シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅴ 生徒会室

 珍しく、万里子と雛鳥が生徒会室へ顔を出した。
「飛水が焼いたお菓子を差し入れに来たのですけど、綾と介三郎さんはどうしました?」
 文化祭の準備で忙しくしているだろうと思っていたら、案外に閑散としていた。
 顔見知りの実行委員に会釈を返し、万里子は中央の机に広げられた校内見取り図の前に佇んでいる成瀬愛美に声をかけた。
「この時間なら二人ともここにいると思っていたのですが、会長と副会長は不在ですか」
 拍子抜けした顔を見せる万里子の傍で、雛鳥は無言で愛美の様子を見つめていた。
 愛美は少し苦笑を見せて、一度万里子の方を見た後、また視線を見取り図に落とした。
「綾は用事があるって帰りました。介三郎くんはバスケ部に行ったの。迷路に使う段ボールが足りないかもって」
 明日の委員会までにしておかなければならない準備は、すでにできている。
「来週から本格的な準備に入るので、バスケ部の方は手伝えそうにないからって」
 今のうちに段取りをしておこうと言っていた。
 そういう愛美もバスケ部だが、
「力仕事ばかりだろうから、来なくていいって介三郎くんが言うから留守番しているんです」
 と気の抜けた口調でボソボソと呟くように説明する愛美に、万里子は明るく、
「そうですか」
 と一言返すと、愛美から離れ、他の役員の所へ行くと、談笑しながらお菓子を配り始めた。勝手知ったるという所だ。
 もちろん、日ごろから言葉を交わす生徒は何人もいる。
 飛水が焼いたお菓子は少量ずつ個包装になっている。それを一つずつ抱えた紙袋から取り出しながら、言葉をかけていく。
 一人がお茶の準備を始めると、何人かはそれを手伝い、残った生徒は他愛のない会話で万里子を笑わせた。
 明るい声が響く中にあっても、愛美は放心したように俯いて、ジッと校内見取り図を見ている。
 視線の先には、今日の昼、あの少女と出会ったグラウンドに下りる階段があった。
 特に何を思っている訳でもないのに、何故か心は晴れない。
 雛鳥が気遣いながら近づいてくるのに気付きながらも、愛美は視線を上げなかった。
「愛美様、何か、気になることでもあるのですか」
 そう問われても、答える言葉が見当たらない。
「どうして?」
「いつものお元気がありませんので」
 雛鳥は困った表情を浮かべながらも根気よく明るく問いかけた。
 そんな雛鳥に、愛美の視線は容赦がなかった。
「いつもって・・・どう?」
 少し棘のある口調に、愛美自身が怯んだ。
 瞠目している雛鳥の視線から避けるように一歩後ずさり、愛美は俯いた。
「ごめんなさい。雛鳥さんがどうということじゃないの」
 考え事をしていただけだと付け足して、愛美はやっと我に返った様子で視線を上げ、雛鳥に頭を下げた。
「いえ、私こそ申し訳ありません。お邪魔をしてしまったようですね」
 一歩引いて雛鳥が謝ると、その横から万里子が一歩進み出て、愛美の顔の前にお菓子を一つ差し出した。
「はい、貴女のお好きなクランベリー入りのクッキーです。飛水がぜひ貴女の感想を聞いて来いと言っていましたので、貴女が食べるまでは私、帰りませんわよ」
 万里子の悠然とした仕草に目を丸くさせ、ついふき出した愛美は、もう一度雛鳥と、そして万里子に一言謝ると、差し出されたお菓子を受け取って一粒口に放り込んだ。
「飛水さんがお菓子焼くんですか」
 いつか真行寺邸で見かけた若頭の姿からは想像が出来ず、愛美が万里子を見上げると、万里子は少し呆れたような表情を見せて肩をすくめた。
「最近は煮込み料理にもハマっているようです。大きな鍋を昼間からグツグツグツグツ、まるで怪しい魔法使い」
 キッチンに入り浸っているという。
 万里子の口調を苦笑で受け止めながら、愛美はサクサクとクッキーを口に放り込んだ。


