私には舞台が理解できない。

yumieisuke

 小劇場の二階は、一回の待機所と違って、リハーサルを終えた時の特設会場。おおがかりなスポットライトにBGM、本番さながらの舞台設備を利用して、そのタイムと精密さを試験する。その後の緊張感は、本番に挑む前とあって、皆すこし。ぴりぴりとしている。

『また受かったって』
『やっぱすげえな、うちのエースは』
『○○ちゃん、また大劇場にの例の秋公園、声がかかったんだって』

 いいニュースを振り返る事もなく、特段輪に加わるでもなく、それが私のやり方だ。
 『ねえ、あなたはほめてくれる?』
 小劇場の公園の前日リハーサルをおえ、挨拶を追え、一通りのなにげない礼節と、習慣となっている恒例の身内でのミーティングをおえると、解散の流れ。座長はにこやかに笑う。この地域では親しまれている、とてもひとのいい初老のおじさんだ。私はそのひとにアイコンタクトを送るとにこやかに返してくれ、その場を一目さんにはなれることにした。
 そして、裏口へ向かう、廊下に、先ほどの話題の役者がいた。うちのエース、稼ぎ頭であり、将来はどこか大劇場に引き抜かれるのではといううわさがたつ○○さん、裏口の二階から帰宅。例の話題があり、降りる道をふさがれたのは、帰りがけのこと、これもいつものことだ。そのためにといってはなんだが、私はあえて彼女に“あわせる”。なんといっても、その廊下に邪魔な衝立と、垂れ幕をおいて、入口と出口の境目をつくったのは、そもそも、私なのだ。
 『ねえ、ほめてくれる?』
 私は彼女からめをそらし、大掃除ですらぬぐい切れなかった長年の壁のシミを見つめる。
 『○○さん、おめでとう』
 私は無理に笑顔を作るが、その笑顔は日銭にもならない演技だと理解している。
 『どいて』
 突然相手は私の肩をついて突き飛ばす。ああ、またこれか。そうだ。“気が変わった”人はいつもこうなる。そうして、その後、天狗になって、没落する人々の群れを私はみた。それをうらやましいとも思わなかったのだ。
 その足で、近くのコンビニによる事にした。高校の部活動、陸上の帰り以来だ。あのときもこんな時間、午後8時くらいが、私の帰宅時間だ。私はそのころ住んでいた自宅へ徒歩で向い、小さな駅のほうへと向かう。駅に近いボロアパートだ。私の部屋は二階で、こつこつと階段を上がる。ルームメイトが男をつれこんでないことを確認するようにわざとかかとで音をたてる。まるで田舎の、獣への対処方法と同じ。
 『帰ってきちゃった、家は嫌いなんだけど』
 新聞を受け取り、昨日帰宅していなかったことをその時点で思い出す。玄関のドアをあけると、新聞をパラパラとめくりながら劇団の情報をチェックする。そこで私は理解した。正面をみる。ルームメイトは帰宅前らしい、私は本気でその言葉を新聞の欄にかかれた例の女優にむけた。
 『おめでとう』
 いつか自分が言われる言葉ならば、そんな事を想いながら、風呂に入って、洗濯機を回して、歯を磨いて眠る用意をおえ、また名もない一日を終えた。
2020年の夏の頃だった。夜なのに、カラスが一声あげる。私はその声にいざなわれて、奇跡的な逆転をゆめみて、こわれかけの証明を二回ならすと、鼻を鳴らして、雑にひろげた敷布団の中で眠りについた。

 
 朝、顔を上げて、顔を洗って鏡をみて、うだつの上がらない表情と、まるで誰よりも自分に同情するような目元、つりあがる目じりと、だらしないクマをみて、マッサージを始める。“その顔は舞台上に出せない”常識は分っている。しかし、そこで私の意識はふと少し前に戻り、電話がなっていたことと、目覚ましがうるさかったからとめて、その足で、半分意識をうしなったまま洗面台に向ったことを今そのときに思い出したのだと気づいた。

