6月の分

空軒

 私たちの身体が活動する世界を文章や音楽、映像の世界に再現する。私たちはこの身体の持ち主でありながら、客観視できる存在だ。描く世界で言葉と言葉の要素を組み合わせ、遊んでいく。ドキュメンタリーとして真実を探求する世界でありながら、遊ぶ世界でもある。
 現実はきっと空気が満ちている。海のように泳ぐことはできないが、けのびをするようにペダルを漕いだ。
 まだ夏に入る手前の冷涼さを感じると、なぜか空を仰ぎたくなる。この口は溺れるときのように、初夏直前の空気を飲むように閉じられた。
 溺れる、は飽和するだ、と思った。
 ツツジの残り香と共に。


 この世が博物館だとしたらどうだろう?
 「そんな収集癖やめなよ」と実務家さんに言われるかもしれない。けれども、なぜか季節の境目や花の匂いが分かるとき、もっと知りたいと思う。
 そしてコルセットを着けて、いつか映画で見た小さな国の彼女のように振る舞うのだ。誰にも悟られず、身体の中でほどけていく音を包み込むように。
 晴れた空のもとで私はどこに属するだろう。願わくば、無所属でいてほしい。この散歩が終わるころには、なんて考えず。
 誰にも倫理観なんて分かってもらう必要もなかった。酸化は恐れるべきだった。世の中の歌に撹乱されないように、そんな傲りに陥らないように雨の行間を読む。
 紫陽花が水滴を滴らせた。
 未来を決める決定権は誰にあるんだろう。結局のところ自分だけれど、自分の中の誰かじゃないのか。
 もっと深く深く、海の中で目を開く私はどんな姿をしているのだろう。
 ボンベになれるような中立的な言葉を探す。
 バグだ、バグだ、バグかもしれない。知れば知るほど道徳の規制が甘くなる。
 いつか会えるかな。いつか分かるかな。あなたはすべてですか?
 この言葉が私の残り香になり得るのはもっと先ですか?
 たぶん。
 博物館は終われないもの、と言う。誰が?すべてが言う。

 夜風だけで何かが分かる気がした。
 歩いているだけで正直になっていく自分が不思議だった。


 写真
 
 真っ白で、雪が降っていて、文明はどこかへ行った。オシロスコープを波打たせている白クマ。ラジオの音質だった。


 

6月の分

6月の分

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-06-26

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