 束の間、お茶を片手に談笑していると、珍しい生徒が顔をだす。
 椎名優紀だった。遠慮がちに顔だけ覗かせて、すぐ近くの役員に声をかけた。
 明日の委員会に、写真部として出席する予定で、時間の確認に来たのだという。
「うちの部長の代わりに出席するように言われたんですけど、部長ったら時間をすっかり忘れてて」
 と困った顔で説明した。
 細身で女子の平均身長よりはやや丈高い。身近なところでは今泉藤也と同じくらいの目線だろうか。
 万里子は親しげに席を一つ勧めると、矢継ぎ早にお菓子とお茶を手渡した。
「どうぞ」
「はぁ・・・、ごちそうになります」
 目を白黒させながらも落ち着いた優紀は、持っていたカメラを膝の上に乗せ、淡々とオレンジピールのクッキーを口に含んだ。
「文化祭と言えば、天光寺高校の方も来られるそうですね」
 文化祭の話題で盛り上がっている離れた一角を気にしながら、優紀が万里子に話しかけた。
「まぁ、そうなのですか」
 目をパチクリと瞬きさせて、万里子が驚く。
「香取からは何も聞いておりませんが」
 いきなり現れて驚かそうとでもいう魂胆でしょうかと、笑う。
「柱谷さんから連絡がありました。総長さんと一緒に来られるそうです」
 万里子もだが、雛鳥と愛美も顔を見合わせて驚いた。
 柱谷龍市のことはもちろん知っている。天光寺高校の香取省吾の側近の一人だ。
 香取の側近と言っても個別で言葉を交わすことはない。
 もう一人の側近、二浦克己については、愛美にとって、どちらかといえば話しやすい相手だ。
 だが、二浦に比べると大柄で筋肉質の強面とくれば、話しかけられるのも躊躇する。
「椎名さんって、柱谷さんと知り合い?」
 愛美の叫びに近い質問に苦笑して、優紀は何事もないかのようにうなずいて見せた。
「先日、こちらに来られた時に連絡先を交換して欲しいと頼まれましたので」
 特に拒否することもなく交換したらしい。
 もちろん、文化祭当日は学内案内を依頼されたようだ。
「写真部で動かなくてはいけないので、案内は難しいとは伝えましたけど、手が空けば、問題はないので」
 その時は、校内を案内しようと思っているようだ。
 愛美が怪訝な顔で問う。
「今泉くんは、大丈夫?」
 問いかけの意味が分からない。
「? 今泉くんにも総長さんたちが来られることは伝えましたけど。でも、どうしてここで今泉くんが出てくるんですか?」
 優紀が小首を傾げると、思わず愛美は前のめりになった。
「椎名さんて、今泉くんと付き合ってるんじゃないの??」
 万里子と雛鳥は、愛美の大きな声に圧倒されるように後ろに引いてしまったが、当の優紀は間近に迫る愛美の丸顔に苦笑して、クッキーを一つ口に入れると肩で笑った。
「どうしてそうなるんですか。違いますけど」
「違うの?!」
 信じられないと言わんばかりのリアクションで、愛美は両目を見張った。
 その隣で、雛鳥も目を丸くして優紀を見つめる。
 一人涼しそうな表情で小首を傾げている優紀に、万里子が遠慮がちに声をかけた。
「いつも一緒にいらっしゃるイメージがあるので、てっきりそうかと思っていましたわ。藤也さんの口からも、よく椎名さんの名前は出ますし」
「いつも一緒にはいませんよ、マドンナ。気のせいです。単純に同じ写真部に所属しているだけです」
 そう言い切られると、そうかと思うしかないのだろうが、肩透かしを食らった感じは否めない。
「そういうことなら、柱谷さんと歩いてても、今泉くんの心配はしなくていいのよね」
 気の抜けた結論で納得するように愛美が椅子に深く座りなおすと、今度は優紀が身を乗り出した。
「ですから、今泉くんは関係ありませんって。どうして今泉くんの心配をするんですか、成瀬さん」
「だって、椎名さんが誰か他の男の子といたら、今泉くんが怒るんだろうなって思ったから」
 その理由を問われても、上手く説明はできないようだ。
「今泉くんは怒りませんよ。面白いことを考えるのね、成瀬さんて」
 優紀は本気で、愛美の反応を面白がっているようだ。
「そういう成瀬さんにはお知らせはなかったんですか? 二浦さんから」
「どうして二浦さんがそこに出てくるの?」
 クランベリーの粒が喉に引っかかり、愛美がむせた。
 優紀は真顔で応じた。
「柱谷さんから、二浦さんも一緒に行くから成瀬さんに伝えておいてくれって言われました。てっきり成瀬さんの方にはご本人から何か連絡があったのかと思って・・・」
 確か・・・と、膝の上に置いていたカメラのデータを確認して、
「ほら、この方でしょ」
 と、愛美に見せた。
 そこには、満面の笑顔でポーズをとる柱谷に無理矢理引っ張られた二浦克己が、照れくさそうにカメラから視線を逸らして写っていた。
 何のわだかまりもない信頼が、画面いっぱいに感じられるような、気持ちの良い一枚だ。
 引き込まれるようにして見つめる愛美に、優紀は次々とデータを見せる。
「香取総長さんも含めて、天光寺の皆さんってカッコイイですよね」
 愛美とは反対側にいる万里子にも撮りためている香取や側近たちの写真を見せながら、優紀は促した。
「素敵な写真ばかりですね。香取がそんなに写真写りが良いハンサムとは思いませんでしたわ」
 万里子が意外そうに笑う。
「こんな表情するんだ、二浦さんて・・・」
 愛美はうわの空の口調でぼんやりと眺めていた。
 愛美の知っている二浦は、どこか遠慮がちで、でも気付くと近くにいるような気がして、距離感がつかめない。
 近くにいるようでどこかよそよそしい、なのに気付くと傍にいる不思議な存在だ。
 そんな二浦が、優紀のファインダー越しではこれほど無防備で柔らかく、優しい眼差しをするのだ。
「そういえば・・・」
 一度・・・木に引っかかったタオルを取る為に抱え上げてくれた時、間近にあった二浦の表情は、屈託のない優しい眼差しだった。
 あの時は突然のことで、何が起こっているのかわからなかったけど。
「絶対・・・重かっただろうな、二浦さん・・・」
 愛美は少なからず落ち込んだ。
 次々と変わる画面には、色々な部活の活動風景が写っている。
「面白いでしょう、写真って」
「えっとぉ・・・」
 答えに窮していると、優紀が何か閃いたように満面笑顔を見せる。
「あっ、速水くんのデータもありますよ」
 愛美の顔を見て、物足りないと思っていると感じたのか、優紀は撮りためているデータをテンポよく操作した。
 介三郎だけでなく、卓馬や梶原、今は入院中の日下の元気そうな姿もそこにはあった。
 聖蘭学園との練習試合のものも多くあった。
 突然、被写体が変わった。
 愛美が声を上げた。
「あれ、この人・・・」
 綾ともう一人、他校の制服だろう。
 後ろ姿の輪郭からは、どこにでもいる平凡な男子生徒という印象だが、綾との距離感が近く、少し前に屈みこむような姿勢で寄り添っているように見えなくもない。
「私は、生徒会長のこの流れる栗色の髪が好きなんです」
 優紀は、綾の背を覆う長い髪が風になびく様子を捉えた一瞬を、上等の微笑でそう説明した。
 善知鳥景甫がいつか訪れた時の、何気ない瞬間を捉えた一枚だ。
「偶然シャッターを押していたんです」
「へぇ、私、こんな男子、見たことないわ」
 愛美が興味深そうに覗き込んだ。
「でも、制服には覚えがあるかも」
 いつか玄幽会に捕らわれた時に見た生徒が同じものを着ていたような気がする。
 雛鳥は、善知鳥景甫を知っている。だが、それを口にしても良いのかどうか迷った。
 万里子の様子が気掛かりだった。
 万里子は、敢えて微笑をたたえながらも、優紀と愛美のやり取りを静観していた。
 たかが一つのデータが、思わぬ影響を及ぼすこともある。
 ただ、どう切り出すか、思案しているようにも見えた。


