シロヒメとシロヒメのお兄ちゃんたちなんだしっ❤
Ⅰ
「はーくーばー、なぜなくの~♪ はくばはしーまーにー、とーってもかーわーいーいシロヒメがいるからよ~♪」
「白姫(しろひめ)……」
脱力する。
ちょっぴり切ないメロディながら、その中身は相変わらず白馬の白姫らしいとしか言いようのない歌だった。
「シロヒメにはお兄ちゃんが必要だし」
「え?」
歌に続く唐突な発言にアリス・クリーヴランドは目を丸くする。
「えーと……」
返す言葉を見つけられない。
「お兄ちゃん……ですか」
「そうだし」
「えー……と……」
ますます困惑しながら、
「いるんですか」
「ぷりゅ?」
白姫が首をひねる。
「何がだし」
「だから、その……お兄ちゃんが」
「わけわかんねーしー」
やれやれと言いたそうにため息をつく。
「シロヒメにはお兄ちゃんが必要なんだし」
「それは聞きましたよ」
「必要ということは、いまいないということなんだし」
「はあ……」
それは、まあ、そういうことにはなるのだろうが。
「えっと……」
早くも見失いそうな自分を感じつつ、
「なんでですか」
「お兄ちゃんだからだし」
「だから、なんでお兄ちゃんなんですか」
「アホだしー」
「アホじゃないです」
そこはどうあっても否定する。
「シロヒメが妹なんだから、お兄ちゃんはお兄ちゃんになるに決まってんだし」
「『なんでお兄ちゃんって呼ばれるか』を聞いてるんじゃないですよ」
「じゃあ、何を聞いてんだし」
「何をって……」
本当に見失いそうになってしまう。
「最初から質問していいですか」
「アホだしー」
「アホじゃないです」
とにかく、このままではこんがらがるばかりだ。
「どうしてお兄ちゃんが必要という話になるんですか」
「ひつよーだからだし」
「だから、その理由を……」
「わかりきってんだし」
ぷりゅ。鼻を鳴らして、
「シロヒメはかわいいんだし」
「はあ……」
「なんか文句あるし?」
「な、ないですけど……」
「シロヒメはかわいいし。ということは当然かわいがられるし」
「はあ……」
確かに白姫はかわいがられている。
(……というか甘やかされているんですけど)
誰がそうしているかははっきりしている。
花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)――白姫の主人であり、従騎士のアリスが仕える騎士でもある少年だ。
そのせいと言うべきか、白姫はこれまでの言動からもわかるようにかなりわがままな性格になってしまっている。
「そこでお兄ちゃんなんだし」
「えっ」
急に話が飛んでしまい、アリスはあわてて、
「ど、どうして、そこでお兄ちゃんなんですか」
「アホ――」
「アホじゃないです」
先んじて悪口を止め、
「だって、わからないですよ。白姫には葉太郎様がいるじゃないですか」
「いるし」
ぷりゅ。うなずく。
「ヨウタローはとってもシロヒメをかわいがってくれるし」
「ですよね……」
「だから、お兄ちゃんが必要なんだし」
「白姫の『だから』はつながりませんよ」
たまらず言ってしまう。
「葉太郎様がいるなら、お兄ちゃんはいらないじゃないですか」
「なんてことを言うし」
ぷりゅ。白姫は鼻息を荒くし、
「シロヒメのお兄ちゃんなんていらないって言うんだし」
「そういうことを言ってませんよ。そもそも、いないんですから……」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「きゃあっ」
またも蹴り飛ばされたアリスに向かい、
「なに、いないって決めつけてるし」
「白姫ですよ『いない』って言ったのは!」
「うっかりミスだし」
「そういうことを『うっかりミス』しませんよ!」
「うっかりキックだし」
「しないでください、うっかりでキックを!」
「とにかく!」
白姫は強引に、
「シロヒメにお兄ちゃんがいないとは限らないんだし」
「はあ……」
「そして、シロヒメはかわいいんだし」
話がまたそこに戻り、
「お兄ちゃんなら、かわいい妹をかわいがらないわけないんだし」
「そうですか……」
「そうなんだし。というわけでお兄ちゃんなんだし」
当然だという顔で結論付ける。ようやく言いたいことが見えてきたように思えたアリスだったが、
「それで……白姫はどうしたいんですか」
「だから、お兄ちゃんだし」
「いや、それはわかりましたけど……」
「わかったら、さっさと行くし」
「え?」
「『え?』じゃねーし。ほら、行くし」
「い、行くってどこへですか」
「使えねーしー」
白姫はあきれきった目で、
「なんのためにシロヒメがいろいろ言って聞かせたと思ってんだし。アホなアリスに」
「アホじゃないです」
「お兄ちゃんのところだし」
「は?」
「ここにつれてくるし。お兄ちゃんを」
「えっ……あ、あの……」
何を命令されているのかなんとなく理解し始めるアリスだったが、
「む、無理で……」
「なにが無理だし。シロヒメが会いたがってるって聞いたら絶対来てくれるんだし。かわいい妹のために」
「だって……いないんですよね?」
「いないとは限らないって言ってるし」
「それだけじゃ探しようがないですよ!」
思わず大声をあげてしまう。しかし、白姫は引かず、
「探してくるし」
「だから、無理です!」
「シロヒメ、かんどーの再会をやりたいんだし」
「感動の再会!?」
「『えっ、シロヒメにお兄ちゃん、いたんだし!?』『さびしい思いをさせたね、白姫』『お兄ちゃん!』『白姫!』――ひしっ! って」
「ただの自作自演ですよ、それは! とにかく無理です!」
「無理でも行くんだしーっ!」
パカーーーン!
「きゃあっ」
結局――アリスは泣く泣く出かけていく他なかった。
Ⅱ
「と言っても……」
無理だ。やはりどう考えても。
いるのかいないのかもわからない『お兄ちゃん』を探し出せるはずがない。
「本当に白姫はわがままなんですから」
いまさらながらに泣きたくなってしまう。
「葉太郎様に甘やかされてしまったせいで……」
と、アリスははっとなる。
「葉太郎様……」
そうだ、葉太郎だ。
生まれたときから白姫を知る彼なら、もしかしたら兄弟に心当たりがあるかもしれない。
「でも……」
なんと言って聞けばいいのだろう。
白姫がお兄ちゃんをほしがっているなんてことを知ったら――
「葉太郎様……傷つくかも」
それこそ、実の兄のようにして白姫をかわいがってきた葉太郎なのだ。
「ええと、他に知っていそうなのは……」
思い当たった。
「ううう……」
とたんにふるえあがってしまう。
朱藤依子(すどう・よりこ)。
幼いころから葉太郎の面倒を見て、騎士として一人前に育て上げた女性。
彼女もまた白姫を生まれたときから知っている。
しかし、
「き、聞けませんよ。自分がふざけているなんて思われてしまったら……」
お仕置き――
頭をよぎったその単語がさらにアリスをふるえあがらせる。とにかく、依子は誰からも恐れられている厳しい大人なのだ。
「だったら、もう一体どうしたら」
そのときだった。
「なに、ふるえてるの?」
「きゃあっ」
不意に。気配もなく背後にいたのは、
「ユ、ユイフォン! おどろかさないでください!」
「う?」
なぜ怒鳴られたのかわからないというようにユイフォン――何玉鳳(ホー・ユイフォン)が首をかしげる。
「アリス、ふるえてた」
「それはそうですけど……」
「なんで?」
「………………」
なんと説明すればいいのだろう。
「あ、あのですね」
じっと見つめられ続けるのに耐えきれず、
「えっと、自分、探し物をしてまして」
「探し物?」
「はい……」
探すあてのまったくない探し物なのだが。
「どこにあるの?」
「いや、わからないから探してるんですけど」
「う。アリス、あほ」
「アホじゃないです」
そこは何があっても否定する。
「わからないなら、聞けばいい」
「それは、そうなんですけど……」
「けど?」
「うう……」
やはりどう説明すればいいのかわからないでいると、
「わかった」
「えっ」
