【超短編小説】シミ

六井 象

「これ以上好きになると、お互いのために良くない」ある日恋人にそう別れを告げられる。その言葉に込められた静かな気迫に気圧され、ぼくに背を向け遠ざかっていく彼女に何も訊くことができない。それでもあきらめきれず、理由を訊くチャンスを窺いながら、ぼくは彼女のあとをこっそり尾ける。しばらく早足で歩いていた彼女は、ある小さな神社の前で立ち止まり、鳥居をくぐって中へ消えていく。こんな神社に何の用だろう。首をかしげつつぼくも鳥居をくぐる。石段をのぼり、境内に入ると、すぐに彼女の姿が見える。向こうを向いて突っ立ったまま泣いている。「あの……」ぼくは遠くから声をかける。彼女は驚いた様子で振り返り、「来ちゃだめ!」と鋭く叫ぶ。「いや、ぼくは……」そう言いながら彼女に近づいていくうち、ふと異変に気づく。肉の腐った臭いが辺りに漂っているのだ。何だろう、この臭い。彼女は呆然とした様子でぼくのことをじっと見つめている。ぼくは彼女にかけるべき言葉を探しながら、一歩一歩彼女に近づいていく。臭いはさらにひどくなっていく。ひどくなっていくにつれ、足が動かなくなっていく。そして、ようやくぼくは気づく。肉の腐った臭いは、ぼく自身から発せられていると。彼女が泣きながら何か叫んでいるが、もう何も聞こえない。ぼくは彼女の姿を見つめながら、ゆっくりと崩れていき、やがて敷石の上のシミとなる。

【超短編小説】シミ

【超短編小説】シミ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-06-27

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