落下から始まる物語6

坂松然世子さんの物語の「承」パートです。

00210903ー1
 第二種接近遭遇(東七高等学校図書室)

 統一歴二十一年九月三日。
 後期授業が始まったばかりだったので、今週は授業らしい授業の予定はなかった。
 然世子達が今週中に終えなければならないのは、前期の成績を元にして、後期に履修する科目を届け出る事と、来週からの授業に必要な教材を手配することだった。
 前期の成績表と進級資格表と格闘しての単位計算や、後期科目の情報集め(内容や難易度は勿論、担当教官や、先輩のノートが入手可能かどうかまで)は、かなり手間のかかる作業であり、結果として、もう午前中も終わろうかというのに、然世子はメグルに声をかけられないままだった。
 それは、然世子を苛々させるのと同じくらい、少し安堵させてもいた。
 あの一言はどう考えてもまずかった。
 カスガノ=メグルに話しかける、と言う現実が目の前に近づくにつれ、昨日の自分の心ない発言が、然世子の胸に暗い影を落とす。
 何で、あんなことを言ってしまったのか。
 でも、この一夏の努力を無にするわけにいかないんだから。
 あたしは部長なんだから。
 そんな言葉を、然世子は、半日の間にすでに数え切れないほど繰り返していた。
 しかし、「現代史」の補助教材に指定されている副読本を探す為入った図書館で、奥の書棚にメグルを見つけた瞬間、これほど言い聞かせていたにも関わらず、然世子は咄嗟に彼に背を向け、危うく図書室から逃げ出すところだった。
 早鐘を打つような心臓の音が、耳の奥で聞こえる。
「えーと、デイリーサンセットの<統一されざる社会史>は・・・」独り言を呟きながら、然世子は足早に図書検索用の端末へ向かう。
 とにかく、落ち着かなきゃ。
 何事も心の準備が大事よね。
 然世子はそう繰り返しながら、必死で歩を進めた。足が地に着いていないようだった。
 端末にたどり着き、何気ない動作を装いながら、盗み見るように、もう一度メグルの存在を確かめる。
 居た。
 改めて見る彼の姿は、ほんの数メートルしか離れていないここからでも、全身サイボーグにはとても見えなかった。
 身長は、ほぼ同学年の生徒と同じ位、多分170センチ前後だろう。片方の足に体重を預けて直立している姿勢。書棚の本を抜き取る時の、腕から指先まで完璧に連動した動作。すべてが、それと知らなければ機械の動作には見えなかったし、実際には、そうと知っていてる然世子にも、生身の動作そのものに見えた。
 ふと気が付くと、図書室のあちらこちらで、然世子と同じようにメグルの姿に視線を注いでいる生徒達が居た。
 その大半は、言うまでもなく、奇異なものを見る視線だった。然世子は、自分の視線にも同種の輝きが含まれていたかも知れないと思い付いて、動転した。
 違う。あたしは曲がりなりにもマニピュレーターの基礎構造や制御関数が頭に入ってる。その上で、あの優美な動きに驚嘆したんだ。だから、きっと、違う。
 その内心の言い訳の分、然世子は出遅れた。
 彼女が意を決してメグルへ歩み寄る前に、彼は三人の男子生徒に取り囲まれていた。
 その内の一人は、然世子にも見覚えがあった。
 昨日、茅が話していたバスケ部の坂本だった。 
 咄嗟に、然世子は歩く行き先を変えて、メグル達から書棚一つを挟んで反対側へ向かった。
 ちょうど彼等の裏にたどり着いたとき、メグルの落ち着いた声が聞こえた。
「ようするに、私が自爆するかも知れないから学校を辞めるようにと、おっしゃりたいんですか。」
 然世子はこの一言の為に、金縛りにあったように書棚の裏から動けなくなった。
「やっぱり自爆すんのか」坂本と一緒に取り囲んでいる男子の一人が言った「自爆されたくなきゃ、文句言うなってことか。」
「どうして、私が自爆しなければいけないんですか。」
「そんな事分かる訳ないだろ。機械の体だと何かと文句があるんだろ。」
「なんにしても、そんな脅しをかけるようじゃ、君も校長先生も困ったことになるよ」然世子の記憶が確かなら、この声の主が坂本のはずだ。「もう、そんなことは言わない方が良いね。」
 この台詞は、然世子の神経を逆撫でした。
 あんたちが言わせたんでしょ。
 心の中でそう叫んだ瞬間、思いも寄らない声に、然世子は耳を疑った。それは言葉ではなかった。余りにも意外なもの、メグルの笑い声だったのだ。
「何がおかしいんだよ」別の取り巻きが、強い口調で言ったが、声のどこかに動揺の気配があった。
 メグルはまだ少し笑い足りなかったらしく、声にその余韻を滲ませながら答えた「いや、申し訳ありませんでした。今になって、やっと、私の立場が理解できたので。」メグルは、余程面白かったらしく、急に饒舌になって続けた。「なるほど、イジメって、こういう風にするんですね。素晴らしい論理の飛躍です。確かに私は自爆と言う言葉を口にしましたね。そう、それをあなた方が脅しと受け取ったわけですね。私があなた方にそう言うように誘導されたと言っても、その証明は出来ません。脅す意図はなかったと言っても、それも証明しようもない事です。あなた方に脅す意図があって、私を陥れる意図があったと、私が言っても、あなた方がそうでない事を証明できないのと全く同じ事です。ところが、一見等価な、この証明不可能と言う立場の対等性が、言葉を口にした順序と言うたった一つの要因で、これほど鮮やかに、非対称性を生み出すことが出来る訳です。なんと素晴らしい。いや、本当に勉強になりました。次はこんな風にイジメられないよう気を付けます。」
 恐らく、メグルが頭を下げたのだろう。ささやかな衣擦れとサーボモーターの作動音の後、居心地の悪い沈黙が訪れた。
「行くぞ」沈黙を破ったのは坂本だった。
 三人が引き上げて行く足音を聞きながら、然世子は声無く笑い転げていた。


