宗教上の理由・緊急外伝・真耶とコロナと神様と

儀間ユミヒロ

 この作品は『宗教上の理由』シリーズの続編です。何それ? という方が多数でしょうが、作者が細々と書き連ねてきた一連のラノベもどき群です。作品一覧からどうぞ。
 今回の物語は、その続編というか、同じ世界設定で描かれています。勿論シリーズの最初から読んでいただければ作者としてはこの上ない喜びですが、途中からでも楽しめるように書くことを心がけていますので、お初の方も気負わずお読みいただければ幸いです。
作品世界について
 物語の主人公、嬬恋真耶は一族の仕来りに従い、両親と離れ山奥にある天狼神社で育った。彼女は「神使」としての使命を仰せつかって産まれてきたのである。神使とは通常、神道においてそれぞれの神社が神様の使いとして崇める動物を指すのだが、この天狼神社は日本で唯一、人間の少女が神使を務める習わしとなっている。
 しかし思春期を迎えるとともに、神使としての職務から解かれた真耶。少女としての美しさを持つ真耶だったが、実は仕来りのために「女子」として育てられた「男子」だったのだ! これをきっかけに男子として生きていこうと決心した真耶だったが、女子生活に馴染みすぎていたため中学ではいったん断念。都内の両親の家に戻り、高校生活を続けながらも男子になる努力を続けたが、大学生になった今でもなお、どこからどう見ても女子にしか見えない外見と言動を保ち続けている。
 真耶の「女子大生」ライフと、ときに高校時代の思い出を交えながら物語は進む。

序章

【速報】
 木花村の玲音(れのん)洋子村長は三日、臨時会見を開き、村内のすべての宿泊施設で東京都および隣接する三県からの宿泊客を受け入れないよう要請すると発表した。
 村長は首都圏で新型コロナ感染者が急増していることを要請の理由とし、
「すでに予約が入っている場合でも宿泊施設の方からキャンセルを促してほしい、万一違約金を求められた場合は宿泊約款等に応じた金額を村が立て替える」
と明言すると共に、それによる宿泊施設の減収についても村観光協会のデータを元に導き出した平均稼働率分を金銭補償するとした。村長は、
「現状を見ればいわゆる第二波が近づいていることは間違いないというのが常識的な判断。感染者が激増している東京都およびその周辺の県からの人の流入を止めるのは村民の健康を守る立場として当然すべき行為。同時に村民の生活を守るのも首長として当然の責務。自粛要請と金銭補償を同時に行っていかなければ、covid19の撲滅はあり得ない」
とし、村独自に行っている住民基本台帳に基づいた毎月十万円の給付金制度も継続していくとした。
 都市部からのコロナ感染拡大に危機感を高めている自治体は少なくないが、具体的に対策を講じると発表したのは緊急事態宣言解除後では木花村が初となる。
(上信新報電子版 七月三日配信記事)

7月5日午前更新

 「おそと出るのこわい…」
東京はパニックに陥って、はいなかった。日毎に感染者の数は増えていく一方だというのに、政府はそれが第二波の前兆だとは頑として認めず、何の策も取ろうとしない。街の人々のなかにはとっくにただならぬ空気を感じている人も少なくないというのに。
「大丈夫よ、きちんとマスクして、お手手洗えば」
母親が必死に子どもをなだめてお出かけしようとしているが、その励ましの言葉もなにか弱々しい、そんな光景をエレベーターが空いた時に見かけて、
「はあ、子どもの方がこういうのには敏感だよなあ…」
と、苗はつぶやいた。
 桜の季節を迎えても新学期は始まらず、紫陽花の咲く頃にようやくキャンバスでの授業が開始。元々ヤンチャな校風の大学だし、そこが苗にとっては肩が凝らなくて気に入っていたところなのだが、宣言解除待ってましたとばかりに飲んで騒いでの連中を見るにつけ、
「結局こいつらマスコミの操られるままじゃねーか」
と気づいてしまい、一気に気持ちが醒めてしまった。緊急事態宣言が解除されて間もないのにまたもジワジワ増え始めた感染者。そのグラフは明らかに危険なカーブを描いていると勉強嫌いで鳴らした苗の頭でも、いや自分で考える事が癖になっている苗だからこそそれに気づいた。なのに自分よりよっぽどの進学校を立派な成績で卒業した奴らときたら。彼らは反骨精神を持っていると自覚しているようだった。マスコミは信用ならない、政治家は嘘ばかり言っているし自国の利益より他国におもねって、この日本を売っぱらおうとしている、と。
 そんな事を言ってた連中がある日、緊急事態宣言が出された途端に自粛自粛と騒ぎ出した。それはそうだろうと思った。確かに今の東京は危険だ。犬も歩けばウィルスを吸い込む、そんなところだ。従わざるを得ない、それは苗も思っていたし、実践した。
 だが、その宣言が解除された途端に彼らの行動は一変した。いったんは下降線を描いた新規感染者のカーブは上昇に転じ、衰える気配を見せないのに政府の、
「まだ緊急事態でない」
といういかにも怪しげなメッセージを怪しげなことばかり言っているはずのマスコミで聞き、それを鵜呑みにした連中が連日坂道の飲み屋街に繰り出す。
「やべーって思うけどさ、政府が大丈夫だって言ってるから安心だろ?」
「コロナ超怖い~。でも夜の街行かなきゃ大丈夫っぽいってテレビも言ってるし~」
とかなんとか言いながら。普段はマスコミは信用ならないとかなんとか言ってた奴らが同じ口で。
 (なんだよ、マスコミは嘘ばっかりじゃなかったのかよ)
呆れた気分になった苗は引き止める男子も女子も振り切って帰宅の途についた。

7月6日午前

 群馬県木花村は6日朝、15日より村外からの観光客を対象として抗原検査を行うと発表した。
 木花村は既に村内の宿泊施設を対象として休業要請および東京都をはじめとする一都三県からの予約をキャンセルする旨の要請をを行っているが、日帰り客や周辺市町村の宿泊客がコロナウィルスを持ち込むリスクを考慮して今回の決定に及んだ。
 具体的方法としては、村役場および最寄り駅と村を結ぶ村営バスの駅側乗降場に特設スペースを設け、他地域から来た観光客に無料で抗原検査を行う。陰性だった場合は当日限り有効の証明書が発行される。検査は強制ではないが、村内の主要観光施設や飲食店・小売店に陰性の証明書を持たない客の利用を断るよう要請し、既に村の方針に同意するとの回答が続々と寄せられている。
 この決定について本紙記者の「(昨日の選挙の)結果は意識しての決定か」との問いに対し担当部署は「村長の独断では無いのでそうとは言い切れないが、トップが変わらないのなら今後の方策も変わらないだろうという認識は村長も職員も共有していると思う」と回答した。
(三平新聞 電子版 6日付配信)

7月6日夜(7月7日朝更新)

 「で、真耶の清き一票はやっぱり無駄になったん?」
「なったよー。あたしんトコの区長さんいい人だし、その人ともいい関係らしいから信用できるって思ってたけど、まさかねー。友達とかは地味って言ってたけどそういう人ほどまじめに仕事すると思うんだけどなー」
「ウチの一票も紙切れなっちったよ。ウチは真耶と違う人だけどさ。だって現金十万配るってハッキリ言われたらフツー飛びつくべ?」
「あー、あたしもそれ思ったけど、でもその人と票が割れたらって心配もあったの。でも二人ぶん合わせても足りない圧勝だったね、現職の。あっごめん、お酒切れちゃった」
すっかりリアル飲み会と縁を切った苗は、あえて今こそとばかりに真耶とオンライン飲み会をしている。そして昨日の選挙の反省会をしていた。真耶は冷蔵庫から日本酒を取り出し、モニタの前に戻ってきた。
「ただいま。さっきの続きだけど、父さんは選挙は投票する事に意義があるんだから行っただけ偉いって言うんだけどさ、そうなの? うちは家族全員行くからそれが当たり前だって思ってたけど」
「そういう家の方が珍しいんじゃね? 今は。横浜の親父は仕事の絡みで応援する人がいる時以外は行かないしね。あんだよ、取引先の縁だかなんだかで一票よろしくみたいなこと。木花のおとんとおかんは毎回行ってるけど」
「だよねー。希和子さんとかも行ってたし、村の人はほとんど選挙行くからそれが普通って思ってた。それより、平気なの? 苗ちゃんち。ペンション休業するんでしょ?」
「へーきへーき、だってあるじゃん、休業補償」
「あっそうか。それにそれとは別に十万貰えるもんね。でも、なんで東京の人はそういう人に投票しないかなあ、損失を補填しますって言ってる人沢山いたのに」
「だからあ、金の欲しい奴ほど投票に行かないんだってば。ま、それが分かってたから彼女は若い世代をスケープゴートにしたんだろうよ」
「…どういうこと?」
「だからさ、彼女言ってたじゃん、若者の感染者が多いって。やたら。選挙の前から。高齢者にも感染が広がったら緊急事態出すとか何とかってのも言ってたし」
「うん。でもそれは一理あるっていうか、いや、ヘンだよ。若い人でも沢山かかったら重症な人も出るだろうし、あと家で移しちゃうかもだよ、おばあちゃんやおじいちゃんに」
「そこだよ。わざとそれを言わないで、若者が全部悪いってことにすればさ。私は高齢者の味方ですってイメージを植え付けるわけ。だって真耶は見た? 今回の投票率」
「見た見た。ひどいね。低すぎるね」
「だろ? 若者が投票に行かないからだよ。でも年寄りは行くだろ? だから感染拡大を若者のせいにしちゃえば、年寄りは、知事さんはワシらの味方じゃ、とか言って投票するわけだ」

 あー、と苗の描くカラクリに感心する真耶。それがどこまで本当かは分からないが、結果的にそう分析して矛盾しないのは確かだ。
「そしたらさあ」
真耶は言う。
「夜の街が危ないって言ってたでしょ? あれもそうなのかなあ」
「だろうね。ウチはにらんでる、そうだって」
酔いが回ってきたのかどうか、二人とも木花文法が出てきている。外国人移住者の多い村で生まれた、動詞を先に言うなどの独特な喋り方。
「ときに、真耶は分かって言ってる? 夜の街って意味」
苗が軽いジャブを出してみた。途端にムキになって応戦する真耶。
「分かるよお、イケメンのお兄さんとかキレイなお姉さんとお酒飲むとこでしょ? それで気に入ったお兄さんとかいると、どんどん高いお酒頼んで、ってカンジで」
真耶にしてはなかなかのいい回答。普段はウブが服着て歩いてるようなものだから、こういう男女のうんたらかんたらには滅法弱い。ちなみにあくまで女子目線なので、お兄さんに貢ぐというイメージをまず思い描くのは真耶らしいところ。
「でも、そういうお店にだっているでしょ? 生活のために働く人。ていうかみんなそうでしょ? 生きるために働くって」
「もち、そうだろうね。だから必要だよ。補償が。でも、だからでしょ? 彼らをスケープゴートにしたのは。彼ら夜メインの生活だから投票したくても身体がきつくて行きたくても行けないよ、昼間の投票所なんて」
そっかー、とため息をつく真耶。そしてその真耶には、もうひとつ心配があった。
「そうだよねー。でもあたしが心配なのは、新宿とか池袋とか具体的な地名出てきたでしょ? だからあれ。風評被害ってやつ」
夜の街という言葉を拡大解釈する輩は必ずいる。池袋は真耶の通う大学があるので行きつけのお店もある。そして新宿にはゴールデン街というところがある。神使としての務めでその横丁にある神社によく行くのもあるが、真耶は両親に、
「大人になったらこういうところを知らなきゃいけないよ。僕もいねちゃんも、ここにはよく通ったんだ」
込み入った横丁の奥の奥。間口の小さバーに客は真耶たちだけ。ママは齢七十を越しているだろうが、かくしゃくとしてカウンターの向かい側を切り盛りする。
「昔は丸岡…ごめんね、いねちゃん達みたいな役者の卵とか脚本家とかが日に日にやってきてさ、よく演劇論ぶつけてたもんだよ。娘さん、真耶ちゃんだっけね? 真耶ちゃんは聴いたことあるかい? 唐十郎とか寺山修司とか」
「はい、あります。というか父から本を借りました。ステイホームで暇だったらこれ読め、って。新しい視点だな、って思いましたし、感心しました」
「ああやっぱり今の子はそうなんだねえ。昔は彼らの芝居に出てる役者も通ってたし、本人もよくこの街には来てたよ。若い役者ってのはとにかく議論が好きでねえ。酒も入ってるから喧嘩もしょっちゅうで。何度表出ろ! って叫んだことか。頭からバケツで水ぶっかけてやったこともあるよ」
そんな会話をカウンターとの間にある飛沫除けのビニール越しにマスクをしながらするママの顔は、どこか寂しげだった。
 そしてもう一か所、真耶にとっては新宿でいちばん大事な場所、二丁目。
「あら、あなたもついてるものついてるのに女の子なの? でもそれがこの街では普通だから。安心してね」
男が女で、女が男で。性別なんか関係ない。そんなところが真耶には居心地よかった。
「そういうところも、新宿というだけで十把一絡げにされちゃうのかも、って思うと気が重いなあ…」
真耶はため息をつきながら、コップの冷酒を飲み干した。

「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(7月8日午後更新)

 山々に囲まれた知る人ぞ知る存在であった村が、今回のコロナ騒動における独自の対応でにわかに注目されている。
 群馬県木花村。人口三千人余りの農業を主産業とする小さな村。日本中はもちろん外国人にも人気のある観光地に囲まれた、一見恵まれた地理的条件にも関わらず、この村への観光客はそれほど多くなかった。周辺の観光地があまりに有名で魅力的なので、その中に埋没してしまったのだ。だがそれを逆手に取り、派手な宣伝をしないことで静かな環境を保ち、そのような環境に向いている施設、別荘や、学校・企業の研修・保養施設などを集めることとなる。そしてそこを訪れた人たちの口コミで新たな観光客がやってくるという形で、少しずつ村の認知度は高まってきていた。そして近年、観光客がとみに増えてきているという。
 しかし村は、今月に入ってから東京都を含む一都三県からの観光客を受け入れないよう村内の宿泊施設に要請を始め、さらには日帰り客や周辺の観光地などからの訪問者に抗原検査をする予定になったと発表した。検査は任意で、唾液を検体とするものでPCR検査より精度は低いが、この検査を受けて陰性だったという証明書を持たないと村内にある観光施設や商店のほとんどが利用出来ない。これも村からの要請にそれら施設や商店が同意したからだ。また抗原検査は結果が三十分程度で出るとはいえ、その間密を避けた野外もしくは車中で待機するなどの不利益があるので、村外からの人の流入に対しある程度の抑止力があると村の担当者はコメントしている。

