聖者の行進(4-2)

四―二 指先の魔術師

 A吉は商店街のベンチに座っていた。生きていた時の、お気に入りの場所だ。生きていた時は、金がないので遊ぶことができないため、日が一日、座っていた。死んでからも、行き場がないので、知らない間に、足(そう、死んでいるのに足がある)が、商店街に向かっていた。いつものように、ベンチに座り、街行く人を眺めていた。そこに、楽しい音楽が聞えて来た。
「なんだ。あの音は。イベントか」
 A吉は、生きている時、神社仏閣の賽銭泥棒だけでなく、イベントも荒らした。イベントの場合、盗みを働くのではなく、会場の飲食店テントを回っては、試供品等を食べ回った。A吉が何回も、何回もやってくるので、飲食店は、A吉の姿を見ると、味見の商品を隠すようになった。それ程嫌われたが、A吉は人に嫌われるのは別に何とも思わなかった。自分の好きなように行動しているだけで、人が自分をどう思おうとかまわなかった。
 話を戻す。イベント荒らしのA吉だから、笛や太鼓などの音には敏感だった。勝手に足が動いた。

 体が小さく、力もない。そのくせ、口だけは達者で、強がりばかりを言う。
「わしを舐めとったら、承知せんぞ。いつでも、お前ら、やったるで。わしは、何ともないんじゃ。いざとなったら、何するかわからんで」
 これが、A吉の口癖であった。その口癖どおり、百五十センチ、五十キロの体を百八十センチ、体重百キロのように振舞う。だが、そんな彼を行進中の霊たちは誰も相手にしない。反対に、行進の中で、振り回されるA吉だった。キョロキョロと持ち前の癖で物色しているため、足を踏まれることもある。
「痛っ。誰や、わしの足を踏む奴わ」
 もちろん、他人の足は彼の足を通り抜けるので、痛みを感じることはない。生きてきた時の習慣で、足を踏まれると痛いと感じてしまう「パブロフの足」になっているからだ。
 みんなが行進中なのに、A吉が立ち止るため、後ろから来た者の肩が当たる。もちろん、肩は素通りするのだが、生きてきた時の習慣で、肩を押されると体は回ってしまうと信じ込んでいる「パブロフの肩」になっているせいだ。
A吉は「あーれー」と叫びながら、遊園地のコーヒーカップのように、右回転、左回転、時には、宙に放り出され、マット運動の前転、後転、開脚を繰り返しながら、生きていた時と同様に、人生に、他人に、翻弄されながら、
「待っていたあ。わしを置いていかんとってえたあ」と、涙をこぼしながら、最後から着いていく。泣くのがいやなら、さあ、進め。なんと、前向きな姿だ。
だが、そんな姿をすぐに崩すのが彼の遣り方だ。転がりながらも、店舗の前に設置している飲料水などの自動販売機の釣り銭口に手を突っ込んだり、道路に寝そべったりして、硬貨が落ちていないかを確認する。五体倒地だ。なんと、たくましい姿だ。
「くそっ、何もないや」
 A吉は、商店街の右側の自動販売機、左側の自動販売機と、行進に遅れないように、ジグザグで動く。自分の意思で動いているように思えるが、ゲームセンターのピンボールゲーム機のように、他の人にはじかれて飛んでいるだけ。まさしく、彼が生きてきた人生であり、これから死んでいく人生でもある。ああ、なんて、他動的な人生だ。
 A吉は、ふと思う。
「ちょっと待てよ。俺、死んでんだから、何をやってもいいわけだ」
 そういうことについては、頭が回る。ついでに、首を百八十度回し、周囲を見渡す。
「おっ、コンビニだ。ひとつ、試してみるか」
 A吉はコンビニのドアの前に立つ。
「や、奴だ」
 このコンビニは、A吉が万引きして、警察に通報され、捕まった店だ。奴は、この店の店長。
「まだ、俺のこと覚えているかなあ」
 A吉は、少し不安ながらも、コンビニ入ろうとする客の背中に隠れ、続いて入る。
「いらっしゃいませ」
 店長が振り向く。客はドアを開けると、右に直角に曲がった。自分の体が店長の目にさらされた。だが、店長は直ぐにカウンターに目を落とした。何か書き物をしているようだ。
「俺に気がついていない。そうか、俺は死んでいるんだ。生きている人間には、見えないんだ」