00210903ー2
 然世子と茅(カフェテリア)

「それで。」
「いや、あれはもう、宇宙人の域だね。」
 昼休みのカフェテリアで、いつものように向かい合わせに腰を下ろして、然世子は茅に図書室での一件を愉快そうに報告していた。
「坂本君の顔を見たかったなあ」然世子は満面の笑みで言う。「次はどう言う手で来るのかな。諦めるとは思えないし、今日のところは、きっと戦略的撤退とか言う奴だと思うのよね。」
「それで」茅は、辛抱強く言った。
「え・・・。」
「さよちゃん、もしかして、それで終わり。」
「う、うん・・・。」
「彼、当然クラブ活動、してないよね。」
「そうだよね」然世子にも、ようやく茅の言いたいことが分かり始めていた。
「そうすると、彼は、午前中で、帰宅しちゃったんじゃないの。」
「・・・ごめん。」
 反論の余地はなかった。
「面目ない」すっかり気を落として、然世子はもう一度謝った。
「別に謝って欲しい訳じゃないけど」茅は一呼吸分だけ迷ったが、やはり言っておくことにした「さよちゃんらしくなかったね。」
 何かが然世子の胸に突き刺さる音が、聞こえたような気がした。そして、同時に、その何かが自分の胸にも突き刺さるのを、茅は感じた。不思議なもので、意図して相手を傷つける言葉を口にすると、それは必ず自分も傷つける。
 神様は、公平すぎて、不公平だ。
 茅は、こんな時、いつもそう思う。
 然世子は、そんな茅の内心に気付く筈もなく、俯いている。茅はその姿をしばらく眺めてから、諦めた。どうするべきかは、初めから分かり切っていたのだ。
「でも、カスガノ君も中々やるわね」少しため息混じりに、そう言ってみた。口にして初めて、意外にもそれが自分の真情に近いことに気づかされる。「カスガノ君にしても、相手の出方を探ってるんでしょ。そのオトボケを額面通りに受け取って良いかどうか分からないよ。少なくとも、坂本君はそうは思わなかったんでしょうね。」
 いつの間にか、然世子が顔を上げて、茅を見ている。
「すごいなあ、茅は」然世子の声には、感動の響きがこもっていた。
「どう言う意味よ。」
「だって、あたしの話を聞いただけなのに。なるほどねえ、あたしなんか、自分で見てたのに、そんな事考えつかなかった」そう言いながら、然世子は、もう一度一連の出来事を思い浮かべていた。茅の解釈という新しい光が、それまでの然世子には見えていなかった情景を照らし出していた。「なるほどねえ」すっかり感心して、然世子はもう一度繰り返した。
「性格悪くてすみませんね。」
「そうじゃないよ。大人だよね。」
「褒められてる気がしないんですけど。」
「うー、ごめん。でも、褒めてるんだよー。」
 後は、いつもの笑い話へ落ち着いていくだけだった。
 これでいいんだよね。
 そう思った瞬間、茅は急に別の事に気がついた。
 そっか、さよちゃんと男の子の話をすることなんて、殆どなかったんだ。
 しかし、直ぐに、この感想が正確ではないことに気がつく。
 実際には、植田やアランについて話す事は多かったし、昨日の坂本のように、話の中で男子の名が出ることだって少なくはない。
 じゃあ、何だろう、この違和感は。
 茅は、然世子の顔を、改めて、じっと見た。
「な、何か付いてる」然世子が茅を見返す。
「ううん。何でもない。部室行こうか。」
「う、そだね。みんなにも謝らなくちゃ。」
 茅は、立ち上がりながら、一瞬脳裏をよぎった考えを振り払うように首を振った。
 まさか、ね。
 この時、もう少し考えてみるべきだったかも知れない。
 茅がそう思うようになったのは、大分後になってからのことだった。

落下から始まる物語6

また長引きそうですね。

落下から始まる物語6

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-10

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