「探す」
ぽん。薄い自分の胸を叩き、
「ユイフォンも探す」
「えっ、で、でも……」
正直、手伝われると逆に困ってしまうのだが。
「探す」
こちらの戸惑いにまったく気づかず、ユイフォンはやる気をにじませ、
「媽媽(マーマ)に言われた」
「えっ」
媽媽――彼女に〝母親〟として慕われている六歳の少女、鬼堂院真緒(きどういん・まきお)の顔が思い浮かぶ。
「真緒ちゃんに何を言われたんですか」
「媽媽、言ってた」
ユイフォンは心もち得意げに、
「困ってる人を見たら助けないといけないって。さすがユイフォンの媽媽」
「それは……真緒ちゃんらしいですね」
「う」
誇らしげにうなずく。
「だから、手伝う」
「あの、その、気持ちはうれしいんですけど」
そこでアリスははっとなる。
「真緒ちゃん……」
「う?」
「あの」
アリスはユイフォンを見て、
「真緒ちゃんのこと、どう思います」
「うー」
ユイフォンの眉間にしわが寄る。
「どういうこと」
「あ、変な意味ではなくて」
「どういう意味」
「えーと、だからですね……」
あたふたしつつ、
「いいと思うんです」
「う?」
「真緒ちゃんと……ユイフォンみたいな関係」
「うー」
ほめられたと思ったのか、ユイフォンの頬が赤らむ。
「いい?」
「はい」
「ユイフォンと媽媽、いい?」
「い、いいと思いますよ」
「うー」
ますますうれしそうに顔をほころばせるユイフォン。
そんな彼女を見て、アリスは確信を深める。
(そうです、これですよ……)
そう――〝本当の〟兄を探すのは無理でも、お互いを思い合うような〝兄と妹〟の関係は作れるはずなのだ。
(でも……)
そこで、あらためてアリスは迷い出す。
白姫のお兄ちゃん――
それにふさわしい相手とは、いったい誰なのだろうか。
「はぁ」
アイデアは悪くなかった。そう思いたい。
「そもそも自分って、あまり馬の知り合いはいないんですよね……」
馬そのものはいくらでも見つけることはできる。いまアリスたちが暮らしている場所は〝騎士の学園〟サン・ジェラール学園のある島なのだから。
「知っている馬にだって、なんて言って相談したら……」
「馬? 相談?」
「あ……」
思い出す。大丈夫だと何度も言ったのだが、あれから結局ユイフォンがついてきてしまっていたことを。
「えーとですね……」
そのまま言っては混乱すると思い、
「その……白姫を甘やかしてくれるような、そんな優しい馬はいないかと」
「えー、なになにそれー?」
「きゃあっ」
またも気配なく背後に立たれ、アリスは再び跳び上がる。
「き、桐風(きりかぜ)じゃないですか!」
「ぷりゅ❤」
それは数少ない馬の知り合いである青鹿毛の少女・桐風だった。
「ねーねー、何かおもしろそうな話してたけどー」
「それは……」
親しく話しかけてくる桐風に口ごもるアリス。
が、すぐにこれはいい機会だと気づく。
「あの、ちょっといいですか」
「ぷりゅ?」
「えーと……」
言葉を選びつつ、
「その……カッコよくて頼りになるような男性を知りませんか?」
「えー❤」
とたんに桐風の目が輝き、
「ぷりゅぷりゅー❤ アリスちゃんも女の子だねー❤」
「えっ」
「カレシを紹介してほしいんでしょー? カッコイイ男子とお知り合いになりたいなんてー」
「ちっ、違いますよ!」
アリスがあわてるも、桐風はにやにや笑いのまま、
「もー、いーよいーよ、わかってるからー」
「だから、違います! 従騎士の身で、そんな、彼氏なんて……」
と、そこであることに気づく。
「あの、桐風、さっき自分が言ってたこと聞いてましたよね? 『白姫を甘やかしてくれるような馬はいないか』って」
「ぷりゅ」
「だったら、白姫のことってわかってるはずじゃないですか!」
怒って声を張り上げるも、
「おー、アリスちゃんにしてはするどーい」
「からかわないでくださいっ」
「それにしても、白姫ちゃんのカレシになってくれそうな相手かー」
「あ、いえ、彼氏というわけじゃなくて、なんというか……お兄さんみたいに優しくしてもらいたいんですが」
「お兄さんみたいに?」
「はい」
「ふーん……」
それ以上は深く聞くことなく、桐風は何か考え始める。
と、あっさり、
「いるよ」
「えっ!」
思わず身を乗り出し、
「い、いるんですか!? だったら、その、紹介してもらっても」
「いいよー」
またもあっさりうなずかれる。
「よかった……」
ほっと力が抜ける。
これでひとまず、誰もつれて帰れずに、怒った白姫からパカーンされるという最悪の展開は避けられそうだ。
「ありがとうございます、桐風」
「いいよ、いいよー」
このとき――
にこやかすぎる桐風の笑顔の意味をアリスはもうすこし考えてみるべきだった。
Ⅲ
絶句した。
「えー……と……」
何をどう言っていいかわからないでいると、
「アリスちゃん!」
彼女――鏑木錦(かぶらぎ・にしき)は、ほんのすこし前の桐風をはるかに上回る目のキラキラを見せ、
「聞いたよ! ぼくにお兄ちゃんになってほしいんだって!?」
「いえ、その……」
笑顔の圧に押されつつ、アリスは錦をつれてきた桐風の耳もとに口を寄せ、
「どうなってるんですか、桐風!」
「えー、条件ぴったりだと思うけどー」
桐風はしれっと、
「錦ちゃん、カッコイイでしょー。あと頼りにもなるしー」
「それは……そうですけど」
そもそも大きな問題がある。
「錦さんは女の人じゃないですか!」
「そうだよ」
「いや、白姫がほしいのはお兄ちゃんで」
「大丈夫、大丈夫」
まったく問題ないという顔で、
「ほら、錦ちゃん、女の子にモテモテだし。そこらへんの男子よりぜんぜん美少年だし」
「それは、その通りなんですけど……」
事実、桐風の主人である錦は背も高く髪も短めで、確かにさわやかな美男子という顔立ちをしている。
しかし、性別以上に問題は――
「もー、なに、桐風とナイショ話してるの!」
「きゃあっ」
不意に顔を寄せられ、驚きの声をあげてしまうアリス。
と、錦が大きく両手を広げる。
「さあ!」
「……え?」
「飛びこんできて! お兄ちゃんの胸に!」
「あ、あの……」
またもカン違いが発生しているとすかさず察し、
「と……飛びこめませんよ!」
「そうだよ、錦ちゃん」
思いがけず桐風が加勢してくれる。
「だって……」
そのまま真剣な顔で、
「錦ちゃん、かなり胸大きいから! 〝お兄ちゃんの〟胸じゃないから!」
「だあっ!」
たまらず倒れこむ。
「そうだよね……ぼくの胸が大きいせいで」
「って、本気でショックを受けないでください!」
長身を折り曲げるようにして落ちこむ錦にあわてて、
「自分じゃないんです!」
「えっ」
「その……お兄ちゃんがほしいのは白姫で」
そう、求められているのは白姫の――馬である彼女の兄になってくれる相手なのだ。
「だから、その、錦さんでは」
「わかった」
錦は静かにうなずき、
「いいよ」
「そ、そうですか? わかっていただけて本当に……」
「行こう」
「えっ」
「白姫ちゃんのところに」
「あ、いえ、自分はそういうことは」
「大丈夫!」
こちらを元気づけようとするように錦が肩を叩き、
「ぼく、いいから!」
「いいって、その、それはどういう『いい』で」
「いいよ!」
「だから、なんの『いい』なのか説明してください!」
結局――
「錦さぁぁーーーん!」
桐風に乗って駆け出す錦をアリスはあたふたと追いかけるしかなかった。
「白姫ちゃんは桐風の友だちだもんね。ご主人様としてちゃんと期待に応えないと」
「はあ……」
なんとか追いつけたアリスだったが、もともと思いこみの強い錦にこちらの言いたいことはほとんど伝わってないようだった。
「でも、その……」
それでもアリスは辛抱強く、
「お兄ちゃんがほしいのは白姫なんですから、やっぱり錦さんだとちょっと」
「努力する。白姫ちゃんのお兄ちゃんにふさわしいように」
「あの、だから……」
「ねーねー、それって錦ちゃんが人間だからだめって言ってる?」
そこへ口をはさんできたのは桐風だ。
「う……」