 しかし、ウィズコロナという合言葉が叫ばれ、新規感染者数が増えてはいるが日本社会全体が自粛緩和の方向に動いているときになぜこのような決定を村は下したのか。実際、現地に行って取材することにした。なお筆者は現在群馬県の実家でテレワークをしているので、県外への移動にはならない事を書き添えておく。
 東京方面から木花村へ車で行くには上信越道経由でいったん長野県に入り、県境の峠を越えて(といってもトンネルが今はあるが)行くのが一番早いのだが、今回は上記の事情もあって群馬県内の峠を越えて村に入った。実家が高速道路と離れていてこちらの方がショートカットになるということもある。
 村役場は大きなロータリーに面した、風格のある建物。昭和初期に作られたということだ。木花村にはほかにも古くからの建築物が多くあり、それらを訪ねることがブームになったことも観光客の増加に一役買っているという。抗原検査は当初十五日からを予定していたが、機材等の確保が早くできたため明日にも開始する予定であるという。自分がコロナに感染しやすいようなライフスタイルをしているとは思わないが、気持ち的には正直「今日来ておいて良かった」と思った(実際、筆者の帰宅後に翌日からの抗原検査前倒し実施が村から発表された)。
 村役場の中に入り、担当者の話が聞けないかと総合案内を訪れた。突然の取材依頼にも関わらず、「どなたか必ず対応できると思いますよ。少々お待ちください」というお答え。思いのほか親切な対応に驚いた。同県からとはいえよそ者のぶしつけな取材依頼にも丁寧に応じる。これが観光客に対して抗原検査を行う、まして一都三県からの宿泊客を拒絶するという村なのか? と。
 ほどなく通された応接間は三密を避けるためドアも窓も開け放たれている。乾季は万全だが、取材の声が外に漏れないだろうかと心配にはなる。廊下を職員が普通に歩いている。そこに「のどが渇いたでしょう。お茶でよろしいですか? 熱中症はいけませんからね。アレルギーなどはございませんか? 麦茶、よろしければ遠慮なくどうぞ」と言ってお盆に麦茶の入ったピッチャーと湯呑を載せて現れた女性。突然の取材でお茶を出してもらえるとは、むしろなかなかのおもてなしではないか、と思っているとその女性はコップ一つとピッチャーを置いて、なんと、斜め向かいのソファに座ったのだ。
 その女性の正体を知って、筆者は仰天することとなる。

7月7日昼(7月9日夜更新)

 「たいくつ〜」
珍しくグダッとした様子でモニタに現れた真耶の顔。手元にはなみなみと酒の注がれたコップ。
「おいおい、昼間っから飲むとかどこのおっさんだよ。それ始めたら人間どんどん落ちていくぜ?」
「なんて事言ってる苗ちゃんの手にあるのはなーに? それ、ジュースじゃないよね、ちっちゃいカップに琥珀色で、横にお水置いて飲むジュースなんて聞いたことないなー」
「ばれたか」
「って、ツッコミ待ちでしょ? わかるよ、カップの中身見えるようにカメラまで動かしちゃってさ。スコッチ?」
「そ。スコッチのシングルモルト。ウチが知ってる中でいっちばんスモーキーなやつ。真耶のは?」
「徳島の三好ってとこの日本酒。日本酒なんだけどすっごい甘酸っぱくてパイナップルとかメロンとか、フルーツみたいな味で、でもどんなフルーツとも違うし、ワインみたいな、ってのも違うし、とにかくジューシーなの。あとラベルが可愛いんだよ、ほら。」
 再び大学が感染拡大防止のためロックアウトとなり、自宅待機を余儀なくされた真耶と苗。人のいないところを選んでウォーキングをしたりして体力の低下と体型の変化を防いではいるが、何しろ天気が不安定で外出も不便だ。
「でもなんかヘンだよね、今年の梅雨。降るとこと降らないとこがハッキリし過ぎっていうか。
「だねえ。九州とか中部地方とかでは降ってるのに関東はあんまり降らないとか。でも北関東は降ってるんだよね」
「そうそう。木花村もすごかったって希和子さんがSNSで。まーうちの村は五十ミリ越えって毎年のことだけど」

 木花村は内陸にありながら降水量の多い村だ。冬は雪がメートル単位で積もり、夏は雷雨が毎日のように降る。その量も質も周囲の町村と比べても突出している。その理由は周囲の山々に雲がぶつかって村の上空に足止めされ、さらに発達した雨雲や雪雲になるのだと考えられているが、はっきりとは分かっていない。
 そして、レーダーによる雨量観測技術が発達した結果、衝撃の事実が明らかとなった。通常「数十年に一度の豪雨」とされる時間当たり五十ミリの大雨が、木花村では毎年数度観測されていること、さらに驚いたことに、村では戦前から独自に雨量の測定を行っており、その記録によれば時間雨量が百ミリを超えることも数年に一度の頻度で起こり、また日本記録とされている二十四時間当たり千ミリを超える雨量も何度か観測されていること、さらにはそんな状態でありながら村が開かれてから水害と言えるほどの水害は一度も起きていないということ。村の担当者は、
「当たり前のことだから特に気にしていなかった」
と、気象庁からの問い合わせに回答したという。
 「まーウチら、いつどんな時でも雨は降るって思いながら育ってきたしね。遊びに行くときはピーカンでも準備してさ、ちゃんと。レインウェアをチャリの前カゴに入れて」
「無かったもんね、その準備が無駄になることなんて、めったに。だいいち雨降っててもレインウェア着て外に遊び行ってたもんね。高校んとき東京出てきて、雨の日はおうちで遊ぶってのが最初信じられなかったもん」

 これだけの豪雨地帯でありながら水害が起きない理由は、木花村全体が溶岩台地の上にあって、しかも溶岩が冷えて固まる過程が急だったために無数の穴を持ち、水を吸い込みやすい。その上の地層は周辺の火山から飛んできた火山灰でこれまた透水性が高く、それを覆う植物層は長い年月を経てふかふかになっている。このため村には川が少なく、もともと洪水が起こりにくい。だがそれでも地面が呑み込めない水は地上を流れる。だが緩やかな斜面を持つ村の地形はあっという間に水を台地の外へ吐き出してしまう。
 とはいえ、舗装道路など水を吸い込めないところもあって、そういったところは見事な川になる。そんな場面に出くわしたらどうするか、村の子どもたちは教え込まれている。
「その場で待て。無理に帰ろうとするな」
と。激流の流れる道路を無理やり歩けば流される。まして子どもの体力ではすぐさま足を持っていかれる。だからどんなに家に帰りたくても、安全な場所で収まるのを待て、と。民家に逃げ込むのも手だが、家どころか雨をしのげる場所が全然ない場所もある、田舎だから。それでもそこが安全ならば動いてはいけない。時間百ミリの雨が降ろうとも。そのためのレインウェアだろ? と。
 家自体も水害に遭いにくいようになっている。これは結果論なのだが、かつて浅間山の大噴火で大量の火山灰を浴びた経験から、もしかするともっと大量の火山灰が降ることもありうるだろうと考え、盛り土をした上に家を建てるようになったのだ。これなら火山灰が降っても家が埋もれることはそうそうない。
 そして時は流れ、この地を別荘を建てようと訪れた外国人はこのアイデアにぽんと手を打った。欧米の人々にとって日本の豪雪は衝撃であった。しかしこの村の家々は盛り土のおかげで家が雪に埋もれるおそれがない。そこで外国人たちは別荘を木組みのトンガリ屋根にし、ストンと屋根から雪が落ちて盛り土の外に溜める構造を採用した。もちろん古くからの村人の家も、茅葺きの急な屋根から雪を滑らせてそのままにしていた。だから木花村で雪下ろしは不要なのだ。

 「やっぱり、転ばぬ先の杖って必要だよね」
真耶は子どものころ、苗と、妹の花耶と、三人で豪雨に打たれながら川となった道路を見つめ、さらに雷に打たれないよう地面にうずくまっていたことを思い出していた。それも一度や二度ではなかったが、みんなこうして無事生きている。でも、
「いま水害に遭っている人たちが備えを怠っていたとかそういうことでもないと思うんだよね。だってなんか今年もそうだけど、ここ数年異常だよ、雨の降り方が」
「あー。温暖化とかも影響していいるかもしんないね。あとね、何百年に一度レベルの大雨だと対応しきれないケースって無いとは言い切れないと思うよ」
「苗ちゃん、それおかしい。何百年に一度の災害でも対応できる、人の命を守れるようにすることが個々人で必要だし、県とか市町村とかもその前提で動かなきゃだと思う」
「…あ、ごめん、真耶のこと否定するつもりはなかったんだ、言い方が悪かった。ウチが言いたいのはさ、自治体とかがしっかり危険なら危険で情報をちゃんと流せよ、ってことと、危険がせまったらどうするかってのを決めておかなきゃ、そしてそれをわかりやすく伝えなきゃ、てこと。木花村は少なくともそれが出来てる。だから大雨でも大雪でも平気。過去に大地震もあったらしいけど、一人の犠牲者も無かったって記録もあるしね」

 「つうかさ、やっぱ七夕って雨降るよね。全国的に」
「降るね。なぜか首都圏は降ったり降らなかったりだけど、雲は取れないから、天の川は見られないなー」
「ねえ、苗ちゃんは織姫さんと彦星さんに何お願いする?」
「決まってんじゃん」
苗はドヤ顔で、
「異世界転生してヒロインになる!」
ずるっ、となった真耶。
「苗ちゃん空気読も? 苗ちゃんがそういうラノベとかアプリとか好きなのは知ってるけど、ここはやっぱ水害が収まりますようにとか、コロナ撲滅とか書こうよ、短冊に」
しかし、
「なんで?」
と、真顔に戻って苗は言う。
「そんなの、織姫彦星にお願いすることじゃねーじゃん」
「なんで?」
いぶかしげに聞く真耶に、苗は一言、
「備えあれば患いなし」
はっ、と真耶は気づいた。苗って子は義務教育のころは勉強嫌いだったが、ひらめきみたいなものはすごく冴えていた。
「災害もウイルスも、人智を以て抑え込むのが現代社会の常識でしょうが。神頼み、誰か頼みじゃダメ。人間の命は人間が守らなきゃダメってこと」
「そうだよね。大雨もだけど、covid19もだよね。このところまた都内で感染者が百人越えしてるでしょ? 今のうちに対策とらないと。あたしはもう第二波がそこまで来てるって思ってるけど」
「それは同意。ま、こんな状態が続いてたらさすがに行政も動くっしょ」
「緊急事態宣言、もありうるよね」
「ありうる、というか今日明日くらいに出しても不思議じゃない。少なくとも、二百超えたら即出すと思う」
「だよね。普通そうだよね」
「うん。もしそれでも出さない、ってんだったらお偉い連中相当頭イカれてんよ」

7月11日深夜更新

「初めまして、このような形で失礼致します」
と、トレイに名刺を置いて差し出してくれたその方の名前は…。
(ネットニュース中生 配信記事 2に続く)
(ネットニュース中生は、大手メディアのような速報性では負けてもいいから中くらいにレアな話題に深く突っ込むことをモットーとするネットメディアです)

2
 「玲音洋子と申します」
玲音洋子。その名を聞いただけで筆者は仰天した。もうお気づきの方もいるだろうが、何かとお騒がせのコロナ対応を打ち出している、木花村の、村長。
 「真正面に座ると飛沫が飛びますから。私が風下に座らせていただきます」
二人がけのソファを向かい合わせた真ん中にはビニールシートが下げられ、客人への飛沫を防いでいる。そして筆者と村長は、そのシート越しに斜めでインタビューを行うこととなった。ちなみに麦茶の入ったピッチャーも二つあり、自分で注ぐスタイル。これも把っ手からの感染を防ぐ工夫なのだろう。
 しかしいかんせん、いきなり村長さんとお会い出来るとは思っていなかっただけに、何から聞こうか迷ってしまうという自称ジャーナリストらしからぬ醜態を晒しかけていた筆者。ところが、一番聞きにくいであろう事を村長の方から話し出してくれたのだ。
「政府や各自治体の首長から相当恨まれていることは承知しております。それでもやるべき時はやる、言うべきことは言う。それが首長の責務です。私に言わせれば、内閣も都市圏の各知事も、全くそれらを果たしていないし、各々の今就いている職の役目を全う出来ていない。失格です」

 木花村村長、玲音洋子。高齢多選(と言っても三期終了時点で七十歳、政治家としては決して高齢ではない)を理由に現職が立候補をしなかった前回村長選において、後継者として立候補、見事当選を果たす。その歯に衣着せぬ発言の数々で、コロナ前からネット上では賛否両論を巻き起こしてきた(もっとも木花村長がお騒がせな発言をするのは歴代の伝統でもあり、全国とはいわないまでも、地元では何かと話題になっていた)。
 しかし実際に会ってみると、思っていたよりずいぶんと小柄な人だ。それに喋り方も随分とおっとりしている。会見の映像を見ていても思ったが、小鳥のようにか細い声でぼそぼそと話しているのに、いやだからこそ、時折織り込まれる発言がより過激に聞こえるのだ。政府や都の態度を批判する声はようやく各地から起こってきているが、村長はいち早く一都三県からの観光客を拒絶した。その決断に至った理由から聞いてみた。

筆者「宿泊客の制限を決断しするときに、怖くはありませんでしたか? 抵抗とか」
村長「それは織り込み済みでした。説得するにはどうするか、どのような救済策が必要か、これは村の宿泊施設もそうですが村に宿泊予約を入れてくださっているお客様もそうですが、何かを取り上げる以上はその補償をしなければならない、これは現憲法下の行政には当然課せられたことですので、それを全うすれば理解してくれるだろうとは思っていました」
筆者「宿泊施設に休業を要請する代わりに、宿泊費を補償することも明言していましたが」
村長「すでに振り込みを始めています。観光協会の統計による宿泊施設の平均稼働率を元にした金額を月曜日に振り込んでいます。これからも毎週月曜日に振り込みを続けます」
筆者「いつ頃までを考えていますか?}
村長「最低でも、日本国内の新規感染者がゼロになるまで、これは会見で申し上げた通りです」

 小さいけれど、はっきりとした声で改めて宣言した。しかしそれはあまりに無謀ではないかと思う。ウィズコロナという言葉が叫ばれ、コロナウィルスの存在を前提に「新しい生活様式」で暮らしていこう、政府はそう呼び掛けている。それとは真逆の、コロナは制圧できる強く信じていることが伝わってくる。だが。

筆者「(新規感染者は)ゼロになるでしょうか?」
村長「当初は、ゼロの状態が最低二週間続くまでと考えていましたので、それに比べれば実現性は明らかに高まっています。現にもう少しで一桁、というところからまた三桁の感染者が毎日出るようになった自治体もあるのですから、油断はできません」
筆者「しかし、コロナの撲滅は可能でしょうか?」
村長「不可能だと決めつけてしまう限りはそうでしょうね。ですが決してあきらめない。covid19は恐ろしいウィルスですからこそ、制圧する意志が必要だと考えています」

 なんとなく煙に巻かれている気がする。質問をすっと斜に構えて流されている気がする。これが、この人の技なのだろうか。筆者はもう少しジャブを仕掛けることにした。

筆者「しかし、それでは予算が持たないのではありませんか? 各自治体の中にはそれを心配しているところも少なくありません」

 ここで、衝撃の発言が出る。

 村長「財源、財源と皆さん仰いますが、自治体は企業ではありません。ほかの政策でも言えることですが、住民の健康で文化的な最低限度の生活を維持するためになら、財源という考えは棚上げにすべきです。木花村としては、たとえ財政破綻したとしても、村民への支援を続けます」

(3へ)
 

7月中旬某日夕方(7月15日昼更新)

