴らしてみると、これが気持ちいいくらいバシッと音が出た。カシラの準備も良いみたいだ。
そんなつもりはなかったんだけど、凡治がプリティヴェイカントのイントロを弾くとカシラとケンジが入ってきて、曲が始まった。カスミの声も出ている。
新二は目を丸くしながら見入っていた。
and we don't care !
曲が終わった。あの時みたいにバッチリだった。
「出来んじゃん」
カスミの声が弾んだ。
ノックアウト
「うわぁ、こりゃ暫くここは駄目だな」
「監督所の調査がまだかかるみたいで」
保夫の頭の中では仕事を休めるんじゃないかというよこしまな気持ちが現れていた。監督所というのは労働基準監督所の事で、建設現場などに抜き打ちで現れ検査したりする事もあり、一旦こうして事故が起こってしまうとその原因から対策から復旧から、然るべき事柄が成されたか等を調査して工事再開の許可を出す。
となると工事はストップしてしまうのだが、現場は何も此処だけではない。保夫の皮算用は捕らぬ狸となった。
「どう?スタジオ入ったんだよね?」
バイクショップsunheadの電話口にはノックアウト店長の声がしていた。
「ああ、入った」
「どうだった?やれた?」
「やれたね」
「じゃ、ライブいける?見たいんだよ苦虫」
カシラは暫く無言だった。それからひと言ふた言言葉を発して受話器を置いた。
モーニングが入っていた。前日のボーナスのグラフから236番台だと目星をつけていたのがズバリと当たった。
BIGを一通り消化してから缶コーヒーのプルトップを開けた。ひと口飲んでからレバーを叩くと次のボーナスに当選していた。ケンジの口元が少し緩んだ。更に次のボーナスにも当選していたが、これはBARだった。調子が良かったのはここまでだった。いくらモーニングが入っていても、それが高設定とは限らない。800枚近くあったコインは直ぐに呑まれていった。
溜め息をつき、煙草に火をつける。惰性で回るスロットを見ながらバンドのリハを思い出していた。
「いってきまーす」
アパートのドアを勢い良く開けて新二は学校へと向かった。カスミも身支度を済ませ職場へと出勤する。カスミは今、スーパーで働いている。開店準備、品だし、レジ打ちと色々な仕事をこなしている。夕方一旦帰宅して晩ごはん諸々の事を済ませると若い頃から働いているスナックに週3日程出ている。
シングルマザーのカスミは良く働いた。最近は家事や出勤の時間に何気なくバンドの曲を口ずさむ事が多い。
カシラからみんなのもとに連絡が入ったのは、久々のリハから2ヶ月後の夕方だった。
1ヶ月後の10月15日(土)新宿ノックアウトでライブ決定。ライブ3日前に上京するから2日間リハをやる。ライブはワンマン。以上。
Youtube
苦虫のハラワタのライブを決めてから、ノックアウトの店長は新たな告知動画を作成し、再びYoutubeへ投稿した。
苦虫のハラワタがノックアウトでやった過去3回のライブは録画されていて、そこから画像を編集しハラワタカッサバキという曲と共にライブシーンがコラージュされド派手な文字が画面を踊っていた。
曲の終わりには画面はモノクロになり、カスミがウインクをして暗転、直後にショッキングピンクの文字で
苦虫のハラワタ ワンマンライブ決定!
10月15日(土) @新宿ノックアウト
OPEN18:30 START19:00 料金2000円
と映し出され、その文字が崩れ落ちPVは終わった。
「再生回数が凄いんだよ」
ノックアウトの店長は電話口で興奮していた。
「普通さ、まぁ200もいかないくらいなんだよ。いってたまに400とか、苦虫はまだあげてから3日しかたってないのに1万超えて、まだ伸びてて」
そう言われてもカシラには実感が無かった。
「山頭君さ、いけるよ。まだまだこれからだって」
ノックアウトの店長はYoutubeチャンネルに店に出ているバンドの動画をあげている。少しでも集客に繋がればと思ってやっているけど再生回数はパッとしない。
「店長、ワンマンで本当に大丈夫?あの頃とはやっぱり違うと思うけど」
「前にもいったけど、こういう勘というか手応えみたいなやつわかるんだわ。大丈夫大丈夫」
当日
前日6時間程リハーサルをやってから、いつもの居酒屋といっても前に行っていた店とは違う居酒屋になった店で夕食を兼ねて飲んだ。
新二は少し疲れたようでチャーハンを食べ終わるとウトウトし始めた。軽く飲みながら各々つまみで腹を満たすと明日に備え早めにお開きとなった。
新二が眠ってしまったのでケンジは新二を抱いてカスミのアパートまで行く事になり、カシラとオサム(凡治)は宿泊先のホテルへ帰った。
明けて土曜日。リハーサルを済ませたバンドはノックアウトのフロアで酒を飲んでいた。
「懐かしいな、こういうの」
オサムが言うと、
「悪くないよな」
ケンジが続く。
「わたし新二とご飯行ってくる」
と言ってカスミは新二とノックアウトの階段を上った。カシラは店長とまた話をしている。
カスミと新二が近くの牛丼屋を出てノックアウトの方に目をやると、さっきと違っていた。
午後5時過ぎ、まだ開場まで1時間以上もある。
新宿ノックアウト入口前の歩道には30人程の人がいた。若い学生みたいな者から40代と思われる者、カメラを手にしたオタクみたいな者までがあった。
新二と歩いてくるカスミを見つけると、ざわついた。
「キャミ子だ」
誰かが言った。その中から、つつつと2人の女性が歩み寄って来た。
「カスミ先輩ですよね?私たち蒲女なんです」
蒲女というのはカスミが中退した蒲田にある女子高の事だ。
「今も変わらず綺麗ですね。握手して貰えますか?」
カスミは少し驚いたが、新二はもっと驚いた。
「お母さん、すごいね」
新二は誇らしく思えた。
「お母さんって、この子カスミさんのお子さんですか?わぁ、すご~い」
2人の高校生は盛り上がっていた。カスミが握手を終えると、
「ライブ頑張ってください。あとで友達も来るんでみんなで応援します」
「あ、ありがと、うん」
と言って新二とノックアウトの階段を下りていった。ノックアウトへ入ると談笑しているメンバーのとこへ行って、
「ちょっと、もう上にお客来てるよ」
そう言うと、ノックアウトの店長がPAの横から顔を出して
「な、客いるだろ?さぁ今夜は面白くなりそうだ」
と嬉しそうだった。新二はドキドキしていた。そして父であるケンジを見ていた。
DIVE!