アリスの言いたいことはまさにそれなのだが、あまりにストレートに指摘されて口ごもってしまう。
「だ、だって……」
「あのね、アリスちゃん」
桐風はこちらを諭すように、
「白姫ちゃんのお兄ちゃんであるのに、馬か馬じゃないかってそんなに大事?」
「それは……」
大事なはずだ。普通は。
「ほら、白姫ちゃんって普通じゃないし」
「う……」
こちらの心を読んだかのように桐風が言う。こういうところでずばりと切りこんでくるところが彼女にはある。
「だから、錦ちゃんでOKって可能性もあるわけじゃない」
「そうでしょうか」
「そうかもってこと」
軽く。桐風が言う。
「まー、錦ちゃんはやる気なわけだし」
「もちろん!」
錦は目に炎を燃やす勢いで、
「ぼく、葉くんがうらやましかったんだ」
「えっ?」
葉くん――葉太郎のことがなぜここで出てくるのかと。
「ほら、葉くんにはアリスちゃんがいるでしょ」
「えっ……!」
今度は自分の名前が出てきて、アリスは目を丸くする。
「葉くんとアリスちゃん、本当の兄妹みたいにとっても仲良しだから」
「そ、そんなことは……」
謙遜しつつ、頬が熱くなる。確かに、葉太郎は自分が従騎士になったときからずっと優しくしてくれた。
「ぼくもほしいと思ってたんだ。アリスちゃんみたいな妹が」
「そんな……」
「まかせて」
あらためて。錦が言う。
「ぼく、白姫ちゃんの立派なお兄ちゃんになってみせるから」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
ヒヅメ音高く錦の身体が蹴り飛ばされた。
「ああ……」
やっぱり、こんなことになってしまった――
「なにが、お兄ちゃんだし。気持ち悪いこと言ってんじゃねーし」
「うう……」
「白姫!」
さすがにアリスは抗議する。
「白姫じゃないですか『お兄ちゃんがほしい』って言ったのは!」
「言ったし」
だからどうしたというように白姫がうなずく。
「だったら、なんで錦さんを蹴るんですか!」
「大丈夫だよー、アリスちゃん」
そこに桐風が口を開く。
「錦ちゃん、頑丈だから。健康優良児だから」
「そういうことを言ってるんじゃないです!」
「そ、そうだよ……」
倒れていた錦がよろよろと立ち上がり、
「ぼく、白姫ちゃんの期待に応えないと」
「いえ、あの」
期待されるされない以前の問題なのだが。
「まー、こんなことになる気はしてたけどー」
「してたら止めてください!」
のんきに言う桐風に、またも声を張り上げてしまう。
「さあ、白姫ちゃん!」
アリスにそうしたように錦は両手を大きく広げてみせ、
「お兄ちゃんの胸に……」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「ぐふっ! お、お兄ちゃんの……」
「ぷりゅーっ、ぷりゅーっ」
パカーーーン! パカーーーン!
「ぐふぅっ! お兄……ちゃんの……」
「もうやめてください! 死んじゃいますよ!」
たまらず錦を止める。
「白姫もいいかげんにしてください! どうしてこんなひどいことをするんですか!」
「ひどいのはそっちだし」
白姫は不機嫌さむき出しで、
「なんで、シロヒメのお兄ちゃんがニシキになっちゃうんだし」
「だって……錦さん、カッコイイですし頼りになりますし」
「そんなのカンケーねーし!」
鼻息荒く、
「シロヒメ、ニシキ嫌いだし!」
「ええっ!?」
「ニシキ、ヨウタローになれなれしいんだし。だから、嫌いなんだし」
「あ……」
そうだった。
錦は幼いころの葉太郎を知っていて、そのときから好意を持っていたらしい。彼女の気持ちのあらわれ方は素直で隠すようなところがないためアリスは自然に受け入れていたが、葉太郎の馬である白姫としてはおもしろいはずがないのだ。
「まーまー、でも、お兄ちゃんになれば好きになるんじゃない?」
「だから、その『お兄ちゃん』になってほしくないんだし!」
桐風の言葉にも取りつく島がない。
「うーん、せっかく錦ちゃんと白姫ちゃんが仲良くなれるチャンスだと思ったのに」
「あの、桐風、ひょっとして最初からそういう思惑で」
「いくらキリカゼのご主人様でも無理なんだし。キリカゼは友だちだけど」
「ぷりゅ❤」
「桐風の友だちだからこそ!」
錦は尽きることのないと思えるやる気をみなぎらせ、
「ご主人様のぼくも白姫ちゃんと仲良く――」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「だから暴力はやめてください、白姫――――っ!」
「ごめんなさい、錦さん……」
「ううん。嫌われちゃったぼくが悪いんだから」
本当に気にしていないというさわやかな笑顔で錦が言う。その顔にくっきり刻まれたヒヅメのあとが痛々しかった。
「ぼくのほうこそごめん。白姫ちゃんのお兄ちゃんになれなくて」
「いえ、それは全面的にこちらが……」
「けど、他に誰がいるかなー」
「えっ」
不意の言葉に目を見張る。
「お兄ちゃんとしてふさわしい立派な頼れる人だよね。えーと……」
「あ、あの」
考えこみ始めた錦にあたふたと、
「錦さん、何を」
「白姫ちゃんのお兄ちゃんだよ」
当然という顔で、
「ぼくがだめなんだから他の人を探さないと」
「それはそうなんですけど、あの」
錦も一緒に探すつもりなのか――と聞くより先に、
「錦ちゃん、責任感あるからー。さすがは桐風のご主人様❤」
「もー、普通だよー」
「ぷりゅー❤」
「あ、あの……」
仲の良い姿を見せる主従に、アリスはあらためてそこまでしてくれなくていいと――
「そうだ!」
「きゃっ」
突然大きな声をあげた錦は目を輝かせ、
「冴(さえ)ちゃんだよ!」
「ええっ!?」
冴ちゃん――彼女がそう呼ぶのは、
「そーそー、冴ちゃんがいたよ! 冴ちゃん、クラス委員だったんだから! 頼りになるって評判だったんだから! ぼくが転校したときもすっごく親切にしてくれたし、そもそもお姉ちゃんなんだからきっとお兄ちゃんだって……」
「ま……待ってください!」
果てしなく先へ行ってしまいそうな錦にさすがにストップをかける。
五十嵐冴(いがらし・さえ)は確かに頼りになる人だ。一緒に暮らしている現在、そのことはアリスもよく知っている。
そして、お姉ちゃんである。冴の妹・五十嵐柚子(いがらし・ゆこ)はアリスの親友で、それもあって彼女のことを『柚子のお姉ちゃん』と呼んでいたりもする。
しかし――
(む、無理ですよ……)
ある意味では、錦以上に無理だ。
見た目が美青年な錦と違って冴は普通に女性らしいということもあるが、何より彼女もまた白姫に嫌われている。
錦もそうだったようだが、葉太郎が転校してきたときも冴は親切にしてくれた。その際、幼いころから騎士のエリート教育を受けてきた葉太郎は、レディを大切にする〝騎士道体質〟を発揮してしまい、結果、冴から特別な感情を向けられているようなのだ。
アリスは気づかなかったものの、白姫は敏感にそれを察し、以来嫌っているというわけなのである。
しかも、冴は錦のような騎士ではない。
身体的には一般人と言っていい彼女が白姫のパカーンをくらったりしたら――
「だっ、だめです!」
悲劇の予感に、アリスはあわてて首をふる。
「えー、いいと思うけどなー」
「と、とにかく、他の人! 他の人……じゃなくてできれば人でもないほうが」
「そうだよね。『人』じゃなくて『お兄ちゃん』だもんね」
「どういうことですか!」
そこへ、
「仲良しね、二人とも」
「あっ」
ニコニコしながら現れた使用人服姿に眼鏡のその人は――
「お邪魔してます、ユイファお姉ちゃん」
「うわぁ~……」
たちまちうれしそうに顔をほころばせる彼女――劉羽花(リュウ・ユイファ)。
「もー、ホントに錦ちゃんはいい錦ちゃんねー。お姉ちゃん、うれしいっ」
「えへへー」
自分より高いところにある錦の頭を、背伸びをしたユイファがうれしそうになでる。
「妹同士が仲良くしてくれて、お姉ちゃん、うれしいなー」
(妹同士って……)
正確に言えば、アリスも錦も〝妹〟ではない。
