【中編】夜のカフェテラス(6) 原稿用紙191枚

【中編】夜のカフェテラス(6) 原稿用紙191枚

完結作品。201911完成。

(6)

 期末テストを迎え、僕は教室で答案用紙に向かっていた。すでに入れ替わりから一週間がすぎていた。教室でテストを受けていた生徒は三十人と少しだった。教室の窓は、夏の強い日差しのためか、外の風景を遮断して生徒をテストに集中させるためか、しっかりとカーテンが引かれていた。おろし立てのテーブルクロスというより、葬儀に使う棺がけを想起させる、染み一つない白くて清潔なカーテンだった。天井照明も点けられていたが、LEDの安っぽい黄色い光より、カーテン越しでも青っぽい自然の明かりの方がやはり強くて、机の上の答案用紙もカーテンと同じ色をしていた。生徒は一様にみんな少し背中を丸めて、机に向かってかりかりと鉛筆を動かしていた。明るく青っぽいカーテンの前に等間隔に並んだクラスメイトは、切り絵の影のように誰も彼も無個性だった。不思議なほど音はしなかった。窓の外から蝉の鳴く声も、子供の泣く声も、ヘリコプターの飛行音も、誰かの咳払いも、何もしなかった。時折、誰かが激しく答案用紙に記入する鉛筆の音だけがわずかに聞こえてきた。
 入れ替わりから、期末テストまで、あっという間に時がすぎてしまった。今でもまだ戸惑うことも多く、知っているようでまだこの世界のことを何も知らない、見慣れているはずの新たな環境に、まだ慣れていない。それでも大きなトラブルはなかったし、逆に状況が大きく進展するような出来事もなかった。それを考えると僕はこの世界に溶け込めているといっていいのかもしれない。少なくとも、いまだ僕は父さんのいるこちらの世界で、誰かに疑われることもなく、ボクのままでいることができていた。こちらの世界のボクでありたいという緊張感と、テスト期間中という学生としての緊張感とが相まって、実はこの一週間をどうすごしたのかをあまり覚えていない。おかしなことは何もしていないはずだし、考えてみれば勉強ばかりしていた気もする。
 おかげで期末テストの手応えはよかったと思う。特別に優れているということはないが、赤点をとったり補習を求められたりということはなさそうだった。おそらくあと少しで平均か、そのもう少し下くらいの点数はとれているのではないかと思う。少なくとも通常の僕よりは少しいいはずだ。それはこちらの世界でとられていたノートのおかげで、効率よく学習を進められたのもあったが、それ以上にこちらの世界での、家族の目を気にして、普段より勉強に励んだ成果が出たのだと思う。前の世界ではそんなに勉強熱心ではなかった。こちらの世界のボクに合わせようとした時に、そうしないとどうやら不自然らしいから、そうしたまでの話だ。
 周囲が求めるこちらの世界での、ボクの人間像をなるべく肌で感じ取って、なるべく僕はその人間像に沿って行動することに努めていた。こちらの世界でこちらのボクがすごしていた生活パターンを、周囲の反応から学び、入れ替わり以前のボクだったらとらない行動はなるべく控えて、周囲を安心させるように努めた。もちろんその行動は早くこちらの世界の、この新たな環境に溶け込んでしまいたいという目的意識もあったが、それよりも、考えるまでもなく自然と周囲の期待に応えようという、潜在的な心理が働いていた面の方が強かった。結局、抗えないのだ。僕が僕であることより、本来はここにいたはずのボクをどうしても意識してしまうのだ。どこか僕はこの人生に対して借り物という意識を強めていた。僕は僕のために生きているはずなのに、どうしても僕はそういう気になれなかった。
 ただ一つだけ、父さんに対して持っていた想いだけは、確固として紛れもなく僕一人だけのものだった。それは誰に合わせる必要もなく、父さんに会ったことで強く意識され、そして場合によってはこちらの世界にやってきた僕の支えでもあった。いや、もしかしたら、それは元いたあちらの世界でも同様だったのかもしれない。こうして父さんに会うまで、前の世界ではその想いを、どこに向けて放てばいいのかさえ分からずに、ただひそかに、大事に、扱い方も分からず、時に突き動かされながら、それを抱えて生きていたのだ。その事実を、僕はテスト開けに部活へ出て初めて、明確に知らされたのだ。

【中編】夜のカフェテラス(6) 原稿用紙191枚

(7)へつづく

【中編】夜のカフェテラス(6) 原稿用紙191枚

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-02

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