なにもかもいやになった夜には、もものかんづめをあける

あおい はる

 もものかんづめを、あけたとき、あまいにおいがして、すこし泣きたくなったのは、つかれてたから。たぶん、そういう日もあるよと思いながら、わたしは、つるんとしたシロップづけのももを、お皿にあけた。テレビを観ていると、やさしいひとがあふれていて、世の中は、きっと、捨てたものではないのかもしれない、と考えていた。おとぎばなしのなかに、わたしはいつかはいりこみたいと祈っているし、すべてものにたいしてやさしいひとでありたいと願っているけれど、そういうのは、あんがい、うすっぺらいクレープの皮みたいなもので、現実をつきつけられて、たにんにやさしくしている余裕など、ほとんどないような感じで、いきをしている。
 とうめいなガラスのお皿で、しろいももが、つやめいている。
 あまいにおいはやっぱり、わたしの涙腺をしげきした。
 好きなことだけをして生きてゆく、というのはむずかしくて、むずかしいというのは、それなりのかくごがひつようだからで、わたしにはその、かくごをきめることが、できないでいる。でも、まいにちたのしく生きていれば、好きではないことも、それなりにゆるせるものになって、くるしいことも、つらいことも、日々の、好きなことをぜんりょくでたのしむための、めりはりになるのではと思えるようになって、わたしはちょっとだけ、じぶんのことを、ほめてあげたかった。だれかのわるぐちをいったり、理不尽なことにいらいらしたり、それは、その場しのぎみたいなもので、そのときはすがすがしい気分になるけれど、このせかいで、いろんなひとたちと共存している以上、これは、おそらく、エンドレスにループする案件であり、それならば、わたしじしんをかえようと努めているのは、その、共存しているいろんなひとたちのなかの、だれかの影響もあるのだなぁなんて、ぼんやりと想像したりしている。うまいことはいえない。ただ、じぶんのなかで、重くのしかかっていたものが、とつぜん軽くなって、すとんと落っこちていったような感じ。
 フォークにさしたももを、くちにはこぶ。
 シロップがたれることもいとわず、そのまま、かぶりつく。
 あまくて、おいしい。
 あたりまえみたいな感想だけれど、しょうじきで、うそいつわりのないもの。
 こういう日は、インターネットはみないにかぎる。無心で、ももをたべること。
 それが、最善。

なにもかもいやになった夜には、もものかんづめをあける

なにもかもいやになった夜には、もものかんづめをあける

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-06-29

CC BY-NC-ND
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