犬について

 去年死んだ祖父の日記をパラパラと捲っていた。随分と古い日記だ。
 僕が知識として、或いはただの記号としての言葉でしか知らない元号を生きた祖父の日記は、書かれている日常一つ一つの出来事が、よくできたフィクションみたいに、フワフワと現実世界から少し浮いたような(もしかしたら、祖父は僕にこの日記を見られることを想定して、何かしらの脚色を加えたのかもしれない)現実味のないものに思える。
 この日記に書かれている出来事が、果たして本当にあったことなのか、僕にそれを確認する手段は何もない。これを書いた祖父はもう死んでしまったし、この日記に出てくる人物達は(やはり誰かに読まれることを想定していたのか)極めて抽象的に書かれていたからだ。
 ある意味、この日記は日記体小説と呼んでしまってもいいのかもしれない。ここに書かれている出来事が、例え祖父にとって実際にあった出来事だったとしても、僕という読者にとっては、それがフィクションであってもなにも問題はないからだ。日記で書かれている出来事も、祖父の身体も、サラサラと概念的に、或いは物的に、時間によってどこかに流れて行ってしまった。
 僕はまたそうしてパラパラと祖父の日記を捲っていく。
 すると、欄外に、まるで小説のタイトルでもつけるみたいに、小さな字で「犬について」と書かれているページがふと目についた。日付は十一月九日。
 僕はこの日に書かれた祖父の出来事を、一つの小説を読むつもりで読んでみようと静かに心で決めて、書かれている出来事に目を通した。


