具える

mute


 鑑賞の目に晒される絵画作品は、作者が納得した一つの形である。言い換えれば、作者が描きたかった意思の形である。
 抽象画も同じである。ただ、用いられる表現が不定形であり、明確でないため、鑑賞者において作者が表したいことをすぐに把握できない。勿論、抽象的表現の狙いはそこにあり、表現を構成する要素を可能な限り単純化し、獲得できた余りある自由を駆使し、「表現」の核心を目指して作者が描き、納得して筆を置いた作品は既存の評価の枠組みに囚われない自由を内包している。かかる自由は鑑賞者にも与えられている。沈思黙考するように、鑑賞者は多種多様な個人的解釈を行える。その当否は二の次、三の次である。このように抽象画に関わる作者と鑑賞者が自由を謳歌し、既存の絵画が並ぶ地平から浮かび上がり、絵画が有する新たな表現を目指し進んで行く。その運動には十分な意味がある。
 ただ一方で、少し寂しい気持ちにもなる。絵画鑑賞の楽しさの一つには作者の目を通して「世界」の多面を知るというものがあると考える。小林秀雄がセザンヌについて記した評論には、静物画を例にとり、作者の目の鋭さのついて万感の思いが込められた称賛が書かれていたと記憶する。視点、という冷静さが響き渡るような意味合いを超えて、滲み出た作者の種々の感情が溶けて結実したような「世界」の質感が、絵には表れる。絵にある要素から、鑑賞者が勝手に読み取り、思い込んだものともいえるであろうその感想は、正しくあろうがなかろうが、表現物を介して行われた交流と表現できる。こういう見え方があるという指摘に、内心で湧き出す好奇心に鑑賞者が驚き、鋭さに剥がされる本音に鑑賞者が同意し、または反発する。情報化による認識の統一という意識の機能で生まれる個々の「世界」に加わる作品のフィクションが、動悸に合わせて息づく。そういう面白さが確かにある。このことは、抽象画を前にしても同様である。しかしながら、上述したように抽象画に対しては作者の表現、鑑賞者の解釈がどこまでも自由に行える。両者の姿が見えず、一切の交差を不要とする程に行える。繰り返しになるが、これは抽象画の良さの一つである。けれども、大草原のど真ん中で変わりゆく中空の色を小声で語るように、見当たらない四方の仕切りがときに恋しくなることがある。遠い作者の残響に耳を済ませてしまうことがある。彼方を目指して歩くのは良い。表現の幅はあった方が豊かである。それでも、と漏れる気持ちがある。
 具象に羽ばたく心がある。
 ここで持ち出すからには、氏の作品も抽象的といえる。線で描いたデッサンそのままに完成させられ、その型をもって辛うじて「人である」と分かるものが画面の端っこに描かれ、希薄な意味をもつ。色は漂う気配として他のモチーフに覆い被さり、分離不可能な程に侵食する仕方に目を奪われる。湖面が湛える非現実の光景に目を奪われ、浮かぶカヌーに乗っている、藻から生まれたような虚な人物の姿とカヌーの表面に施された原色との対比には不穏があり、分割されているのに分断されない場面が不審を語る。不明確さが曖昧さの持つ効果を存分に発揮し、意味ありげに投げ込まれたものによる波紋が画面の端を超えて広がっている。それでも、不思議と不安には襲われない。抽象画としての広大で自由な空間があると思えるのに、鑑賞者として無限の彼方に放られている感じがしない。
 抽象的表現の程度が要因でもあるだろう。しかし、それ以上に浮かぶキーワードが「心象」である。写真、ポスター、はたまた映画のワンシーンを目の前にして、氏が描くものには先人が残した構図や技法が用いられる。抽象的表現はその内側で生きている。一枚の中で、具象と抽象を上手いこと使い分けている、という単純な話ではない。前述した色の要素のように、抽象的表現は境界を守りながら、それを犯す。定型性は常に揺らぎ、元に戻ろうとして、戻り切らない。人物が見つめる先の水底のように沈み込んで限りがない。暴力的とも思える抽象が広げる自由は少しも失われていない。
 では、氏の作品にある具象はどうなのだろう。ただの防波堤に役割を任されているだけか。豊かなイメージに茂る森を眺める男が身に付けるベルトのバックルは、男が手を添える裸の木の幹に最低限の質感を与えているように思える。それにより、氏あるいは男が抱くイメージの、少し外に出ることが可能となる。漠とした森の向こうに、鑑賞者が想像の網を投げ込める現実的な対象を思い浮かべられる。また、例に漏れず絵全体の遠近感も、実を摘み取る主人も曖昧であるのに、フォーカスされ過ぎている枝葉に成る実には、「天の恵み」よりは控え目に、しかし確固たる意思をもって表現された喜びがあるように感じる。これにより、画面に広がるイメージに対し、肉体を伴う自分の感情を一滴、一滴と落とし込むことが容易になり、「私」の思いを抱ける。また、色鮮やかでありながら、ひんやりとする触感を失わない材質で造られた道のアーチは、柵の片方を開いて立つ人物達の神秘さや、カーテンめいて揺れる幻想的な景色を画面の外に延ばし、まやかし以上の存在を見出だす根拠となる。あるいは、軽薄とも思えるウェットスーツに身を包む人物が手にする銛は、舟に同席し、謎のベールに包まれた聖人めいた人物とともに見つめる先の真理を予感させるものか。歩く獅子とコラボレーションする施設の存在は、意味の上でも堅く閉ざされた外壁を通して伝わる際立った自由の象徴となっている。
 これら一部を例にとって見ても、氏が表す具象は抽象的表現の容れ物に収まらず、ときには抽象画の自由を収斂し、迷子にならないガイダンスのように見せ、また一方ではその自由を濫用し、絵のイメージを事実のように感じさせて鑑賞者をその中に潜り込ませては、穏やかなあるいは目を回す力強い抽象の流れに送り込む罠のようである。これらの営みが表された氏の心象の内外で行われている。カップのように差し出されては、湯気を立ち上らせ、はたまた香ばしい匂いで誘うその一杯は、氏が用意した具象と抽象で構成される。
 コン、と床に置かれた響きに応じて、この世に生じた拍動に反応する紋様のように生きている一枚。それを覗き込むだけに止めることを、または恐るおそる器ごと手に取ることを、または器を突き返して颯爽と立ち去ることを咎めるものはどこにもない。その意味で、抽象画の自由に似た氏の提供は、氏の心象として描かれた意味を離れない。個人的な意味を失わない。このことは、各々の作品が鑑賞者の目に晒されようと同じである。これに対し、鑑賞者の自由も失われはしない。表された心象は底知れない。先程、潜り込ませると記した。また、心象に対する解釈は、鑑賞者のフィルターを通したその人の心象となる。そこに当否などない。その人自身の内心の有り様である。個人的な自由がどこまでも保たれている。
 懐の広い、抽象的な許し。
 手がかりを見つけたように、そこら中を歩き回れる鑑賞者は目の前の器に惹かれる。器に対して取った位置の対面に居るはずの氏のイメージを勝手に錯覚し、双方が問われ、問う。体温に揺れる湯気が吹かれる動きを、また「私」の世界の匂いを知り、対象と比較する。限りがないからできること、限りがあるから分かることは、氏が描いた世界で噛み合い、支え合う。
 氏の作品には具象を要しないものもある。風景を描く男の姿もまた抽象的な一枚は、しかし水と油のように描かれたものが混ざり合わずに存在し、均衡として画面のバランスを保つ。抽象的表現同士の噛み合いは、運動しながら形を残す。感情豊かな表情のように、鑑賞者の気分に応じる様に。
 高い評価を得ているという評判に納得できる。
 風見鶏みたいなガイドに則って、出会える風景を心待ちにする。具象と抽象に挟まれて、気分はとても大事に思える。必要だから選んだのだろう。表現したい動機に誘われて、歴史が続く石畳の上を歩いて行くようである。習うより慣れろとばかり、暮れる夕陽を見送って、描かれた騎士とともに浮かぶ心許ない光を手がかりに自由を進む。 
 「自分」を見つめて、「他人」を見つめる。羽ばたく前の温かい交流のような経験となった。



