本との出逢いは偶然で必然
本屋さんには、なおといくときめている。なおは、なにがいいって、本屋さんのなかを、時間をかけてじっくりとながめまわるから、よかった。お料理も、手芸も、囲碁も、園芸もしない、なおだけれど、お料理の本も、手芸の本も、囲碁の本も、園芸の本も、それらに興味があるひとのように、棚の上から下まで、背表紙をみつめて、気になったものを一冊、ていねいにひきぬいては、そっとページをめくり、やさしくとじて、愛でるように表紙をなでてから、棚にもどすのだった。そして、つぎの一冊、つぎの一冊と、くりかえし、くりかえし、それらが、なんだか、神聖な儀式みたいで、わたしは、なおの、その姿をとなりでみているのが、すきだった。雨の日の本屋さんは、ことさらに、とじられたせかいのようで、儀式にはうってつけの日だとおもった。本屋さんのやわらかな光のなかで、わたしは、なおといる時間の、この一瞬の、一瞬のはずなのに、永遠のなかを遊泳している気分をあじわっていて、いまなら詩人にも、写真家にもなれそうだとおもった。
本との出逢いは偶然で必然