ステージ横の楽屋にはバンドと一緒に新二もいた。会場はキャパ以上に客が入っていた。そして色々な感情が渦巻いていた。
さっきまで客同士の会話が成立するくらいの音量で流れていたスコーピオンズのアルバムがfade outして、フロアが暗転した。同時に歓声が上がり、フランク・シナトラのマイウェイが大音量で鳴り出した。
「じゃ、いってくる」
ケンジが新二に言うと新二は力強く頷いた。ケンジがステージへ出ると歓声が一際大きくなった。カシラがドラムセットに着くと怒涛が響いた。オサムがストラトを担ぎ、バックライトがフラッシュするとカシラがカウントをとった。
1曲目は毒虫コーリングだ。カスミは新二に耳打ちしてからステージに飛び出すと一気に華やかになった。
♪鈍黒の藪の向こうで!毒虫コーリング♪
♪蛇壺の底に塗れて!毒虫コーリング♪
♪訳のわからない泡の中で♪
♪泥水を啜って生きてる♪
1曲目から開場はヒートアップしている。早くもモッシュピットが現れた。
新二はステージ袖からそれを見ていた。心臓がドクンドクンと鳴ってるのがわかる。
♪苦虫を喰らえ、毒虫が♪
♪苦虫を喰らえ、毒虫が♪
ノックアウトのフロアが縦に横に揺れて、もう何か、ひとつの生き物の様だ。
♪毒虫がオレを呼んでいる!毒虫がオレを呼んでいる!毒虫がオレの肩に手を廻す♪
カスミは相変わらず輝いてる。ケンジの暴れ方も凄まじい、オサムも絶好調でカシラは安定している。全てのパーツがちゃんと絡み合って会場とひとつになっている。
「みんな元気にしてたぁ~?どんどんいくよぉ」
オサムのリフから始まったのは、御存命ガーデンだ。
♪猫の八重歯の間を縫って、恐山にたどり着いた
空転が続く国会で鼻の穴からうどんが出た♪
もう、気持ち悪いくらい盛り上がり、何かの熱心な信者のようだ。
♪命乞いなら御存命 逃げるようならガーデンへ
恋の火柱立ち上る 幸か不幸か御存命ガーデン♪
プリティヴェイカントやアイフィールオールライトなんかのカバー曲でも勢いは落ちない。
ハラワタカッサバキが始まると、そのデスメタルチックな重いリフにのせ上下に頭を振るカスミ。フロアも大きく揺れている。大袈裟なオープニングの音を伸ばしハウリングが起こる。ために溜めてオサムがパンキッシュなリフを刻み、そこにケンジとカシラが入った。一瞬の間を突いてベースが鳴らされるとカスミが狂おしく叫んだ。
AGHHHHHHHHHH!!!!
もうフロアは制御不能だ。バンドと共に暴れ狂う。
♪お前の腹のなかを見せてみろ!見せてみろ!
お前の黒い腹を見せてみろ!見せてみろ!苦虫のハラワタを見せてみろ!見せてみろ!毒虫のハラワタを見せてみろ!見せてみろ!♪
フロアからステージへ客が上がっては、またフロアへDIVE、それを繰り返していた。
ケンジは我慢出来なくなりベースをステージに残しDIVE。カスミは袖の新二をステージへ招き入れた。
「お母さんと行くよ」
カスミが言うと新二は力強く頷いた。カスミは新二の手をとり背中からフロアへ飛び込んだ。しばらく人の波を漂ったあとケンジが新二を抱き抱えた。カスミはステージへ戻されていて3人の親子は笑顔だった。
オサムが最後の曲のリフを弾き始めた。カスミが歌わなくても会場が歌ってる。
♪ゴローさんご苦労さん、ゴロゴロ魂転がせイエーーーーー!♪
そしてカスミが、
「魂イエーーーーーーーー!」
クライマックスを迎える。みんなが笑顔だ。
その時、ステージ袖から新二が走り出て来てモニターをジャンプ台にして、今度はひとりでDIVEした。
新二が自分の意思で飛んだ。
どこまでもどこまでも飛んでいくようだ。
終り
続ぼんちゃん