妄想写真エッセイ『時計』
撮影場所:西川理容店 入口
「西川理容店」が正式名称だと思っていたのだが、この入口の時計には「理容にしかわ」と書かれている。ひらがな表記の方が印象が柔らかくて個人的には好きだ。
この時計、往々にして時間が間違っている。とんでもなくずれている時もあれば、微妙に遅れていたり早まったりしている。正確な時刻を指し示しているところをこれまで一度も見たことはない。まあそこまで気にしたことはないのだが、時々見るとそういうことになっている。「時間なんてだいたい合ってればそれでいいんだよ」と言っているような気がして、なんだか憎めない時計である。
一度事件があった。父がこの時計を修理している時のことだ。ちなみに時計に関する知識なんて父は微塵も持ち合わせていないのだが、とりあえず叩いてみたり、テープで補強したり、部品をバラしてみたりするのだ。この年代の人はテープに絶大な信頼をおいているようだが、なぜなのだろう。よくわからない。テープを貼っ付けただけで直した気になっている。そういうものが西川家の中にはたくさんある。
そんな父がこの時計を脚立にのってガチャガチャいじっていると、時計を固定していたボルトか何かが緩んでしまい、時計が外れ父の頭に直撃してしまったのだ。父の頭部からは血が流れ、血だらけのまま自力で病院まで行き、待合室でじっと順番を待っていたらしい。何針か縫ったらしい。とんでもなく痛かったであろうが、血を流した男が緊急で処置をしてもらえず、ただじっと待っている姿を想像するとなんだか笑えてくる。
世の中には大きく分けて2種類の人間がいる。ひとつは喜劇的な人生を送る人々であり、もうひとつは悲劇的な人生を送る人々である。そして父は明らかに前者に属している。もちろん父もいろいろと辛い思いや哀しい出来事を乗り越えたり乗り越えきれずにそのまま飲み込んだりして今に至っているはずなのだが、総体的に見て父の人生はコメディだと思う。もちろん良い意味で。日本人版ゾルバ。そんな感じだ。
ウディ・アレンの映画で“Tragedy+Time=Comedy”という言葉を聞いた覚えがあるが、それをそのまま体現しているのが僕の父だと思う。
妄想写真エッセイ『時計』