「あれ? これは、何を写したの?」
 文化祭の準備に右往左往する生徒の写真が続いた後、愛美がふと優紀がデータを送る指を止めた。
 これまで被写体がはっきりとしていたが、愛美が止めた一枚は漠然とした校内の一部が写っているだけだ。
 緑が繁る林に昼の陽光が映え、微かに中等部との境を区切る壁が写っている。
 その林の奥――、おそらく高等部裏門の向こうに小さく、誰かが立っていた。
「誰?」
 生徒でも、教師でもないようだ。
 帽子に眼鏡、トレンチコートにジーンズ。男だろう。それほど年齢は上ではない。二十代後半から三十代というところか。
「今日の日付ね」
「小さな女の子がそばを通ったと思って、思わずシャッターを切ったんだけど、何も写らなかったの」
「小さな女の子・・・」
 万里子が問い返すと、愛美が顔を上げ、
「綾が心配していた女の子のことかな」
 と、介三郎が大切そうに抱えていた少女を思い出した。
 万里子はそれには答えず、雛鳥はその様子を静かに見つめていた。
 愛美はマジマジと優紀を見つめた。
 この、見る限り神経質そうな女子高生のどこに、情熱や行動力が潜んでいるのだろう。
 見せてくれたデータ量を考えても、たいした胆力である。
「椎名さんは怖いもの知らずよね。どこにそんな度胸があるの」
 カメラを構えると表情が変わるのは、時折見かける様子で分かる。
 他校の強面の男子生徒とも臆することなく普通に接しているのを見ると、見た目の大人しい雰囲気に騙されているようだ。
 しみじみと言われて、優紀が困った。
「私も怖いものはありますよ。たとえば――お化け屋敷とか」
「え、そうなの」
 意外な反論に、愛美がのけぞる。
 優紀は真顔で考えていた。
「あれは怖いですよ。キャーッって叫ぶのも白々しいし、黙って通るのも申し訳ないし。わざわざ驚かせてくれる方々に『ご苦労様』と言いながら通過するのも変でしょ。どう反応するか、迷い過ぎて薄ら寒くなります」
「・・・怖がり方がおかしいような・・・」
「成瀬さんは、何が怖いですか」
「・・・体重計かな」
 そう言いながら、最後のクッキーを口に入れる。
「マドンナの怖いものってなんですか」
 そう問いながら、怖いものがあるようには見えない美人を正面から覗き込んでみた。
 万里子は一口紅茶を含みながら、視線を少し上に上げ、記憶の中を手繰った。
「怖いものですか・・・、何でしょう。思いつきませんわね。雛鳥は何かありますか?」
 隣でジッと話を聞いている雛鳥に矛先を向けると、こちらも答えに窮している。
「突然ですので、何も思い浮かびません。考えてみれば、幾つもあるような気もします」
 途方に暮れた表情でそう答える雛鳥に、万里子が半ば呆れて笑う。
「幾つもですか、雛鳥。それは大変そうですわね」
「綾に怖いものってあるんですか?」
 ついでとばかりに愛美が問うと、万里子は小首を傾げて肩をすくめた。
「さぁ、さすがにお聞きしたことはありませんわね。そんなもの、あるのでしょうか」
 万里子は暫し思案した。
 どの記憶を辿っても、綾の怖いものには思い当たらない。