「はいさーい」
本日のオンライン飲み会は、いきなりトロピカル。チアリーディング部の前キャプテン、仲宗根ヒカリ先輩の登場。
「あ、先輩、はいさーい。今日もご機嫌ですねー」
「そうでも無いさー。ウチナーの基地でクラスター感染発生したりして憂鬱さー」
「あ、あれ大変ですよね。基地の中で収まるかどうか…」
ヒカリは沖縄出身。大学こそ東京だが、卒業後は沖縄に帰ると決めている。すでに沖縄の企業に内定を貰っているし、まず取り消される事はない優良安定企業だ。だがそれでも今回のウィルスが観光に打撃を与えているのは間違いないので、順風満帆と行くとは限らない。でも、
「なんくるない、人間そんな弱くないよー、乗り切るよー、景気づけにほら一杯いこー!」
なんとなかる精神を持つ人ほど、逆境には強い。ウチナーンチュとはそういう民族なのかもしれない。
 ちなみにヒカリは、大学に入ってから自分の名前を平仮名で書いていた。上京してきたときにたまたまそこで選挙があって、候補者の名前が一部平仮名なのを見て驚いた。「ヤマト(日本「本土」)では名前を平仮名で書くんだ!」と。沖縄でも選挙の候補者が名前が難しい漢字だったりすると仮名に変えたりするが、片仮名を使うのが普通なのだ。だからヒカリは、沖縄以外の日本では名前を平仮名で書くのが普通なんだと思い込んだのだという。幸い住民票などは出した後なので、平仮名で名前を書くのは主に学校のテストなどだったが、最近ようやく、そんな決まりはないことに気づき、以後片仮名を使うようになっている。

 チアリーディング部は、今年度から新たな試みを始める事にしていた。着ぐるみのキャラクターを導入して、より親しみやすい大学としてのイメージを広げることに貢献するというものだったが、一番の活躍しどころである大学野球を始め、様々な活動の場がウィルスによって奪われてしまった。真耶も本来であれば着ぐるみ操演の指導ならびに操演者役として大活躍しているはずだった。真耶の友人でチアリーディング部の現部員である千夜子が、真耶の着ぐるみ界での活躍を知っていて当時キャプテンだったヒカリに相談したところ、是非にということで実現する、はずだった。

 「こんばんはー。明るいうちから飲むなんて後ろめたいですねー」
噂の千夜子がログイン。
「なんでよ。昼から飲むのはウチナーなら普通のことさー。暑い時にはビールが進む。ゴーヤとかミミガーに合わせると最高さー」
ひかりは沖縄の定番ビールを机に置いて、今か今かと乾杯の時を待っている。千夜子も後ろめたいとか何とか言いつつも氷を満杯に入れた金属のボウルに甕を浸して準備万端。本格的な生マッコリだ。
「この酸味がいいんですよねー」
「あー、美味しそう」
真耶が羨ましがる。

 「行きたいなー、沖縄も、韓国も…いやダメダメ、今は行っちゃダメ」
真耶が自分をいましめるように首を振る。
「行っちゃえば?なんか安く旅行出来るんでしょ?政府のキャンペーンで」
千夜子は簡単にそそのかす。もちろん真耶がそんな一言で考えを変えないと分かっているから。
「そうだけどね。でも、政府は旅行させたいみたいだけど、今東京から旅行に行くとさ、なんか行先の人たちに悪い気がして」
真耶らしいというか何というか、この子は人に迷惑をかける事を嫌がる傾向が強い。それは良いことなのだが、真耶の場合は「神様の使い」だという自覚が強いせいか、その気遣いが日本中、さらには世界中に及んでしまうところがある。でもそれは言い換えれば社会への問題意識が高いという事であり、社会学部生としては必須のものを持っているとも言える。
「でも、そうすると観光地の人たちって困るんじゃない? お客さん来なければやっていけないよ」
千夜子が真耶の善意に疑問を投げかける。正解が無いのも社会学の、いや文系学問の面白いところであり、永年多くの学舎たちを悩ませて来たところだ。そして真耶も、悩んでしまう。
「うーん、それはそうなんだけど、だからってcovid19を持ち出す可能性の高い場所の人間が、のこのこ地方に出かけていいのかなって。東京より少ないじゃない、専用の病床数も。そうだ、ヒカリ先輩どう思います? 沖縄は観光立県だし」
突然振られたひかり。だが、ちょっと考えて答える。
「確かにねー。観光客が来ないのはでーじ痛いよ、ウチナーの経済にとっては。でもcovid19が広まるのは困るし。もっともいまは米軍基地から広がってるからそっちの方が大変かも」
「でも、そこに東京から人が来たらもっと感染する人が増えるかも…」
「それはあるかもねー、そんでもぬち、命を守るにはお金も必要さ。だけど、うちの両親も観光とは関係ない仕事だし、私も関係ないとこに就職するし、万が一内定取り消しなったらオバアのトコ行って魚取って暮らすし。観光という枠の外の人間だから、私は。無責任な子とは言えないよ」
なるほど、確かに沖縄県全体が観光でもっているところはあるから観光客の減少は困りごとだろうが、直接観光に関わった仕事でないのなら実感で語ることは難しいかもしれない。
「実際観光に携わってる仕事の人に聞いてみないと分からないんじゃない? こういうのの本音って。テレビとかでも伝わらない、本音ってのは」
千夜子も言う。千夜子の両親は北海道に住んでいるが、札幌市内で観光とも関係ない仕事。まして札幌は普通に大都市なので余計実感は薄い。だが千夜子は続ける。
「もっとも、地元でもホテルで働いてる友達なんかは売り上げ下がって困ってるとは言ってるね。でもそれと引き換えに感染リスクを取るかって言ったら悩みどころだって言ってた。北海道は感染拡大の苦い経験があるからなおさら警戒心はあるかも、ってアタシも当事者じゃないから断言できないけど」
その子はもうすぐ始まる観光復活のキャンペーンが始まるが、期待半分不安半分と語ったという。でも千夜子は断言した。昔からの友達だからわかる、明らかに怖いものを見聞きしたときの声色だった、と。
「そういうの聞くと、やっぱりためらいますね、旅に出るのを」
真耶はがっかりしたような顔で言う。本当は真耶も旅行好きだから行きたいのは山々。でも自分が都民であるという足かせをはめられている事も重々承知している。それでも。
「でも真耶ちゃん、アタシのお友達はそうかもだけど、そうじゃない意見もあるかもよ。やっぱり当事者の話をもっと聞いてみないと。フィールドワークで」
フィールドワークというのは社会学の研究手法のひとつで、研究対象に研究者自身が入り込んでその実情を見るというもの。だが、それには旅行をしないといけない。堂々巡りになってしまう。
「当事者がいればいいんだけどね、観光業界の」
「呼んだ?」

 「苗ちゃん? いきなり、どうしたの?」
「いきなりじゃないよ、さっきからいたよ」
真耶と苗は幼なじみの大親友だが、大学も違うし本来ならヒカリや千夜子と接点は無い。だが真耶と苗がサシでオンライン飲みをしているところに、ヒカリや千夜子が飲もうと言ってくる事も多い。そんな時、いま別の子と飲んでるからと断るのも野暮だしそもそも真耶が断れるはずもない。そこでヒカリが一言、
「だったらみんなで飲めばいいさー、あしび仲間は多い方が楽しいよー」
あしびとは遊びの事。ウチナーではヤマトのあそびより広く意味が取られていて、みんなで飲んで踊ってというのも、「遊び(あしび)」になる。ともかくそんなわけで、チア部メンバーの飲み会仲間に苗も歓迎された。
 「それにしても、いつの間に…って、あっ」
千夜子が気付いた。

 「こよりがログインしました」
良く画面を見たら、そんなメッセージが画面に残っていた。どうやら、こっそりログインして様子を見ていたらしい。
 では、こよりとはだれかと言えば、千夜子の後輩のチア部員。だが身長が低かったりチアリーディングの経験が浅かったりでチームから外れることになった。だがそのひたむきでまじめな性格を買われ、着ぐるみプロジェクトのキャストとして真耶に手ほどきを受けながら活躍することになっていた。
 だが、相次ぐイベント中止でいまだ活動できず。そんな中おうちライフを続けるものの日ごとにストレスが溜まっていく。そんなこよりを心配した苗が言った。
「うち、来なよ」
苗の家は横浜山手の洋館で、実の父は不動産取引を中心とした会社の社長。お金持ちだが成金だと苗は言う。そんな父が大学進学にあたって苗のために都内のタワーマンションの最上階を借りてくれた。苗は母の暴力などによって児童相談所を経由して木花村のペンションに里子として引き取られ、のびのび育った。だからこっちの両親の方と過ごした時間の方が長いし、実の両親はこっちでいいと思っている。もっとも愛情表現の下手な実の父がせめてもの子供孝行だと思って借りてくれたマンションだから、苗は使わせてもらっているが、いかんせん広すぎる。そんなときに、こよりという真耶が着ぐるみレッスンをするはずだった子が一人暮らしで外にもろくに行けずショボンとしているのを知って、一緒に住もうと持ち掛けた。こよりは人見知りなところもあるが、ペンションで鍛えた初対面の人の気持ちをほぐすのは得意。こよりはすぐ打ち解け、アパートを引き払って苗のもとに身を寄せた。というわけで、こよりが飲み会に参加することイコール、苗も参加するということなのだ。

 「こ、こんばんは。すみません、御代田先輩がみんなをびっくりさせようって…」
こよりが、申し訳なさそうに画面に表れた。これでいつものメンバーが揃ったことになる。
「こよりんさー、苗でいいって言ってるじゃん。とにかく飲むべ食うべ。ほれほれ」
苗がさっそく酒とつまみが映るようにカメラの位置をいじる。苗がいたずらっ子なことは全員知っているのでいきなりの登場も納得といったところ。それはそうと。
「あっそうだ、苗ちゃんの家ってペンションなんだよね? どう?」
当事者の話を聞く。それが実現したラッキーとばかりに千夜子が尋ねる。だが。
「あー、さっきは当事者かと思ったけど、ウチとこは特殊かもしんない。だって」
苗は淡々と答えた。
「ウチとこのペンション、閉めてるけど、かえってお金儲かってるもん」

7月中旬某日夕方・続(7月20日昼更新)

 「なんかさー、それぞれの宿泊施設がどん位稼働してるかのデータが欲しい、って村が観光協会に頼んだらしいんだけど、とりあえずあるのはこれだけだ、って出して来たのがゴールデンウィークの平均だったらしくて。一度十連休だった年あるでしょ? こんな事滅多に無いから、ってんでたまたま思いつきでデータ取ったんだってさ」
「十連休…確か苗ちゃん言ってたよね、うちが大忙しだから帰って手伝ってくるとか、いや学生のうちは長い休みには旅をしろ、ってお父さまに逆に怒られたとか」
「そそ。だって全日満室だもん。だから無理やり強行突破で手伝ったけどね。でも別にうちだけじゃ無いよ、どこもそうだったよ。つかうちみたいなマイナーペンションが満室の時はどこも満室だよ」
「って、それをもとに計算したら…」
「そ。一年中満室ってこと。うちなんか年の半分は開店休業か、ひと組様貸し切りかどっちかなのにね。お陰でがっぽがっぽだってさ」
「でも、お得意様はどうするの?」
「それがさ、お得意様は皆様気を使って今年は予約入れて無いんだよ。ほら自分が万一感染しててウィルス持ち込んだらかえって迷惑かけるからって。その代わりにお中元でギフトカードとか、あと常連さんだとうちで使ってる消耗品とか知ってるじゃん。それを送ってくれたりしてさ。かえって悪いから、倍返しでお中元贈るつもりだってさ」
 「あ、でも、そうしたら…」
こよりが今日初めて能動的に会話に参加してきた。画面を見ると苗との間に切れ目があるので、別々のモニタを離して置いているようだ。
「食材を買ってるお店さんが困りませんか? わたしの友達の実家が農家だけど、東京のレストランと契約してたのにお客さんが少ないからって野菜が大量に残っちゃってるって。そことの契約に沿って定額でお金は払ってくれるみたいだけど、そうするとレストランの方は大赤字で、申し訳ないから受け取らない、いや契約だから払う、ってやり取りが毎日続いてるって言ってました」
「あーそれも手は打ってるみたいよ。食材に限らず色んなものをお客様のために買ってるじゃん。だから村内の観光関連の事業所と取り引きのある個人も会社も、村の内外関係なく買い取るんだよ、村が」
「ええーっ、それ、結構大変じゃないですか?予算的にもですけど、どの位払うか、の審査とか」
「ん?そんな事無いみたいよ」
「どうやってるんですか?」
「言い値」

「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(3)ならびに7月後半某日

 地方交付税という制度がある。これは国の徴収した税を自前の財源が不足している自治体に再交付する制度で、これによって自治体間での税収格差を縮めようというもの。それを受け取っていない木花村のような自治体は必然的に財政状態が良いと解釈できるし、それだからこそ手厚い補償が出来ているとも言える。
 だが一方で、今の村の行動に不安の声も聞こえる。それは主に村外、特に県や国の関係者からだが、特に多いのは地方交付税交付金不交付団体からの転落によって国費からの支出が増える可能性への懸念だ。しかし、村長の姿勢はハッキリしている。

筆者「財政破綻は大げさかもしれませんが、地方交付税不交付団体から転落する事はあるかもしれません。それに対する不安や批判は村内から出ていませんか?」
村長「村内には心配する声も無くは無いですが、補償を続けるべきだという声の方が圧倒的に強いですし、立場の弱い人、この場合は感染症による経済的打撃を受けている人の側に従うのが、行政の義務です。それを国が充分に行わないのであれば地方公共団体においてそれをやるしかありません。もしこの村に地方交付税が振り込まれることとなっても、それは本来国民に返すべきお金を村で建て替えていた分が戻ってきただけの事です。批判をされる筋合いはありません」
筆者「支給のための書類審査か杜撰だとの批判も、これは特に国などから出ていますね」
村長「それは承知しています。書類が不備なのに給付金を受け付けているとかいった事ですね。でも国も給付金関連業務の委託企業に関する資料に不備があることを容認しているのですから、中小企業や個人事業主の書類に不備があっても問題はありません」

 国の持続化給付金に先立って、村では独自の給付金制度をいちはやく実施した。その金額は個人事業主は最大二十万円、法人は最大五十万円プラス従業員数に二十万円を乗じた額。これとは別に個人への給付金も月十万円が、4月から毎月給付されている。
 ここでお気づきの方もいるかもしれないが、木花村に在住して事業を営んだり、住居も職場も村内である人は、二重取りの可能性がある。そこはどう考えているのか質問したところ、

村長「二重取りだなんて村民の皆様に失礼ですよ」

と、優しい声で筆者を諭した上で、

「お一人お一人について、住所と勤務地の付き合わせを行っていたら給付が滞りますから。一刻も早く生活や事業の維持に必要な資金を届けるのは、行政の責務ですから」

そして、

「役場の職員が事務手続きをやっていますので、時間が惜しいのですよ。民間委託なんてやっていたらどんどん支給が遅くなりますし、だいいちそれによって委託企業への不透明な疑惑が起きることは、国が反面教師として教えてくださった。自分達の失敗を教訓にせよという、お国の有り難い教えです」

 村長の回答には一貫して、自粛に伴う補償の重要性と、国がそれに対して及び腰であることへの批判がベースにある。このような村長の姿勢に対して村人は、そして村長自身はどう考えているのか。

(4へ)

 「真耶の望みが叶ったじゃん。都民は旅行行っても補助出ないってさ」
「そうだね。こないだあたしが言ってた通りになったね。これでだいぶ感染の拡大は抑えられるんじゃないかな」
「…真耶ちゃん、本気で言ってる?都民はダメで神奈川とか埼玉県民は平気っておかしくない?」
かく言う千夜子も千葉県民なので大きな事は言えないのだが、都民の友達が多いだけに割引を使うのは気が進まないらしい。