 犬について、社会の大半の人間と同じように、私はなんら専門的な知識を持ち合わせていない。ごく一般的な知識(というより印象)として、犬という生物は、人類が様々な動物を家畜化していくなか、最初期に家畜化された動物で、人の生活に紛れながら、人とともに進化してきた動物であり、そして人に従順な生物であると思っていた。
 私は昔一匹の雑種犬を飼っていたことがある。犬は私が学校から帰ってくると、尻尾を勢いよく振りながら、あのグシャグシャに濡れた鼻を私のズボンの裾へ押し付けにきた。そういった(個体差はあるのだろうけれど)活発的で、幼い男児のような溌剌とした犬という生物が私は好きだ。
 けれども、今日、私は同僚のA君の家で、随分と不思議な犬を見た。いや、結果的に言ってしまえば、おかしいのは私の方なのだろうか? そういった私のささやかながらも、普遍だと思っていた小さな常識が歪んでしまった。
 私は今日、同じく同僚のB君とともにA君の新宅を見に行った。豪邸ってわけでもない。けれどサッパリとしていながら、新築であるにも関わらずどこか落ち着いていて、安心感のあるいい家だった。
 そうして私がB君とともに、A君から新宅の部屋一つ一つを得意げに案内されているとき、チャッチャと爪がフローリングに当たる音を響かせながら、一匹の黒い中型犬が私たちの前にのっそりと現れた。
 私もA君もB君も、一瞬その犬の方を向いたけれど、A君は気にせずに壁紙の模様についてまた語りだしたから、B君も私も、ひとまず乱入してきた犬は無視して、またA君の話へ耳を傾けた。けれども、私は幼少の頃の思い出から、犬という動物が好きだったから、A君の話を聞きながらも、チラチラとその黒い中型犬の行動を目で追っていた。
 黒い中型犬は、暫く部屋の中を、というよりはA君の足元をウロウロとした後、四足歩行する動物特有の前足を投げ出すような伸びをしながら大きな欠伸をして、それからふと思い立ったように、A君の自慢するまだ新しいピカピカとした壁紙でガリガリと爪を研ぎ始めた。
「あ、おい、勘弁してくれ」
 A君はなんだか情けない口調で犬を部屋の外へ追いやった。犬は飼い主に叱られて、これといって反省の表情も見せず、黙って悠々と部屋を去っていった。
 私は今まで、壁で爪を研ぐ犬を見たことがなかった。それじゃあまるで猫だ。飼い主に叱られて、あそこまでふてぶてしい犬もまた見たことがなかった。
 犬というものは、私たち人間の快不快をキッパリと見分けられる動物である。飼い主に従順である犬は、怒られると決まって眉を下げたような困り顔をして、そのまま俯いてしまうものだし、逆に躾のなっていない生意気な犬は、尻尾をブンブンと勢いよく振って、悪戯が成功した悪ガキのように、したり顔でその場を走って去っていくものだ。注意を受けながら、我関せずといった具合に、人の言葉をまるで聞いていないかのように自己中心的にふるまう身近な動物を、やっぱり私は猫しか知らなかった。
「君の家の犬はなんだか猫みたいなやつだな」
 自然とそんな言葉が漏れた。
「なに言ってんだい、犬ってのは元来ああいうもんだよ、人の気なんか知らんぷりだ。気まぐれで奔放で、呑気なもんさ」
 A君は引っかかれた壁紙を撫でながらそう言った。
 私はそんなA君の言い分に随分と面食らってしまった。幼少期に飼っていた愛犬を思い浮かべながら、〝犬らしさ〟というものを自己の中でグルグルとかき混ぜて、A君の犬観と私の犬観とのすり合わせを行おうとした。けれど、さっきの黒犬の行動も、A君の言う気まぐれや、奔放、呑気といった単語全てが、私の犬観と乖離してしまって、もはや私の思考は着地点を見失ってしまった。
 私は半ば助けを求めるみたいに、壁をさするA君をニヤニヤと見つめるB君へ質問をした。
「なあ、さっきの犬も、A君の言ってることも、なんだか僕には猫のことについて言ってるみたいに聞こえるんだが、君はどう思う? それと君は猫か犬か飼ってたことないかい?」
 B君はウーンと腕を組んで暫く考えたあと、随分とゆっくり答えた。
「いやあ、俺は動物を飼ったことはないけど、嫁さんの実家で一匹デカい犬を飼ってるんだ。そこで見たぶんじゃさっきのA君の犬と似たようなもんさ、不愛想だし気まぐれで奔放さ、うん。A君の言った通りじゃないかな」
 私はなにがなんだかわからなくなってしまった。傍から見たら大したことのないことように思えるかもしれないが、私にとってそれは、急に太陽が地球の周りを回っていると言われるような、普遍的常識の崩壊だった。
 私はそうして、思考の整理がつかないまま茫然と家に帰った。
 私が狂ってしまったのか? 或いは狂った常識で私は生きてきたのだろうか? 何にしても、A君の家において、常識は彼らにあった。
 犬について、私はなにもわからなくなってしまった。専門的な知識というわけではない。犬という動物そのものが、私の中で得体の知れないモノになっていく。
 A君やB君の認識がおかしかったのかもしれない。A君の家に住むあの黒犬だけが何か変わった個体だったのかもしれない。或いは何度も考えたように私がおかしいのかもしれない。けれど、どれをとるにしても、私の囲ってあった思考の中の犬観という世界は、その私という壁が破られ、私にとっての常識的犬と、他者にとっての常識的犬とのカオスが形成されてしまった。
 今日、そうして私という狂人が生まれてしまった。犬について、もう私は何もわからない、考えたくもない。ただ今は、思い出の中の愛犬のグシャグシャに濡れた鼻だけが、愛おしく思い起こされる。


 僕は祖父の日記を読み終えると、それを自分の机の引き出しへ入れた。ふと、昔飼っていた黒い雑種犬を思い出す。父が学生の頃拾ってきた捨て犬だった。
 祖父はあの犬をどう思っていたのだろうか。黒い雑種犬は随分と前に老衰で死んでしまった。
 一つの小説としてこの日記を読んでしまえば、なんだか随分と退屈で軽薄なものに読めてしまう。ここにはなんのカタルシスもアレゴリーもないからだ。だからこそ日記であるわけだけれど、僕がこれを一つの小説として読んでしまおうと思ってしまうほど、やっぱりなんだかフワフワとした現実との距離を感じる話でもある。
 ただ、もし本当にこれが日記として書かれたものだったら?
 僕はそれ以上日記について、或いは犬について考えることをやめる。ただ唯一普遍的に書かれた犬の濡れた鼻について思うと、祖父と同じように、やっぱりあのグシャグシャに濡れた鼻が愛おしく思えてくる。

犬について

犬について

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-06-24

Copyrighted
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