 私は、小さな劇団の劇団員。安アパートでルームメイトと二人で暮らし、小劇団と家との行きかえり、ただそれだけが私の日常。いつか、役者でない仕事、いつか、こんなにこき使われない地位を得たいと思うけれど、いつまでも影に隠れていたいとも思う。小さいころに憧れた、有名な俳優、女優、もう
何世代も入れ替わったり、亡くなったりしている。そのたび私はその仲間のうちになれたきもしないで、地べたを這いつくばって芸術に貢献した実感もないままだ。私は、この街で生まれて、きっとこの街でしんでいく、心はいろんな所で麻痺している。けれど稀に見る偶然は、私の心を動かしたりする。
 例えばそれは、野良ネコを甘やかす、子供たちの戯れ。
 例えばそれは、奇妙に仲間を作る、種族をこえた動物たちの日陰、共有された公園のまどろみの場で。
 例えばそれは、カラスが老人をにらみ返し、鼻で笑っていたずらを繰り返すところとか。

 けれどそれが私の本当の心か、私は理解が出来ずにいる、そんな私にも、いくつか、物語があった。
 
 いつか、とても小さなころ、私は天使にあるものをもらった、天使が私に渡してくれたもの。それは手紙。これは少し不思議な話で、初対面の人に話すと必ず、少しは感動を与えることができ、私の人となりをある程度は理解してもらえるから、大事にしている。
 私は洗面所での種々の仕事をおえ、日銭を稼ぐための用意を始める、メイクを終え、ただの15分あまったので、この人生の外側にアクセスするために、インターネットをあさり、しかし、ひとつ、自分から発信しようと、この文章をしたためることにした。

 ねがわくば、将来の私が、今より少しは明るくいられるように、その輪郭をなぞり、手助けになるように、私は私へと、物語をしたためた。私にいつか、天使が教えてくれたことを、ためしに、ここに書き記してみよう。そう、今朝の私は考えた。

    (ある手紙の話) 
 それは私の心を動かしたが、私はその心が、どう動いたのかをしらない。けれど天使は確かに、私の心が何かを説いている、そんな言葉を、語る。
何度もやぶいては、新しくふうをして、ボロボロになった便せん、スッーと紙がすれて、その内容物を表に出す事を、悪魔にさえさとられないように私はそれをひきずりだす。

 『あなたは、家族劇団の劇団員よ』
 『あなたは、いつも私たちの生活をゆたかにしてくれた』
 『いいことも悪い事も、面白おかしく私たちに気付きを与えてくれる』

 涙がでそうだ、心が脈打つのを感じる。心が、何かは知らないけれど、私はその手紙を手に、ひとつぶふたつぶ、本当か定かではない涙を流した。これの書き手は、もうこの世にはいない。

 厳密にいえば、この書き手はまだ、この世にいる。ただ、この書き手を装った人がこの世にはいない。私の母である。これは短くいえばこういう事。
父が、母をまねて書いた手紙、それがこれなのだ、私は、手紙をとりだし、雑務で汚れ、ボロボロになった掌にちょこんとのせる、ひらいてとじて、折れた線と、きりとられそうなうすい便箋の内容物。まるで私の手のひらの、古傷みたいなしわと似て見えて、私はいつも、悪夢を連想する。この手が、指がくずれておちるとき、この手紙は、それを知らせてくれるはずだ。私はゆっくり、丁寧に、その包みを開け終えた。

 小さな動物の、ゾウの絵柄のに手紙記して、幸福が何かを私に語る。
 『私は天国でも、上手にいきています』
 『この手紙を天使に渡します』
 『いつかのこと、覚えているでしょう?あなたは、私たちの前で上手に歌って、踊ったわ』
 『妖精の物語を覚えている?仲間外れの妖精が、別の仲間をみつけて、大勢を見返す話し』
 『痛快な物語、あなたはまぎれもなく私たちの宝物』
(バレェを習った事もあった、ピアノも、けれどそのどちらでもない、私はいつも演技することに私の心の置き場をみつけた、そもそも心がいまだに何か、私には理解できない)