お姉ちゃん体質――年下の子を見ると、どうしてもかわいがりたくなってしまうのがユイファなのだ。
「そうだ!」
大きな声をあげる錦に、アリスは悪い予感しかしない。
「お姉ちゃんだよ!」
(やっぱり……)
「ユイファお姉ちゃん!」
錦はあらためて彼女に向き直り、
「お兄ちゃんになってください!」
すると、
「……信じられない」
「えっ」
きょとんとなる錦に、笑顔の消えたユイファが、
「信じられないよ……そんなことを言う子だったなんて」
「えっ、あ、あの」
戸惑う錦。同じく驚きつつもアリスはとっさに前に出て、
「ご、ごめんなさい、これにはちょっと理由が」
「あやまって済む問題じゃないでしょ!」
「……!」
思いがけない厳しい言葉に固まるアリス。
「ご……ごめんなさい……」
泣きそうになりながらあやまる。それでもユイファは厳しい表情を崩さない。
「!」
なんと、ユイファの目に涙がにじむ。
「お姉ちゃん!」
あわてて錦が寄り添う。
「ごめんね、お姉ちゃん。ぼく、お姉ちゃんにひどいことを」
「そうだよ……」
ユイファは目じりの涙をぬぐい――そして、
「お姉ちゃんをお兄ちゃんだなんて! お姉ちゃんはお姉ちゃんだからお姉ちゃんなんだよ!」
がくぅっ! アリスは思わず倒れこむ。
「ごめんなさい、お姉ちゃん!」
「って、錦さん!?」
「そうだよね! お姉ちゃんがお兄ちゃんになったらつらいよね!」
「そ、そういうことに……」
なるのか? と言って入りこむ隙間もなく、
「お姉ちゃん!」
「錦ちゃん!」
ひしっ、と抱き合う二人にアリスは言葉を失ってしまう。
「えー……と……」
「こうなったら奥の手しかないね」
「桐風!?」
いつの間にかそばにいた彼女にあわてて、
「な、なんですか、奥の手って!」
「この手だけは使いたくなかったんだけど……」
「ええっ!?」
もう完全に悪い予感しかしない。
「や、やめてください、これ以上に大変なことにするのは」
「大変かー」
意味ありげにそうつぶやき、
「ある意味、大変かもね」
「ええっ!」
そして、桐風は言った。
「麓華(ろっか)ちゃんだよ」
「え!」
目を見開くアリスの前で――桐風は言った。
「麓華ちゃんを白姫ちゃんのお兄ちゃんにするんだよ!」
Ⅳ
「意味がわかりません」
赤褐色の馬――麓華は不機嫌さをあらわにそう言った。
「そ、そうですよね、意味がわかりませんよね……」
「わかりません」
おそるおそるなアリスに、当然だというようにうなずく。
「えー、わかると思うけどなー」
一方の桐風は平然と、
「ほら、麓華ちゃんって凛々しくて頼りになるでしょ? それに自分に厳しいっていうか、そういうところ尊敬できる年上の馬って感じがするけどなー。お父さんにそっくりで」
「ぷりゅ……!」
かすかに頬がゆるみかけるも、あわててまた表情を引き締める。敬愛する父馬・麓王(ろくおう)にそっくりと言われるのは、麓華にとってすくなからずうれしいことなのだろう。
「それにしても、なぜ〝兄〟なのです」
「麓華ちゃん、お父さんのこと尊敬してるんでしょ? お父さんみたいな立派な馬になりたいんでしょ?」
「それは、もちろん……」
「だったら、お姉ちゃんよりお兄ちゃんだと思うけどなー」
「ぷりゅぅ……」
そうなるのか? アリスには疑問だったが麓華には通じているようだった。
「で、ですが、あの駄馬の兄というのは納得できません! あんなわがままで、周りに迷惑をかけて、騎士を目指すアリス様を平気でいじめるような……」
「そんな白姫ちゃんだからこそ!」
ビシッ! 桐風はヒヅメを突きつけ、
「妹としてきちんとしつけられるのが兄の風格なんじゃないの!」
「ぷりゅ!」
はっきりと。麓華の身体にふるえが走る。
「兄の風格……確かにお父様なら困難から逃げるようなことをせず、あの駄馬をも真馬(まば)にしてみせるでしょう」
「なんですか『真馬』って。『真人間』みたいなことですか」
「桐風!」
麓華は一転熱意をにじませ、
「やってみせます! あの駄馬の兄として、きっと真面目な馬に更生を……」
「ちょちょ……待ってください、待ってください!」
アリスはあわてて、
「そ、その、麓華はやる気になっても白姫のほうはどうなんですか!」
「えっ」
「いや、あの……」
言いづらいところはあるが、麓華が白姫を嫌っているのと同じように白姫もまた麓華を嫌っている。お互い馬ながらまさに〝犬猿の仲〟なのだ。
「また錦さんみたいにパカーンされちゃうんじゃ」
彼女の惨劇を思い出してアリスは顔を青ざめさせる。
「ぷりゅっふっふっー」
桐風が不敵に笑う。
「そこのところは計算済みだよ」
「そうなんですか?」
だったら錦の時点でもっと計算しておいてほしかったと思いつつ、
「それは一体……」
「忍術だよ」
「えっ!」
思いがけない言葉ではあったものの、それが意外すぎるものでもないことに気づく。
桐風は――忍馬だ。
直接、その術を使うところをアリスは見たことがないが、そういう馬らしいということは驚きと共に記憶していた。
「でも、忍術をどう使うんですか」
「思いつかない? こういうときの忍の得意技」
「こういうときって……」
「変装だよ」
「変装!」
確かに忍馬でなく忍者には変装のイメージがある。
「それって、つまり、麓華を変装させるということですか」
「そのとーり」
「だ、大丈夫ですかね……」
バレたらさらに怒りのパカーンがくり出されそうだが。
「忍馬の変装テクニックにまかせて! さあ、やるよ、麓華ちゃん!」
「ええ!」
やる気の馬たちを前に、アリスもそれ以上は何も言うことができなかった。
「完璧だよ!」
「か……」
完璧――なのか?
「えーと……」
いろいろと言いたいことはあったが、
「不自然じゃないでしょうか」
「何が?」
「何がって……」
アリスは――
麓華の頭に乗せられたふさふさの白銀色のカツラを見る。
「こんな髪を生やした馬をまず見たことがないんですが」
「えー、王子様っぽくない?」
「はあ……」
そう言われればそうかもしれないが。
「あと……」
肌を見る。
「この身体の色……ものすごく不自然じゃないでしょうか」
「いくら忍馬のファンデーションでも、赤褐色の馬を白馬にはできないよ」
「忍馬のファンデーション……」
「完璧に真っ白くしようとしてべたべたに塗ったらそれはそれで不自然だし、お肌にもよくないし」
「はあ……」
「大丈夫だよ、地黒の白馬ってことにすれば」
「地黒の白馬!?」
「あっ、地赤かー」
「ないですよ、そんな言葉!」
それらを踏まえ、さらにアリスをあぜんとさせたのは、
「ど……どうして仮面なんですか!?」
仮面――
いつ用意したのか、麓華の顔は白く輝く仮面で覆い隠されていた。
「カッコイイでしょー」
「いや、カッコイイとかはいまは問題では……あ、いえ、お兄ちゃんとしてのカッコよさは求めてるんですけど」
「仮面の忍馬だよ」
「忍馬になることもいまは求めてないです!」
「じゃあ、仮面のお兄ちゃん?」
「仮面のお兄ちゃん!?」
「斬新でしょー」
「斬新というかいたら恥ずかしいですよ、仮面のお兄ちゃ……」
そう言って、しかし、自分も含めて身内にたくさんの〝仮面の騎士〟たちがいることを思い出して口ごもる。
「シルビアちゃんともおそろいだよ、麓華ちゃん」
「シルビア様と……」
うれしそうな声をもらす仮面の麓華。彼女の主人である騎士シルビア・マーロウもまた仮面の騎士シルバーランサーという顔を持っているのだ。
「あっ、そうそう、麓華ちゃんって名前も変えないと。どんなに変装しても、名前がそのままじゃさすがにバレるし」
「名前を変えるのですか……」
とたんに不服そうな麓華。
「お父様の『麓』の字をいただいたこの名前を変えるのは」
「じゃあ『麗しい』の『麗』ってどう? 『麓』とも似てるし」
「確かに似ていますね」
「じゃあ、これから麓華ちゃんは『白麗(はくれい)』って名前で。よろしくっ」
「は、白麗……」
なんだかホストみたいな名前だと思ってしまうアリスだったが、