 持参した焼き菓子がすべて誰かの胃袋におさまり、委員たちがまた動き始めると、愛美もまた続きを始めた。
 優紀は幾つか雛鳥と言葉を交わした後、視線を感じて万里子を見た。
 万里子の表情はいつもと変わらず悠然としていたが、優紀には少し周囲を気にしているようにも見えた。。
「どうかされましたか、マドンナ」
「椎名さん、データの管理は慎重にお願いしますね。貴女のことだから、藤也さんがしっかりと目を光らせているのでしょうけど」
「・・・・・・」
「判断に迷ったら、私か藤也さんにお訊ねになって」
 万里子は、お願いしますと柔らかく念を押した。
 優紀はもう一度、綾と善知鳥景甫の姿を確認した。
「マドンナ、このツーショットは、消しておいた方が良いのですか?」
 消すのは容易い。
 ただ、優紀は個人的にこの二人のアングルを気に入っていた。だから残しているのだ。
 万里子はその気持ちを理解できるのか、少し困ったような顔を見せ、
「そうですね。綾が見れば、即座に消すようにと言うのでしょう。ただ・・・」
 その時の光景でも想像しているのだろうか、万里子はクスリと笑って肩を震わせた。
「一緒に写っている殿方に見せて差し上げるのも、面白そうですわね」
 お道化る様にそう続けると、隣で雛鳥が声を潜めた。
「万里子様、おやめください。そんなことをしては、綾様を怒らせてしまいます」
「あら、雛鳥。玄武帝はきっと、気に入ってくださると思いますわ」
 万里子は悪戯っぽく続けると、
「ですから、綾様に怒られるのです」
 と、繰り返し説く雛鳥を、交互に眺めながら、優紀はそのままそのデータを保存した。

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅴ 生徒会室

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅴ 生徒会室

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-28

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