 私はそれを見る、そして、その背景に、母の裏側の顔を思い出す。恐ろしい、あの恐ろしい鬼の形相の女性は、いまでも、いつでも私のトラウマ。
 『こんなことできないわけないでしょう!!』
 時には母は私をつねる。
 『こんなことがあなたの表現したいことなの!!』
 時に私に平手打ちをする。
 『あなたをそんな感受性に育てた覚えはない!!』
 時にムチで、背中を撃った。
 『答えが見つかるまで、許さない』
 創作を強要されるとき、下手な創作では母は喜ばず、私は、私の生家の大黒柱にはりつけにされたのだ。
 『いったい、何が正解なのだろう?』
 物心ついてすぐ、私はそれから、宇宙に置き去りにされたのだ。

 なぜ、母があんなだったのか、私には理解できる。母は、人付き合いが極端に下手で、そして、演じることが極端にうまかったのだ。

 それから、幾年か過ぎて、小学生から中学にあがるころ、私は、手紙を手にしたとき、はじめて、母の存在に感謝したのだと思う。私はそのとき、母の目線を乗り越えた世界を初めて見たのだ。
 父は、昔から、遠くで単身赴任、家族と離れて仕事をしていた。早く敢えても3カ月に一回。なんだか難しい、海洋の研究をしている科学者だ。その手紙にふれたとき、はじめて、私は人のウソと人の演技をしったのだ。
 『○○ちゃん、これは天使がくれた手紙だよ、君が苦しまないように、お母さんが、天使にてがみをわたしたんだ、天使は雲の上でそれを落としたけれど、それが僕の手元に、運命の輪の中を、巡り巡って回ってきたんだよ』

 その時、母はすでに亡くなっていた。だから私は安堵した。そこにいつでも私の存在に嫉妬して、私のすべてを否定する存在はいない。それは、母の書いた手紙ではなく、母の死後に父が、母のふりをして書いた手紙。

 私は、私の青いやねの生家が、母の代わりに、家の仕事の手伝いをしてくれる家政婦をやとってから、それから私は、父の代わりに、その手がみを花見放さず持ち歩いている。それが母の言葉だと理解したことは一度もない。その手紙とその内容は、母の存在を乗り越えて、私の存在を教えてくれた。

 その手紙が、父にとってどういうものだったのか私には理解できない。ただ、一日中泣きじゃくる私に、はげましをこめて、もしくは傍にいる事のできない自分に、自責の念にかられて、けれど、奇しくもそれは功を奏して、私は母が存在していた苦しみから逃げることができた。母の死をきに、苦しみは分離できるものだと父が教えてくれたのだ。
 『いつまでも泣いていてはいけないよ』
 父は、母の裏の顔を知らない。 けれど表の顔を知っている。そして私は父に、人は演じることによって生きているという事を教えてくれた。
 
 私は私の感覚の正しさを知らない。すぐれた存在、優れた成功者。たとえば名の知れた映画俳優や、仕事の出来るビジネスマン。都市で暮らす多くの人々、もしくはそこで無残に敗れた人々。

 けれど、私には物語が理解できない。なぜなら、私は私を持たないから。 私は誰より人間という存在に対して非情であり、それ以上に私という存在に対して非情だから、妖精に同情できても、人間に同情が出来ない。

 私は常に、小劇場のわき役や、悪役として抜擢される。けれどそれでいい。いつか私が演じることなく私を理解したとき、それがステージの上だろうと
日常の中だろうと、非日常の中だろうと、どうでもいい。
 私は、私には理解できないものが、何か知っている。それを隠すつもりもない。人がその本性を隠そうとするとき、隠し演じつくすことが意味を持つのは、自分の形さえ、偽りたいときだけだから。
 私は舞台が理解できない。私が純粋な人々の感情を取り戻せないと同じくらい、表現というものが理解できない。

私には舞台が理解できない。

私には舞台が理解できない。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-06

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