「白麗ですね。わかりました」
「じゃあ、行こう」
「えっ、い、行くんですか? 本当に?」
戸惑っているうちにさっさと歩き出してしまった桐風たちを見て、アリスもあわてて追いかけるしかなかった。
「白姫ちゃーん」
「ぷりゅぅ?」
明るく近づく桐風に、白姫が不審の目を向ける。
「なんだし、桐風。また変なお兄ちゃんつれてきたんだし」
「もー、変なお兄ちゃんなんてつれてきてないよぉ」
「じゃあ、なんなんだし」
「変なお兄ちゃんじゃなくてぇ……」
後ろにいた麓華――でなく白麗を前に出す。
「とってもカッコイイ白麗お兄ちゃんでーす!」
「ぷりゅ!」
白姫が驚きに目を見開く。
(ああ、やっぱり……)
成り行きを見守っていたアリスは頭をかかえる。どう考えてもこんなことで白姫がよろこぶはずがない。
「白麗……お兄ちゃん……」
「そーだよ」
「こんな……こんな……」
ぷるぷるとふるえ出す白姫。
いけない! アリスは怒りのパカーンを止めようと――
「こんなお兄ちゃんだったんだしーっ❤ シロヒメがほしかったのはーっ❤」
「ええーーっ!?」
ズザザザーッ! 歓喜のいななきをあげる白姫に、アリスは飛び出した勢いのまま地面にすべりこむ。
「わーい。白麗お兄ちゃんみたいなお兄ちゃんができて、シロヒメ、うれしいんだしー」
「そ、そうか……」
戸惑いをにじませつつも、うなずいてみせる白麗。
「ねっ、うまくいったでしょ」
アリスの耳もとで桐風がささやく。
「白姫ちゃんのタイプはわかってるからー」
「そうなんですか……」
思わぬ流れにアリスはあぜんとなるしかない。
「ぷりゅー❤ 白麗お兄ちゃーん❤」
「お、おい、あまり近づくのは……」
「なんでだし? 兄妹が仲良くするのは当たり前だし」
「そ、そうだな……」
動揺が隠せない白麗だったが、夢中な白姫には気づかれていないようだ。
「じゃ、行こっか、アリスちゃん」
「えっ」
「兄妹水入らずなところを邪魔したら悪いし」
「で、でも……」
正直このまま終わるとはとても思えない。
「お兄ちゃーん❤」
「な、なんだい、白姫」
「かわいがって」
「えっ」
「甘やかして❤ 白姫を❤」
「ぷ……」
どうしようかという息をもらす白麗だったが、はっと頭をふる。
そして、固い声で、
「だめだ」
「ぷりゅ!?」
唐突な拒絶に白姫が跳び上がる。
「な、なんでだし? お兄ちゃんなのに」
「兄だからだ」
厳しい目が白姫に向けられる。
「兄としてだめな妹をしつける責任がある」
「ぷりゅーっ!」
またも跳び上がる白姫。
「シロヒメ、ダメじゃないし! しつけられる必要ないし!」
「そういうところがだめなんだ!」
「ぷりゅぅ!?」
「いいか。わたしが兄となったからには……」
パカパカッ! 威嚇するようにヒヅメを鳴らし、
「徹底的に厳しくする。甘えは許さないからな」
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
白姫が鳴き声をふるわせる。
「あ……」
これは――何かを我慢しているときの鳴き声だ。
その我慢が限界に達したとき、たまりにたまったストレスがパカーンとなって――
「ぷりゅーーーっ」
放たれた。
そのいななきは、しかし、
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
「ぷ……!」
白麗が目を瞬かせる。アリスもまったく同じ思いだった。
「白姫……」
なんと……あの白姫が――
大きな鳴き――でなく泣き声をあげて泣いていた。
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
「お、おい……」
さすがに白麗はおろおろとなり、
「そこまで厳しく言ったつもりは……」
「言ったんだし! お兄ちゃん、シロヒメのこと、イジメたんだし!」
「イジメなどというつもりは……」
「イジメだし! シロヒメがダメな子だなんて! ひどいことを言ってシロヒメを傷つけたんだし! 言葉のぼーりょくだし!」
「言葉の暴力……」
そう言われてしまうと、もう下手なことは言えなくなってしまう。
「ぷりゅーっ。ぷりゅーっ」
「うう……」
泣きじゃくる白姫を前にして白麗は何もできない。
「麓……じゃなくて、白麗」
アリスはそばに近づき、
「なぐさめてあげてください、白姫を」
「ぷりゅぅ!?」
「じゃないと治まりませんよ」
「しかし、わたしがこの駄馬をなぐさめるなど」
「なんてことを言うんですか!」
きりっ! そこは聞き逃せないと、
「そもそも、そういうことを言うからいけないんですよ! ダメとか駄馬とか!」
「ぷりゅ……!」
「お兄ちゃんが妹にそんなことを言ったりしますか? 言わないでしょう」
「ぷ……」
「麓王だったら、絶対言ったりしません!」
「ぷりゅ!」
衝撃が白麗の身体を走る。
「お父様なら……」
やはりそれには弱い白麗――麓華なのだ。
「……わかりました」
仮面で覆われたその顔をあげる。
「やりましょう」
「はい!」
「それがどんなに困難であろうと。麓王の娘として逃げるわけにはいきません」
再び目に熱意をたたえると、
「わたしが悪かった、白姫」
「ぷりゅぅ?」
白姫が涙に濡れた顔をあげる。
白麗は微笑み、
「確かにわたしが兄として未熟だった。妹の気持ちがわからなかった」
「お兄ちゃん……」
「白姫……」
そして兄妹馬は、
「お兄ちゃん!」
「白姫!」
共に互いの愛を確かめるように抱きしめ合おうと――
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「えーーっ!?」
絶叫してしまう。
「なんで……そんな……」
蹴り飛ばされた白麗を前にアリスはあぜんと、
「なんでですか!」
「当たり前だし」
ぷりゅ。甘えん坊な妹の顔が消えた白姫は荒々しく鼻を鳴らし、
「なにが白麗お兄ちゃんだし。思いっきり麓華なんだし」
「えーーーーっ!」
気づいていたのか!? なら、どうしてあんなふうによろこぶ素振りを――
「隙をうかがってたんだし。一番効率よくパカーンできるタイミングを」
「一番効率よくパカーンしないでください!」
そう言った直後はっとなり、倒れている白麗にあわてて近づく。
「だ、大丈夫ですか」
「ぷりゅりゅりゅりゅぅ……」
苦しそうな息をもらす白麗――いや、いまは仮面を吹き飛ばされ、麓華に戻っている。白姫の狙い通りにパカーンがクリーンヒットしたようだった。
「なんてひどいことをするんですか!」
「だから、ひどいのはそっちだし!」
白姫はますます鼻息を荒くし、
「いいかげんにするんだし! ろくなお兄ちゃんつれてこねーんだし!」
「それは……」
反論の余地もない。
「で、でも、みんな、白姫のことを思って」
「ぷりゅふんっ」
荒い鼻息のまま、そっぽを向き、
「そんなの、ちゃんとしたお兄ちゃんが来なかったら意味ねーんだし」
「でも……」
アリスはたまらず、
「最初から無茶ですよ、お兄ちゃんがほしいなんて」
「何が無茶なんだし!」
白姫はますますいきり立ち、
「最初から言ってんだし! シロヒメにはお兄ちゃんが必要なんだし!」
「だから、それが無茶なんですよ……」
「無茶でもなんでもいるんだし! みんな、わかってないんだし!」
「う。わかってない」
「!」
そのときだ。
「えっ……」
アリスの目が見開かれる。
「ユイフォン!」
「うー」
たちまちこぼれる不満そうな息。
「ユイフォンじゃない」
「あ……」
確かにそうだ。いまの彼女は『ユイフォン』ではない。
仮面をつけた彼女は。
「シャドウセイバー……ですか」
「う」
うなずく彼女――シャドウセイバー。
「えーと……なんでですか?」
「うー」
またもこぼれる不機嫌な息。
「わかってない」
「えっ」
「アリスたち、変なことばっかりしてる」
「変なことばっかりって……」
確かにその通りではあるのだが――
と、そこでまたはっとなり、
「ユイフォン……じゃなくてシャドウセイバー、あれからずっと一緒にいたんですか?」