 A吉は小躍りする。どんなに派手に動いても、所詮、小粒の小躍りだ。
「それなら、何をやってもいいわけだ」
 A吉はコンビニの一番奥に向かう。酒コーナーだ。
「景気づけに、一杯やるか」
 ガラスケースのドアのレバーを握ろうとする。掴めない。もう一度、掴む。グーになるだけだ。死んでいるのだから、物が掴めないのは当たり前。頭の中はパーのままだ。
「くそっ。それなら、こうしてやる」
怒ったA吉は、直接、ガラスケースの中に、手を突っ込んだ。何にも遮られることなく、缶ビールに手が届こうとした。
「このビールが飲みたかったんだよ」
 生きている間は、金がないから、安い第三、第四、第五の缶ビールばかりを飲んでいた。それも、二、三日に一本だ。今、目の前には、飲みきれないほど、ビール風呂にできるほどの量の缶ビールが、自分のために冷やされている。なんて、嬉しいことだ。死んで極楽に来たんだ。
 A吉は高級缶ビールを掴もうとした。だが、掴んだのは自分の指だけ。いや、自分の指も通りすぎていく。雲を掴むような手。
「なんじゃ、こりゃあ。これじゃあ、死んだ意味がないじゃないか。くそっつ。この店を滅茶苦茶にしてやる」
 A吉は、自分のことは棚に上げて、怒りにまかせ、弁当やパン、お菓子、雑誌などの棚に体ごとぶつかっていくものの、体が通り過ぎるだけ。
「くそっ。こんな体に誰がした。それじゃあ、お前だ」
 A吉は、自分を通報した店長に、カウンター越しに殴りかかる。逆ギレだ。まずは、右手。次に、左手。だが、いずれも空を切るだけ。A吉の怒りだけが空回りしている。
「おどれ」
 大声を上げるものの、相手には聞こえない。カウンターに乗り上がり、レジスターからお金を抜き取ろうとするが、札束どころか、小銭すらもつかめない。
 反対に、襟首を掴まれ、体を持ち上げられた。
「こら、何しているんだ。死んでからも、生きている人間に迷惑をかけちゃ、いかんだろ」
 A吉がぶら下げられたまま、後ろを振り向く。そこには、以前、現役(生きていた時)にお世話(逮捕)になった、刑事がいた。
「ありゃ、デカさんも、この世界に来ていたんですか」
 A吉は身長百五十センチ、デカさんは、身長百八十センチ。確かに、デカい。
「お前の姿を見かけたんで、心配になって、後から追い駆けて来たんだ。ほら、案のじょうだ。やっぱり、こんなことしやがって」
「そりゃ、すいません」
「すいませんじゃないだろ。表に出て、頭でも冷やしていろ!」
 デカの大声とともに、A吉は、店の天井、屋根をすり抜け、行進中の隊列の側に落ちた。
「あたたたたた。死んでも痛いとは、納得がいかないなあ。それにあのデカ、何で、俺の襟首を掴むことができたんだろう」
 座り込んだまま、首をかしげるA吉。A吉は「パブロフの肩」などパブロフ現象にまだ気がついていない。車道には、何万人にも、霊たちが行進している。その車道には、バスやトラックが、何の抵抗もなく霊たち通過し、がんばれ、がんばれと叫びながら、東へ西へ、南へ北へ、と、右往左往しながら走っている。
 ようやく怒りが静まったA吉は座り込んだまま、霊たちの行進を眺めていた。そこに、同じくらいの年齢の、見知らぬおばんが、A吉の手を引き、行進の波に招き入れた。
 おばんの姿は、年齢にそぐわない(年齢に合っているかどうかは、自分が決めるのではなく、他人が決めるのである)ピンクや赤の若々しい(他人から見れば、毒々しい)姿をしている。顔の化粧も濃い。いや、化粧が濃いのを通り過ぎ、都市区画整理で街が新しくなるように、顔面区画整理で、別人として生まれ変わっている。(死んだのに、生まれ変わるとは変だ)。
「あんた、変わんないね」
 おばんは、前を向いて歩きながら、A吉に話し掛ける。
「ほっといてくれ、これまで七十年間もやってきたんだ。今さら変われるわけはないだろう。それに、あんた、なんで、わしのこと知っているんや?」
「ああ、知っているよ。正確には、今、知ったんやけど。あんたの胸に、あんたのこれまでの経歴が映像で流れているんだよ」