 選挙が終わるとともに急に締め付けが厳しくなり、彼女たちの前回のオンライン飲み会が終わったあとの数日間で、やれ都民は都外に出る事を自粛しろだの、国は国で旅行代金を半額補助するキャンペーンは都民および他地域から東京への旅行だけは対象外とするなど、次々と施策が打ち出された。これに不満を抱く都民も多いが真耶は、
「都民はそれ言っちゃダメだし言えないよ。嫉妬になっちゃうもん」
「ケッペキだなあ、相変わらず。いっそキャンペーン中止にしちゃえって思うけど、ウチは」
「それを都民が言ったらやっぱしなんつーか、道連れが欲しい的な発言に聞こえちゃうんだよ、苗ちゃん」
千夜子はそう指摘した上で、
「だからワタシが言う。一都三県は旅行の補助禁止! つか旅行禁止でもいいよ」
もっとも千夜子には、両親が北海道に住んでいるのでコロナウィルスに対してより警戒心が強いという事情もある。
「ところで佐伯いないの? 苗ちゃん家にいる引っ越したんでしょ?」
「いるよー、いるけど…」

 「熱?」
千夜子が叫んだ。だが苗は慌てて否定する。
「大丈夫、検査は陰性だったから。ほらここんとこ梅雨寒のくせに蒸す日が続いたから風邪ひいたみたいよ。うん、しっかり看病してる」
北陸の夏は案外からっとしている。フェーン現象で猛暑日がよくあるが、空気が乾燥しているので気持ちの悪い暑さではないと、こよりはよく言っていた。まあ風邪で済んだのはhukoutyuuだが、熱が出るたびにまさかと思ってしまうのは精神衛生上あまりよろしくないのは確かだ。
 「それにしても、なんで緊急事態宣言出ないんだろうね。こんなに患者さん増えてるのに」
「決まってんじゃん」
真耶の疑問に苗が即答した。
「緊急事態宣言出したらいろんな業界に自粛要請しなきゃならなくなる。でもそれには補償もセットでないとやってくれるわけがない。でも国はこれ以上お金を出したくない。そういうこと。市中感染がとっくに始まってることなんか誰が見たってわかるけど、夜の街とやらのせいにしとけば目をそらせるじゃん。どこぞの選挙でどこぞの現職知事がやってたよねそれ。公示日から投票日までずっとさ。なんか未だに夜の街のせいとか言ってるお馬鹿さんもいるらしいけど」
真耶はしばし考えたあと、
「なんか、職業差別みたいだよね」
「そうだよ。特定の誰かのせいにして自分たちの後手後手対応をごまかして、ついでに出すべきお金も出し渋って。都合の良いいけにえを見つけたよね、東京都も国も、さ」
苗が吐き捨てるように言った。国民が何人死のうが知ったことではない。国の金と自分たちの利権を守れればそれでいい。そんな心根の腐った政治家たちによってこの国は滅びようとしている。そんなことを苗は思っていた。それは大げさな話でもない。真耶も千夜子も似たようなことを思っていた。このままでいいはずないじゃないか、と。現に二月にクルーズ船がやってきたときから国内感染の予兆は見えていたのに行政は後追いの対策しかできなかった。その反省を全く活かせていない。いや、活かすつもりもなければ失敗とも思っていないのだろう。自分たちの懐が潤えばいいのだから、彼らは。

「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(4)

 村長「現在の状態が緊急事態であることは明らかです。それは現在とほぼ同じ感染者数で緊急事態宣言が出されたという実績があるからです」
そう断言する村長。しかし政府の見解は違っており、そこを突いてみたところ、とんでもない答えが返ってきた。

 筆者「感染者が若い世代中心であることと、夜の街など限定された場所に感染者が集中していて感染源が追えているから宣言は出さないと、政府は説明していましたが」
村長「矛盾だらけの説明です。夜の街を中心に検査をしたから陽性反応が増えたと言っていますが、他の場所、例えば病院やスポーツジム、大型商業施設やターミナル駅で集中検査をしたら陽性率は低くなるのでしょうか? そしてそれを実践しましたか? 比較対象が無いのに何故夜の街だけを対象にしたのかがまず疑問です。またこのウィルスにニ週間程度の潜伏期間があるという事は既知の事実です。ウィルスを保有する若い方々が高齢者と接触する機会は幾らでもあります。親と同居している若者は常に高齢者に感染を広げる可能性を持っているとも言えます。高齢の感染者がある時期には増えていなくても、若者の感染者が増えればその二週間以降には高齢の感染者が増えて来るであろうことはちょっと考えれば分かります。ところが、緊急事態宣言を早い段階で出した前例に今回は倣っていません。前例が無いことに対して及び腰というのがこの国の意思決定の特徴ですが、今回はどういうわけかパンデミック再来の危機が迫っているとみておかしく無いのに自粛を緩和するという、前例の無いことをやっているのですから、政府も変わって来ましたね」

 村長の政府批判は留まるところを知らない。しかもかなりの皮肉が込められている。筆者としても、もう少し突っ込んでみようと思った。

 筆者「その変化の背景には何があるとお考えですか?」
村長「例えば今回のキャンペーンは、旅の移動に使う交通機関を個人で予約すると割引の適用外になるんです。いずれかの旅行会社などを経由しなければならないと決まっているということはつまり、特定の企業に対する忖度があるんだと思います。だってそんなに観光地を救いたいなら直接観光地にお金を配れば余計な事務費もかからず、迅速に困っている観光業界の方々を救えるじゃないですか。どうして面倒な手続きを、決められた窓口で行うというしち面倒臭い上に時間もお金も無駄なことをわざわざするのか、と考えたら、特定のいくつかの個人または法人だけが突出して潤うようにするためだ、と結論付ける以外のロジックを組み立てる事が不可能なんですね」

 まさに歯に衣着せぬ発言の連続である。筆者も怯むくらいの。それでもなお勇気をもって聞いてみた。

筆者「では、国は国民の健康より特定の個人や法人の利益、ひいては政治家自身の利益を取ったという事ですか?」
村長「…いえ、そんな事はありません…」  

さすがの村長もそこまでは言えないかと思った。ちょっと意地悪が過ぎただろうか? と思った。だがその矢先、

村長「国民の健康どころか、国民の命よりも自分と自分に利益を分け与えてくれる人々の儲けを取ったというのが正解です。言い換えれば、彼らは自分たちが甘い汁を吸うために国民を見殺しにしているのです」

 過激と言っても過言どころかまだ足りない国政批判。政府から圧力があってもおかしくない位だ。しかし、村長には強い味方がいる。

 木花村議会では日本で唯一と思われる、いまの政権与党の議員団と現在もなお党綱領に共産主義の実現を謳う生粋の野党が統一会派を組んでいる議会だ。現村長は保守派の前村長の正式な後継者として、後者の党の議員から村長になった。つまり村長は政権与党とそれをもっとも過激に批判する野党の支援もとで村政を運営している。
 きっかけは消費税増税が決まろうとした際、当時は野党だった保守政党の議員団がそれに異を唱え、当時議員だった現村長たちと組んで増税反対の決議をした事だった。以来両党は互いに是々非々とはいえ強調路線を歩んできた。
 村長の発言は勿論政権与党の県連にとっては許しがたいものだ。しかし強く言えないのは、村長を支持する同党の村議団が、
「もし村長の、そして村の方針に異議を唱えるならば我々は全員離党する」
というカードを持っているからだ。木花村では長くこの二党が政権を奪い合う体制が続いていたが、つねに単独過半数を得ることはなく、会派を都度都度組むことで多数派の地位を保ってきた。しかしその両党が統一会派を組んだ今、日本を代表する保守政党の議員団が共産主義を綱領のみとはいえ捨てていない政党に合流することは間違いない。それを恐れているので、県も国もこの村に対して強く出られない事情があるのだ。

 最後に、もう一つ気になることを聞いてみた。

筆者「今回のことで、補償があるとはいえ、村の人々には抵抗もあったと思います。それに逆に村人がほかの観光地に行くことも考えられますが、これについてはどうお考えですか?」

しかし村長の答えははっきりしていた。

村長「それはありません。この村の皆さんは漏れなく賢明ですので、わざわざ危ないところに行こうとはしないでしょう。嘘だとお思いですか? それでしたら村に出てお聞きになると良いと思いますよ」

それまで厳しい表情だった村長の顔が急にほころんだ。ちなみに筆者がこのあと村で何人もの方にインタビューをしたが、皆答えは一緒だった。
「神様、仏様、そして神使様に誓って、この村から不要不急の出奔は致しません」
そして多くの人がぶしつけな質問をする筆者に対して、不快感を示すどころか、
「まあ、いらっしゃいよまた、落ち着いたら。持って帰っときなさい、今日のところは」
と言って、とれたての野菜や果物、手作りのお菓子(もちろん衛生に気を付けて作ったという)、民芸品などを下さった。正直筆者は、政府の方針に逆らう村のあり方に危なっかしさや、不快感も無くはなかった。しかしこうやってただのフリーライターにいろいろと土産を持たせてくれるこの村の人々こそ、「おもてなし」の心を持っている、そして「おもてなし」をしないことでコロナを抑え込むことも裏返して「おもてなし」なのではないか、そう感じずにはいられなかった。

7月末、そして8月

 「始まっちゃったねー」
「うん、始まっちまったねー」

 covid19感染拡大の勢いも衰えぬうちに強行された旅行キャンペーン。すでに観光地へ向かう人の流れが出来ているらしい。
「あたし心配、二週間後が。どんくらい増えてるかって。感染した人が」
「ないよ、間違い。増えるのは。どれくらいの規模か、の問題だけで」
おうちで過ごす時間が増えて真耶と苗とで会話することも多くなったから、ついつい木花文法が出てしまう。木花文法とは、外国語の影響で動詞を目的語より先に言ってしまうような、日本語とは異なる語順の事を指す。全ての会話がそうなるわけではないが、そういう癖が時々混じる村民がほとんど。村の子どもたちは最初は大人の話す言葉を覚えるので木花文法を使うが、小中学校で他の地域から来た先生の授業を受けることなどで次第に使わなくなる。でも学生時代が終わって村に戻ったり住み続けたりすると忘れかけていた木花文法が復活することはままある。今年は学校の休みが多かった事もあって二人とも東京にいながらそれが現れたようだ。
「そう言えば、治った? こよりちゃん」
「治ったよ。体調崩しやすいんだよ、かえって。変に蒸し暑いから」
梅雨が長引いて湿度が高い状態が続いたのでそれが響いたのだろう、こよりは夏風邪をひいていたのだが熱も下がったという。
「良かったー、心配してたよ」
と真耶が言った矢先、
「あ、こんにちは。すっかり良くなりました。蒸し暑くて薄着で寝ちゃったのが良くなかったみたいです。ご心配おかけしました」
こよりがログインした。苗とは別室にいるようだ。
「大丈夫。心配をさせた人は嬉しいって思っていいんだよ、こよりちゃん。それだけ大事に思われてたり、頼りにされたりしてる証拠だから」
「そうだよ。どーでもいい人なら心配しないじゃん。心配してると気付くってことは、その人が好きってことだよ」
真耶と苗が相次いでムーンサルト級のフォローをするので、こよりは真っ赤になってしまった。
「やだもう、また熱上がっちゃいますよお」

 「ところで、なんで別の部屋からなの?」
「あ、それは私から言いました。風邪もウィルスが原因ですから移したらいけないと思って」
「言ったんだけどねー、そんなん気にするなって。ウチは風邪なんてひいたこと無いし、あ、風疹とかはあったか。あんな感じの症状でしょ? 風邪って。辛いよねー」
こよりは苗に風邪を移すまいと、自ら部屋に引きこもった。covid19がきっかけでいろいろな細菌やウィルスに気を付けるきっかけになった人もいるようで、こよりもその一人のようだ。だが真耶は覚えている。苗が風邪らしきものにかかった覚えが無いのは事実だが、無自覚のうちにかかっていた可能性はあって、
「なーんか今日声ガラガラでさー、これでウチも翼の折れた天使になれるぜ」
と、ハスキーボイスの歌手の代表曲を口ずさんたりしてたことがあるから、気付いて無いだけなのだと思う。

 「とにかく、かんぱーい」
今日のオンライン飲み会はこよりの快気祝いになった。だが、出てくる話はどうしても暗くなる。
「観光キャンペーンといっても、恩恵受けられないところも多いみたいね」
「ええ、地元の友達が言ってました。北アルプスの山小屋とかは営業できそうにないとこもあるって」
こよりは富山出身で、実家の本家は信仰の山、立山のふもとにある。本人は市内の生まれだが、当時の友達の中には夏休み山小屋でアルバイトなんて子もいる。ところが毎年働いている小屋が今年は開かないというのだ。
「山小屋って雑魚寝ですから、感染リスクを恐れて閉めるのは賢明なんでしょうけど彼女はアルバイト出来ないし、小屋もキャンペーンの恩恵は受けられないですよね」
「はいさーい、そして、はいはーい。ウチナーも海が開かないからお客さん迎えられ無いとかいっぱいあるよー。だいいち、基地でクラスタ感染あったからねー。怖くて来ない人多いと思うよー」
「あー、アタシのとこもー」
ヒカリに続いて参加してきたのは千夜子。
「北海道はやっぱ敬遠されると思うし、来たとしても札幌には来ないと思う。千歳とか、他にも目的地に近い空港から直で観光スポットに向かうんじゃないかな」
「ヒカリ先輩と千夜子ちゃんようこそー。でも札幌も観光地でしょ?」
「そうだけど、でも真耶ちゃん来たことあるなら分かるでしょ? 札幌って街中に観光スポットがあって、それを地下鉄とか地下道とかで移動するから、密ってイメージあるかもしれないよ。もちろん対策はちゃんとやってると思う、早くから感染が広がった場所だからその分経験値も高いはずだし。でもイメージって怖いから」
「すすきのが夜の街ってイメージもありそうだよねー、実際行ってみると、キャバクラとかピンサロの隣に美味いラーメン屋があったりするから、歌舞伎町みたくその手のお店だけが集まってる場所じゃないんだけどね」
「来たこと無い人はそう思うし、リピーターの人は札幌が都市だってことを知ってるからこそ近寄らないだろうし。偏見だと思うけど」
だが、
「じゃあ千夜子は札幌に観光客が来た方がいいと思う?」
ヒカリの問いに千夜子は、
「…いや、あんまり…」
と答えた。すると、
「やっぱりそうさねー。ワタシも正直ヤマトから人が大勢来るのは怖いさー、ただでさえ基地からの感染もあるってのに」
観光地に住んでいても観光に関係ない仕事なら出来れば今はきてほしくない。それが本音のようだ。

 一口に観光地と言っても人気不人気は出るし、そもそも密な状態を避けられないなどの理由で客を受け入れられない事業者もいるし、その事業者頼みの観光地はドミノ倒しで観光関係の事業者が軒並み恩恵から外れてしまう。
 では、間違いなく観光客が殺到しそうな所はどうだろう? というわけで。
「おーい、いるかー、半平太ー」
真耶と苗の同級生、プファイフェンベルガー・ハンナは家が教会で、今は京都のキリスト教系大学に通っている。日本に合わせて苗字を先に名乗っていて、下の名前で呼ばれる事が多いが苗は大抵半吉とか半平太とか呼ぶ。
 で、京都は日本どころか海外からも多くの観光客が押し寄せていたところだから、観光推進キャンペーンとなれば大人気間違い無しだ。ところがハンナに今回のキャンペーンについて感想を聞くと、
「ウザい」 