「ユイフォンがいた」
「えっ」
「シャドウセイバーじゃなくて、ユイフォンちゃんが一緒にいたってことだよ」
桐風が補足する。
「そうなんですか……というか桐風は気づいてたんですか」
「ぷりゅ」
「う……」
まったく気がつかなかった。
と、シャドウセイバーが言葉を続け、
「アリスたち、わかってない。だから、シャドウセイバーがつれてきた。困っている人を助けるヒーローなシャドウセイバーが」
「つれてきたって……」
「う」
「!?」
彼女が前に出した――その人は、
「よ……葉太郎様!」
Ⅴ
「う……」
突然のこの状況に、アリスは続ける言葉がない。
見る。
従騎士である自分が仕えるその騎士――花房葉太郎を。
「えーと……」
葉太郎もまたアリスと同じ戸惑いの息をもらし、
「どういうことなのかな」
「ど、どういうことなんでしょう」
うまく説明できない。そもそもこの流れを把握できていないというか――
「うー」
シャドウセイバーがじれったそうな息をもらし、
「お兄ちゃん」
「えっ」
シャドウセイバーを見る葉太郎。
「!」
アリスははっとなる。
「あ……」
まずい。この状況は。
(だめですよ、葉太郎様に知られたら……)
そうだ。白姫が『お兄ちゃん』をほしがっていることを知られないようにとこれまで内緒で進めてきたのだ。
彼女を妹のようにかわいがっている葉太郎が知ったら――悲しむからと。
「葉太郎。お兄ちゃん」
「え?」
「葉太郎、白姫の……」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「あうっ」
高々と。シャドウセイバーの身体が蹴り上げられた。
「え……!」
それ以上の言葉を止めようとしていたアリスは目を見張る。
「ぷりゅー」
怒りをあらわにシャドウセイバーをにらむ――白姫。
「なに、よけいなことしてんだし」
「う……う?」
わけがわからないというようにまばたきがくり返される。
「『う』じゃねんだしーっ!」
「あうぅっ」
さらなるヒヅメがくり出されようとした――そこに、
「し、白姫!」
あわてて葉太郎が割って入る。
「どうしたの? なんで、そんなに怒ってるの?」
「……!」
はっと身体がこわばる。
「な、なんでもないんだしっ」
ぷりゅふんっ、とそっぽを向く。葉太郎は笑みを崩さないまま、
「そんなことないでしょ。僕に言えないこと?」
「ぷりゅ……」
何も言えずにうつむく。その態度が何より答えを語っていた。
「あ、あの」
思わず前に出る。
「ぷりゅ」
「きゃっ!」
こちらをにらんでくる白姫に、あわてて「言うつもりはない」と首をふりつつ、
「よ、葉太郎様は、ユイフォ……じゃなくてシャドウセイバーになんと言われてここに来たんですか」
「あ、うん……」
突然の問いかけに戸惑う様子を見せるも、
「言われたっていうか……ただ来てほしいって」
「何も聞いてないんですね? 白姫が……」
「ぷりゅ」
「!」
またにらまれて、あわてて口を閉じる。
「その……」
アリスは言葉を選びつつ、
「じゃあ、葉太郎様は本当に何も知らないでここにつれてこられたんですね」
「う、うん……」
釈然としないという感じを残しつつ、葉太郎がうなずく。
「ぷりゅ……」
ほっと息をもらす白姫。
やっぱり――
白姫も今回のことを知られたくなかったのだ。
「………………」
アリスの中にもやもやとしたものがこみ上げてくる。
(どうして……)
本当に『どうして』だ。
白姫には、兄同然にかわいがってくれる人がいる。なのに、なぜその他の『兄』がほしいというのか。
知られたくないのは、やはり後ろめたい気持ちがあるからなのだ。
「白姫」
気がつくと彼女の名を呼んでいた。
「ぷりゅぅ?」
不審そうな目がこちらに向けられる。アリスはその目を見つめ返し、
「一体どうしてなんですか、白姫!」
「ぷ……!?」
驚く白姫にアリスは、
「ひどいじゃないですか! 白姫がしようとしていることは、こんなに大切にしてくれる葉太郎様を裏切るのと同じですよ!」
「なに言ってんだし! シロヒメは……」
「言いわけは聞きたくありません!」
反論をさえぎる。
「白姫! 葉太郎様にあやまってください!」
「ぷ……」
「ア、アリス」
葉太郎が驚きをあらわに、
「どうして、そんなこと……」
「いまの白姫には厳しく言わないとだめなんです!」
ここはゆずれないと、
「葉太郎様も怒ってください! 白姫は葉太郎様以外にお兄ちゃんがほしいなんて言ってるんです!」
「ぷっりゅーーーーっ!」
悲痛ないななきが上がる。
「えっ」
葉太郎の瞳がゆれる。
「白姫……」
そのまなざしが白姫に向けられ、
「本当なの?」
「………………」
白姫は、
「ぷ……」
苦しそうな息をもらし、
「ぷりゅーーーーーーーっ!」
駆け出した。
「し、白姫……!」
――と、
「!?」
きびすを返す。そして、
「ぷっりゅーっ」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
強烈なパカーンの一撃を受けて吹き飛ぶアリス。
「ぐ……ぐふっ」
倒れこむアリスを尻目に、またも駆け出す。
「白姫!」
葉太郎が呼び止めるも、
「ぷりゅーっ」
白姫はふり返ることなくまっしぐらに走り去っていった。
Ⅵ
「あ、あの……」
おそるおそる。声をかける。
しかし、庭の隅の切り株に座った葉太郎は顔を上げようとしなかった。
「やっぱり、嫌われちゃったのかな……」
「そ、そんなことありません!」
それだけは! 声を張るアリスだったが、
「じゃあ、どうしてお兄ちゃんなんてほしがるのかな」
「それは……」
「一人っ子なんだよ」
しみじみと。葉太郎がつぶやく。
「僕も、白姫も」
「はい……」
やはり白姫に兄弟はいなかったのだ。
「ほら、僕にはドルゴンさんがいてね。弟みたいにかわいがってもらってたから」
ドルゴン――先輩騎士の名を口にした葉太郎がかすかに顔を上げる。
「だから、僕もドルゴンさんみたいに白姫をかわいがろうと思ったんだ。妹みたいにかわいがろうって」
「はい……」
「けど」
再びその目が伏せられ、
「やっぱり僕じゃ……無理だったのかな」
「そんなことありません!」
さらに力をこめて。アリスは言う。
「白姫、葉太郎様のことをとっても大好きです! 本当のお兄ちゃん以上にお兄ちゃんだと思ってますよ!」
「だったら、どうして……」
「探してきます!」
不意の言葉に葉太郎が目を丸くする。
アリスは止まらず、
「白姫を! 自分が探してきます! そして、本当の気持ちを聞いてきます!」
「あっ、アリス……」
先ほどの白姫と同じように、アリスもまたふり返ることなく駆け出していった。
(白姫……)
走り去るときの悲しそうないななきが、いまも耳に残っている。
あのとき――自分は白姫が葉太郎を裏切ったのだと思い、あんなふうに厳しいことを言ってしまった。
しかし、本当にそんなことがあるのだろうか。
あんなに葉太郎に甘えていた白姫がだ。
(裏切っていないのだとしたら……)
じゃあ、どうして他にお兄ちゃんが必要などと言い出したのか。その理由がアリスにはまったくわからなかった。
(とにかく、ちゃんと話を聞かないと……)
と、アリスの足が止まる。
「う……」
勢いよく飛び出してきた自分だが――
よく考えたら、白姫が行きそうなところにはっきりとした心当たりがない。
普段なら友だちのところだろう。しかし、いま白姫が悲しみに沈んでいるとしたら、よほど親しく頼れる相手でなければその顔を見せられないはずだ。
大体、その条件を一番満たしているのが葉太郎なのである。
そこから逃げ出したのだから……いまは――
「困ってるねー」
「!」
またも気配なく背後にいたのは、
「き、桐風っ。おどろかさないでください」
「ぷりゅりゅー」
まったく悪びれずに桐風が笑う。
「笑ってる場合じゃないですよ。白姫があんなことに……」
「大丈夫」
「えっ」
「ちゃーんとなぐさめてもらってるから」
「ええっ!」
なぐさめてもらってる――!?