 A吉は、思わず胸を見る。だが、何も見えない。反対に、おばんの胸を見る。おばんが、髪を振り乱し、荷物も振り回し、街で徘徊している姿が映し出されていた。
「ほらね。でも、残念なことに、いや、幸運なことに、自分では何も見えないんだよ。人から言われて初めて、気が付くんだ。でも、自分のやって きたことだから、忘れた振りはしていても、本当は、全部覚えているんだけどね。人間は、自分にとって、都合の悪いことは忘れるように、脳に命令しているだけなんじゃないの。いや、脳が命令しているうだけどね」
 A吉は、ばあさんの胸に流れる映像を、目を点にしながら、しかし、瞳だけは眼球の中を転がしながら、見続けている。
 おばんの胸には、おばんがやせぎすの男二人にはがい締めされながら、車に乗り込むシーン、それを振り切って逃げるシーン、自動販売機で缶コーヒーを買うシーン、飲みながら病院の前で座り込むシーンなど、が映し出されていた。
「いやだね、この変態じじい。いつまでもレディの胸を見るもんじゃないよ」
と、言いながら、久しぶりの男の視線を受け、ばあさんもまんざらじゃなさそうな顔をする。女はいつまでたっても、誰かから注目されたいのである。男はそんな女にすぐに注目するのである。
「わしたちの体の中に、ブラウン管があるのかなあ」
「ブラウン管だって?あんたも古いね。今は、液晶の時代だよ」
「じゃあ、その液晶ってのが、体の中にあるのかねえ」
「さあ、その仕組みはわからないけれど、あたしたちが行進していても映像は映るから、たぶん、空の上から、電波が飛んできているんじゃないのかねえ。あたしも、古い人間だから、そのあたり、よくわからないんだけど」
「じー、ばー、じー、って言うやつか」
「それも、言うなら、GPSだろ」
 A吉とおばんは、空を見上げる。
「空には、それぞれの個人の記録が保管されているのかなあ」
「いわゆる、ライブラリーって、やつさ。ほら、雲が流れてきただろ。あの雲があたしたちの記録を保管している移動図書館なんだよ」。
「ほんとうか。それが本当なら、おーい、雲よ。わしの人生を元に戻してくれ」
「そりゃあ、無理だよ。雲は記憶装置だけだよ。自分の人生は自分で切り開かなきゃ」
「GBSだの、ライブラリーだの、難しいなあ。覚えきれないよ」
「そうだね。子どもの頃のことは忘れないくせに、昨日の夕食やさっき食べた弁当のおかずを覚えていないのと一緒さ」
 A吉は、顎に手を遣る。今まで、自分がやってきたことを思い返す。確かに、おばんの言うとおり、十八歳の時、実家のテレビを盗んで質屋に売ったことは、今でも鮮明に覚えているが、コンビニでの万引きや神社・仏閣での賽銭泥棒については、どれがどれだったか、いつがいつだったか、わからなくなっている。いやあ、それは、ただ単に、回数があまりに多すぎて、麻痺しただけなのかもしれない。
「わかるような、わからないような。わし、生きていく自信を亡くしちまったよ」
「生きていくって、あんた、死んだんだよ」
「死んだ?あっ、そうか、わし、死んだんだ」
「そうだよ。あんた、死んだんだよ」
「死んだって、三つ子のたましい、百までって言うじゃねいか」
「難しいこと知っているねえ。でも、百歳までいかなくて、七十歳で死んだんだろ?」
「だから、残り三十年間は、生きていることになるんだよ」
「何、訳のわからないこと言って」
「自動販売機の小銭探しが、わしの生きがいなんだよ。生きがいがなくなれば、死んだも同然だよ」
「だから、あんた死んでんだよ」
「ほっといてくれ」
「ああ、ほっとくよ。でも、行進に遅れて、天国の門に入れなくても知らないからね」
「これは、天国へ行くのかい。わしは宗派が違うよ。それに、わしは、神も仏も、何もかも、信じていないぞ」
「さあ、知らないねえ」
「あんた、今、確かに天国って言ったじゃないか」
「あたしにとっては天国だけど、あんたにとっては地獄かもしれないよ。天国は信じなくてもいいけど、あんた、地獄だけは信用した方がいいみたいだね」
