必要以上に題名が長い詩とか必要以上に題名にカタカナを含む詩に期待しては毎回裏切られてしまう件。
必要以上に題名が長い詩とか必要以上に題名にカタカナを含む詩に期待しては毎回裏切られてしまう件。
「ピアノが弾けるとか左利きだとかゴーヤを食べれるとか、そういうことはもうどうでもよくて、十四歳の僕らが興味あったのはえろぐろフィルターにかかった個人情報で、学校と塾と家以外に滅びなかった場所はマックぐらいで、LINEで話すのが苦手だから、わりと自尊心が低かった」
友人の中学時代はそれだけだったらしい。
校庭に白線を引くとき、脳の一部は轢き殺される。そうやって引いた白線をスニーカーでこすって消した体育の時間。飛行機雲が人生を代弁しているような気がして、排気ガスの存在を空は忘れていて、走ることは今しかできないって思ったはいいけど、一日はその通りに短く、古文の授業と一年間はクソみたいに長かった。修学旅行の夜、女子は部屋で何話しているんだろう。気にしたら負け。スマホで文字を打つ。一文字増やすたびに変換候補が消えて、最後には句読点と疑問符と感嘆符しか残らない。
「わかるよ」って言われるたびに友情って言葉はペラ紙に似て積み重なっていくよなーって思うけど、「わかるよ」って言った友人を責めるのはなんだか気の毒だった。想像上の地球はきれいな青い球体だったから、地球を包むような恰好で寝る妄想をする。「わかるよ」は証明書だから、なんとかしてすんなり言えるようになりたくて、陰キャなやつらの書いた詩とか読んではみるものの、高校生の創作物なんて、揃いにそろって痛々しいったらありゃしない。彼らの気高い心臓の中身は血液だけだった。れいたんって言われるのがいやで、何度も何度も一つの夜空の下、きみとおなじ地球を眺めることを期待して、それでもやっぱり、だぁっ! って思うのは表現力の違いなんだろうか。だぁっ! って言いたくないから陰キャだのなんのかんのって言っちゃって、ある意味作者だけはハッピーだった。作品と人格とのあいだに、何らかの相関関係があるって嘘を堂々吐く資格をもらえたんだから。
必要以上に題名が長い詩とか必要以上に題名にカタカナを含む詩に期待しては毎回裏切られてしまう件。