「でも、葉太郎様には……」
「だから、違う相手」
「違う相手って」
そこまで親しく、しかも頼りになる相手なんて――
「そんな人がいたら、真っ先にお兄ちゃんになってもらってますよ」
「お兄ちゃんっていうより『お母さん』かなー」
「えええっ!」
お母さん!? まさか、白姫の母の白椿(しろつばき)がこの島に――
「あの、その……」
なぐさめてもらっているならもう大丈夫――
と、無責任に割り切ることもできず、
「つれていってください! 白姫のところに!」
「ぷりゅっ……ぷりゅっ……」
白姫は――
「まだ涙が止まらないのか」
優しい声と共に頭をなでられる。
「いいぞ。悲しくなくなるまで私がそばにいるからな」
「ぷりゅぅ……」
すりすり。せつない鳴き声をあげ、白姫は鼻先をすり寄せた。
「あれって……」
納得した。
いた。
親しくて頼りになる相手――
「真緒ちゃんですか」
鬼堂院真緒(きどういんまきお)。屋敷で共に暮らしている六歳の女の子だ。
白姫は彼女のひざに頭を乗せ、優しくそのたてがみをなでられていた。
(どうしましょう……)
出ていきづらくなる。本当の気持ちを聞いてくるとは言ったが、いざ本人――でなく本馬を前にすると、先ほどキツいことを言った直後であるだけにためらう気持ちが大きかった。
「アリス」
「きゃあっ」
またもいつの間にか後ろに立っていたシャドウセイバー――でなく仮面を外して元に戻ったユイフォンにアリスは跳び上がる。
「だ、だから、桐風もユイフォンも……」
「うー」
「えっ」
ユイフォンににらまれ、アリスは言葉を飲みこむ。
「な、なんですか」
「いじめた」
「!」
「アリス、白姫、いじめた」
「い、いや、あのときはそんなつもりじゃ……」
あたふたと、
「真緒ちゃんだって、ユイフォンに『他にお母さんがほしい』って言われたら傷つくじゃないですか」
「言わない」
ふるふると。首を横にふり、
「ユイフォンの媽媽は、媽媽だけ」
「ですから……白姫が『お兄ちゃんがほしい』って言うのはよくないんじゃないかと」
「だから、葉太郎、つれてきた」
「あの、白姫は葉太郎様以外の……えーと」
混乱してくる。
「と、とにかく、白姫と話をさせてください」
「……いじめない?」
「いじめませんよ。いじめられることはあっても」
こうなってはもう後には引けない。
ためらいを引きずりつつも、白姫たちに近づいていく。
「おお、アリス」
真緒が顔を上げる。と同時に白姫が身をこわばらせる。
「白姫……」
何も言わず。白姫が顔をそむける。
そんな彼女の頭をそっとなで、真緒がこちらを見る。
「何があったのだ? 白姫と」
「それは……」
やはり、口には出しづらい。
真緒は優しい笑みを絶やさないまま、
「だめではないか。友だち同士でケンカをしては」
「ご、ごめんなさい」
思わず頭を下げてしまう。
ちらり。白姫のほうをうかがう。
彼女はやはり顔をそむけたままだった。
(白姫……)
いまはっきりと。
アリスの胸の中に「仲直りをしたい」という気持ちがこみあげていた。
白姫はいつでも元気だ。
元気すぎて無茶を言われたりパカーンされたりもするが、いまのように落ちこんだ姿を見せられるよりずっといい。
「白姫」
アリスは一歩前に出る。
「ごめんなさい」
あらためて。深々と頭を下げる。
「自分、白姫の気持ちをちゃんとわかっていないのに、あんなふうに言ってしまって申しわけありませんでした」
白姫は何も答えない。
「っ……」
その拒絶にひるみそうになるも、
「き、聞いてください、白姫!」
後ろに下がりそうな足を逆に前に出す。
「自分、白姫に元気になってもらいたいんです! 友だちなんですから!」
「………………」
「だから、教えてください! どうして、白姫がお兄ちゃんをほしがるのか! 葉太郎様がいるのにどうして……」
「ヨウタローがいるからだし!」
思わぬ――
「……!」
白姫のその言葉にアリスは目を見開く。
「葉太郎様の……ため?」
こちらを向いた白姫がうなずく。
「………………」
わからない。
なぜ、白姫がお兄ちゃんをほしがることが葉太郎のためになるのだ。
「ヨウタローはシロヒメを妹みたいにかわいがってくれるんだし」
「はい……」
「だからシロヒメも甘えてきたし。ずーっと一緒にいたし」
「………………」
やはりわからない。白姫が何を言おうとしてるのか。
「けど……」
白姫の目がかすかにうるむ。
「これからのヨウタローは、いままでのヨウタローじゃないんだし」
「えっ」
それはどういう――
「ヨウタローは自分の意志で騎士の学園に来たんだし」
「……!」
思わぬところに話が飛び、アリスは目を見張る。
「それと白姫の『お兄ちゃん』とどういう……」
「関係あるし」
ぷりゅ。鼻を鳴らし、
「学園に入ったヨウタローは忙しいんだし。一生懸命、騎士の勉強をしているんだし」
「そうですね……」
「だから」
つらそうに視線を沈ませ、
「そんな一生懸命なヨウタローに……ずっと甘えてはいられないんだし」
「えっ……!」
「けど、シロヒメ、ずっとかわいがられてきたんだし。きっと甘えたくなってしまうし。ヨウタローが忙しいってわかってても」
「………………」
変わった。
この島に来る前の白姫は、こんな殊勝なことを言う子ではなかった。
事実、いまよりずっと幼いころは「かわいいからかわいがられるのは当然」と葉太郎の都合を気にせず甘えていたらしい。
しかし――
葉太郎が未来への決意をしたことで、それが彼の馬である白姫にも伝わった。
アリスにはそう思えた。
「ヨウタローの邪魔したくないから……他にもお兄ちゃんがいればヨウタローばっかりふり回さなくていいから……」
涙が再び頬を伝う。
「裏切るつもりなんか……なかったんだし」
「………………」
アリスは、
「ごめんなさい」
あらためて。深々と頭を下げる。
「自分、ぜんぜん白姫の気持ちに気づけなくて、ひどいことを言ってしまいました」
「そんなの気にしてないし」
「白姫……」
こちらを気遣うその言葉に胸がふるえる。
――と思ったのもつかの間、
「気にしたってしょーがねーし。アリス、アホだから。繊細なシロヒメの気持ちなんてわかるわけないから」
「だぁっ」
あまりな言葉にたまらずよろめく。
「そんなことより……」
白姫の瞳がまたもうるみ、
「ヨウタローに嫌われちゃったことのほうが……悲しいんだし」
「そ、それは……」
アリスはあわてて、
「そんなことないですよ! 葉太郎様は白姫を嫌ったりなんかしません!」
「ぷりゅ……」
「むしろ、自分のほうが嫌われちゃったかもって悲しんでて。でも、白姫の想いを知ったらきっとよろこんでくれますよ」
「……本当に?」
「まあ、自分以外の誰かに甘える……っていうのは、あまりいい気持ちはしないかもしれませんけど」
「やっぱり嫌われるんだし……」
「だ、だから、そんなことは……えーと」
「そもそもアリスが悪いんだしーっ」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
身をひるがえしてのあざやかな蹴りが炸裂する。
「アリスが葉太郎の前であんなこと言うから全部バレちゃったんだし!」
「そ、それは……」
「バレなければなんの問題もなかったんだし。全部うまくいってたんだし」
「いやもう、お兄ちゃんを探す段階でうまくいってなかったじゃ……」
「それもアリスが悪いんだしーっ」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
またも高々と蹴り飛ばされる。
「ふふっ。元気になったようだな、白姫」
「こういう元気にはならなくていいんですけど……」
うれしそうに言う真緒に、アリスは涙目でつぶやいてしまう。
「それで、一体何があったのだ?」
「はい。実は……」
白姫の考えがわかってこれまでのことを整理できたアリスは、どういういきさつなのかを真緒に語って聞かせた。
「ふむ」
一つうなずく真緒。そして、
「だめなのか」
「ぷりゅ?」
問いかけられた白姫が首をかしげる。
「兄でなければだめなのか? 甘えるのは」
「ぷ、ぷりゅ……」
思ってもなかったことを聞かれたというように白姫の瞳がゆれる。
