せんせいの色
のあが、しらないあいだに、春を砕いていた。春だった残骸を、ぼくらは、しらないあいだに、食べていた。つまりは、いま、春だったものが、ぼくらの胃のなかに、あって、でも、つぎの春はまた、冬がくれば勝手に生まれる。そういう摂理で、星とか、世界とかは、できていて、果たして消化されるのか、それとも、体内で留まり続けるのか、わからない、春のかけらのことを、夏になれば、ぼくらは、きっと、自然と忘れ去ってしまうのだろう。のあは、砕いた春を、お手製のマドレーヌの生地にねりこんで、焼いた。学校のプールに浮いていた、のらねこのことを思い出すとき、思い出しながら、はやく忘れたいと思うのに、こういうのに限って、忘れられないようにおつくりになられたのか、神さまを、創造主を、進化の過程でそうなったのならば、ご先祖さまを、すこしだけうらんでいる。梅雨の頃の、アイスクリームやさんの、いろんな味のアイスクリームがずらりとならんだ、ショーケースを、じっと見ているだけで、なんとなく、日々の、わずらわしいと思っているものが、どこかに消えてゆく感じ。ぼくは、どうか、みじかい夏休みがはじまるまえに、せんせいと、いわゆるところの、既成事実、というものを、つくってしまいたい。せんせいの皮と、肉と、骨におしつぶされて、ねむりたい夜にもてあます、からだじゅうの熱を、せんせいのあの、太い指で、発散させてほしい。おわりかけの季節を、ひとつひとつ、丁寧に解体してゆく、のあの、動物的な後ろ姿が、好きだった。理科室の、黒くて冷たい机のうえで、せんせいにひらかれたい願望を、のあは、おもしろい小説を読んでいるかのようにきいてくれるから、きらいじゃない。アイスティーで流し込んだ、春のはいったマドレーヌは、かすかに春の味がしたし、喉から胸にかけての皮膚が、一瞬、桜色に染まった。ぼくは、はやく、せんせいの色に染まりたい。
せんせいの色