歳月

沙季。

 電車に乗れば、死ぬまで降りたくない気持ちになった。乗り慣れた駅のホームから、どんどん名も知らない駅を通り過ぎ窓からみえる風景も移ろっていく。春から夏になるのはあっという間で、秋から冬になるのはとても長い。電車のなかだから実際に季節にふれられないのは残念だが、三年も経てば慣れてしまうだろう。
 葉子との思い出も、きっと忘れていく。三年も経てば。
 電車の揺れに身を任せていたら、目的の駅に着くところだった。アナウンスが鳴り、俺は腕時計に目をやる。
 約束の時間より、だいぶ早く着いてしまうな。
 
 人がごった返すホームを降りて改札を抜ける。色々な人と体がぶつかり、少し嫌な気持ちになったが、鼻腔を甘い香りがくすぐった。その匂いの正体は、右手の出入り口とキヨスクの間に挟まれている小さなシュークリーム屋だった。こんな角に、いつのまに店ができたのだろう。俺がこの駅にきたのは三ヶ月ぶり。その間に、こんな美味しそうなシュークリーム屋が店を構えていた。
 腕時計に目を落とす。まだ、約束の時間には早い。
 食べるか分からないが、この甘い誘惑には勝てない。店の前に立ち、看板メニューのこだわりクリームのシュー、を一つ買った。
「ありがとうございます。またいらしてください」
「あ、すみませんもう一つ、買います」
 つい、店員の愛嬌につられて口走ってしまった。同じシューをもう一つ買い、満面の笑みを浮かべている店員に会釈して店を後にした。
 今から行けばちょうどいい時間になる。鼻腔に甘さを詰め込んだまま、かすかに鼓動の聞こえる心臓を覚えていた。
 
「これ、食う?」
 葉子に会って、まず俺は買ったシュークリームを彼女に差し出した。
 おう、とか久しぶり、とか言うのでもなく静かに強張る感情を隠すように甘い匂いを葉子と共有する。
 葉子はたしか甘いものが大好きだった。
「わざわざ買ってきてくれたの?よくわかったね」
「何が?」
「あ、お姉ちゃんが開店したんだよ。"はこべや"って名前で」
 葉子が袋の方に目を落としたので俺も一緒に見ると、独特な字体で"はこべや"と書いてあった。
 葉子の姉が…。そもそも、葉子に姉がいたこと自体今初めて知った。ちょっとだけ、心が揺らいだあの愛嬌たっぷりの笑顔の持ち主は葉子の姉だったのか。本人と比較して、妙に納得した。
 ずっと待ち合わせ場所から移動しないのも気づまりになり、どこかに座らない?と俺は提案した。
 それなら、と葉子はスマホを出してとあるデートスポットを俺に提示した。
 案内をする葉子の後ろを歩きながら、俺は安堵していた。学生の頃の俺たちから、今の俺たちは何が変わったんだろう。半年程度では何も変わらないのかもしれないが、心のどこかで何かが変わったとは感じている。強く、これは確信だった。
 だが、葉子を見れば見るほど彼女は変わっていない。髪の色も、体型も、しゃべり方も学生のままだ。
 俺が変わったんだろうか。葉子に対する俺の感情が、学生のままではいられなくなったような。
 
 森が深い人気のない公園のベンチに葉子と二人で座って、それからややしばらく何も言葉を交わさなかった。俺はただタイミングがつかめないだけだった。
 蚊に刺されないか気になっていると、不意に葉子がばちん!と音をたてた。
「ごめん。蚊が止まってて」
 蚊を殺した右の掌をぶらぶらと揺らしながら、葉子はニヤッと微笑んだ。
「あのさ俺いなくなるから」
「えっ何、えっ」
 言うタイミングを間違えたと思った。戸惑う葉子に早く詳細を告げたいと気持ちが逸る。
「で、でも三年したら帰ってくるから。ちょっと親…母親が病気で余命宣告されてて」
「あの、ちょっと待って。待って」
 強めに言葉を遮られる。
「私に言われたって、わかんないよ」
「でも」
「……何?」
「………いや」
 急に腹が立ち始めた。
 葉子のことを考えられなくなる。自分のことに収拾がつかなくなるような予感がした。
 このまま、葉子をおいて一人で帰ったら、葉子とはそれまでになるのだろうか。
 本当はそうしたくない癖に、無性に葉子を試したくなる。それで自分が傷つく結果になっても。
 
 陽が落ち切った街を走っていく最後の電車を見送って、俺は葉子が待つマンションへと急いだ。

歳月

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歳月

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-07

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