 「観光客が来たからって、アタシらに何の得も無いし。折角街のあちこちがすいてて歩きやすかったのに余計なことを、ってのが正直なとこ」
「やっぱりそうなんですね、あ、初めまして。李千夜子と申します。実家が札幌なんですけど、観光客が一杯だとイラッと来ることありますよね」
「いえこちらこそ初めまして。そう、イライラしまくりですよ、ってタメ口でいいです?」
「いいですよ、もとい、いいよー。ヒカリ先輩以外はみんな同学年か年下だから」
「ありがとー。でさー、京都人って旅行者にも格付けするからねー。一見さんお断りなんて言って、常連の人が紹介しないと入れないとか言うけど、そのお初の人がどんな身分かで露骨に態度変えるし」
「でも学生さんには優しいんじゃないの? 大学が一杯集まってるし」
「表向きはね。少なくとも洛中の人達からすれば学生はよそ者だよ。学問の道なんてのもあるけど、あれ結局洛外だしね。学生と研究者は純粋な京都というくくりからは外にあるんだよ」
「でも綺麗なところいっぱいあるし、そういうとこさえ行ければみんなは満足するんじゃない?」
「騙されてんだよ。観光客が買い物するところと地元の人が買い物するところはハッキリ分かれてて、当然観光客が来るところは高いよね。特に京都は露骨だね」
真耶は京都という場所が嫌いではないからフォローしようと質問するのだが、ハンナにことごとく否定される。もっともそれは京都だろうがどこだろうが観光地というのは多かれ少なかれ客に金をいかにしてたくさん吐き出させるかを日々考えているもので、唯一と言って良い例外が、別荘や保養所の長期滞在から観光が始まった木花村くらいのものだ。夏中村に滞在する人たちが毎日高くて胃に重い飯を食っていたらたちまち飽きてしまう。
「ま、今回の客の減少で少しは反省するかと思ってたけど、そうならなそうだね。余計なキャンペーンのせいで」
ハンナはため息をついた。

 「あ、そういや、花耶ちゃんは元気なの?」
真耶達と会話するのが久しぶりのハンナ。懐かしくなって聞いてみたがヤブヘビだった。場の空気が、いやオンラインだから光ファイバーの中の光が凍った。ハンナはあちゃーと頭を抱えた。花耶がいま、真耶と離れ離れになっていることを失念していたのだった。
 当然の事ながら真耶の妹、花耶の通う都立戸西高校も新学期の季節なのに授業を再開出来ずにいた。学校大好き勉強大好きの花耶としてはそれが歯がゆくて仕方ない。と、そこに救世主が現れた。真耶の中学校時代の生徒会長で、真耶を溺愛していた屋代杏。
 杏はスカイウルフホールディングスという会社の跡取り娘。木花村は勿論、近隣でも多くの事業を展開する会社であるので、杏はいわゆるお嬢様ということになる。しかも屋代家は代々女系の系譜で、女性がトップに立つ伝統がある。しかしながら二代続けて男子しか生まれなかったため、待望の女性CEO候補となった。
 そのスカイウルフホールディングスが多額の資金をもって生徒不足に悩む私立女子校を救った。今時の学校運営は決して儲かることでは無い。その学校はかなりの財政難に陥っていて、どこかの学校と合併するのが一番損失の少ない解決法だとまで言われていた。それでも杏たちの会社が学園再生に手を差し伸べたのは、社訓である、
「長者の布施を実践せよ」
を忠実に果たすためだ。西欧などで言うところのノブレス・オブリージュを意訳したもので、富めるものはその富をもって世のため人のために尽くせ、という意味が込められており、神仏習合の天狼神社と照月寺にちなんで日本人でも分かるように仏教用語をあてて社訓としたのだ。
 もちろん、学園をより魅力あるものにするためさまざまな改革を行った。そのひとつが国内留学制度。同じ日本でも様々な文化の違いをそれぞれの地方が持っている。特に都会と地方の差は大きく、互いに生徒が行き交う事で学べることは多いだろうという理由だ。その「留学生」として、花耶は四月から学校に通っている。もちろん未来のCEOが溺愛する真耶の妹だからという忖度は一切無い。ちゃんと筆記試験(噂によれば全科目満点だったそうだ)と、花耶の素性を知らない教師による面接試験を通過している。なにせ都立高がずっと休みで勉強出来ないストレスが溜まっていた花耶である。そこに国内留学生の募集が例年通り行われるという噂を聞いた。学園は今花村から県境を挟んだすぐのところにあり、木花村からも生徒が何人も通っている。そのため学園は木花村の小中学校同様に新型ウィルスを理由とした休校を完全には実施しなかった。完全には、というのは休みたい生徒は休んで自宅学習しても良し、だが学校で学びたい生徒は近くにある寮に入ってそこから通うことを条件に通学することを許された。もちろん花耶も寮に入ってそこから通学している。お陰で明るいキャンパスライフを送っているようだ。

 「つか、花耶ちゃんと繋げばいいじゃん。オンライン飲み会だから未成年はダメってわけじゃ無いし」
「あ、いいねそれ。ワタシも真耶ちゃんの妹さんにリモートでもいいから会ってみたいな」
「え、うん、そうだけど…」
苗の提案に千夜子も乗ったが、もじもじして身体をくねくねさせる真耶。
「おーい、自分の妹と会話するのに何恥ずかしがってんだよー」
すかさずハンナが突っ込む。でも真耶は、
「だって、花耶ちゃんの顔見るの久しぶりだし…」
「だーもー、いい加減妹離れせえっちゅうの」
苗が回線接続を強行した。

 「皆様今晩は、嬬恋真耶の妹、花耶と申します。以後お見知り置き頂ければ幸いです。そしていつも姉がお世話になっており、成り代わって御礼申し上げます」
礼儀正しい。花耶は頭脳明晰容姿端麗運動能力抜群な上にそれを鼻にかけず誰にも優しく好かれるタイプで、倫理道徳も兼ね備えた完璧少女。同じ姉妹の真耶もそれらの殆どを持ってはいるが、運動だけは驚異的に出来ないところが異なる。ともかく初対面組の花耶の第一印象は満点花丸と言ったところ。そして言うまでもなく真耶は感動の再会に涙を流す、はずが…。
「無い…映像…」
「あ、カメラが調子悪いんで、音だけでご勘弁願います。今原因探しながら話してますんで。お姉ちゃん、ごめんね」
「いいの〜、花耶ちゃんの声が聞けるだけで、あたし幸せなの〜」
その一言だけで、やっぱり涙ぐむ真耶であった。

 「花耶ちゃん、そっちの様子はどう?」
嬉し泣きしている真耶は置いといて、苗が聞く。
「平和だよー。学校も夏休み入ったから授業無いしー。でも寮に先輩たちが置いていってくれた本とか参考書とかあるから、それで色んなこと知れるから楽しいしー。運動も周りでいっぱい出来るし。ランニングとか」
「あれ、帰ってないんだ? 家には」
「もう少しいるつもりだよ。他にも残ってる友達結構いるし。だってここにいる方が安全でしょ? 街に下りたらウィルス貰っちゃうかもしんないし、それにずっと天気悪くてムシムシするからこっちにいるって子もいるよ。ここ標高高いから涼しいどころか寒いくらいだもん」
「そっかー。やっぱ増えてるんだ? 観光客」
「実際は見てないけど、増えてはいるみたいだよ。うちの村は相変わらず半鎖国というか鎖村状態だけどね、って、なんかさっきから苗姉ちゃんとばっか話しちゃってるね」
「やべー、他の人置いてけぼりにしちゃった。真耶、はいいとして、千夜子ちゃんとかなんかない?」
突然振られて慌てる千夜子だったが、寮生活と聞いてちょっと疑問が沸いてはいた。
「あ、千夜子です。えっと花耶ちゃん、聞いていい? あの、寮生活って、集団で生活するんだから、その…」
言いにくい質問なので千夜子は言葉を選んでいた。しかし勘の良い花耶はそれだけで疑問の中身を察した。
「あ、集団感染は起きないように細心の注意を払ってるんですよ、うちの寮。えっと、静止画なら送れるかな、あ、出来た」
「うわ、すごい。これ食堂?」
「そうです。こうやって個別の席を仕切っちゃえば心配無いですから。飛沫が前の人に飛ぶことは」
花耶の写真には、透明な板で全部の席を区切った食堂が写っていた。板は椅子の後ろまで伸びているので、隣の人との会話でも飛沫が防御される。
「食事はお盆にフタしたものを各自で持っていくんです。お醤油とかは板が十字になってるところの上にあって、使う時は」
と言って花耶は次の写真を出した。
「このマジックハンドで取るんです。もちろん一人一本持ってます。最初はむずかしかったけど、慣れると面白いですよ」
ちなみにこの方法は木花村の家庭や飲食店などでも続々と採用された。今年は暖冬に悩まされたところも多いが、木花村にとって不幸中の幸いだったのは、毎年野菜の霜除けに使うビニールシートが暖冬のせいで今年は余り気味だったことだ。だからそれを使って衝立てを自作することが出来た。感染防止の意識は村民も高い。
「食事以外では、何か工夫あるの?」
「ありますよ、ほら」
この寮は、数年前に廃業していたホテルを買い取ったもの。学生寮らしく改装する案もあったが、それには多くの予算がかかるし、まだ充分使える部屋をわざわざ壊して作り直すのも勿体ない話。ものを大事にし、自然を愛するのは村の伝統だし会社および学園(そこが一致したからこそ円満に買収が進んだ)の方針でもあるので、耐震補強などの安全対策に予算を傾斜配分し、ホテルのツインルームやファミリールームにそのまま寮生は住まうことになった。
 当初はキャパに対して寮生が少ないので広い部屋を一人で使わせるつもりだったのだが、広い部屋に一人は寂しいという意見が結構あったため、希望者は相部屋にした。結果使っていない部屋が多くなっていたのだが、緊急事態にあたって生徒のほとんどが通学の継続を希望したためそれらの部屋を再稼働させ、相部屋組も四人部屋に二人だったところにもう二人加わったりといった具合で寮生が増えた。
こうなると怖いのが室内での感染。だから部屋の中をアクリル板やビニールシート、それでも足りなければベニヤ板などで一人ずつのスペースを分け、窓は常に少しは空いているよう金具を噛ませて換気を確保、トイレは各人便座シートを持ち込んで使う事を義務付けられ、シートに仕込まれたセンサーが反応しないと水が流せない。紙も個別に持ち、手洗いを十五秒、つまりその時間水を流さないとトイレから出られないような仕掛けも作った。その代わりドアが自動で開く(と言っても蛇口についた十五秒のタイマーに反応してドアを閉まった状態にしていた紐が外れるだけだが。この仕掛けのためにドアノブは外した)のでそこを触って感染なんて事もない。
ただ、部屋に付いた浴室は買い取り時点で配管があちこちで破れたり浴槽が割れたりしていて全てを直すのに多額の費用がかかるので、寮が開いた時から大浴場が使われていた。幸い大きくてキレイなお風呂ということで寮生にも好評だったが、感染対策が必要となったので脱衣所から洗い場、浴槽に至るまで一人で行ける導線を作り厚い布や板で区切る。そして湯船だけは透明アクリル板の区切りなので寂しく浸かる事にはならず、おしゃべりしながらあったまれる。お湯に飛沫は飛ぶかもしれないが、大量のお湯の中ではウィルスの密度はとても感染を起こす事など出来ないくらいスカスカになる。充分あったまったら脱衣所に戻り、個別のお風呂グッズ入れ(昔懐かしの銭湯にある籠)を持って部屋まで撤収。
「って言ってもお風呂屋さんだって人と人がちゃんと縄張り守ってれば都会の駅より安全なんだけどね。まだウィルスの事がよく分かって無かった頃に石橋叩いた結果だよね」
花耶は寮内の感染対策が万全であることの説明を苦笑で締めくくった。すると、
「縄張り、って…」
千夜子が疑問に思ったようだ。花耶もうっかり使ってしまった、木花語。
「あ、ソーシャルディスタンスの事です。人と人が適切な距離を保とうとする本能を持つという説は昔からありましたし、日本人は特にその傾向が強いと外国人の学者さんは思ったみたいで、それを日本人に説明しているときに、縄張りという表現がぴったりだってことでみんなそう呼ぶようになったんです」
ある概念が外国から入って来るときにそのまま訳さずに使わないのは最近の日本人。木花村の外国人も日本人も適した訳語を探す努力をしたので、ほかの地域より早くやってきた外国語が日本語になってすでに定着していたなんてこともあれば、海外の文法や単語をそのまま受け入れてしまうこともある不思議な村、木花村。

 ここ数日、更に感染拡大の勢いが増しているのであえて寮に戻ってくる生徒もいるという。
「こっちの方が安全だから、って。街中は対策してるように見えてしてない所が多いって。お店入るときにアルコールをかけられるけど、あんな少量じゃ意味ないとかね」
花耶の言葉にみんなうなずく。ようやく落ち着いた真耶も、
「あの、検温ってやってるとこあるでしょ? ガンみたいので赤い光当てて。あれって意味あるのかなあ。だって感染しても無症状の人もいるし、潜伏期間があるわけでしょ? 意味無いと思うんだけど、熱が出た人だけはじいても」
「あー無意味無意味。無意味の極み乙女って感じ。要はズレてんだよ、やってる事が。無えべ、合理性がさ。日本人のやる事って」
「あーわかる」
と苗に同調したのはハンナ。
「とりあえずやってます、ってのが多いんだよね日本って。ポーズというか、何か言われた時のエクスキューズを作るのは得意だから」
「あ、なんか分かった。あとみんながやってるからうちもやんなきゃ、ってのも大きいよねきっと。自分がいらないと思ったらやめればいいし、やらなきゃダメだと思ったらやればいいのに」
「真耶の意見が正解だと思う! 緊急事態宣言の時も京都は結構意識低いのいてさ。マスクしてないのもいたしね。そのくせ教室の全員がマスクしてるとポケットから取り出してマスクするわけ。持ってたら最初からしろよって」
「で、緊急事態解除となったら今度はみんな油断して遊びに出たりしちゃってこの結果だかんね。自分で危ないと思ったらマイ緊急事態宣言出しときゃいいのに。みんな外出てるから俺も的なのはやめろっての。良いか悪いかで決めろよ、行動の基準は」
「でも東京都だけで三百人とか四百人とか感染してるのに、なんで自分で気をつけようってしないのかな。あたしは自分で色々やってるけど、言われるよ、もうそんなのみんなやってないとかって、電車とかで知らない人に」
「真耶ちゃんは何をしてんの?」
久々な千夜子の発言。
「窓開け」
「あーそれねー。確かに意味ないって説もあるんだよね。ドアが開くときに換気されるとか、電車はもともと換気機能が付いてるとか。でもそれだってそんなに根拠なしで言ってる人も多いでしょ。いるもんなー、言いたいだけだろって奴」
「いるねー、いるいる」
ヒカリが同意する。
「相手が女子供と見るとすぐに文句付けてくる奴。強そうな男が同じことやってても、なーんもせん。ありは何が事なんだろねー」
「決まってんじゃないですか」
苗が言う。
「無いんですよ、正義感とか。何もしてない人にイチャモンつけたら自分が悪人だけど、相手に注意する口実があれば、例えそれがちょっと世間の大方の見方とズレてたり大げさだったりしても、自分がヒーローになった気分が味わえるっしょ。それでストレス解消してんすよ。そういう奴は」
 「でも窓開けって、感染防止の取り組みを忘れないようにという動機付けの意味も大きいよね。だから真耶ちゃんは気にせずにやると良いと思うよ」
千夜子の言葉に励まされた真耶は満足げ。一方で苗はちょっと嫌なことを思い出したようだ。
「そうなー、真耶のは効くと思う、動機付けとしては。でも話それちゃうけど、動機付けになってない動機付けに必死な連中もいるしなー」
「って、誰?」
「人っつーか、国」