「なんのこっちゃ。でも、わしは今からでも、天国に行けるかなあ」
 急に神妙になるA吉。
「さあ、これからの行いによるんじゃないの」
「わしに何ができるのかなあ。体はちっちゃいし、年はとっているし、技術や資格もないし。人のためになることなんて、何もできやしないよ」
 A吉はおばんの胸を見る。おばんがビニール袋を振り回し、行進に近づいてくる蜂や蚊、蝿、アブを追い払っている姿が映っている。こんなおばんでも人の役に立っているのだ。じゃあ、自分には何が出来るのか。
 おばんはA吉の胸を見る。A吉の人生の映像が繰り返し流れている。
「おっ」
 何かひらめいたのか。おばんが叫んだ。
「あんた。手先が器用なんだね。家のドアの鍵とか金庫の鍵とか開けようとしているんじゃないの」
「喰っていくためには、仕方がないだろ。昔のことは言わないでくれよ。でも、仲間内では、指先の魔術師と崇められたこともあったけどなあ」
 A吉は透明の手で透明の胸を隠そうとしながらも、少し胸を張る。
「その器用な手や指を活かせばいいんだよ」
「また、コソ泥でもやれというのかい?」
「あんたの発想は凝り固まっているねえ。その凝り固まった心をほぐすためにも、行進で疲れた人の、肩や背中、ふともも、ふくらはぎ、アキレス腱、足の裏をマッサージしてあげるんだよ。まだまだ、行進は続きそうだから、みんなから喜ばれるよ」
「俺に、できるかなあ?」
「できるよ。やればできるよ。できなければ、できるまでやるんだよ」
「わかったよ。じゃあ、やってみるよ」
「それじゃあ、あたしから」
 おばんはA吉に背中を向ける。立ち尽くすA吉。
「さあ、早く、やってよ」
「何を?」
「肩だよ。肩。肩を揉むんだよ」
「誰の?」
「あたしんだよ。まずは、目の前の一歩から。あたしが、この貴重な体を提供して、あんたの実験台になってあげるんだよ」
「ええ?」とまどうA吉。
「さ、早くやってよ。あたしも行進し過ぎて、肩が凝っちまっているんだよ」
 A吉は、しぶしぶながら、おばんの肩を揉みだした。もちろん、相手は透明だ。実態があるようでない。揉んでいるようで、揉んでいない。手ごたえがありそうで、手ごたえはない。それにも関わらず、A吉が、おばんの肩と思われる箇所を指で動かすと、おばんは、
「ああ、気持ちいいよ。あんた、さすが筋がいいねえ」と、喜んでいる。「パブロフの肩」現象だ。
 A吉は不思議に思う。死んだはずの自分が、こうして行進していること、意識があること、おばんと話をしていること、全てが不思議だ。だが、おばんの気持ちよさそうな声を聞くと、A吉も何だか嬉しくなってきた。そう、A吉は、今まで、人から誉められることなんかなかったからだ。もちろん、これまで誉められるようなこともしてこなかったけれど。
 A吉は、おばんにいいように言いくるめられたと思いながらも、持ち前の器用な指先を使って、おばんの首や肩、もも、アキレス腱などをマッサージする。同時に、A吉の胸には、器用な指先を使って、金庫を開けようとしている若い頃のA吉の姿が映像として流れていた。おばんの後ろには、行列を離れた人が、自分で肩や腕、足首を回しながら、今か今かと、マッサージの順番を待っていた。

 次々と霊たちが増えていく。日本一長いアーケードといわれる商店街だが、先頭のD夫が後ろを振り返っても、最後尾が見えず、商店街を突き抜けるほどの行列になっていた。行進は、最初、ただ、歩くだけであったが、誰かが歌いだした。

みんなで歌おう
みんな仲間入り
聖者の行進
町にやってきた

誰でも歌える
声を合わせよう
ほら、聖者が来た
町にやってきた

 おかげで、行進にリズムが生まれた。
 

聖者の行進(4-2)

聖者の行進(4-2)

死んだ者たちがかつて生きていた街を行進し、どこかへ向かう物語。四―二 指先の魔術師

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-10

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