「というか、甘えていたではないか」
真緒はにっこり微笑み、
「白姫は甘えていたぞ。私にな」
「ぷりゅ!」
はっとしたというように目を見開く。
「そ、そうだったんだし……」
鳴き声がふるえる。
「シロヒメ、思いっきりマキオに甘えていたし」
「ですね……」
アリスもうなずく。
「私だけではない」
「ぷりゅぅ!?」
「みんなだ」
真緒は両手を広げ、
「一緒に暮らしているみんなに甘えていいのだ。みんな、白姫の家族だからな」
「ぷりゅ……!」
白姫の目が今度は感激にうるみ出す。
「マキオ……」
「真緒ちゃんの言う通りですよ」
アリスは白姫の背にふれ、
「葉太郎様だけじゃないんです。みんな、白姫をかわいがってくれますよ」
「ぷりゅ」
「真緒ちゃんも、ユイファさんも、依子さんだって……」
そこで言葉が途切れる。
「依子さん……だって……」
「そ、それは『かわいがられる』の意味が違ってきちゃうんだし」
屋敷で最も恐れられている女性・朱藤依子(すどう・よりこ)の冷たい表情を思い出し、アリスは白姫と共に身をふるわせる。
「と、とにかく! 他のお兄ちゃんなんて探さなくても、白姫はちゃんとみんなに愛されてるんです」
「ぷりゅ!」
勢いよくうなずくなり白姫はさっそく、
「ぷりゅ~❤」
真緒にすりすりと鼻をすり寄せる。
「ははっ。白姫は甘えん坊だな」
「ぷりゅぷりゅ❤」
そのなごやかな光景に、
(よかった……)
胸をなでおろすアリス。波乱続きの『白姫のお兄ちゃん』騒動だったが、これでなんとか収まって――
「うー」
「!」
不満そうな息に、ぎょっとそちらを向く。
「ユ……ユイフォン?」
「うー」
アリスがなごやかな目で見ていた白姫と真緒の姿を、しかし、ユイフォンは真逆の険しい目で見つめていた。
「……ずるい」
「えっ」
「媽媽……ユイフォンの媽媽」
「はい……」
「なのに白姫ばっかりかわいがられて……ずるい」
「ユ、ユイフォン……」
いまは譲ってほしい――と言いかけたアリスに先んじて、
「う」
「あっ、ユイフォン」
止める間もなくユイフォンが前に出る。
「うー」
「ぷりゅ?」
白姫が不審げにユイフォンを見る。
「なんだし?」
「うー」
「邪魔すんじゃねーし。シロヒメとマキオが仲良くしてるのに」
「うー」
明らかにますます機嫌を悪くしていく。
アリスはあわてて、
「あの、もうすこし白姫もユイフォンの気持ちを……」
「ぷりゅ?」
「ユイフォンも真緒ちゃんに甘えたいというか……」
「そんなの知らねーし」
ぷりゅふんと顔をそむけ、
「シロヒメは自由を愛する白馬だし。甘えたいときに甘えるんだし」
「そんな……」
さっきは成長したと思えることを言っていたのに――
「いまは甘えたいから甘えていいんだしー」
すりすり。見せつけるようにして、ますます真緒に甘えてみせる。
「うー……」
「ユ、ユイフォンっ」
爆発寸前な彼女をなだめようとした――そこに、
「ユイフォン!」
厳しい声を放ったのは真緒だ。
「白姫はいま傷ついているのだぞ。わがままを言ってはだめだ」
「う……」
ユイフォンの目に涙がにじむ。
「うーっ!」
「あっ、ユイフォン!」
駆け出したユイフォンを目にして、
「ちょっ……またこういう展開なんですかーっ!? 待ってくださーーーーい!」
止まらない彼女の背に、アリスの声がただむなしく跳ね返った。
Ⅶ
「ヨウタロー」
それから――
白姫は迎えに来た葉太郎にすべてを打ち明けた。
「ごめんね。シロヒメ、甘えん坊で」
「ううん。僕もあんまり構えなくて悪いと思ってたから」
「でも、これからはみんなに甘えるし❤」
「そう……」
「ぷりゅ? やっぱりだめ? シロヒメがみんなに甘えたらいや?」
「正直、ちょっとさびしいけど……でも、僕のことを想ってそうしたほうがいいって考えたんだよね」
「ぷりゅ」
「ありがとう。優しいね、白姫は」
「ぷりゅ~❤」
こうして――
アリスたちの見守る中、白姫と葉太郎は仲直りをした。
そして、宣言した通りに白姫は周りの者に『甘えだした』のだが――
「ぷりゅ」
「う……」
にらまれてアリスの身体がこわばる。
「ぜんぜん、なってねーしーっ」
パカーーーーン!
「きゃあっ」
容赦なく蹴り飛ばされる。
「何をするんですか!」
「怒るんだし?」
「えっ」
「シロヒメを怒るんだし? かわいがらないといけないシロヒメを」
「うぅ……」
そうなのだ――
アリスは白姫を〝かわいがらないと〟いけないのだ。
「ヨウタローがみんなに言ったんだし」
その通りだ。
白姫の気持ちを知った葉太郎は、あれからアリスを始めとした屋敷のみんなにあらためて頼んだ。自分が至らない分まで白姫のことをお願いすると。
「だから、アリスもシロヒメをかわいがらないといけないんだし」
「ううぅ……」
なら、白姫ももうすこしこちらに親しむ態度を見せてほしい。すくなくとも、葉太郎相手にパカーンしたりはしないはずだ。
「なんか文句あんだし?」
「う……」
ある。
あるが「ある」とは言えない。言えばパカーンが飛んでくるのはわかりきっている。
「さー」
ぐいっと。白姫が頭を前に出し、
「かわいがるし」
そんな〝かわいがられ方〟があるのかと思いつつ、
「えーと、その、具体的にどうやって」
「あふれる気持ちのままにかわいがればいいし」
正直、いまのあふれる気持ちは『逃げたい』なのだが。
「シロヒメがかわいいというその想いのままにかわいがればいいんだし」
「はあ……」
「かわいくないと思ってんだし」
「あ、いえ、そういうわけではなくて……」
本当にもう逃げたい。
「まったく、アリスは本当に飲みこみが悪いし。アホだから」
「アホじゃないです」
「しょーがないから、アリスはやめてユイフォン行くし」
指名されたユイフォンは、
「う!」
「ユイフォン……」
頭にハチマキまで巻いてやる気を見せているその姿にあぜんとなる。
「そんなに白姫をかわいがりたいんですか」
「かわいがりたい」
うなずく。
「いい心がけだし。シロヒメをかわいがるにはそれくらいの覚悟がないといけないし」
「いるんですか、覚悟が」
「いる」
ユイフォンがうなずく。
「ちゃんとかわいがらないとパカーンされる」
「あ……なるほど、そういう」
「それに」
うー。いつもは茫洋としている顔に強い感情をにじませ、
「かわいがらないと、シロヒメ、媽媽のところに行く。媽媽はユイフォンの媽媽だから」
「ああ……」
納得する。
「そっちのほうがユイフォンには重要で……」
「マキオ、独り占めしてんじゃねーし!」
パカーーーーン!
「あうっ」
「いじめないでください、これからかわいがってくれようとしているユイフォンを!」
「あ、そうだったし」
ぷりゅりん❤ 白姫は一転かわいらしい仕種を見せ、
「さー、かわいがるし」
脇で見ていても、この変わり身の早さには絶句してしまう。
「うー」
ユイフォンが身構える。
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「あうっ」
「なに、これから技を仕かける柔道家みたいな構えしてんだし。そんなかわいがり方、見たことねーし」
それは確かにその通りではある。
「うう……」
ヒヅメ跡のついた顔に手を当てユイフォンが涙ぐむ。
いつもならここで引き下がるはずだが、
「う」
再び表情が引き締まり、
「か……かわいがる」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「あうっ」
「だから、そんなにビクビクしたかわいがり方ねーし」
「ビ……ビクビクしない」
「すでにしてるしーっ」
パカーーーン!
「あうっ」
それからも――
「ぷりゅーっ」
「あうっ」
パカーン! パカーン! パカーン!
「やりすぎですよ、白姫! ユイフォンもあきらめたほうが……」
「あきらめない……媽媽のため」
「そこはシロヒメのためって言うんだしーっ!」
パカーーーーーーン!
「あううっ」
一際大きな蹴り音が響き、
「やっぱり、白姫のお兄ちゃんは葉太郎様にしかつとまりませんよーーっ!」
いまさらながらのアリスの叫び声が共にこだまするのだった。
シロヒメとシロヒメのお兄ちゃんたちなんだしっ❤