 レジ袋有料化が日本でも始まった。プラスチックごみの削減や、海洋プラスチックごみによる自然破壊などの問題を考える動機付けとして国はこの制度を始めたようなのだが…、
「ぜんっぜん動機づいてないじゃん。コンビニとかで買い物してレジ袋だけ無くても弁当もスイーツもぜーんぶプラスチックの容器じゃん。それ見てたらプラスチックを減らそうとか何とか考える頭になんかなるわけねーじゃん」
「だよねえ。あとヒカリ先輩が言ってたけど、もう動機付けの段階じゃないんだってさ、沖縄の海もプラスチックがいっぱい流れてきてるんだってさ」
ヒカリ自身から発言しなかったのは、夏バテで元気がないからなのだが、沖縄の人が夏バテ? って千夜子はいぶかしげに聞いた。すると、
「沖縄より東京の方が暑いさー。猛暑日なんてウチナーには無いし、東京は猛暑日いっぱいあるしその上蒸し蒸しするし夜も熱帯夜だしー、熱帯夜はウチナーにもあるけど、東京と違って窓開けて寝れるから楽だよー。それに今年は曇って蒸し蒸しするから最悪さー。でーじ辛いよー」
とのこと。そこで、
「あ、私、中高のときに海岸のゴミ拾いしたんですけど…」
普段は聞き役が圧倒的に多いこよりが話に入ってきた。
「やっぱりプラスチックごみ多いです。よく日本海の向こう側から流れてくるみたいな事言う人いますけど、日本で捨てられたごみもいっぱいありました。大学入ってからも一度こっちで海岸清掃やりましたけど、日本海の先にある国のごみが関東の海岸に流れ着くって有り得ないですよね」
「あーやっぱそうなんだ。それに最近は商品説明のラベルに何か国語も一緒くたに注意書き書いて、経費削減とかあるんだろうけど、それが誤解を生んでるかもしんないねー」
千夜子が納得したところで、ハンナもある有益な指摘をする。
「日本人は礼儀正しいとかマナーを守るとか何とか外国の人が褒めることあるけどさ、実際少ないけどさ路上のゴミとか外国に比べれば。でも日本人って隠れて悪いことすんだよ。ゴミなんかもわざわざ植え込みの中に隠して捨てたりしてさ。言うでしょ、旅の恥はかき捨てって。京都なんかでも通りは綺麗だけど橋の下覗いたらゴミだらけ、とかあるからね」
京都人は表向きだけ取り繕うし、その表向きを観光客は京都ならではのおもてなしだと喜ぶのだけど、帰った後に客の事をボロカスに言うのが京都人、とハンナは言う。偏見であることは承知だけどあえて一括りに言わないと一部のそういうタチの悪い「京都」は直らないから、と。でもボロクソに言われている観光客も結局同じ穴のムジナなのだ。
「で、そのごみの中にレジ袋はどのくらいあるの?」
千夜子がこよりに聞いて、話をもどす。
「ほとんど無いですよ。トレーとかペットボトルとか洗剤なんかの空き容器です。それからルアーとか、釣りの道具もありますね。あれも一部のマナー悪いひとが捨ててくんでしょうけど」
「あれは捨てたものとは限らないから問題なのさー。魚でも力の強いのは釣り糸切って逃げるからさー。竿も折れたりすることあるし、パワーあるよー」
ヒカリは沖縄の魚が大きいし力強いことを肌で知っている。一方、苗はスポーツ好きの延長でアウトドア好きでもあるから、運動不足気味の真耶を無理やり連れ出して行ったハイキングやウォーキング中に釣り人を冷やかすことがよくある。だから真耶は疑問に思う。
「でも海洋プラスチックが問題になってるときに海釣りの道具がプラスチックで出来てるって、なんか矛盾してる気がするなあ」
その疑問を受けて、苗が言う。
「だから分解性プラスチックってあるじゃん。あれで釣り具を作ったんだよ、ウチらの村の会社が。でも売れないんだそれが全然。なんか耐久性が無いとか言うんだけど、何年も持つようだったら意味ねーべ、海洋プラスチック汚染防止になんねーじゃん」
そんなわけで、まずは使ってもらおうと考えたメーカーは村役場に相談。エコに協力することは行政としても良い事だから、村内の釣り場で村が無料配布する事にした。実際村でも釣り具のごみは問題になっていたのだ。
 配布を始めてから、釣り人たちの評判は上々だったが、その後も売り上げは増えない。なぜかと思ってネットを検索すると、やっぱり低い評価の嵐。そもそもタダだし表向きは感謝するが、裏で悪口を言う。そんな日本人の悪いところが顕著に出ていた。
「だから今度は村内の釣り場で分解性ではないプラスチックで作られた釣り具を使用禁止にしたら、今度はやれ企業と行政の癒着だの忖度だのって。前の村長の時で国政がそっちの問題で盛り上がってたからね、なんとか学園とかいうやつ。一緒にすんなっつーの。エコな釣り具を買わねーおめーらが悪いんだろ、って話」
木花村はエコロジー先進村である。そんな認定基準は無いが、客観的に見てそうだとする識者も多い。大学のセミナーハウスも多いのだが、そこを使った環境にかかわる先生方は感心して帰っていく。釣り具の件についても、海洋環境を専門とする教授のアシストを受けて批判を跳ね返した。
 また村ではプラスチックごみや古紙を焼却する割合は比較的多いのだが、これはリサイクル業者まで遠いことからわざわざトラックでそこまで運ぶよりは、再生効率の悪いごみは燃やした方がco2の発生を抑えられるという判断からだ。これについては反論も出たが、
「二酸化炭素が出たら植物に吸わせればいい!」
という前々村長の鶴の一声のもと、植物を増やそうという運動が始まった。だが、
「植物は二酸化炭素を吸収するが、枯れてしまえば分解の過程でまた二酸化炭素を放出するので意味が無い」
という指摘もあった。それでも村長は動ぜず、
「要は行って来いになるからいけないんだろ? だったら枯らさなければいいだけの話だ。もし枯れそうになったら切って木材にすりゃあいいだろ」
と反論。実際古くなった街路樹を木材として再加工し、批判の指摘をした学者の研究室に大量にプレゼントしたり(半ば意趣返しである)、
「草花だって一見枯れて土に還るように見えるが、これまで生えて無かった場所に毎年生えるようにすれば問題ないだろ」
と言って、これまでは刈り取ったり抜いたりしていた道路のコンクリの隙間から生えた雑草もそのままにするようにした。そうすると面白いもので、雑草と決め付けて抜いていたものが綺麗な花を咲かせたりして村民に好評だったりもした。
「とにかく緑を増やそう、緑の無いところに種をまこう、苗を植えよう、ってやってたもんね。学校の教室どころか廊下からトイレまでお花さんでいっぱいにして」
そして数年の月日が経ち別の教授が計算したところ、この試みが始まってから増えた植物の二酸化炭素吸収量と、村が排出する可燃ごみの焼却による二酸化炭素排出量がほぼ釣り合っていることが分かったのだった。
「プラスチックも一緒に燃やす事で燃焼効率が上がるんだよ。なんか場所によってはプラごみが少ないせいで燃えにくいもんだから重油混ぜて燃やしてるってとこもあるらしいし、そういうところなんか二酸化炭素余計に出しちゃう本末転倒だぜ?」
「だねえ。でももえるごみが燃えないってどういうこと?」
「真耶、ごみの出し方よーくみてみ? 『もえるごみ』じゃなくて『もやすごみ』って書いてないか? んでその中にいわゆる生ごみがあるじゃん。それが悪さすんだよ、水分が多いから燃えにくい」
「ああなるほど。というか生ごみって埋めてたよ、庭に。村はみんなそうじゃなかった? いい肥やしになるって。母さんは今もうちでやってるけど」
「いや、埋める場所がないし。都会だと。真耶ん家は庭を無理やり広くしてっから出来んだよ」
と苗と真耶の会話が続いてたところで、千夜子が恐る恐る聞いた。
「あの、生ごみってコンポストとかは聞いたことあるけど、そのまま埋めちゃっても肥料になるの?」

 都会育ちの千夜子にしてみれば、ごみを埋めるという発想が無いらしい。コンポストみたいな話を知って初めて野菜くずなどから肥料ができることを知るが、昔の農村ではわりと普通にされていたことだ。真耶が答える。
「うーん、たぶんなると思うんだよね。土の中で輪廻するから。それに都会ではいるでしょ、木の枝なんかをもやすごみで出してる人。あれ見ると思うもん。すっごくもったいないって」
「あ、輪廻ってのは植物や動物が微生物に分解されて土に還ってまた新たな命になる事を指して言ってるから。長いこと神仏習合の村だったからそういう表現普通にすんだよ」
苗がすかさず補足した。いずれにせよ野菜くずや剪定した木の枝、抜いた雑草などは土に埋まればたいがい分解されて土になる。それらがいわゆる有機物として新たな植物の成長に役立つのは間違いないと思われる。もっとも村では食べ物のごみ自体ほとんど出ないのだが。野菜は茎までほとんど余さず食材に使うし、そもそも剪定や草取りなんてものも滅多にしない。畑でも作物に影響しない雑草は抜かずにそのままにしておく。その方が土が肥えていくのだという経験談を農家の人は語るので、やはり肥料になってはいるようだ。

 「あ、でもね」
花耶が話に入ってくる。
「埋めていいものは植物や動物、つまり魚の骨とかに限る、って最近村でさかんに言ってるよ。なんか紙とか、あと野菜を包んでたビニール袋が破れて引っかかってたりする事があって、それは分解されないからって」
「あれ、紙はもともと木でしょ?」
「いやいや、紙コップとかあったら、よーく見て考えてみてよお姉ちゃん。紙って水漏れるでしょ? 普通。あれはね、薄いプラスチックの膜が貼ってあるの。だから漏れないし、そのかわりプラスチックの部分は分解されないの。そういうのを海に捨てたら、結果は見えてるよね」
「ああそっか。実質的にプラスチックごみみたいなものなんだ。でもそれだったら、そもそも捨てる人が良くないんじゃない? 海に捨てなければ無くなるよね、海洋プラスチックごみなんて。さっきの釣り具とかを除けば」
「いやお姉ちゃん甘い。苗姉ちゃんとハンナ姉ちゃんが言ってたでしょ? 日本人は隠れて悪い事をするって。あたしたちの村ではごみを自然の中に捨てるなってのは厳しく教えられたけど、天罰が下るぞって。でもそんな教育廃れちゃってるでしょ。あと日本人のもう一つ悪いとこ。みんながやってるから自分もやっていいでしょ、って発想。海岸にごみが一つ落ちてればあーあたしだけじゃないんだ、捨てちゃえー、ってなっちゃう」
花耶の指摘はその通りだ。そして苗がそこに補足する。
「それはあるね。特に村を出ると分かるけど、みんな他人を気にしてるよね。第一、政治がそうじゃん。緩和緩和となったらどこもかしこも右にならえで、さすがにケツに火がついた東京都がようやく自粛を言い出したらぼちぼちそれに倣う道府県が出てくる、って具合なんだから」
「企業だってそうじゃない?」
千夜子が、画面にパンを見せながら言った。
「これ、トングで取ってトレーに乗せるパン屋さんなんだけどさ、最近ビニール掛けて陳列してるんだよね。でもそれ意味無くない? って思って。だって接触感染防止って言うんなら不特定多数が触るトングの意味ないし、ビニールも飛沫感染防止って言うんならまだ分かるけど、でも飛沫の付いた手でパンを持って、やっぱやめたって戻す人も出てきちゃってさ。包んであるからトング使わなくてもいいだろって思っちゃうんだね。そしたら他の人が食べるときに手にウィルスがついちゃうかもだよ」
だから千夜子は、ビニールを濡れ手ぬぐいで持って慎重にパンを取り出す様子を見せた。
「こうしないと不安で。これだったら前みたいにレジで店員さんが袋に詰めてくれた方が安心だよ。店員さんはしっかり手も洗ってマスクもしてるし、袋も他の人が触ってないでしょ? ロールだから」
「そのお店はなんでそうしたの?」
「分かんないけど、上からの指示とかなんじゃない? チェーン店だし。てゆうか真耶ちゃんとこはどうしてるの?お母さんのお店」
真耶の母は雑貨屋を経営している。オシャレと評判で、幅広い年代に支持されている。
「うちは元々紙袋だもん。対象外だよ」
真耶の母の店は再生紙の袋を使っていて、かなり丈夫に作っているうえにデザインがいいので使いまわされるのでエコになる。といった感じでレジ袋の有料化には例外があって、紙袋以外にもバイオマス素材を一定の割合で配合したポリ袋も対象外となる。しかし真耶はそれが疑問だと言う。
「バイオマスって、さとうきびやとうもろこしから作るらしいんだけど、熱帯雨林を切りひらいて畑にすることもあるんだって。それって熱帯雨林だった時より二酸化炭素吸収量が減るってことだから、本当にエコなのかなあって思う」
「お姉ちゃん、それに直接は関係ないけど、ヤシの実でも同じような問題があって、こっちは国連が、環境に配慮した農法で取れたヤシの実だって認証する仕組みがあるよ。おかーさんが使ってる食器洗剤も確かそうだよ」
「へえー。バイオマスはどうなのかなあ。でも七十五パーセントは石油から出来てるならあんまり意味ない気がする。それだとあれが解決しないよ、海洋プラスチック問題」
「だねー。つかレジ袋の方がゴミ出しに便利なんだけどな。特に真耶とか、木花のペンションとかもごみ少ないのに大きなごみ袋で捨てざる得ないじゃん。ほら、ごみって腐るから。それかえってプラスチックの無駄遣いだろって思う。それでもみんな従うんだよねえ。みんながやってるから、って」