 ポエジー、という言葉はあまり使いたくない。
 しかしながら、そう表現するしかない感想を抱くときがある。
 精緻な写実画はその技法のレベルが高いからこそ、技法以外の面でこそ評価してナンボ、というような心理が働きやすいと感じる。現実と見間違うほど精緻に描くことは、絵画が目指すべき頂きの一つであったろう。しかし、そのレベルが相当に高く、しかもスマホなどで撮影を手軽に行える日常を思うと、写実が精緻であるのは最低限であり、それ以上のものを絵を見るときに期待するのかもしれない。
 写真と見間違うほどに精緻であればあるほど、そちらに目を奪われる。それだけに、そこで十分に満足できる。それ以上の感想、と今こうして記してみても、容易に想像できない。だからこそ、それ以上の感想を抱いた作品を目にしたとき、安易に「ポエジー」と括ってしまいたくなる。言語化を図って、もっとその良さに迫りたくなる。欲に駆られる。
 写実に対して、虚構を積み重ねた真実をもって絵を描いたナビ派の主張は、翻って同じ絵である精緻な写実画を評価できないか。不勉強な知識で語りたくなる。
 冷静に、精緻さを超えるものがあると感じた作品を前にして言えることがあるとすれば、完成したと評価した作者の見る目、そのフィルターにあるだろうか。そのフィルターを見ている、と打ち込むことも憚られるぐらい、自らの主観との距離感を計りかねる。「私」というフィルターに混じる雑味の曇りを取り除けているか。自信は無い。
 なのに、こうして語りたい。それぐらい、精緻な写実画に見惚れたのだろう。
 二対の楽器の表裏。置かれた机。暗いとき。輝く木。何ひとつ触れることが出来たと思えない。それら全てを持ち帰った。
 
 
 
 
 
 

 

具える

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  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-03

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