盗まれた『 』
〈お前の『 』を奪ったのは自分だ。これに懲りて執筆活動を止めろ〉
そう云われても、果たして何が奪われたのか検討のつかない、私ことミノリであった。
こんな奇妙な置き手紙を見つけたのは、ついさっき、定期検診を終えて部屋に戻ってきたときだ。平生通りにドアを開け、中に入った。歩きつつ遠隔でパソコンを立ち上げ、ディスプレイ前のイスにつく。そしてキーボードに指を配置すると、不意に電子音が鳴り、メールが届いた。
目を閉じて確認する。すると先程の文章が綴ってあった、というわけだ。
「『 』……?」
肝心な文字が消えている。これでは、犯人の盗んだ『ナニカ』が不明だ。しかし放っておくわけにはいかない。湯葉瀬先生の助手として、彼に迷惑をかけたくない。
よし、推理しよう。
推測しよう。
私ことミノリはそう胸に決め、頭を回転させ始めたのであった。
まず、脅迫文について思考しよう。前半部分は一旦置いて、後半より『 』へアプローチしていこう。
〈これに懲りて執筆活動を止めろ〉
執筆活動──とあるが、無論、私ことミノリは小説家だ。
実験的小説家と名乗っている。
その実力は、先の大会で見事3位を収めているレベルだ。
……活動を止めろといった意味で、文字は列をなしている。つまり、言うまでもないが、犯人は私の執筆活動が気に食わなくて、『 』を奪ったようだ。
犯人が一体誰なのか。それは私の管轄外としよう。湯葉瀬先生が何とかしてくれるだろうし。
さて。
私の執筆を邪魔したい犯人は、一体何を奪い、盗んだのであろう。
目的から思考するに、およそ、それは執筆に必要なナニカである可能性が高い。
私の『執筆』はパソコンで行う。それは絶対だ。そしてそのパソコンは、この部屋にしっかりと埋め込まれている。ディスプレイの下に置かれたキーボードに文字をタイプして、小説を書き上げていく。
無くてはいけないモノ……。えーと、えーと……。
……普段意識してないのが災いしてか、いざ思い出そうとすると、こう、何だか、パッと出てこない。
こういうとき、人は如何にして記憶を探すのだろうか。
そうだ。五十音を順番に並べていき、その文字に対応するものを、その度思い出していこう。よし、これだ。
初手、『あ』。
あ……あ……あ? 『あ』のつくモノ……。えーと。
「あ……『明るさ』?」
うん。執筆に一定以上の光量は必要だ。
「い……『イス』」
うんうん。支える物が無くては。
「う……『憂い』」
そんなモノ持ち合わせてない。……何だか不毛な気がしてきたので、私は飛ばし飛ばし考える事にした。五十音を、縦ではなく横になぞっていく。
「明るさ、紙(メモに用いる。執筆自体はパソコンで行う)、酒(湯葉瀬先生が飲まれる)、立場(実験的小説家としての)、ナツメグ(湯葉瀬先生が食す)、発電機(無いと死ぬ)、マウス(パソコンの)、焼き芋(湯葉瀬先生が食す)……」
そろそろ私が、無駄な時間を過ごしている事に気が付き始めたとき、
「……?」
奇妙な感覚を、突如として覚えた。
知っているのに、思い出せない。よく『昨日の晩ご飯』として云われる、アレだ。
昨日の晩ご飯、私は確実に言えるけどね。
今まで経験したことの無い違和感が、頭の回路を巡る。確かに私は、ナニカを奪われているような気がする……。
なんだろう、これ。
『 』。
空白の正体。
欠如した、執筆に欠かせないナニカ。
──しかしどうにも、私は執筆ができそうなのである。
まず、メインのパソコンは、こうして目の前に置かれている。そして、出力するためのキーボードも、その下にある。細かい操作のために繋がれたマウスも、そのまた少し右に置かれている。その他諸々、この部屋は平生の通りに存在していた。
この私が主張するのだから、間違いない。この部屋は確実に、何も変化していない。つまり、執筆環境に影響はない。
──じゃあ。
じゃあ――犯人は?
〈お前の『 』を奪ったのは自分だ。これに懲りて執筆活動を止めろ〉
犯人は、果たして何を盗んだというのだ。
──と、そんなとき。廊下の方からドア越しに、「ただいま」と声が響いた。
幾度となく聞いた、湯葉瀬先生の声だ。
足音が徐々に近づいてきて、コンコン、と背後にノックの音がする。
「ちょっと、入れてくれないか?」
湯葉瀬先生の言葉に従い、私はそのままドアを開けた。
「君にウイルスが入ってしまったようだ。もう一度、研究室に来てくれ」
「分かりました」
……結局、私は『 』が何なのか、推理する事ができなかった。
湯葉瀬先生ご自慢のアンドロイドとして、忸怩たる思いに包まれたのであった。
「で、オチは? ミノリちゃん」
机を挟んだ向こう側。正面で麺を啜っている、長髪で制服姿の少女――乾美奈子が首を傾げる
食堂の一角。夜間は立ち入り禁止となるため、他に人はいない。ならば何故、私達が呑気に食事をできているのかというと、それは湯葉瀬先生の権力の知る処――であった。
「オチですか? しかし、これは体験談ですので、オチとかそういったものは……」
彼女の威圧感に、少し気圧されながら、細々と言葉を零す。
乾が、自身の食していた料理を皿ごと押し出してきた。私の眼前に置かれる。
彼女がそれを両手で指す。
「これ。これが何か、言ってみ」
「これですか。――これはラーメンです」
「ふぅん」
と言って、再び獲物を自分の前に戻し、食事を再開させた。
その行動の意味を、私はちゃんと理解できている。
「あんたは何か頼まないの? そうやってじっと見られてんのも、食べにくいんだけど……。あ、もしかして、食べられない?」
「はい。私の食事は電気ですので」
「え、じゃあさ、小説に味の表現を書きたいときとか、どうするの? 想像? ……もしかしてそれが、AI実験的小説家の課題だったりするの?」
実際は、食べる事の大好きな湯葉瀬先生の体験談を元に書いている。しかしそう言われると、確かにそれが私の課題なのかもしれない。
──課題。
最も身近な課題に、私は既に気がついていた。
気がつかされた、とでも言うべきか。件の事件の犯人に。
あの後、湯葉瀬先生の調べで、犯人はとある新米小説家である事が分かった。
先に行われた大会で、彼の順位は私の1つ下、つまり4位であったらしい。
表彰台に、あと一歩で上がることが叶わなかった。それも、人ならざるモノ──アンドロイドの所為で。
それを恨んできたのだ。さらに、新米小説家は文学的な作品を狂信的に好んでいた。
アンドロイドに文学なんて――分からない。
人の心なぞ知る由もない。
「だから私と話をしたいのね?」
「はい。人の心について、ご教授頂ければと」
「……あのねぇ。あんたはね、得意な事だけやってればいいのよ。さっきの体験談だけど、叙述トリックとしては普通に読めるんじゃないかしら。奪われたナニカが、ちゃんとなくなってるってこと、提示されてるわけだし……。あ、そうだ。これ小説にしなさいよ」
「小説に、ですか……」
照れという感情は無いが、頬をかく仕草なんかをしてみる。
「ウイルスはもう心配無いのね? 盗聴とか嫌よ、私」
「はい。心配ありません」
──そう、もはや心配は無い。
私は奪われたナニカを、しっかりと取り返しているのだか『ら』。
終
盗まれた『 』
お読みいただきありがとうございました。
高校生のとき書いたやつでした。