 「なんか暗い話になっちゃったね、あ、苗が悪いんじゃないよ、アタシも結構グチっちゃったし。つーか世の中が悪い」
千夜子が言う。
「って言うと、世の中を悪く言うよりまずは自分を変えようとか何たら言う奴もいるけどなー。まーウチは全然気にしてないよ、半平太のストレスもわかるし。とりあえずこの『何かを批判するのはよそうよ』的なムードってなんなんだろ」
そこに真耶が口を挟んだ。
「なんかね、うちのひいおじいちゃんが言ってた。似てるって、戦争が始まる前に。だんだん言いたいことが言えなくなって、他人と違うことを言ったりしたりすると怒られて、特に偉いひとに逆らうとひどい目に合わされるって。警察とか軍隊も怖いけど、一番怖いのは普通の人だって。普通の人が、誰に頼まれもしないのにそんな事やめろって迫ってくるって、匿名で」
「今とそっくりじゃん」
ますます暗い雰囲気になる。でも仕方ない。世の中がそうさせているのだから。でも真耶がそのムードを打ち砕いた。いざと言う時に結構やる子なのだ。
「そうだ。あたし面白いもの作ったんだけど。見る?」
と言って画面の前を離れた真耶は、何やらキラキラしたものを被って戻ってきた。そして真耶の姿を見たみんなが歓声を上げた。
「わあ、カワイイ!」
「へへ、ありがと」
最近医療現場などでも活躍しているフェイスガード。それに薄いピンクのフィルムを貼り、更に真耶の好きなガーリーやロリータブランドのシールやマスキングテープを飾って、オシャレアイテムに仕上げてしまった。
「それ付けて、外出るの?」
「うん。だって使わないと意味ないもん」
「みんなから変な…ごめん、珍しがられない?」
「謝らなくていいよ。でもほら、いないから、直接変だって言う人。それより子どもは正直だよね。指差してカワイイって言ってくれるから。だからおしえてあげるの、作り方」
さらには、これを見た真耶の母がひらめいて自分の店で色付きのフェイスガードを売るようになった。カラフルなフェイスガードを街で見かけることも普通になるかもしれない。
「でもデコるのが楽しいって需要もあるから、最初は色だけで、そのうち柄とかも付けたいって母さん言ってた。そういうシールとか作るのもアリだけど。あ、もちろんUVカットだよ」
色はパステル系の五色。素材は再生ペットボトル。これぞエコの見本。啓発云々言うヒマがったら自分で製品作れというわけだ。しかもこれ、食事中も外さなくて済むスグレモノ。口のところでカチッと折り曲げられるようにちょうつがいが付いていて、食べるときだけ上げて、人と話すときには下げる。これなら会食も安心、というわけ。
みんなが感心しているところに、花耶が、
「あ、回線直った。画像付きにするね」
と言った。どうやら不調が解決したようだ。そして映し出された花耶の姿に、みんなは、
「かわいいー!」
と絶叫。さっきまで注目を浴びていた真耶も、注目を奪われたことに嫉妬するかと思いきや、
「か、花耶ちゃん可愛い! お漏らししちゃうくらい可愛い!」
という興奮具合。真耶は興奮の度合いを表すのに「お漏らししそうなくらい」という表現をよく使う。興奮した犬がよくやるあれだ。さすが狼の神使らしいというか。
で、絶賛を受ける花耶のいでたちがどのようなものであるかといえば、
「宇宙服?」
「の、レプリカかな。なんつーか、レトロフューチャーっていうのかな。こんな頭ぜんぶ金魚鉢みたいな宇宙服って実際には無いでしょ?」
もともとはハロウィンの仮装グッズの一つとしてこの衣装が考えだされた。それが好評で村とスカイウルフホールディングスが組んで村の子ども達に配った。
 木花村は周辺を多数の火山によって囲まれているため火山灰が降ってくることは珍しくない。そんな時に備えて村では防塵マスクを各家庭に配っていたのだが(お陰でマスク騒動の際も冷静な対応が出来た)さすがに子どもには抵抗がある。そこでこのレトロフューチャー宇宙服風耐火山灰服を作ったのだ。これが思いの外好評で、観光客からも子どもが着たがっているとの声が多く、増産をしていた。お陰で今回covid19の流行にあたってもこの服が役に立った。なにしろ頭部すべてを覆うのだからウィルス侵入の余地はほぼ無い。
そしてもちろん、オリジナルアレンジも可能だ。
「もう夏だからトロピカルな感じで。ほら、ここハイビスカス」
ヘルメットにお花をふんだんにあしらったデザインが花耶の好み。他の子も思い思いのデザインを楽しんでいる。もちろんUVカット。なんだけど…、
「花耶ちゃん、確かそれ、小学校のとき配られたやつ…」
「そだよ、お姉ちゃんが小学校でもらったののお下がり」
ちょうど真耶が小学生だった頃、ちょっとした宇宙ブームがあった。その流行に乗って作られたこの服だったが、物持ちの良い真耶はそのまま保存していて、花耶がいまは着ている。そして花耶の着ていた服は近所の子に譲られた。この村の人々は物持ちが良いのでそういったやり取りによってほとんどの子どもにウィルス防護宇宙服にその目的を変えて行き渡り、予備で取ってあった分を含めたら全ての村の子どもにこれが行き届いたという。この村、やはり相当エコな村なのではないか? もっとも、花耶の身長が伸び悩んでいることもわかってしまうわけだが、本人あんまり気にしていないようだ。
「でもそれ、暑くない?」
木花村の夏を知らない千夜子は聞く。
「暑くないですよ。うちの村もこの寮も高原にありますから。紫外線はカットされるし、中にキャップを被れる大きさだから、日差しの暑さも完封です」
野球で完封のことをシャットアウトと言うが、その言い方が野球界で広まる前にこの英語が村に入ってきたので日本語に訳した。逆に訳さないまま使っている言葉もあるし、ちぐはぐな所も木花語の面白さだ。ちなみに千夜子の実家がある札幌も最近は毎年のように真夏日が続くようになったが、木花村はそもそも真夏日どころか夏日も珍しいくらいだ。
「でも、息できるの?」
確かに頭部を覆うヘルメットには穴が無い。でも花耶はあごの下のあたりを指差して、
「ここで調節出来るんですよ」
と、ツマミを回して、首回りのブラインド状の部品が空気を取り込めることを実演した。さらに後ろを向くと、
「あとこれ。本当の宇宙服だと酸素が入ってますけどこれはリュックみたいに使えるんです。ここに保冷材を入れれば背中から涼しいし、水筒なんかを入れて」
再び前を向いた花耶は、
「さっきの首のとこにストローを入れる穴もあります。あとこのヘルメットも服も完全防水だから、水かぶっちゃうのが一番手っ取り早いし、気持ちいいですよ」
「へえー、じゃあ花耶ちゃんの村では今年はみんな夏もそのかっこ?」
「学校行くときはそうですよ。授業もこれで受けてるみたいだし。おうち帰ったら玄関で脱ぐんです。休みの時はオシャレしますけど、このヘルメットだけはみんなしてます。さすがに高校生で村を出たあたしみたいなコが着るのは珍しいけど。シュミなんです、こういうカッコ」
千夜子の質問に対してぺろっと舌を出して答える花耶。でもこれってなんか、あと小学校で配られたものを着るってことは…
「ねえねえ、真耶ちゃん」
千夜子が真耶にプライベートで話して来た。ここでの会話は二人以外には聞こえない。
「花耶ちゃんって、身長いくつ? 小学校の服着てるっていうし、あと画面越しに見ても背が高いとは見えないし…あ、気に障ったらごめんね」
「花耶ちゃん? 百四十あるかないかだよ。言わなかった? 前に」
「聞いたかなあ…忘れた。ということは、佐伯と…」
「うん、こよりちゃんと背比べしてもちっちゃいよ。でも花耶ちゃん気にしてないどころか、小学生ファッション大好きで、高校の時も私服だったからわざと小学生のブランド着て通学して、そうすると聞こえるんだって。何年生? とか。私立の小学校で私服ってほとんど無いでしょ? そこでランドセルから本取り出して読むの」
と。
「おーい、こっちお留守になってるけど何密談してるー?」
苗に気づかれた。ちょっとでも不自然な間が開くと気がつく野生の勘。
「あ、ごめんね。そうそう花耶ちゃん、こっちいたとき最後の通学あたりで読んでたのってマルクスだったっけ?」
「ううん、マルクスの党宣言もウェーバーのプロ倫も読んじゃった。だって周りの反応が薄いんだもん。だからもっと分かりやすいのがいいと思って、確かあの時は源氏。原文のほう」
『共産党宣言』および『プロテスタンティズムにおける倫理と資本主義の精神』は高等教育における社会科学のいわば基礎的な教科書のようなもの。とは言え大学生ですら読んでいる人は決して多くない。真耶は社会学部生でかつ勉強好きだからすぐ読んだが、みかけ小学生がそれを読んでると見えたらわかる人は仰天するだろう。だが相手がそれを知らないのではつまらないので、誰もが名前は知っていながら読んだことは無い古典文学を、しかも原文で読んでいるぱっと見小学生がいたらみんなビックリするだろう、と。小さな身長をコンプレックスに思うどころか逆手に取って罪の無いイタズラを仕掛けるのが花耶のちょっとした楽しみでもある。
「とにかく、花耶ちゃんは身長のことは気にしてないから大丈夫だよ。だからこよりちゃんも気にする事無いんだよ」
「お姉ちゃんたち、あたしに気を使ってたの? そう、お姉ちゃんの言う通りで、あたしは身長が低いからこそ出来る遊びもあるってことを知ってるし、もちろん男子にバカにされることもありましたけど、それでも背の高い子に出来ないこんな事が出来るんだぞって見せつけてやってました。それにだいいち、お姉ちゃんだって男子としては背低いですよね?」
「ああ、そういえばそうか。真耶ちゃんはそのへん気にしないの?」
「だってあたし、男子だって自覚がそもそも無いし。女子の中でも平均未満だって事も知ってるよ? でも百五十センチ台前半がかわいい系の着ぐるみさんやるにはほとんど上限だし、この身長のお陰で良かったって思ってるよ」
背が低くて何が悪い、背が低いから出来ることだってあるんだ、そうやって自分のからだの特徴を受け入れる姿勢は立派だと、千夜子は素直に思った。そして、自分の後輩であるこよりが、身長のためにチアから着ぐるみに転向させられることになったがそれは誇らしい事だと真耶に励まされた事を花耶に話した。花耶は、
「素晴らしいです!あたしだって背が低い事を悩んだ事ありますけど、背が低いから出来ることだってあるんだって気付いて、でもあたしはシュミだけど、こよりさんはちっちゃい着ぐるみでガッコのPRするんですよね?世の中のためになってて、スゴいです!」
「おーい佐伯、聞いたかー!褒められたぞー!」
と、千夜子がこよりに呼びかけるが、反応が無い。どうしたかと思っていると慌ててこよりがフレームインしてきた。
「ご、ごめんなさい、それに花耶ちゃん、ありがとう、超感動した!なのに席離れちゃってごめんね!」
「いえ、気にしないでいいです。オンラインって画面の向こうでなんか起きてても気がつかないってよくありますから」
花耶は身体は小さくても心は広い。だから二人はすぐに、
「お互い仲良く」
「しましょうね」
「しようね」

「ところで、なんでこよりちゃんがフレームアウトしたか、わかる?」
苗が言う。別室にあるはずのこよりがやっている事をどうやって苗は把握できるのか?しかしそんな難問を、ハンナは瞬時のひらめきで解いた。
「苗、何のアニメで洗脳したん?」
苗はスポーティ元気系ガールにしてオタクという、正反対の趣味を両立させている。だが親しくなった相手にはオタク趣味を全開にし、仲間に呼び込もうとする。もっとも普段からアニメキャラのキーホルダーを鞄にジャラジャラ付けたりしているし、来る者は拒まず大歓迎のスタンスなのだが、ステレオタイプなオタクらしい外見やファッションをしていないために周囲はスポーティな方に目が行ってしまうし、普段から一匹狼的な雰囲気を醸し出しているし下らないジャレ合いをするのが友達だなんて事は思っていないから、皆深入りがしにくいようだ。
だから、こよりと同居するときにも彼女にアニメへの興味があればあわよくば、とは思っていたが、そんな素振りは見せなかったのでそのままにしていた。ところが、苗が録画してスマホに移して見ていたアニメを見ながらティータイムを過ごしているとき、間に置かれたアクリル板の向こうから、
「黒部、下の廊下!」
とこよりの叫ぶ声が聞こえたのだった。アクリル板がなかったら危うく飛沫が飛ぶところだった。つまり、こよりが言うように、
「私から興味持ったんです!」
というのが正解。
「ふるさと富山の黒部峡谷がアニメのモデルなんです。垂直に切り立った崖に人一人通れるだけの歩道があるようなとこで、ベテランの登山家でも危険なくらいの難所なんです。でもよくこんなとこアニメにしましたよね」
「そりゃあさ」
思わぬところでこよりをアニメにハマらせた苗が言うには、
「こういう近未来SF的な設定で地下迷宮みたいのを作るなら、黒部って丁度いいんじゃない?ウチもテレビで見たことあるけど、あのカモシカでも歩けないんじゃないかって思うような深い谷の秘境の中の秘境かと思いきや、崖の中にはトンネルがあって、発電所の施設があるわけでしょ?」
「そうなんです。大自然の奥の奥に実は地下の施設があって、なんていうか秘密基地みたいですよね。私は途中のところまでトロッコ電車が走ってるんでそれに乗ったことはありますけど、それでもすごい谷なんですよ。おとろしい位の」
思わず富山弁が出た。おとろしいイコール怖い、である。黒部の谷といえば日本屈指の狭くて深く、人をとてもでは無いが寄せ付けない風格を持った谷だ。しかしそんな人跡未踏かとも思われるところに発電所を作る計画が進められた。川が深い谷を刻むということはそれだけ豊富な水資源があるということ。そして険しい地形と標高差は水力発電にはもってこいである。そんな所に建造物を作るには台風など自然の猛威に襲われない土の中が良い。現在観光用となっているトロッコ列車は工事用列車の名残りである。そんな自然と人間の技術が調和したこの峡谷は富山県民の自慢の一つでもある。
「ああ、富山に帰りたいなあ」
そもそも春からこの方、帰省も出来ずにいたこより。自分のふるさと富山への郷愁を、富山をモデルとした舞台設計のアニメに重ね合わせると寂しさが薄れた。そして今はそのアニメが始まる時刻。それに気が付いて、慌ててテレビのリモコンを取りに行っていたのだ。
「あ、観てる。あたしもそれ。なんかカッコいいよね、着てる服が。なんて言うんだっけ?」
「パワードスーツとか一般には言うわな。宇宙服みたいなやつっしょ?」
「そうそれそれ。あーでもなんか似てるんだろうなあ、着ぐるみと。着た時の感触とか。着ぐるみ、着たいなあ」
真耶は真耶で、着ぐるみの仕事が無くなってしまい、それに対する郷愁があるようだ。
と、そこで。
「ひらめいた!」
苗はそう叫ぶと、何やらゴソゴソ始めた。他のメンバーの呼びかけに対しても、
「ごめん、ちょっと手が離せなくなっちった。でも楽しみにしててね、楽しい事になるから」

