甘受

静深

甘受

 拝啓、私がなりたかった貴女方へ。
 下界では紫陽花があちらこちらで咲き匂っています。
 そうして、雨が時偶ぱらぱらとそぼ降る季節を迎えました。
 天界ではお元気に、平安に過ごされていますか?
 下界で貴女方を苦しめた因子たちからの解放。また、貴女方が平静に過ごされている事を心より祈念しております。
 春を売って、私たちは夏を買った。
 きらきらと水飛沫の跳ねる海、外を飛び回る名も知らぬ活発な虫たち、日射を吸収して高温となったコンクリート。それらは夏の訪れを知らせる。
 私は夏が大嫌いだ。
 陰を常に探している。陰の世界で生きる私にとり、夏という季節はそれを平然と妨害する季節だからだ。
 照明を避けては遮光された所ばかり求めていたっけ。光が嫌いだから。光は私に似合わないものだと心底から思うから。
 私の居場所を奪ってゆく。さらには私の父親も容赦がなく奪ったこの季節が、とにかく大嫌いで大嫌いで仕方がなかったんだ。
 息苦しくて心地が悪い。水中で呼気が上手く出来ないような感覚。それが5月以降からずっと続いている。
 上手な呼吸を私に教えてください。嗚呼、正しい呼吸の方法を私は今やすっかりと忘失してしまいました。
 私は冷たい水中にいるの? 温かな夢中にいるの?
 そういえば、私が憧れた女性たちは全員が春季に天使となった。
 忘れられずにいる春。今でもまるで続いているかのような感覚をずっと引き摺っている。
 本当は手放したくなかった。光なんていらない。
 だから、私がかつてなりたかった貴女方が、天使に生まれ変わったその季節を、私は本当はまだ味わいたかった。
 生きているからこそ大嫌いな夏を迎えました。
 天使となって以降、その当時から秒針を全く刻む事がなくなった貴女方の分の時間も、私はこうして刻んでいます。
 世界はコロナウイルスによって分断されて、貴女方よりも遅れて天使となった少女の命日が下界ではもうすぐでやって来ます。
 貴女方の事をこれからも絶対に忘れないよ。否、忘れられないに決まっている。
 私は貴女方には決してなれない。
 ただ、静深にはもしかしたらなれるかもしれないから。私はもう少しだけ、私というキャラクターの創造を頑張りたいと思う。
 こうなりたい。そうした本懐を抱いていた高校生の私へ。貴方は現在、立派に成人して、彼女たちが見る事の叶わなかった景色を眺めているよ。
 大嫌いな夏を受け入れて、21歳となる秋もきっと迎える。
 「生きたくなかったなあ」高校生の私がそう零す。
 「ただ、それでも、生きている限りはありのままを受け入れるしかないんだよ」現在の私がそう返す。
 大嫌いな夏を受け入れる事。巡る季節を受け入れ、歳を重ねて老いる事実。生きている限りはありのままを受け入れるしかない。
 大好きにはなれないけれども、生きているからこそ夏季を迎えられたのだと思えば、この季節を多少は好きとなれそうだ。

甘受

甘受

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-06-28

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