数日後。
「で、苗さんの言ってた楽しい事ってのが…」
「これ!今まさに日本全土に噴き上がった全ての諸問題に対応出来る万能ソリューション!いやー、こよりちゃんがあのアニメにハマってくれたおかげでひらめいたよ」
あのアニメとは、こよりが前回のオンライン飲み会で自分のふるさと富山がモデルになったと喜んでいたアニメのこと。そして苗と真耶はそのアニメに別の視点で好感を持っていた。
「いつも思ってはいたの。戦うアニメなのにどうしてしないの、頭の保護、って。ファンタジーとかRPGぽいアニメとかだと逆に肌が出てることもあるでしょ?でも実際はあったはずだよ、中世だって兜とか甲冑とか。だからそういう時代をモデルにアニメ作るなら、そういうの無しでモンスターと戦うとか無謀だよ。少なくとも頭は絶対保護しなきゃ」
「真耶いつも言ってるもんなー、それ。でもその点このアニメはナイスだよね。全身ガードしてるじゃん。それにこれなら外出してもほとんど無しだよ、感染リスク。ね?こよりちゃん。感想はどお?大好きなアニメの世界に入ったことのさ」
「は、はい、嬉しいですし、私もカッコいいなって思ってましたけど、まさか自分が着るとは…」
そう。彼女たちはアニメに出てきたパワードスーツを着ているのだ。いわゆるコスプレだ。このアニメは黒部の谷をモデルにした未来基地?で登場人物が危険な任務を遂行する。このアニメの監督は身を守るというパワードスーツあるいはバトルスーツの目的には忠実で、過去の作品でも確実に体を保護するバトルスーツのデザインにこだわってきた。
だからフルフェイスのヘルメット(ただし目鼻口は見えるように透明なフェイスガードになっている)に全身を覆うスーツ、それに胸や手足などを守る強固なプロテクターが付き、肌の露出は一切無し。そのスーツを、真耶、苗、こよりの三人が、着ている。
「苗ちゃんこういうのつくるの得意なのは知ってるし、何度も色々着たけど、初めてじゃない?ここまですごいのは」
「へっへーん。褒められると気分いいなー。形を起こすまでは良かったけど素材は悩んだよねー。まーコストパフォーマンスとこないだ言ってたエコってやつを考えたりして、色々使ったし考えたからね。杏先輩の援助もあったし」
これだけのものになると、さすがに苗一人で作るのは大変なので、杏にダメ元で相談してみたら、
「真耶ちゃんも着るのねー?だったらもう全面協力!グループあげて協力する!」
と快諾どころか前のめりに参加してきてくれた。
医療現場などでフェイスガードの需要が高まっているのでアクリル素材は手に入りにくい。一方で感染拡大防止のため操業時間を短縮するなどで、プラスチック類のリサイクルは滞りがち。そこでスカイウルフホールディングスの中の一社に、杏があるものを発注した。
この会社は再生プラスチックで完全防備の防護服を作り、それを着た従業員がリサイクル作業に安心して従事出来るようにした。これはウィルス以外の菌類や毒物、刃物、また分別中にごみの破片が飛んでくる事故に対しても対応している。
そしてこの地の産業のひとつである観光の方で仕事を失った人々がリサイクルの仕事をすることに活路を見出す。これらの試みがプラスチックの需要とリサイクルを中心とした供給のバランスを立て直していった。他の事業所で処理しきれないプラスチック類がどんどん運び込まれたので、観光業から一時的に移って来た人達もバリバリ働くことができた。
そこに苗からの注文が入った。しかも愛しの真耶ちゃんも着用とあっては張り切らずにはいられない。早速材料を調達し、苗の元に届ける。もちろん杏のポケットマネーだ。そして苗は、昨年台風の高潮で大きな被害を受けた横浜の町工場街へ。杏の会社はこの地域の企業に多大な支援を行なっており、杏の口利きで材料の加工のために台風で生き残った機械類を「商売として」苗が自由に使っていいようにした。つまり機械類の使い方の指導付きで個人がプロの機械を使ってDIYが出来るというわけ。勿論この事業の資金も杏のお財布から出ている。まさに「長者の布施」を実践している頼もしい若き経営者だ。
というわけで完成した三人分のバトルスーツ。例えるなら細身の宇宙服に装甲を沢山くっつけた感じ。白を基調に苗はパープル、真耶はピンク、こよりはオレンジをあしらったデザインは近未来的で格好いいのだが、いかんせん…、
「おもい…」
このスーツ、脱プラスチックの流れに乗って作られたものだけにリサイクル品を多く使っているのだが、その結果(covid19の影響で)売れ残った金属やセラミックを買い取ったものが使われており、質感はリアルな代わりにとにかく重い。しかも、
「動きにくい…」
硬くて重いそれらの素材を支えるためにウェットスーツ、いやドライスーツ並にしっかりしたゴム素材の全身スーツをベースに着ているので、装甲と相まってアニメのような敏捷なアクションなどとても出来そうにない動きにくさとなった。しかも、
「あつい…」
ゴム素材ということは通気性が無いということ。そして全身を包み隠す構造なうえ他にも通気性の悪い素材ばかりを使っているのでとにかく熱がこもる。そしてよりにもよってこの日は危険だと気象庁が呼び掛けるほどの猛暑日予報。朝なのにもう三十度を超えている。しかも経費をケチるところはケチったので、着脱の際にねじ止めしているところもあって、どこかはだけて外の空気を、というわけにもいかない。
苗は、過去にコスプレの趣味に何人もの友を巻き込んだ実績がある。特に真耶はそれがきっかけで、アニメキャラクターの着ぐるみショーに足を踏み入れたようなものだ。それにしても、今回のは余りにも大げさというかスケールでかすぎというか…。
「いやあ、こよりちゃんがこのアニメ気に入ってくれたから、同居記念のプレゼントだよ。これ着てれば、ふるさと富山のことを思い出せて寂しさも和らぐんじゃない?」
なんてことを言っているが、こじつけだと分かって言っているのだろう。実際こよりは、
「アニメの話は現実と別ですよお。とにかく大変ですよー、これ着て街を歩くなんてー」
ヘルメットの中から、こよりの悲鳴とも思える返事が返ってくる。しかし苗は平然と、
「でも、これなら万全っしょ?ウィルス対策。だって飛沫を浴びても肌にはかからないし、空気感染はあるかないか諸説あるけど外気を完封するのが基本構造だし。旅行だって心配ないよ、地方に拡散させる心配も無いしね」
「まあそうですけど…それに、私の帰省しても白い目で見られないようにって配慮も嬉しいですけど…」
とまあ、苗がメリットをアピールしても、暑い重い動きにくいの三重苦に苦しめられているこよりは余り元気が無い。安心して帰省が出来るようにしてくれたのはありがたいのだけど、これで富山まで行くのかと思うと辛いものがある。
でもそれを察した真耶は、
「こよりちゃん、ファイトだよ。この服、着ぐるみさんと同じくらい暑いし重いし動きにくいし、でもだから、いい練習になると思うよ。一緒にがんばろ、ねっ。ほら、オレンジかわいいよ」
真耶がこよりの頭をなでなでして説得すると、何故かこよりは心が落ち着いて来た。そして苗の、
「あのねこよりちゃん、ウチらはこの服に守られてんの。ウィルスが襲って来てもガードしてくれるし。絶対服の中には入って来ないよ、空気も入って来ないけど」
「あ、それなんですけど…」
こよりが恐る恐る言った。
「なんか、空気が薄いような…気のせいだったらいいんですけど…」
「あーごめんごめん、大事なこと教えてなかった。空気はここを押すと入って来るから。背中のタンクから」
こよりが肩のところにあるボタンを押すと、すーっと風が入ってきた。中が暑くて蒸れていたこよりのスーツに涼風が入ってきた。
「ああ、涼しい」
こよりが気持ち良さそうに言う。背負っている四角いケースにはボタン開閉の空気抜きがあり、それが開くことで換気ができる。
「一応フィルター入ってるけど、人のいないところでやってね。でないとウィルス入ってきちゃうから。あと口のトコにストローあるの分かる?それ、背中に入ってるスポーツドリンク飲めるようになってるから」
苗の説明に真耶が感心する。
「すごーい。着たまんまで何でも出来ちゃうんだね。これならバッチリオッケーだよ。こよりちゃん、大手を振って富山帰れるよ?」
元気付けるような表情の真耶。一方こよりは、
「そ、それはさすがにムリです。体力持たないです。空気を入れても暑いですし。それにいまこうやってお出かけしてるのもすでに恥ずかしいんですから」
こよりにとっては人生初のコスプレ。恥ずかしい気持ちはよく分かる。しかも最初からこんな大袈裟なものにトライすることになった。ちなみに千夜子は冗談じゃないと断り、ヒカリは興味ありげだったが連日の猛暑で夏バテが悪化したという。
「いやウチナーより東京の方がでーじ暑いよー。体温より気温が高いってそんなくとぅウチナーには無いよー」
ということで、自宅で静養中。確かに今や東京は沖縄より暑いのが普通になってしまった。何しろ沖縄では元気に花を咲かせる熱帯の花のシンボル、アカバナーことハイビスカスも、東京ではしおれて元気が無くなり、下手をすれば枯れてしまうくらいだ。
結果富山に帰れるという一点でこのスーツに身を包んだこよりだったが、厚さもそうだし、それにだいいち、恥ずかしい。でも苗は、
「顔見えないんだからへーきじゃん。アニメの設定では目が透けてるんだけど、さすがに顔いきなりぜんぶ出すのは酷だと思ったから自重して目が外から見えないようにしたんだけどなー」
真耶もアシストする。
「こよりちゃん、さっきも言ったけど、着ぐるみさんを着てるつもりでやってみるといいよ。そうすればだんだん楽しくなるから。そう、あなたは今こよりちゃんじゃないんだよ。アニメの中から出てきたんだよ」
「あっそうか、そうですよね。私はアニメの国からやってきた!さあ、獲物はどこだ!」
次第に乗ってきたこより。三人の間に明るい雰囲気が戻って来たのにつられたのか、
「あー、あれなんかカッコいい!」
と、子ども達が寄ってきた。着ぐるみの中の人本能が即座に反応した真耶だったが、すぐ冷静になり、
「あのさ苗ちゃん、この服ってベタベタ触ったらウィルスとか付かない?」
と心配する。でもそこは苗と杏のコンビがぬかるわけは無い。
「一応抗菌素材にはなってるけど、抗菌とか除菌ってあんまし当てになんない基準だからね。それより確実なのは、これ」
作中で使われる大きなレーザーガン。これがなんと、
「はい触る前に消毒するよー」
と言って、真耶にアルコール消毒液を噴霧した。
「毎回これやっとけば、子どもたちに移る心配も無いっしょ」
と言って、互いに消毒をし合った上で子どもたちと触れ合うことにした。さらに、
「あ、あとこれ着てね」
と、子どもたちにビニールのレインコートを渡す。ちゃんと着ると子どもたちの顔に大きなフェイスガードが垂れ下がり、手袋もついているので直接手などがスーツには触れない。これも消毒して再利用することが可能だが、カラフルなコートに子どもたち、特に女子は興味津々。
「気に入ったらあげるよ。使い方よく読んでね」
苗たちの背中のケースはこれも仕込まれていた。薄手なので相当な量が入る。それにこれを持って帰って活用してくれたらそれもまた社会的な感染予防になる。
こうして楽しい時間を過ごした彼女たちは一路富山へ。ところが、
「新幹線で空気入れちゃいけないんですか?」 
「いや今までの電車もそうだったっしょ。駅で止まったら外で入れればいいよ」
折角の冷房だが、外気完全遮断している三人はその恩恵に恵まれない。運悪く自由席が混んでいるところに当たってしまって、三人席を確保できたはいいが、満席とまで行かなくとも周りに乗客がかなりいる状態だった。
「でも、暑いですよお…」
「しょうがないなあ、じゃあこれ、ポチっとな」
苗がこよりの背中に付いているボタンを押すと、ヘルメットの額のあたりから冷水が噴き出した。
「うわー気持ちいい!って、なんで早くくれないんですかっ?」
珍しくこよりが強めな言葉を発した。まあ暑さのせいなので仕方ない。苗は動じずに答える。
「あー、これ用の水少ないんよ。スポーツドリンクで場所多く取ってるから。それに空気がたまる場所も確保しないとダメだしね」
「あ、そ、そうなんですか…。実際、これ以上重くなったら大変…」
こよりは渋々納得せざるを得なかった。それ以外にも氷まくらとか冷感スプレーとか色々な仕掛けを組み込んだのだが、ことごとくあったまりきってしまった。それでも、ウィルスを侵入させるわけにはいかないという、意地のレベルに達していた。と、その時。
「あ、駅着くよ。空気空気、でないと窒息しちゃうから」
「え、ええっ?」
慌ててホームに降りて人のいない空間から空気を入れる。北陸行きの新幹線は日本の夏の天然サウナ、埼玉を通る。その埼玉の熱気がスーツの中に容赦なく入ってくる。
「あ、あっついー」
でもこれを我慢しないとスーツの中の酸素が無くなって酸欠になる。仕方がないのだ。
というわけで、富山に向かう三人。このバトルスーツが対ウィルス用として有効だという事を証明する使命…には燃えているのかどうだか、ともかく夏は熱中症も怖いので、背中のドリンクはガンガン飲んで、としか言えないのであった。

「ところで、私に付き合って富山まできてくれるなんて、有難いですけど申し訳ないです」
「こよりちゃん、甘いよ甘い。苗ちゃんは優しい子だから、こよりちゃんがウィルスの運搬者にならないで帰省できるように、って気持ちは本物。でもね、それはそれとして自分が楽しそうと思ったことがあったら並行してでもやり抜く子だから。こよりちゃん、よーく見て、きっぷ」
苗が、任せといて、複数で行動すればそれだけ感染リスクは高まるんだから、と言って買ってきた新幹線のきっぷ。よく見ると、
「富山駅までじゃない!」
そう、富山駅より手前の駅までのきっぷしか苗は買ってこなかった。なぜなら、
「無いっしょ?やったこと」
「なんの、ですか?」
唖然としてやっとのことで答えるこより。何のことかさっぱり分からない。と。
「聖地巡礼、でしょ?」
真耶が即答する。なるほどそのアニメの服装でお揃いになれば、そのアニメの舞台を訪問したくもなるものだ。アニメにどっぷり浸かった者なら。
「ま、まさか峡谷を遡ったりしないですよね…」
こよりが恐る恐る聞くが、さすがに、
「それは無い無い。それこそ本格登山になるでしょそれ」
だから、と苗は言う。
「せめて行けるところまで行こうよ。トロッコ列車の終点」
ああ、そういうことなんだ。苗の行動派オタクぶりを見せつけられたこよりだった。
「さあ、聖地巡礼仲間はいるかなー」
と、ルンルン気分の苗。旅好き自然好きの真耶もニコニコしている。そんな二人を見ていると、こよりも安心してきた。
一行はトロッコ列車で黒部の谷を楽しんだあとぐるっとアルプスを迂回してこよりの実家を訪れる。そのままゆっくりしたいところだろうが、ウィルスにケガレた東京からやって来た一行はそのまま立山方面へ。あそるへよりはしばらく実家で過ごし、感染防止のためそのまま立山に向かう。行ける所まで行って一泊、立山黒部アルペンルートを縦断して信州側に出て木崎湖のほとりの宿で一泊、真耶と苗は夏祭りのために木花村に帰りたいところだが、こより一人をこの格好で帰らせるのも可哀想なのでいったん東京に戻り、二人で木花村に向かう事になった。
ちなみに後日、二人がこよりの着ていたスーツを花耶へのお土産としで村に経ったあと、タワーマンションのお留守番はこよりの役目だったが、何度もスーツを着ては姿見を見てニヤニヤしたり、果ては一日それで過ごしていたのは秘密の話だ。

宗教上の理由・緊急外伝・真耶とコロナと神様と

とにかく勢いで書きました、おかしな文章になってるところもありますが、おいおい直していくつもりです。とにかく一刻も早く書きたかったんです。

宗教上の理由・緊急外伝・真耶とコロナと神様と

covid19に翻弄される現実世界。儀間は創作の世界も社会を反映してよいと考えております。正直いまの日本はコロナウィルスに振り回され、政治家も、それを選ぶ国民もパニックに陥って正常な判断ができていないと思っています。では架空の村、木花村はcovid19にどう向かい合っているのか、ちょっとのぞき見してみようと思います。 なお、社会状況に応じて随時書き足していきます。リアルタイムノベルとでも言うんでしょうか。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-03

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 序章
  2. 7月5日午前更新
  3. 7月6日午前
  4. 7月6日夜(7月7日朝更新)
  5. 「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(7月8日午後更新)
  6. 7月7日昼(7月9日夜更新)
  7. 7月11日深夜更新
  8. 7月中旬某日夕方(7月15日昼更新)
  9. 7月中旬某日夕方・続(7月20日昼更新)
  10. 「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(3)ならびに7月後半某日
  11. 「あえて今」厳戒体制下にある木花村に行ってきた(4)
  12. 7月末、そして8月